1月3日(金) WOWOWで「私は、マリア・カラス」を観る。天才マリア・カラス自らが半生を語るドキュメンタリー。その中で、「ノルマ:ベッリーニ作曲」(1955 ミラノ)を最高傑作として挙げている。他にも「ルチア」(1955ベルリン)「トスカ」「椿姫」(1955ミラノ)。もちろん「カルメン」もあり、最後は「スキッキの私のお父さん」である。どうやらマリア・カラスはベルカントオペラの復活に一躍買ったさらしく、その音域の広さがあまりにもアクロバティックであるがゆえに、それまで上演されることは稀であったという。その代償としてマリア・カラスは喉を酷使し、最盛期は10年もなかったという。それを前後として後世では、私生活やスキャンダルに苦しむ人生であった。9年間公然と共にしたパートナー、オナシスは突然亡ケネディの妻になったというのも驚きである。
1月2日(木) 「パタン・セオリー」ヘルムート・ライトナー著を続ける。4章は、パタン・セオリーの応用編である。建築分野以外におけるパタン・セオリーの活用。その中でも、ソフトウェア開発が興味深い。ソフトウェア開発には専門的な多くの人の協力と時間が必要とされていた。そこで「オブジェクト指向プログラミング」という方法が出現したという。これは、データ構造とデータ処理する命令をオブジェクト化し、それをモジュールで区切る方法であった。そこに「パタン・ランゲージ」的方法が導入されたという。XPとかアジャイル(素早い)という開発方法である。アジャイルとは、はじめ全ての要求をクラインとから収集し、優先順位をつける。その中の最優先事項から開発を重点的に行う。つまりものを言うクライアントをプロジェクトまで巻き込み、柔軟に漸進的に決定を重ねていく方法である。これにより、コストパフォーマンスに則した透明化されたシステムができるようになったという。その後XPはWikiに、そしてぼくらに馴染みのWikipediaが生まれた。百科事典がわずか数年で完成した。教育の現場でも試みられているという。生徒との接し方など、「パタン・ランゲージ」のようにいくつもパタンをつくり、時と場所、相手によって柔軟に対応していく試みがあるという。井庭崇さんの活動を思い出す。
1月1日(水) 「七人の侍」黒澤明監督1954年を観る。1952年の丹下健三の広島平和記念館の2年後の作品。騎馬侍との豪雨中の肉弾戦は鬼気迫るものがある。暴れ馬に槍を持って群がる農民たちの異様さは、さぞかし西洋人には無気味であったろうと思う。後に三船敏郎の立廻り演技が黒澤映画には欠かせない迫真をもたらすものなっていくのだが、そんなものではなかった。画像が粗くアップがないとはいえ、例えば晩年の「乱」やスピルバーグ「プライベート・ライヤン」の冒頭シーンにも劣らない。シーンの間に日本の伝統芸術がもつ神妙さを挟み全体に不思議なリズムをつくっている。