2月7日(火)
卒業設計の発表会。今年はナイーブな案が目立つ。地方に計画敷地を選び、街に対して仕掛けるというより、そっと寄り添う場の提供をコンセプトとする。これまで行われてきた建築にたいする考え方、それは建築の意図を、いかに体験させることができるかということであるが、こうした考え方に疑問を呈することから出発する作品である。とはいえかつてポストモダン以降のように、その関係の無効さを開き直るというヴェンチュリーを代表とする表現でもなく、空間の共有可能性をどこか信じている。かつての開き直った作品は、批判的であることで作品たらしめていた。それ以降は、技術や社会、地域の変わり様に身を任せることで、その問題を自ら応えることを宙づりにしてきた。それは、フランプトンへの批判でもある。そうしたことを考えるといっそのこと、徹底した個人的な視線を作品に持ち込んだらどうだろうか?と思う。いよいよこの問題から避けられなくなってきた。1年前に読んだジジェクの「信じるということ」を思い出す。事務所に戻り、再読。この本は、マルクスが内在する障害を見過ごしたことを批判するものであった。それを建築に置き換えることができた。障害が建築にもあり、それが社会構造を変えるポテンシャルとなるとはいえないだろうか。今日の場合でいうと、意図と空間は別物であるにも関わらず、その関係が信じられているということである。マルクスは、余剰価値と余剰享楽をポジティブに捉え、貨幣社会に囚われてしまっている潜在的な障害を散逸させていた。「信じるということ」では、これに批判的である。かつてのエディプス的な大文字の他者は、現在個別的で偶然な小文字の他者へと移行した。その小文字の他者が、ガジェットとして、根本的な欠如の具体的な現れとして存在しているのである。こうしたことが卒業設計でも現れている。

2月6日(月)
009 プレミア レスター×マンU
レスターは得点できずに泥沼にはまっている。今日岡崎は先発出場。ポグマとのマッチアップ。ボール奪取に何度も成功するが、先には進めることができない。岡崎に限ったことでなく、チームとして同様である。前半終了の5分間で2失点する。最終ラインを崩された。これで万事休す。岡崎も前半で交代させられる。しかしチーム状況は変わらない。後半早々には、マタとムヒンタリアンにワンツーで崩される。かつてのユナイテッドでは見られなかった攻撃である。ユナイテッドは後半から、2列目中心の攻撃に変え、レスター最終ラインがそれに対応できなかった訳だ。レスターはバーディーのスピードとキレ頼みで、そのパスへの出だしが完璧に封じられ、為す術がない。

2月5日(日)
008 ブンデス ドルトムント×ライプツィヒ
1-0でドルトの辛勝。ロスタイムではオフサイドの判定に救われる。ガチでゲーゲンプレッシングを実践する新生ライプチッヒに、この数試合と同様、ドルトはゲームをコントロールできなかった。得点は、デンベレの個人技によるチャンスメークからで、そうした展開のみにしか可能性が感じられなかった。したがって、決して褒められたものではない。ゲームメーカーとなる香川、ゲッツェは出場なし。カストロはベンチ外である。トゥヘル采配にたいする疑問が、このところ聞こえはじめてきている。しかし勝利によって3位に食い込む。

2月4日(土)
午後に敷地を訪れ、再確認して打ち合わせにのじむ。夕方までお話しをする。さらに多くの希望を持たれているようだ。今日は断熱性能や材料などの、ぼくが判るだけの情報をお話しする。彼の興味は尽きない。なんとか期待に応えたいと思う。
007 スペイン バルサ×アトレチコ・ビルバオ
久しぶりのスペインの試合を観る。バルサGKは、足下が特別上手いとは言えなかったが、GKからの繋ぎのビルトアップがチームとして徹底されている。これはなかなか真似できないものと思う。今日のバルサの調子は今ひとつであったので、アトレチコがひとつ早く決めていれば展開は180度変わっていたと思う。バルサはそうしたミスにも助けられ3-0の勝利。

2月3日(金)
難波事務所で行われる縦ログ構法研究会に出席。7倍の壁倍率を確保することはかなり難しいことが予備実験から判る。木は柱脚の固定方法がクリティカルになる。土台は間柱などの納まりに適するが、構造的にそれを介することが弱点になる。木造とS造の違いがそういうところにも現れる。事務所に戻り、明日のプレゼの準備にかかる。これまで集合住宅の計画では、集合することをネガティブにとらえ、いかに集合の中での個の快適性を確保するかを考えていた。今回のプロジェクトではこの考えをひっくり返したいと考えた。集まることでなければできない空間を目指したいと考えた。それでこれまでと異なり、ひとつのボリュームをもつ外形となった。このことが意外であった。

2月2日(木)
昨日は欧州の冬の移籍の期限日であった。本田は残留。清武は日本へ戻る。対照的である。半年で成果をあげるのは難しいことなので、もう少しがんばってほしかった。セビージャで痕跡を残すことができれば、トッププレヤーになれたと思うのだが、代表へアピールすることに焦ったのだろう。清武獲得後のセビージャはチーム方針を変更したのがよい方向へ展開し、現在バルサを押さえてリーガ2位である。この好機を逃すまいとナスリをはじめ、チームでフィットしない一流選手の乱獲得をする。これに清武は巻き込まれ、貧乏くじを引いてしまった。繰り返しになるが、スペインで成功しないことの方が大きいのだから、それを前提にプランをたてるべきであった。そのつけは大きいと思う。それにたいして本田は、焦らず動かずに好機を待つ。自信があるからだろうか。

2月1日(水)
新しいプロジェクトの方針を箇条書きにし、いくつかあった可能性の中から案から絞り込む。当初と方針の優先順序が前後することを経験する。敷地の性格が異なるものの先日行ったコンペとの重なりも多い。箱に外と中へのふたつの開き方があり、拡散するかたちである。

1月31日(火)
006 プレミア バーンリー×レスター
0-1でレスター負ける。好調なバーンリーが相手とはいえ、レスターはチャンピオンである。しかし4試合得点がなく、今日もな術を持ち合わせていなかった。岡崎も後半30分から出場。彼もほとんど何もできず、これまでにない危機感を示していた。バーディーを走らせるロングボールに終始し、それがプレッシングからの展開ではないのでたいして効果がなく退屈であった。

1月29日(日)
午前中に芳賀沼さん来所。次のプロジェクトについて意見交換。夕方からフェデラーとナダルの全豪決勝を観る。試合中は終始平常心を保つフェデラーが印象的。優勢時も劣勢時も変わらない。しかしフルセットの後、勝利すると喜びを爆発させていた。

1月27日(金)
ナダルとディミトロフの試合を観る。といっても後半からみはじめ、最後まで惹き付けられてしまった。5時間の死闘であった。テニスはつくづく経験が左右するスポーツであると思う。ナダルはミスしても最後は崩れなかった。それがぼくらを引き付ける。夜BSで「バーディ」 アラン・パーカー監督を観る。南フィラルデフィアという片田舎で生まれ育った無垢な2人の青年の友情を通して、人間の弱さを描く。やんちゃであった彼らは高校卒業後、ベトナム戦争に臨み、人間性を完全に去勢されてしまう。言葉を失い自閉してしまうのである。彼は高校時代から執着していた「鳥」になってしまった。それは、籠の中で囲われる鳥である。やんちゃなころの無鉄砲な主人公を支えていたものは、それとは異なる鳥というものであった。鳥が飛ぶことができるのは、能力そのものがあるからでなく、飛べることを信じて止まないという持論であった。そこから彼自身も実際に空に羽ばたくことを試みる。しかし、その現実を理解するにつれて、それが彼の中のイマジナリーなものへとなり、自閉してしまう。彼は小鳥を愛し、鳥の世界が全てとなってしまうのである。田舎に育った無限大の青年が、戦争によって、全てを失うというなんとも厳しい映画であった。人は外向き思考である必要をつくづく思い知らされる映画であった。

1月26日(木)
大倉山のSANNAの集合住宅を経験。集合住宅ではなく、3層メゾネットの店舗となっていた。駅前の商店街の中にあるので無理もない。上階を事務所とし、2階が落ち着いた店舗である。そこはカフェやワインを提供する店である。各住戸は独立したコンクリートの箱である。箱といっても複雑な形である。が、最近の作品にあるように立体的なものではない。その間を人が散策する。この場所に固まりの建物があることを想像すると、街に果たす役割は大きいことを感じる。

1月25日(水)
3年生の設計3 学外講師を迎えての講評会。能作文徳氏、伊藤暁氏、日野雅司氏を迎える。能作さんは、批判によって建築にする大切さを説いてくれた。したがって、システムに頼る学生に疑問を呈し、様々な視点から学生に質問することによって、システムの前提を問うていた。そうした中で評価するのは、やはり斬新な切り口を模索する作品というより、作り込むことで多様性を示そうとする作品であった。ひとつは、路地に対して無批判でありつつも、それを丁寧にかたちに落としていた作品。路地を評価するのは、極端にいえば建築家の世界に限ったものであり、これまで社会がそれを受け入れていない現状を考慮すべきであるという括弧つけがなされている。もうひとつは、ひとつのユニットを展開したものである。プログラムとの丁寧な対応が評価された。日野さんは、そうした批判的な構築方法にたいして、デザイン意図と評価は決して一致することはないといい、そうした前提に立ってデザインすることの方が大切であることの話をしてくれた。つくり手の立場にたった発言だろう、このことが印象的である。システムにたいしても同様の考えをもつ。システムはアイデアを拘束するものでなく、様々な解釈を存在させるものであるという意見をもっていた。以前所属していた山本理顕事務所では、大きな物語をまとめる共通言語のような働きとしてシステムが考えられていたという。とはいえ、最も評価していたのは、システムのない全体像のない作品であった。その作品は、個々の空間が独立し、それへのガバナンスが不思議なものであった。それだけ新鮮であったのである。伊藤さんは自身の学生時代の体験を紐解き、信じることへの信頼を真面目に話してくれた。現在は建築の定義が揺れているという。リノベーションの経験を通して、かつての構造や設備と空間の関係はもはや成り立たなくなっていることを力説する。もっと建築との関係はダイナミックであり、教条的ではない。だから模索するのだということが印象的であった。そうした考えから日野さんと同様に、全体像が決して明確でない不思議にひとつにパッケージされたた作品を評価していた。今回の講評会で、講師の間でも議論が白熱したと思う。こういう状況を提供してくれた3氏に感謝しなければいけない。

1月23日(月)
2年生後期幼稚園課題の学内講評会。保育室を自立させる分棟型作品が多かった。その場合、中間領域の提案だけでは差異化ができないので、個々を集合させる方法をあらためて考える必要がある。一方で、これまでの設計のように室同士の関係を紐解いて独自の構成を試みる意欲的な作品もあった。来年度に期待。講評会の後、長年授業に関わっていただいた千葉先生の感謝の会を銀座(ヴァンピックル)で行う。店内に豚一頭が熟成保存されている欧風串揚げ屋であった。おもわずダミアン・ハーストの作品かと目を疑う。置かれるコンテクストによって意味は全く異なる。若き千葉先生の破天荒なところ、モンゴルのこと、をお聞きする。

1月22日(日)
錦織がフェデラーに負けるのを、コンペ作業の合間に観る。決して動じない経験あるフェデラーにたいし、追い込まれていく錦織というかたちであった。ただし、錦織も最後は踏ん張り、屈することはなかった。勝敗を分けるような派手なプレーが両者になく、持久戦に近い山場のない試合であったと思う。とはいえ、フェデラーの返しは早い。ボールが跳ねた瞬間を振り抜く。錦織はそれへの対応が精一杯で、ベースライン近くまでの深い攻めの折り返しができていなかった。このことが素人目にも分かった。ゲームセット直後の、まるで優勝したかのようなフェデラーの喜びが印象的であった。あと一歩。これが実に遠い。

1月21日(土)
新しいクライアントと会うため、昼に事務所を離れる。自宅を訪れ概要をお聞きした後、一緒に敷地と街を歩き回った。視点が街に向かっているのは建築家以上で、びっくりする。歩き回り、気づくことがたくさんあった。その中でもこの街の高低差に惹かれた。山の上に登ると風景が拡がるのだ。下からのその変化は劇的で、それ程歩かなくとも可能である。ここが面白いと思った。こうした空間構成をかんがえてみよう。その後食事をしながら様々な話をする。たくさんの建築のことを吸収しようとしていて、ぼくの方が慌てる程であった。この熱情に応えるために、ぼくも多くのことを尋ねる。真意が何かを掴みたいと思った。その結果。これまでのクライアントより突っ込んだ会話ができたことは有意義であった。この期待に応えなければならない。
005ブンデス ケルン×ドルトムント
ブンデスリーガが再開した。香川が先発出場。2度好機を外す。下がり目で長めのスルーパスも数本試みる。とはいえ、チームのコンディションはそれ程よくない。下位グループに留まっている10人のチームに対して漸く勝てたという感じであった。最終ラインが不安定であり、攻撃がちぐはぐである。戦術を熟成させようとする選手と個人技に走る選手が噛み合っていないからだ。結果を後者が出していることも問題を難しくしている。今日も交替の後の逆転である。2-1でドルトの勝利。

1月20日(金)
難波さんとはりゅうスタジオとコンペの打ち合わせ。ひとつのシステムを突き詰めるときの破綻にこそデザインが生まれるという共通認識のもとで、システム設定にかんする議論を長々と行ってきたと思う。通常は純化収束するところを、発散させもうひとつ大きなシステムをつくるようなものである。そのために他者の存在が大きく関わるのだが、ぼくにとってはこれまでと異なり大きく変わったことを経験する。

1月19日(木)
モディリアーニの特集で、あの首が長く、なで肩の、眼球がない特徴的な絵は、ドラッグによるものだと知る。モディリアーニは、絵が評価されず、酒とドラッグにおぼれていったという。その幻覚があのような特徴を生み出した。彼はするどい観察をもち、彼独自のスタイルに持ち込み、ひとりひとりのモデルの個性を表現できた。しかしそれは、社会に受け入れられなかったという。30歳の前半で病に倒れる。個展も一度だけ経験する。しかし裸婦画が問題になり初日で中止になった。その波乱の人生は、映画や小説に多く書かれている。

1月18日(水)
3年生の設計講評会。通常設計するとき、外部条件を引き受けて行う。それに自覚的である必要がはじめにあり、次に条件を組み立てることに自覚的である必要もある。しかしこの後半が実は難しい。これを放棄したらどうだろうか?こうした見方をすると面白い作品があった。PCMのCritical Method とはこういうことなのだろう。人は分析を容易にできても、そこから創造することは難しい。分析に終始し、構築に関して開き直る方法のようなものである。建築の王道であった「構築の意志」という土俵に敢えて乗らない方法である。

1月17日(火)
卒業設計の中間発表。図面の完成度を中心にみる。この時期にコンセプトを見直すことは無理なので、ひたすら完成度を上げる指導に終始する。夕方難波さんとコンペの打ち合わせ。案を収束させる。

1月16日(月)
朝、錦織の試合があったようだ。オーストラリアとは時差はないことに気づく。夕方は長い会議であった。主体性を消すために外にある規則を引用し、客観的に語ることがある。しかし、その規則の引用に恣意性は溢れている。このことに疑問を持たないのだろうかと思う。あるいは、こうした主体性を避けることができない現実を知りつつも、主体性を出さないことが最低限の議論のマナーであると考えているのだろうか?もしかしたら、曖昧であるが結論が既にあり、そこへのステップを、主体性をなくし組み立てることを成果と考えているのかもしれない。そのため問題が共有されずに、議論が不可能になる。アレグサンダーのいうAシステムとBシステムのバトルとはこのことをいうのだろう。対立するイデオリギーに焦点を与えるには、もっと大きな他者というものがが必要となる。
004プレミア マンU×リヴァプール
終盤にユナイテッドが追いつき1-1のドロー。リヴァプールの前線からのプレッシングが試合早々から効く。ユナイテッドはかたちがなかなかつくれなかった。そのためモウリーニョはポゼッションサッカーに固守しない。後半からフェライニを投入し、ロングボールによる戦術に変更。中盤のフェライニがボールをキープし2バックで攻め立てた。戦況ががっらと変わり、ユナイテッドが追いつく。こうした柔軟さが必要である。

1月15日(日)
先日オープンした太田市美術館図書館へ行く。駅前の公共施設であり、箱型展示室の周りにリムと呼ぶ外に開かれた図書館やカフェ、テラスが立体的にまとわりつく構成である。イベントスペースもそうした周りのスペースにある。展示室箱は柱梁構造で外側の柱間が本棚である。残念ながら図書館はオープン前で、入ることができなかったが、外から本棚がよく見える。ここまで開かれ裏表のない図書館はこれまでなかっただろうと思う。箱の周りを登りながら本を手にする住民を予想できた。避難の問題もあるのだろう。テラスがあちこちにあるのも特徴的である。そこには階段がついているが予算の関係だろう、それは小規模である。ダイナミックな引き込みにまではなっていないのが少し残念であった。というのも、リムを単一機能が付加された動線ではなく、もっと街で生まれる出来事のように、偶然性が起きることをねらっていると思われたからだ。随所でリムを交錯させ、空間を上下でぶつけ、一筆書きにならないようにしていることから想像される。外からも同様の連続性があって然りである。仕上げは全て白と床のコンクリートで統一されている。背景として本が並べられることを意識したものだろうか?スロープという段差以外は連続的である。それによって箱の構成を判らなくしているのは、箱とリブを曖昧にするためだろうか?それだけ箱の存在は大きい。箱の意味を考える。メインの展示室は、150㎡ないだろう。天井高は2層分ある。こうした箱をもっとポジティブに考える方法もあると考えた。

1月14日(土)
003プレミア バーンリー×サウサンプトン
今季吉田は重要なサブ選手として、ELとカップ戦が主戦場であった。ところが、キャプテンCBのフォンテが移籍を希望したため、吉田にチャンスが廻ってきた。前回のリヴァプールのカップ戦に続き、安定した役割を果たす。プレミア選手を相手にここまで安定した吉田の成長に驚く。ところが、昨季からの攻撃陣の主力が抜けたため、可もなく不可もない戦術は退屈である。現在の順位が示すとおり中間チームとなってしまった。サイドを中心とするが攻めきれずに、一端サイドバックに戻し、そこからのぬるいセンタリングしかない。従来のイングランドサッカーといえばそれまでであるが、結局セットプレーを決められ0-1で負ける。熱烈サポーター以外のファンを惹き付けることはできないサッカーである。

1月13日(金)
難波さんとコンペの打ち合わせ。アイデアを収束させるも、課題は、体験としてこのアイデアが実際に感じることができるかである。プログラムの細かいところを詰め始める。夜BSで「タクシードライバー」76年、スコテッシ監督を観る。主演は26歳のロバート・デ・ニーロ。細く若いことにまずはびっくりする。70年代の衰退はじめるアメリカの実情を浮き彫りにする映画である。デ・ニーロふんするトラヴィスはベトナム帰り。豊かであるが故に腐敗する社会に矛盾を感じ、孤独に追いこまれ、いつしか浄化という名のもとの犯罪者へと転落していく。そのNYに、生も含めてリアルというものはない。トラヴィスが打ち壊そうとするのは実はそうしたアンリアルな自己であった。大統領暗殺が未遂に終わり、ギャングに討ち入りに行くまでは、一般的なストーリーである。しかし最後、彼は死にきれずに、マスコミによって英雄に逆に仕立て上げられる。簡単にリアルな死させ獲得できないのである。タクシーが流しながらのNYの街は、バーナード・ハーマンのサックスと相まって、実に妖艶で不気味に描かれている。そのNYとは全く異なる心叫ぶ音楽として、ジャクソン・ブラウンの「Late for the sky」が使われていたことにびっくりする。70年代後半の高校時代に浜田省吾からその曲を知った。トラヴィスの低い一定のトーンの演技とは対照的であった。彼はゆっくりと足でその曲を否定するように、それが流れるテレビを押し倒す。

1月11日(水)
「驚異の構築」を再読。ミレーの「晩鐘」は、貧しい農夫婦が秋の夕暮れに、教会から響く鐘の音に、作業を一端とめて神と大地に祈りを捧げる絵である。このことはおそらくほとんどの人が納得することである。そのストーリーにあった厳かな雰囲気をこの絵は見事に描いている。ここに描かれる農夫の絵と鑑賞者であるぼくたちはある真っ当な強い関係をもっている。コールハースは(ダリも)全く異なるコンテクストでこの「晩鐘」にある関係を表現しようとしていた。この関係が何に由来するのかの探究がコールハースの初期の仕事にあったことに気づく。そのことを感じさせるエルクロッキーからのコールハースの引用が「驚異の構築」にあった。「とりわけ感銘を受けたのはその「偏執狂的」な方法である。私の考えではこれは今世紀の天才的な発明の一つである、合理的でありながら客観性を装うことなく、分析がそのまま創造になる方法なのである。(p20)」。このところ気になっているOOO(オブジェクト・オリエンティッド・オントロジー)的な思考がそのように考えさせるのだろうか。

1月10日(火)
あらゆる構成要素が他のものにたいして同等でなければならない建築としてカーンをあたる。そこでは、町や都市といったより広い視点から、個々が持つべき要素や性質を建築にしようとする試みによって、空間が併置されている。環境のもとに建築はひとつの要素である。明確なかたちでは内外ふたつに分かれてしまうのだが、それが小さくばらけると不思議に周囲に馴染んだように見える。

1月9日(月)
文化大革命の現実に迫るNHKの特集を観る。隣国のことではあるが、情報統制がされ、子どもであったためぼくには疎かった。毛沢東の巧みな若者扇動にはじまる革命とその収拾失敗による中国全土の大混乱と理解していたが、やはり実情はもっと複雑であった。その実行者は紅衛兵と考えられていたが、それも一枚岩でなかったらしい。とくに後期は、プロレタリアに対してでなく、紅衛兵内部のポジション争いによる闘争であったようだ。早い時期に紅衛兵の暴走をコントロールするために軍の出動が必要であったが、革命を市民革命とするために軍部と一部の紅衛兵(造反派)を結託させた。これがさらなる反発と混乱を招いた。「全員が被害者であり、加害者であった」という当時者の言葉が印象的である。善が善の内側によって否定されるとき、自己矛盾が自虐的なとてつもないことを引き起こしてしまう。

1月8日(日)
六本木の「宇宙と芸術展」へ行く。宇宙をテーマにした古今東西の作品が紹介される。それは、マンダラ、ダヴィンチ、ガリレオ、竹取物語からトムサックス、チームラボに至る。写真を自由に撮ることができ、SNSからの発信が期待されているようだ。こうした設定テーマを中心にした展示が増えてきている。作品のバリエーションが、ひとりひとりの感情移入を可能にする。これから美術館は運営能力が試されていくことになるのだろう。夕方、錦織のブリスベーンでの決勝戦を観る。第2セットは、これまでにない風格を思わせる勝ち方であったのだが、体の変調から最終セットではギアを上げることができなかったようだ。このセットをあっさりと失う。少し残念であった。夜にサッカー特集を観る。小林悠がなかなかの面白い人物であることを知る。名波が埋もれている彼を引き抜いたようだ。現在はオランダで活躍し、粗削りではあるが、同時代のプレヤーにないギラギラしたものをもっている。清武、大迫、原口はこれまで香川、本田らの後ろにいたのだが、彼らが自信をもったことがチームを新しく引っ張っていることを頼もしく思う。

1月7日(土)
「有限性の後で」を再読する。その中でハイデガーの「生起」が度々触れられていることに気づく。アレグサンダーもそれを多用する。この場合の生起とは、人間とモノ(存在)との相互帰属関係、結合をいっている。人間もモノも独立していないのである。本書によるとこの世界観はカント以降普遍であるという。けれどもアレグサンダーによると、近代建築の世界では少なくともそうではなかった。建築を人間から独立させてしまったという。そうした立場に立って一般にアレグサンダーは、カント以降を否定し、前カント的な実体を思考すると考えられている。すくなくともぼくにとってはそうであった。しかしその生起を基本にした一連のセンタリングや幾何学的性質などは、じつはカント以降の相関主義のものであった訳である。このことに気づく。これはぼくにとって大きな発見であった。

1月6日(金)
難波事務所にてコンペの打ち合わせ、縦ログの実験方針の検討。縦ログ柱脚のディテールの検討。縦ログユニットに最大限の横力負担させるためのクリティカルな問題は柱脚の固定方法にある。6パタンの実験結果の報告を受ける。どれも期待される耐力に至っていないので、その改良方法についてアイデアを出しあった。その中で従来の普及型を応用する案に収斂する。その再実験を今月末に行う。その後新年会。今年度のトウキョウコレクションのテーマを「言葉にかわる建築」であることを聞く。難波さんが審査委員長だそうだ。メイヤスーの「有限性の後で」を思い出した。このときの有限性とは、世界が、対象と主体との関係にしかないことをいっている。すなわち、対象自体もあり得ないし、主体自体だけの世界もないのだ。言葉が全てと言うことをよく聞くが、これは、言葉が対象と主体の中間に属するこの有限なるものの代表と考えられるものである。しかし一方で、言葉で表現をしない外部が現前に存在する。この本ではこのことを説明をしようとしている。トウキョウコレクションのテーマ「言葉にかわる建築」は、言葉と同様に建築の有限性をいうもの、あるいは言葉の有限性を超えるものとして建築をいうもの、この異なるふたつの様相が示されるだろうと思う。後者に夢があるが、これを言うのはなかなか実は難しい。

1月4日(水)
南房総館山へ行く。東京と比べるとかなり暖かいのでびっくりする。夜のニュースで、ネアンデルタール人に食人行為があったことを知る。ネアンデルタール人はホモ・サピエンス以前に存在し、旧人ではないが、一部遺伝子をぼくらに残しているという。ヨーロッパで多く発見され、ホモ・サピエンスがアフリカ出後の6万年前に混血した。脳の大きさはホモ・サピエンスより大きかった。ただし、骨格の状況から言葉が操れなかったことをNHKの特集で観たことを思い出す。火を扱うが、それが特定の場所ではなかったので、住居を持っていなかったと言われている。

1月3日(火)
NHKで弥生時代から飛鳥時代までの歴史特集を観る。弥生時代に、冨を求めて殺戮・戦争が、青谷上寺地遺跡(鳥取)をはじめ各地であったことを知る。この時使用された土器の特定から、どこの地方からの攻撃であるかが判るという。この時期、日本は気候的に大変動期にあり、収穫の格差がそれを助長させた。そしてこの時期の権力の象徴が前方後円墳である。周りを堀で囲まれ、内外が明確である。弥生のムラも同様である。内外を曖昧にする文化は実はずっとこの後のことであるらしい。というか、大陸文化がこの時期優勢であった。卑弥呼は、こうした権力をまとめる権威の象徴であるという。激化する争いを解決するための人間主義的な思考産物という訳である。クニを代表とする集団意識がイメージ化されたのである。この後、文字が輸入され、仏教も伝来してきた。イメージの次は、実利を操ることで国が形成されていった。蘇我氏のみが、渡来人の知識を受け入れ、建築技術、算術、読み書きというリテラルな技術を独占していたという。前方後円墳の後は方墳になるのだが、そのチェンジを同様な論理で語っていた。しかし方墳よりも法隆寺や飛鳥寺の建築の方が、よほどシンボル性が高かったに違いない。仏教はぼくらの認識と異なり当時は、ヒエラルキーを定める合理的なものと考えられていた。時の権力者が仏教を利用するのはもっともなことである。仏教はキリスト教等に比べて相対的に自然志向なだけである。

1月2日(月)
妻の実家に正月挨拶に行く。前の西福寺を訪れその後夕食。より遅く帰宅。
002プレミア レスター×ウェストハム
1-0でレスターが勝利。昨季と同様の、速攻で得点しその後守り切るという勝ち方が漸くできた。前半は、右のオルブライトンがよかった。フリーでボールを受けて、的確なセンタリングをあげていた。得点はそれをスリマニが頭で決めた。後半レスターはゲームをコントロールされたが、岡崎、ウジョアのフレッシュな選手を投入して、前線からのプレッシングで逆にゲームをコントロールする。岡崎も2本シュートを放つ。決めたかった。レスターの試合があまり放送されない。調べると、どうやらテレビ放送からネット配信へ世の中は変わりつつあることがわかる。

1月1日(日)
朝遅く起き、プレミアの録画を観る。お雑煮を戴き、テレビを付けると放送していた「バック・トゥー・ザ・フューチャー」をたまたま観る。1985年の作品である。そこに描かれる20年後の現在と比べると、進んでいるものそうでないもの多々である。とはいえ、ジェットコースタームービーは色あせていない。子どもも喜んでいた。一昨年、「デロリアン」がオークションにかかったことも思い出した。その後近くの氷川神社に初詣。実家で夕食。TVでムジークフェラインでのニューイヤーコンサートを観る。
001プレミア リヴァプール×マンC
今年最初の試合をプレミアから観る。クロップとベップとの闘いとマスコミは騒ぐが、ゲーム内容はそれ程彼らのキャラクターが出たものではない。それだけプレミアはチーム力が拮抗しているからだろう。彼らでも思うように展開させることができない。特にベップは、サイド奥のスペースをスターリングに使わせる戦術が中心で、それはオーソドックスである。クロップもそれ程のゲーゲンプレッシングをしない。どちらかという長めのワンツーでの崩しを目指していた。リスクを考慮したものだろう。結果は1-0でリヴァプールの勝利。久しぶりに日本人以外の試合を観たが、十分に楽しんだ。プレミアに本田はこないだろうか?

12月31日(土)
IITのロン・へーダンソン先生が来日し、今村先生を交えて夕方から2時間かけて情報交換。国際文化会館へ行く。彼のデザインで驚いたのは、土地の利用状況をかなり歴史的に遡ることにある。そこから何かを発見しようとしている。日本では、江戸の状況を理解しても、現在はそこから幾重ものバイアスがかかっている。これとは異なり、アメリカではそうした状況が残されている。深夜「ゴットファーザー」を観る。名作の映像はいつまでも記憶に残る。マーロン・ブランドが孫と戯れて葡萄畑で発作で倒れるシーン。アルパチーノの弟が車の後部座席から絞め殺されるシーン。そして最後のシーン。アルパチーノと妻が真実を確認し、次室に退いた後に、ドア枠越しに新しいファミリーが生まれるシーンである。他の映画でも似た映像がその後使われる。

12月28日(水)
プロボクサー・村田諒太と哲学者・萱野稔人の対談をEテレで観る。スポーツ選手故の身体と思考の関係が話題の中心であった。萱野稔人の著書「哲学はなぜ役に立つのか?」を中心にお互いが語っていた。この本に興味を持つ。

12月27日(火)
彰国社にて、新しい本の打ち合わせ。大学では、設計教育中心のカリキュラムを組むことができたので、一般講義内容についても一貫した流れで再整理したいと考えた。各意匠系教員から、担当授業内容を説明する第一弾の目次を送ってもらい、それを検討する。多岐にわたり皆刺激的である。ただし、重なる内容もある。重なることは悪いことではないので、そこには各自のユニークな視点が必要となるだろう。その上で各自をまとめる切り口が欲しいと思う。今村さんから「建築リテラシー」というキーワードがあげられる。最近は、文化リテラシー、情報リテラシー、金融リテラシーなどの新しいものもあり、情報がある形で提示されるに至った経緯や、発信者が隠そうとしている意図や目的まで批判的に見抜く能力をいう。最近の新国立競技場問題などのときにリテラシーという言葉が使われていたことを思い出す。それはもう少し、社会的道徳的な立場からの発言であったと記憶する。

12月26日(月)
「BATTLE」C・アレグサンダー著を訳していて感じるのは、盈進学園の配置計画は本当によくできていることである。アレグサンダーの方法論によってしか、あのような微妙な配置に至らなかっただろうと思う。反対に言うとその先の結果に不満を感じてしまうのは、なぜかという疑問も残る。そのことを、コンペの打ち合わせの後、盈進を外からサポートしてきた難波さんにぶつけてみた。すると難波さんもそれを認めながらも、配置計画以降の建設や技術に対するアレグサンダーの思想の欠落を指摘した。この本でアレグサンダーが繰り返し記しているのは、全体性を獲得するために必要なシステムや個の開放であった。個の開放が全ての出発点にあり、そのための思想と方法が記されている。難波さんの指摘を、このアレグサンダー的に表現するなら、配置計画を具現化するときの段階で、技術や施工システムを開放していないことになる。あるいはアレグサンダーは、ここでいう近代システムBの否定に囚われすぎ、そのため反対に遂行現行システムは閉じてしまったのでないか。配置計画段階とは比べられないくらいに、人に関しても多くが関わる、その開放に失敗したのである。コンペの打ち合わせでは、この「BATTLE」を訳していることもあり配置計画を入念に行ったものを提出した。しかし個は開放されないままである。

12月25日(日)
長友の婚約会見を見る。彼のサービス精神旺盛な態度に脱帽する。嫌味がないのは、彼らが本当に幸せだからだろう。夜に新しい本のための準備。建築に纏わるネットワークは複雑で、読者が知るべき情報は無限であるので、内容が教条的でないことがよいと思う。一方で、俯瞰的な立場もとりたくないので、新しい現代的なテーマを差し込みその必要性を問いかけるものにしようかと思い立つ。新しいことを考えるのは難しいが、修復を通じて既存システムの矛盾に気づくことは比較的容易であるように思うからだ。

12月23日(金)
「恐怖のメロディ Play Misty for Me」クリント・イーストウッド監督を観る。1971年制作というから45年前の作品である。イーストウッドの初監督作品であり、監督ドン・シーゲルが友情出演していた。ミスティとは、ジャズのスタンダードである。この曲をリクエストする女ジェシカ・ウォールターがラジオDJクリント・イーストウッドをストーカーするというサイコスリラー映画。ストーカーというものは、この時代新しいテーマというが、この年にスピルバーグの「激突」が公開され、ヒッチコックの一連作品が既にあった。ヒッチコックがもたらしたサイコパスの恐怖に迫るため、イーストウッドがここで試みているのは、観る者の主人公へ感情移入させることであり、どちらかというと宙ぶらりん感を引っ張るヒッチコックとは異なっている。むしろ、この映画の方が近代的である。したがって映画は男性的であり、もてない男とか女性は感情移入がむずかしいのでないかと思う。とはいえ、ヒッチコックばりのカメラワークを多用する。イーストウッドが本命彼女との絡みのシーンでは、ストーカーを出現させずにストーカー視点から描かれる。ときたま、ストーカーの手等だけで彼女のそれを覗くときの感情の起伏が表現される。彼女の視点が映画を観ているぼくらの視点と混同させるためのカメラワークはそういうところに現れる。映画のはじまりは空からのフェードイン、エンディングは夜空へのフェードアウトである。後半のアクションシーンを批判することもあろうが、それはイーストウッド十八番なのである。途中のロバータ・フラッグの「The First Time Ever I Saw Your Face」は、ここから出たのだろうか?

12月21日(水)
大学意匠系教員と食事。ミキモトの7F「Cucina del Nabucco」へ行く。この建築の特徴となる開口が室内からは見ることができず、天井の高い空間に半階上がり舞台のようなキッチンがある、不思議な空間である。そのためぼくらのいる階数も不明である。野生司先生の紹介で帝国ホテルのバーへ。落ち着いた空間である。ここは会員制と聞く。

12月20日(火)
136 ブンデス ドルトムント×アウグスブルク
香川が久しぶりの先発。アシストを決め、シュートも2発放つ。そのうち1本でも決めていればと思う。そのためドイツ紙の評価がいまいちであった。つくづく事後的な評価が全てであると思う。むしろ、過程というものは、事後的に確認されるものといった方が正しいかもしれない。ただし、その確認はより細分化することは可能である。これでブンデスはクリスマス休暇に入る。

12月18日(日)
「虚構の近代」ブルーノ・ラトゥール著の再読。ある学生がラトゥールへ関心を寄せていたので、再確認をしようと思った。改めて読むと、最近よく目にする思弁的実在論に近いものを感じることができた。ここでラトゥールは人間とモノとの混在、同列を基本とする。これを「モノの民主主義」といっている。社会主義と人間主義の中間を指し示すのにも適切だからである。思弁的実在論との違いは、こうしたふたつの間にこそチャンスがあり、その融合を目指すところにある。そして人間主義を完全に否定するものではない。ラトゥールはこれをハイブリットあるいはアクター・ネットワークと呼んでいる。近代は純粋な普遍性を追求するあまり、現実世界を捉え損なっているという訳だ。現実は、もっと微細な仕掛けが必要ということだろうと理解する。
135 クラブW杯 鹿島×レアル・マドリード
レアルは力を出し切れないまま試合が進み、途中からギアを上げても時すでに遅かった。そういう意味で、鹿島ペースのゲームであった。しかしレアルは延長戦の末に鹿島を突き放す。鹿島は無理にマークしようとせずに、いい距離感を保っていた。DF昌子と権田に今後も期待。前線の攻撃選手のマークはきつく、そういう意味で2列目の柴崎ががんばった。

12月17日(土)
134 ブンデス ホッヘンハイム×ドルトムント
2-2のドロー。ドルトムントは前半にロイスが退場となり、10人の闘いで何とか分けることができた。審判のジャッジが厳し過ぎたことによる。ホッヘンハイムの監督は20代である。前からのプレッシングによって、そこからの中央と左右の攻めが、かつてのドルトムントを思い出させてくれた。ドルトの最終ラインの裏をことごとく攻められ、これほどピンチを迎えたのは記憶にないほどである。ワンチャンスで得点を許すことは今季よくあることであるが、今日は完全に終始崩されていた。実はそれに対するトゥヘルの策はとぼしく、改めて強豪チームとの差を感じる。そのとき攻撃は前線3人の走力に期待するだけのものである。香川は復帰するもベンチ。まだ完全でないのだろう。ミッドウィークが前季の最終戦となる。

12月16日(金)
BS映画「黒い雨」井伏鱒二作、今村昌平監督を観るも、最後まで観ることができず。1989年の作品であるが白黒映画である。この作品は、被爆の意味を語ることなしに、淡々と個々の人の日常を具体的に描き、そのリアリティによって逆に原爆の恐ろしさに迫る。最後まで観続けることができないほど、心底に訴えかけてくるのだが、戦争にたいして一般市民の弱さが美化されるように思えて辛い。これによって、原爆投下のディテールを失わせてしまう危惧を感じる。これはつくり手からの発想だろうか?建築で言えば、生き生きとした人をパースに描くことで、空間性を表現しようとする態度に近い。この空間が生き生きとしていると捉えた人が、そこから空間の普遍性へと結びつけることを期待しているものであり、ある種の無意識的なシンボル性に依存している。なんら実際にくだしたデザイン性とは関係がなく、空間の実体とは関係ないこととなる。近頃のコミュニティ論が腑に落ちないのは、このことにある。この関係を相対的に見る俯瞰性が必要とされる。難波さんとの今日のコンペの打ち合わせも同様であったと推考する。かたちを提出することは、なんらかのシンボル性を引っ張り出してしまい、そこには現代性はないが一方でコンペでは、あくまでもその一回性が重要になる。その新しい提案の仕方は何かということであったと思う。普遍的なことから特殊を描くようなことか?とも思う。

12月14日(水)
133 クラブW杯 鹿島×南米王者アトレチコ・ナシオナル
3-0で鹿島が勝つ。前半、曽ヶ端の神がかりなセーブが、徐々に鹿島に勝利を引き寄せていった。Jリーグを観る機会はあまりないが、鹿島は、中盤底に展開力ある視野の広い選手を置き、堅守速攻のチームのようである。それにはまったゲーム展開であった。左右サイド奥深い部分を使って得点に結びついている。

12月13日(火)
卒業設計の第2回目の中間発表。総じて進みが遅く、なかなかかたちにしない傾向がある。こうした発表会では、答えを提供するより、疑問を提起して、よいアドバイスを引き出すことが大切だ。デザイン行為を手段として考えるのがよい。ところで芸術家はよく建築家の他立性を批判する。建築家は、機能性、クライアント、構造などの諸条件にむしろ支えられているというものだ。もちろん芸術家も、道具や技術、慣習から逃れることはできないものの、それからの自由を目的としているのに対し、建築家は勝手にそれを取捨することで作品にしているというものだ。これに似た指摘が講評であった。作品の好都合主義を突かれた訳である。建築家が事後的に諸条件から作品を組み立てて説明するのは、内的発露を表現する、あるいは心象風景を伝えることが難しいことを自覚していることの裏返しでもある。映像芸術である映画は、そうした心象風景をかたちにすることに長けている。少し古いが、タルコフスキーの「ノスタルジア」、「惑星ソラリス」、ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出した。これらはポストモダン時代の作品ではあるが、純度を一方で高めながら周囲のエントロピーを増大させている。記憶という廃墟の中にプリミティブハット、原型を傍観するものであった。どことなく後ろ向きな郷愁のイメージであるので、この構図を逆転させると前向きな未来指向にならないかとふと思った。上手く言うことができないが、フィクション=仮説から自然への眼差しのようなものである。

12月12日(月)
八戸の地域性をまとめる。八戸に地方都市特有のすさんだ感じはなかった。街が小さくまとまり、小さい故に店舗は閉店することなく営業を続けている。東西と南北の4周に街が展開しているのもよい。いい意味で昔の城下町と町屋の構造が生きている。

12月11日(日)
132 ブンデス ケルン×ドルトムント
大迫がフル出場。トップ下で、速攻の起点として大活躍をする。たいしてドルトムントは、ボールを保持するもシュートまで至らない。昨季と見間違えるほどである。昨季の前線ファンタスティック4と中盤底はやはり優れていたといわざるを得ない。あるいは、フンメルスの最終ラインからの縦パスが効いていたのだろう。香川は未だ怪我から復帰していないが、その情報は流れてこない。

12月10日(土)
朝早くから八戸の街に出る。小雪が舞うかと思えば、晴れ間が拡がる不思議な天気である。雲が突然現れのは、風に流されるというより、空気中の水蒸気が反射で見えたり見えなかったりするものだろう。昨日同様銀行付近の道路は混んでいる。駅から直角に延びる南北道路より、線路と平行の東西道路の道幅が広い。国道に接続する。それにたいして南北方向への通り抜けのための歩行路がある。銀行位置に以前市役所があったことを知る。現在の市役所位置には小学校があった。そこは昔の城の堀の内である。市役所の西裏に行くとかなりの高低差があることが判る。その下は住宅地である。堀内には、現在役所と市民会館がある。南北道路をはさんで西側は住宅地である。大きな屋敷・神社がある。銀行の裏には、市美術館がある。昔の役所をリノベしたもので、室内は中廊下の役所のままである。地元作家の展示が2階と3階で行われていた。入館料は150円。展示内容に少しがっかりする。はっちを再訪。今日の利用は高齢者である。土曜午前中であるので、賑わっていない。昨日見落とした点を確認。さらに南を歩き回る。みろく横丁は夜のもので、昼間は閑散としている。他にも同様の横町があることを知る。皆飲み屋である。朝市も行われていた。こうした風景は昔の敷地割りを踏襲しているものだろう。駅からの南北道路は、街中では1車線も、街を抜けると2車線になり、両側に店舗がずっと続く。昔のメイン街道であったのだろう。そこを車で走り、是川縄文館へ行く。30分ほどかかる。晩期縄文の遺跡跡地である。川のある丘陵地にある。ここで国宝合掌土偶が発見された。写実的な土偶である。膝を折り曲げ体育座りをし、両手で合掌した像である。祈っているのではないと直感的に感じた。1階は、収蔵庫。一部がガラス開口で収蔵方法を垣間見ることができる。2階が展示室。暗い部屋に、ガラスケースの様々な土偶や土器が展示される。途中に修復方法が展示され、奥に国宝合掌土偶がある。この地域では、赤黒い漆を塗ることが一般的であったことを知る。縄文土器とはいえ、後期は繊細で写実的であった。土曜であるのにこの施設を利用する者は少ない。続いて丘陵の南部地区をぐるっと回り、湾岸地区へ行く。途中工業地帯を抜ける。煙突から黒い煙が出ているのに驚く。セメント工場であった。港で食事をとる。海鮮もさることながら、米も旨い。海岸沿いには水産加工工場が多くある。その北側の川を渡ると、造船工場、パルプ工場が続く。昨日に続き八色センターへ。観光客と地元客でごった返している。途中イオンモールもあったが、その類似施設であるが、八色センターは、主に生鮮食料品の市場である。この周りにも、DIY、薬局、レストランなどの大型店舗が並ぶ。そこで食事もできるし、日常品も売られている。実家へのお歳暮として、かにやりんご等を郵送する。店を出ると吹雪いていた。その足でホテルへ。山間は雪が本降りである。このあたりはハイテク工場がある。

12月9日(金)
夕方八戸に着く。もう既に夜である。日が暮れるのは早い。本八戸駅の南口付近は少し寂れている。市役所前を通過し、青森銀行前へ。青くライトアップされているのに驚く。道路が細いため右左折する車で渋滞する。銀行横の旧消防署前のロータリーはバス停である。ホテルに車を入れて街に出る。銀行の前は商工会議所、その並びに百貨店がある。百貨店は窓がなく閉鎖的である、街に明かりを落とさない。それはホテルも同様である。ホテルより南の街は賑わっている。さらに1ブロック南の「八戸ブックセンターへ」。今回の目的のひとつでもある。先週オープンした公共施設である。セレクトされた本が置かれ、それは蔦屋と同じであるが公共施設である。売れないがよい本を売るという。市民に本に興味を持ってもらい読書離れを食い止めようとする市政がこうした建物を生んだ。本のまち構想の一環に位置づけられているそうだ。広さは300㎡。1万冊がある。中央に大きなカフェカウンター、周りに様々な椅子が置かれている。ハンモックもあった。タイトな60センチ角程のアルコブ型本箱が置かれて、それはひとり用の読書スペースであった。様々な人で賑わっている。本屋と図書館の違いは何だろうと考える。ここには本を執筆する個室スペースも用意されているが、根本の違いは、図書館で本を借りて読むという体験と、書店で本を買って読むという体験は異なるということである。市民の知的好奇心を刺激することを目的とする。年間6000万の運営費がかかり、売り上げ2000万を目標としている。4000万を市が負担する。上階はヤフーのオフィスが2層分を占める。最上階はレストラン。建物は門型で、中央を通り抜けできる。左はタリーズコーヒーショップがある。抜けるそこは空き地であり、その前がハッチである。この空き地も同様の計画があるのだろう。はっちは市の公共施設。創造的な市民活動をサポートするための活動拠点施設である。高校生が多いのは、夕方であったからだろうか。グループ、カップル、女子同士様々である。1階は正面に立派な受付があり様々な情報をそこで得ることができる。他には、ロビー空間とお土産ショップ、カフェ、奥にもソファーがたくさんある。エントランスに八幡馬のオブジェがある。2階で、八戸の郷土文化を知ることができる。収穫と重なった季節毎に祭りがあることを知る。夏には三社祭があり、そこでは、山車に創意工夫された提灯が飾られる。色鮮やかで東北特有だ。これは重要無形民俗文化財にも指定されている。騎馬打鞠という流鏑馬に似た馬術行事もこのときある。冬は、えんぶりである。えんぶりとは、農具であるえぶりを語源とする。老若男女の舞である。アップテンポとゆったりしたふたつのリズムがある。これも衣装が色鮮やである。国の重要無形民俗文化財である。各展示のために小さなブースが与えられ、残った部分が休憩場所である。それは、3階の構成も同じである。3階では八戸の産業を知ることができる。造船やセメント、製紙や化学工業から現在は精密工業が中心である。クリスタルや琥珀などの鉱業も盛んである。食品加工は現在も最大産業だそうだ。南部裂織という民芸もある。色鮮やかで肌触りもよい。購入しようと思ったが、かなり高価であった。横糸に古い布を裂いてひねったもの、縦糸に新品の麻糸を使う。江戸時代まで布は貴重品であった。4階は、入ることができなかったが、アートインレジデンスがあると聞く。はっちの前に、みろく横町がある。これも小さな3m程の木造ブースで構成され、それが横町をつくっている。ほとんどが飲み屋であり、そのブースは、3面が開口部で、中央にキッチンがあり、そこに店主がいるパタンである。グリッド状の街構成を横断して通り抜ける仕組みが面白い。多くのビルも同様な構成であった。そこには小さなスナックが入っている。夕食を近くのリストランテでとる。倉を改造したお店であった。銀行前は9時には真っ暗である。

12月8日(木)
修士設計の中間発表。考えをかたちにするところが、急場しのぎであるのは仕方がないも、それ以外のところで議論を巻き起こしたのはよかったのでないかと思う。ただし、それをかたちにするのにまた別のエネルギーが必要となり、むしろそれにかかっている。秋山くんの作品では、円環都市を住民が意識した場合、どんな様相が起きるかを期待したい。OOOが目的とすることは、モノについての新しい思索であるので、それをペアで表現する必要がある。今村くんの作品には、個の事象にもっと注目すべきというアドバイスであった。高橋沙織さんは、何を近代建築の代表とするかが決め手になりそうだ。ダイナミックな曲線が生きるコンテクストの発見に期待する。高橋由くんは、界隈という流動的な現象をかたちに落とし込むときに、もうひとつの段階、例えば抽象化の作業、等が必要なようだ。額賀くんは、カワイイの歴史的な位置づけをもっとクリアにする必要がありそうだ。その情感はモノになく人にあることを明確にすることは重要と思う。原くんは、都市におけるリアルなるものを上手く発見できるかに関わっている。谷田部くんは、ラインをもっと繊維方向に細分化したらどうだろうか?近頃のビッグデータ処理に見られるように、一様と考えられていたものも目に見えない多様なもののの集合と見なすこともできる。夜遅くまで、設計小委員会。

12月7日(水)
神奈川大学の歴史家内田青蔵氏を迎えてのレクチャー。今季最後の6回目である。スクラップアンドビルドからキープアンドチェンジへというもの。成功事例を示しながら、学生に判りやすくその必要性と新しい価値観を提出してくれた。しかしその障壁となるのは経済的に成立するかどうかである。キープアンドチェンジでは、富みをもたらさないと考えられている。そのためには、ふたつ方法がある。ひとつは、保存活動が経済活動にすり寄ること。建物の価値を示すばかりでなく、その価値を具体的な金額に置き換えるなどが必要だろう。もうひとつは、現在の経済活動が行き詰まり、キープアンドチェンジに行かざるを得なくなると考え、その準備と考えること。実は後者も遠いようには思えない。キープアンドチェンジをポジティブに捉える別の切り口が必要なようだ。

12月6日(火)
夜に難波事務所に行く。敷地の概要について聞く。その後ブレインストーミング。建築の自立意味が社会から失われてきていることを共有。人の将来は、人の叡智によってしか乗り超えることができないという考えの現れかとも思う。建築にその解決を求める時代が終わった。このことをうすうす皆は感じているが、その先が見つけられていない。建築も問題解決から問題提起へとシフトするかたちになっていくのだろう。それが与えることができればと思う。

12月5日(月)
131 プレミア サンダーランド×レスター
途中出場の岡崎が巧みなボレーを決める。中央からニアポストにDFより1歩はやく入り込み、右足で決めた。岡崎らしい。レスターは今季アウエーでなかなか勝てていない。昨季なら、ホームの攻撃的相手ににたいしての裏のスペースを使ったバーディが、速攻で決めていたのが、それが不発である。そのためには、中盤の前よりでボールを奪う必要があるのだが、今日もそれができていない。ボール奪取ができたとしても、中盤の底に置いてである。岡崎が先発しなかったのは、水曜日のCLのためである。

12月4日(日)
妹島和世氏設計の「すみだ北斎館」へ行く。ぼくもコンペに参加したので周囲状況をそれなりに理解している。建物前の公園がそのまま残されていた。樹や巨大な遊具がそのままだ。その周りを子どもが駈け周り、やはり墨田は違うと思う。その公園の奥に「すみだ北斎館」はすっと建っている。アルミの外壁は、青空でなく、夕方の曇りでも鈍く光り空に溶け込む。近づくと堂々としている。アルミの裂け目がエントランスである。明快だ。室内は思ったより小さい。先週オープンしたばかりなので、周辺住民だろうか年配の方でいっぱいである。1階で3つに別れていたボリュームが3階でひとつになる。1階は図書館、ホール、エントランスであり、上階が展示室である。構成と機能をスムージングしたようなものだ。ボリュームの裂け目が開口であるので、そこから見える景色はまちまちである。計画は明快であってもその結果を期待するものでないところに、新しさを感じる。この作品で成功しているのは、それをボリューム全体で完成させたところだろうと思う。その力量に感服する。ボリューム感にたいし、室内は仕方がないことであるが床の存在が顕わになる。目玉となる展示はふたつあった。最近発見された絵巻物「隅田川両岸景色図巻」と、先日特集で見た「須佐之男命厄神退治之図」である。どちらも肉筆画であり、絵によって物語ることをした。漫画家を引き寄せる理由を理解する。「隅田川両岸景色図巻」は、風景画であることもありスノビズム的で繊細でもある。たいして「須佐之男命厄神退治之図」は、濃密で迫真に迫るものがある。ただし、絵に対しこの場合空間が大きすぎる。展示も濃密な場所であるべきだと思った。以前小布施の北斎館にわざわざコロンビアから工藤国雄さんがいらして、北斎の肉筆画の迫力にもっとぼくらも迫るべきだという訴えに近いものを聞いたことを思い出した。北斎の商業画家からアーティストへの生涯変化を知ることができるのであるが、これはあまりにも現代的な視点が入りすぎているかとも少し思う。

12月3日(土)
代々木上原の和食やにてEDHのOB会。色々な話題で盛り上がる。名和さんから骨太構造の気構えを聞く。以前は確か、皆の隙間部分を試みるといっていたと思うのだが、それが実は王道であったという認識をぼくはした。それは、軸力と単純梁を意識する試みである。広島での仕事などはそれで理解できた。昨今のエビデンス重視についても皆ネガティブである。単に仕事量が増えることをいっているのではなく、エビデンスを残すことで責任の所在をむしろ不明快にしているという指摘である。それは本来の目的とは逆である。エビデンスにおいて書かれていることは、自分の把握可能な責任の範囲についてであり、それをお互いに記すことによって責任空白地帯を招いているのだ。最終的にはこれはクライアントに返ってきてしまう。なぜならクライントは絶えず受け身の立場であるからだ。問題は、その空白地帯を少なくすることができても、ゼロにはならないことだ。現代の多様性がそうさせる。本来は、その責務を建築家あるいは施工者が担ってきたのであるが・・・。今は応えがない。
130 ブンデス ドルトムント×メンヘングレートバッハ
香川は足の不調から欠場。あの活躍したCL後、故障がずっと続いているということが判る。一方デンベレとロイスが好調で、オバメヤンの大量ゴールが続く。4-1の完勝であった。ただシャヒンが前半で交代させられる。今日もトゥヘルのヒステリーが出たのだろうか?という印象である。次は水曜にレアルとの大一番がある。

12月2日(金)
「パリ・テキサス」ヴェンダース監督を再び観る。確かこの春にもBSで観た。このとき熊本大震災があり、途中で報道番組に変更となった。このパリはテキサスの砂漠にある。主人公が購入した土地の名前である。この写真を主人公は思い出として持ち続けている。つまりこの写真は現実と彼の妄想世界との間をつなぐ象徴である。それを捨てられずに、主人公はそのふたつの狭間に悩まされていた。この映画の趣旨は、そもそもそうした狭間などないというものである。妄想は決して否定するものでない。それが妄想であると自覚し、自由に現実と妄想の世界を往き来できることが大切なのだ。最後のナスターシャ・キンスキーとの、のぞき窓を通しての会話がそれを物語っている。主人公は、マジックミラー内外の照明を調整することで、現実を受け入れることができたのだ。そしてパリの写真を捨てることもできた。それは、本当の故郷に辿り着くために、やすらぐことができない偽の故郷を放棄することである。それは、昨日の中江健次の墜落からの出発と重なる。前回も、そういえばヘーゲルの「故郷喪失」を思い出した。早く寝るつもりが、深夜までの鑑賞となった。

12月1日(木)
中上健次の子、中上紀による故郷の路地を再訪するドキュメンタリーをみる。紀氏は父の住民へのインタビューテープを発見し、それにしたがって当時の父と路地を迫るものであった。路地とは被差別部落のことである。その住民たちは、人生や自らが置かれている状況全てを受け入れていた。したがって、路地が解体されることにたいしても何ら抵抗がない。その上で彼らは今でも生きるのである。このインタビューテープを通して、娘紀が間接的に父から学んだことはこのことであった。同様なことを柄谷行人が中上健二について言及している。このことを思い出した。それは、「近代文学の終わり」にある。路地という象徴的な空間を失った喪失感から立ち上がる最晩年(といっても40半ば)の中上健二についてである。それは、あらゆる出来事はいずれ同一性の中に回収されてしまうのであるが、そこから逃れようとする個別性についである。続く坂口安吾論では、ふるさと回帰を墜落と称し、この墜落からの回帰が政治的に利用される危険をいう。そしてここで倫理が根底に挙げられる。

11月30日(水)
今日のゼミも、修士設計の中間発表に向けて、学生ひとりひとりから説明を受ける。「ダーティ・リアリズム」がひとつの話題となる。昨年出版された「驚異の構築」の影響が大きいことを感じる。それはコールハースの設計態度、それはグローバルな資本主義にたいしてユートピア的な解決を見出すのではなく、それを与条件として受け入れたうえで、建築のアイデンティティや永続性を探る態度、であった。そのように考え、彼の提案を受け入れることができた。「驚異の構築」でも、ビッグネスやジェネリック・シティをそうして説明している。担当の学生は、この春に1ヶ月のバルセロナのワークショップを経験した。そこでは都市計画が整然と進められ街の緩やかな成長が成功しているように目の当たりにしたという。こうした人間主義的なアプローチがこの日本では全く成立する可能性がないことを前向きに捉えようとしているのだと思う。コールハースは一方で、東京の入れ込んだ住宅地を注目している。各々がバラバラに街を形成していることをである。これは、資本経済主義の上で考えられた別の人間主義的なアプローチでないだろうか? しかしこれは意識的なものではない。ぼくとしては「ダーティ・リアリズム」をこうした局面で考えるのは有効であると思った。

11月29日(火)
NHKの特集で。墨田区の葛飾北斎館がオープンしたことを知る。特集は、関東大震災で焼失した晩年の作品「須佐之男命厄神退治之図」の復元のドキュメンタリーである。その絵が葛飾北斎館のメイン展示になっているそうだ。残されていた白黒写真から、最新の解析デジタル技術と伝統的な復元技術によってそれが行われた。北斎は絵具に長け、当時のドイツや中国からの輸入品を使って、様々な色や発色を試みていたことを知る。当時の絵具は粒子の大きさがまちまちで、単に混ぜ合わせるだけでは考えていた色をつくれなかったという。その微妙な色は、デジタル技術では追いつくことができず、伝統的な人間の感性が必要とされるという訳だ。ストーリー展開はいつものパタンであるが、そのダイナミックさに引きつけられた。ところでこの絵は、密度が凄い大作である。当時流行した病気を煩ったむごたらしい妖怪たちを、上から須佐之男命が押さえつけるという躍動感のある作品であった。その形相や体の撚り具合、筋肉の描写など、北斎漫画で見たものであるが、その精密さが見るものを圧倒する。

11月28日(月)
ゼミにて、修士設計中間発表に向けての説明を聞く。その中で、林美佐(ギャルリー・タイセイ)さんの論文を思い出す。その学生の研究は、コルビユジエの建築と絵画から、曲線の意味を探ろうとするもので、意欲的な研究である。事務所に戻り文献を探す。それは、「演じられた「ル・コルビュジエ」」という論文であったことが判る。戦争を介してコルビジュジエには、「直角」とその概念に対するオブセッションともいえる「大地に屹立する自立した人間像」、という二面性が顕著に現れた。その自覚と共にこの2面性を統合しようとしたのがコルの後世であったという論考であった。このふたつは、近代主義とその超克に相当する。戦争を介して、近代主義の廃墟性が身にしみたのだという。牡牛のシーリーズを描くことは、ジャンヌレは鎧を着ることであり、「破綻を見せずに道化して 笑できるジャンヌレという強い意志の男」の象徴であるという。

11月27日(日)
山庄建設友の会に出席。船堀のタワーホールへ行く。江戸川区の施設と思われるが、江戸川の伝統工芸展がエントランス階で催され、他にも様々な催しが別の階であり大変賑わっていた。区民センターのよいところを発見する。ところでこの会は、山庄建設が竣工させた物件のクライアントをお呼び、感謝する会である。今年で7回目と聞く。今回、SHPPの鈴木さん一家が参加ということで、ぼくもはじめて参加する。山庄の山本社長の人柄だろうか、アットホームな会であった。社長は少し強引なところがあるが、筋を通す方で、ぼくも何度かお世話になりまた救われた。そのもとで働く担当者もまた凄く丁寧である。担当であった入江さん岡本さんとも久しぶりのお話しをした。立食パーティが主であるのだが、その前の催しが面白かった。大田区大森海岸 一期やという芸者さんの講演であった。昭和伝統の芸者の世界を垣間見る。鈴木さんは相変わらず多忙そうであった。1年の約半分は海外だそうだ。ITマーケティングでは、顧客動向の把握が詳細に進められ、その効率化はぼくたちの生活隅々まで浸透しているそうだ。その技術は遺伝子にまで及び、宇宙や人体、数学という分野を超える新たな展開をし始めているという。先日のNHK特集で見たIBMワトソンなどはその典型例であるそうだ。

11月26日(土)
129 ブンデス フランクフルト×ドルトムント
よもやのドルトムントの敗戦。長谷部を中心としたフランクフルトの守備は固く、ドルトムントはなかなかよいかたちをつくれなかった。後半からトゥヘルは3人を同時に替える。ちょっとヒステリックではないかと思う戦略である。前回のバイエルン戦で行ったプレーを再現できないことにたいしてよほどフラストレーションが貯まっていたのだろう。今日先発のシュールレとラモスという連携攻撃が機能しなかった。それを、早い両ウイングの個人突破へ戦術変更したわけであるが、このところの失敗は、戦術の成熟度を上げないことが裏目に出たものだ。香川はベンチ外。なぜだろうと思う。

11月25日(金)
ネウシトラ刈谷悠三さんの事務所にて、大学のイヤーブックについて打ち合わせ。新宿御苑を見渡せる大きな一室空間の事務所であった。レイアウトの細部までこだわるのではなく、学士に任せる部分をフォーマット化し、学生との平行作業を行うことに刈谷さんも前向きであったので、デザイン方針をそのように決める。建築で言うプレファブ方式である。刈谷さんはその分離を明快にすることにむしろ積極的で、そこで今までにない新しさを求めたいところである。続けて、表紙のイメージについて。次の1月までに決める必要があるが、大まかな千葉工大のイメージを伝える。建築学科が新しくはじまる起点のイメージと、問題解決よりも問題発見、なぜよりいかに、の指導方針イメージを伝える。そこには制作が大事にされる。とりあえずタイトルである。その後、有岡さんとページの割り振りについて場所を移動して相談。課題ごとに4題の掲載を決める。

11月24日(木)
昨日は、東京都庭園美術館のクリスチャン・ボルタンスキー展へ行った。同氏による豊島の「心臓音アーカイヴ」に行ったのは、2年前であった。この展覧会では、心臓音登録はできずにその音だけを聞くことができる。一通り展示を見た後に20分余りの氏による解説ビデオも観る。「巡礼」という言葉が印象的である。巡礼とは、皆がいつかは訪れたいと思っていても、距離的な制約などのためなかなかそれが適わず、しかし訪れることが不可能でない場所のことを言う。ボルタンスキーはそれをアートとして表現しようしているのだ。豊島の心臓音アーカイヴ、今回展示されているチリにおける「ささやきの森」などはその代表である。「ささやきの森」では、短冊のある風鈴に愛する人へのメッセージを残すことができる。ぼくとしては、美は対象にあるのではなく人にあることを示した崇高論に通じるものを氏の作品を観る度に思い出す。崇高とは、対象について人が説明不可能なときに生まれる情感である。そのひとつ手前を制作すること、ボルタンスキーの永遠性というテーマは、この関係を引き延ばすものである。そうしたアートあるいは場所は、誰がつくったかはわすれされてしまうが、聖なる場所として残されていくのである。今回の展示テーマに「亡霊たち」が加えられた。歴史的な朝香宮邸にあるゲニウスロキをコラージュする試みだそうだ。

11月23日(水)
128 CL ドルトムント×ワルシャワ
この時期になって今季興奮するはじめてのゲームとなる。漸く香川が躍動した。2ゴール1アシストの活躍であった。ドルトムントは、週末の対バイエルンで消耗したため、スターティングメンバー多くを入れ替えた。その中に香川がいた。加えて1トップに怪我から復帰のロイス、中盤下にシャヒンを起用。左右には久しぶりに早いプルシッチとベンデレで臨む。開始早々にデンベレのクロスに香川が頭で先制を決めると、香川は落ち着くことができたのだろうか、次はポストプレーからDFを振り切って振り向きざまのゴールを決めた。前半終了間際のドルト4点目は圧巻であった。香川は再びポストプレーから近い距離にいるシャヒンにあずけ、サイドで再び受けた後、中央のロイスに絶妙のスルーパスを与えた。守備重視の相手最終ラインにたいし左右ウイング突破が機能せず、中央からの細かいパスワークが有効となった。シャヒン、ロイス、香川はやはり息が合っている。香川はパスワークの中で生きることがあらためて証明された。しかし全員が攻め上がり守備が手薄であったため、4失点もする。香川も後半から中盤底に移動。守備の効果はなかった。
129 CL レスター×プルージェ
岡崎先発で、開始5分でスーパーゴールを決める。左からのアーリークロスに反応できた。その後も、岡崎とバーディの前線からの守備が功を奏し、ことごとくセカンドボールをレスター2列目が拾い、ゲームを支配する。いつものように65分過ぎに岡崎は交代。2-1でレスターの勝利。グループステージ突破を決める。

11月22日(火)
NHK特集で「プレシジョン(精密) メディシン」を観る。東大教授の間野博行氏が現在のガン治療の最前線を解説する。氏がALK異常遺伝子発見した。その最先端医療技術とは、分子標的薬のことをいい、 遺伝子変異部分にたいしてピンポイントに効く治療技術である。これまでガン治療は、遺伝子変異に原因があることが判っていたが、それを臓器ごとの治療で行っていた。つまりアバウトな治療であったのである。悪くなった臓器の除去、あるいは放射線治療、というように部位全体にたいするものであった。このため治療効果は確率論的なものであった。副作用も少なくなかった。遺伝子異常とは判っていても、200余りの遺伝子は複雑に絡み合いあい、連動的に遺伝子異常が引き起こされるので、その主原因となる異常を特定することができなかったのだ。これを最近のビッグデータ解析(ワトソン IBM)により、ピンポイント発見が可能になってきたという。それによって臨床数が少なくとも、単純な遺伝子異常によるガンにたいしては有効な治療方法が可能なった。つまり臓器が冒されているのでなく、たまたまある臓器にその異常が現れたことになる。これによってこれまでの臓器を中心とした医療体系も変化するという。保険適用がないが、最近は科を横断するプレシジョン(精密) メディシンを受ける患者数が増えているという。

11月21日(月)
127 ブンデス ドルトムント×バイエルン
土曜深夜のゲームを録画で観る。大一番に関わらず、放送が1日も遅れる。今年からブンデスがフジからJ-sportsに変更したのはよいが、巨大な放映権の問題だろうか、放映されるゲームが少なく、今回のようなビッグゲームが生放送されないのはあり得ないと思う。今日気づいたのであるが、岡崎のレスターは反対にフジで放映されていた。結果を知ってからゲームを観るのはいまいちで、乗り切れないものであった。トゥヘルは、変則5バックでバイエルンを奇襲する。攻撃時には、3-1-4-2になるかたちである。そのため、今日はサイドと2列目に早いプレヤー置かなかった。そこに香川がいないといけないが、ベンチ要員。出場もなかった。まだトップパフォーマンスに戻っていないということだろう。前半早々にオバメヤンが決め、その後、特に後半は、ドルトムントが防戦一方になる。しかし逃げ切ることが出来た。5バックの効果である。1-0の勝利。王者バイエルンにたいし勝ち点差を3につめる。首位はなんと昇格したばかりで投資大で話題のライプツィヒである。

11月20日(日)
EDL遠藤研究室のOB会を代官山のル・コントワール・オクシタンで行う。料理が美味しくスペースもちょうどよいので、昨年からここで行うことにした。40人くらいが出席していただろうか?OBOG皆の近況を聞く。社会に出て難しいこともあると思うが、ここにいる人たちは大丈夫そうだ。上手くいったかどうかを、能力のあるなしに結びつけることは容易そうであるが、それは短絡的な事後説明でしかないと思う。次の機会ではまたどうなるかは判らない、と考えるのが普通である。そう思い返して次に進んでほしい。彼らも卒業すると、同門のネットワークの必要性を感じている。自分が生きやすいように周囲を整えることもまたデザインである。池辺さんの「デザインの鍵」に同様なことが書いていたことを思い出す。

11月19日(土)
EDH出身の鈴木竜太くんの住宅を見学に行く。区内の高台に建つ、非常に小さな住宅である。建築の中央に直径50センチ以上で10m長さののヒノキの大黒柱があり、その周りを半階ずつスキップしていく住宅である。複雑な屋根の形は、北側斜線による。その屋根に沿って全面階段があり、それは野球場のスタンドを思わせてくれるものである。というのも、ここから視線を遮るものが何もなく、大パノラマな風景が展開するからだ。これに代表されるように細部が非常に丁寧に仕上げられた住宅であった。したがって、そこで営まれる生活を想像でき、それはスキップフロアーによって縦方向に連続する様々なものとなっていた。ヒノキの大黒柱は、その様々な生活に全体像を与えている。どこにいても存在感があり、家族は思わず両手で柱回りをだき抱えてしまうのだそうだ。この巨大柱は、狭小地住宅の内部に壁を最小限に抑えた床構成を可能とする技術的解決でもあるが、こうした家族のシンボルでもあるのだ。鈴木くんは武蔵美を出てロンドンバートレットで学んだ。確か修士設計は建築でなくCGであったと思う。当時はまだソフトもコンピュータも発展段階で、そのCGは現在のVRとは比べものにはならいが、愛くるしいロボットであった。建築的実践を、CGという制作までをも含んだ別の枠組みで試みるもので、ひとつの思考実験のようなものだ。一般の設計課題とは異なり、結果がある程度反証可能である。これによって、その成果以上のこれからの発展を期待可能にする。この住宅にある巨大柱は、他と差異化された具体的なひとつのひとつのマテリアルである。日々人によって様々なシンボル性を帯びるだろう。同時にそれは大きく中央にあるので休むことなく反証され続け、更新される。建築におけるマテリアリズムとはこういった試みなのだと、この住宅を通じて考えることができた。

11月18日(金)
「太陽の帝国」 スピルバーグ監督を観る。中国を舞台に、第2次大戦没発の中、両親と離れ離れになってしまった少年の日本国による収容所での生活を描く。その少年は、裕福な家庭に育ち、世間のことは全く知らない。そうした環境から一変し、生身の人間として世界へ放り出される。その少年の視点を通じて、人間を超越する戦争をいかに人が受け入れていくかという倫理感、そして、それさえも超える人の美に対する感性と人を囲む世界を描く。そのどれが大切であるということでなく、ある時は世界が倫理を覆い、ある時は美が世界を覆う。世界はひとつの面からだけでは語れない。このことを描く。原爆投下、英国少年の零戦賞賛の描写などは、こうした意図として捉えることができた。

11月16日(水)
松村秀一氏を迎えてのレクチャーシリーズの第5回目。タイトルは「近代化する建築」。このタイトルは、近著「ひらかれた建築 民主化の作法」において、当初希望していたタイトルだそうだ。空屋問題というとネガティブなイメージであるが、それを空間資源といってポジティブに考え、空間資源としていかに使いこなすかという提案であった。同時に、日本では「民主化」が進んでいる。「民主化」とは、これまで与えられていた生き方というものが、自分で選択できる環境に現在あることをいう。インターネット情報が整備され、DIYをはじめ技術の特権化もなくなり、空間資源も豊富である。後は、それを扱う方向性の問題である。それを受けて建築家という専門家にとっては、それをサポートするために、情報の可視化、人の組織化、集合知の誘導といった仕事が残されている。それは庭師のような仕事で、樹を生むことは出来ないが樹を育てることはできる、というハブラーゲンの言葉が相応しい。こうした結論であった。松村さんは日本中を駆け回り、こうした仕事をつぶさに観察しているそうだ。そのことを臨床哲学になぞり、臨床と俯瞰を試みているといっていたのが印象的であった。深夜錦織とマレーの試合を観る。3時間20分の死闘であった。途中でテレビ観戦しているぼくの方が疲れたくらいである。そのくらいテニスは精神的比重の大きなスポーツである。試合内容については、ストロークにおいて素人目でも錦織が勝っていた。後はファーストサーブの出来だろうか?錦織のサーブゲームであっても追い込まれている気がする。第1セットを奪い取ったが、その直後のサーブゲームを落としたのがよくなかった。その時マレーがぐっとギアを上げ、錦織が守勢に回ったことがよくわかった。逆転で錦織が負ける。

11月15日(火)
126 代表 日本×サウジアラビア
大一番でホリルボシッチ監督は思い切った選手起用をする。本田、香川、岡崎をそろって外す。右には久保が初出場。調子のよい選手を送り出したという。ボランチには長谷部の相棒として山口を起用。前線で冒険する分、守備重視であった。前半終了間際にPKで先制。後半から本田、香川が登場し、原口が4戦連続ゴールを決める。その後1点を失い、首位に躍り出ることができなかったが、2位まで浮上する。原口が本当に攻守においてよく頑張った。上下に動き、チームを鼓舞する。今日は縦へ急ぐ戦術ではなかった。ブラジルW杯から学んだ流れを読んだゲーム展開である。それは、本田、香川が入ってからであり、成長が見えた。

11月14日(月)
「ひらかれる建築」を読む。コジェーヴのスノビズムがさらに進行していることを感じる。これは、ぼくらが、上の世代から評されるときに用いられたものだ。人間的な主体たらんとする傾向のみが先行し、目的が消失されていくことをいう。これを前向きに本書では「民主化」といい、ぼくらつくり手の立場を批判するものとしては「スノビズム」となる。本書は、この相対するふたつの側面からある意味逃れている。それは「作法」ということによってである。つくり手たる建築家には、「箱と人の生き方と交差」を促す役割が作法として求められているというものだ。しかし現状は、建築はひらかれているが、それを使用する人の思考は閉塞していないだろうか?新しい消費社会化にとりこまれた由々しき状況だと思う。ネットで調べるとDIY産業の売上高は年間4000億にも達し、9兆円の住宅産業の5%であった。

11月13日(日)
今日は「ダリ」展へ行く。シュルレアリスム時代におけるダリのパラノイアを観るためにであった。フェルメールやダヴィンチ、パッラーディオからヒントを得た作品があった。これまでは絵画は、作品意図を鑑賞者任せで受動的な立場においていた。シュルレアリスムでさえ、ブルトンが言っていたようにオートマティズムであった。ダリのこのパラノイア的=批判的方法は、これを覆すものであったことがよくわかる。あるストーリーによって鑑賞者を誘導するのだ。ダリはアメリカに渡って、ディズニーのフィルム(「デスティーノ」)に携わることが可能であったのはそのためである。ある意味アメリカ型の消費社会に馴染み易かったのだろう。ティムバートンもディズニーから出発している。彼とといい、ディズニーはファンタジーを売る一方で、こうした反対のグロい側面を絶えずもっていたことを知り驚く。この展覧会の来館者も多かった。この当たりが不思議なところである。他にも「白い恐怖」ヒッチコック監督、「アンダルシアの犬」などのフィルム作品も観る。

11月12日(土)
「トーマス ルフ」展へ行く。彼は、ベルント・ベッヒャーに学んだ写真家である。グルスキーと同じ出身でもある。彼の特徴は、制作年代毎に試みたことがテーマ化され、それがタイトルにもなっている。写真はある意味誰でも撮れる。それを作品化するために、彼は、何を撮るかという対象、技術、写真器という媒体(彼の場合様々である)にたいして意識的である。しかし、その全ての操作をひとつの作品で試みる訳ではなく、そのひとつにのみ意識的である。そしてそれを引き延ばすやり方である。そしてそれがタイトルになる。例えば、初期の「ポートレート」は、巨大なカラープリント技術に注目した。しかしその対象は、友人たちであり、均一な照明のものとの真面目な表情で特徴がない。「ヌード」では、フォトショップを最大限駆使するものだ。元画像はインターネットに落ちていたものであるという。「ニュースペーパー・フォト」は新聞の記事写真が対象である。それを拡大プリントした。それを経た最近の彼の作品は、次の段階に達している。写真の魅せ方に重点が置かれる。それは「ma.r.s」「cassini」や「」press++」である。対象が遙か遠くの火星や植物の細胞であったりする。これらは現存するが、通常では見えないものである。写真をみるということは、必然的に過去のものを振り返ることである。デジタル操作、技術も今では過去のものになりつつある。そこに再び対象を通じての未来を見る視点が用意されはじめている。写真のコンテンツに未来志向を持ち込むことに一貫性が見られるが、その方法が時代にそって移動している。

11月11日(金)
設計小委員会に出席。IoTの現状について聞く。この委員会は、機械や情報におけるデザイン分野とネットワークをもち、建築デザインの世界とは異なる世界を垣間見ることができる。実世界では、最先端技術への絶え間ない適用が試みられている。その結果はたいしたことがないと言えばそれまでだが、ぼくの属している世界が閉じていることを痛感する。その後「メタファー」がテーマとしてあげられる。少し建築的なテーマだ。ぼくの意見は少し趣を変え、ロンシャン教会堂が例に挙げられていたので、ロンシャン地方における炭鉱の歴史から、形のメタファーについての話をする。ロンシャンのメインの礼拝堂は実は、中に入ることが許されない炭鉱夫のための外部にこそあるのだ。それであのような形をしている。メタファーを拡大解釈して、歴史を遡るとアレゴリー、あるいは、ベスティアリーというものに当たる。いずれも近代以前の概念で、なぜかしらスミルハン・ラディックが作品集のタイトルにしている。ベスティアリーとは動物寓意譚と訳され、中世西欧で行われた動物を模して行ったキリスト教示である。例えば象の上に竜が乗り、竜の尾が象の足を縛るような絵が代表的なベスティアリーである。竜は天使を騙る悪魔であり、象は天国に導く伝道師であり、竜の悪魔性を示しているそうだ。ぼくらのよく知るアレゴリー、イソップ寓話より絵そのものに重点が置かれている。メタファーを発信側でなく受け手側も含み、やんわりと包む概念として注目していた。これも柄谷行人から請け負った概念である。深夜、「白熱」ウォール・ウォルシュ監督を観る。1949年の米作品である。マザコンのギャング団リーダーを描く。情けがないリーダーは手下から恐れられているが、背が小さく小太りで少し滑稽である。それに対し刑事役の俳優は正統であるが、映画はあくまでの悪役側から描かれているところが面白い。撮影技術に多くは望めないが、ストーリー展開が早く、今でも退屈しないものとなっている。このことが素晴らしい。

11月10日(木)
「ひらかれる建築 民主化の作法」松村秀一著を読みはじめる。ケンチクからタテモノへの移行を、民主化の動きと重ねる。第三世代の現在は、ストックとして残された「箱」の活用を模索する時代であるという。氏のDIY研究、リノベーション調査からその結論を導いている。松村氏との出会いは、確かぼくらが当時企画したJIAでのワークショップであったと思う。ぼくらの時代の狭小地住宅ブームを小旦那の時代と評してくれた。建築家に作品をつくらせるパトロンが決して特殊な人でなくなり、一般人にまで拡がっている状況をいったものだ。東京では大規模開発が進んでいる一方、その下では多様性を受け入れた小旦那のプロジェクトも同時に起きていることをぼくは前向きに捉えた。「ナチュラルエリップス」のユニークさの根拠をここに置いた。世界にない多様な世界を東京はつくっているのである。それはぼくのオリジナルな考えでもなく、コールハースもそのように東京を評価している(「S,M,L,XL+」)。本書は、この状況をさらに進めて考察したものだ。小旦那はお金を建築家に出し、間接的な創造を手にする人をいったものであるが、DIYと賃貸住宅リノベーションは自分で直接創造をする人である。

11月9日(水)
3年生建築設計の講評会。どの作品も表現意欲が模型に現れていて気持ちがよい。これまでの数週間前のものとは大きく違っている。この現実を学生は知ってほしい。その中で奇怪なもの、ニヒルなもの、作品の新しい傾向を見る。それらの作品には、全体をコントロールしようとする人間主義的操作がなく、あくまでもモノという部分から組み立てようとしているものだ。こうした見方は、ぼくが自分の最近の興味に引き寄せたものだろうか?それとも、学生が時代に敏感であるからだろううか?という疑問が湧く。どちらにせよ建築家がコントロールできる範囲を直視した試みだと思う。大風呂敷を広げることの空しさからくるものだが、それをポジティブに捉えたものだ。現実とのギャップに意識的であることが、これまでの機能主義的な積み上げ方式の設計とは異なっている。彼らの試みに注目しよう。授業と同時にトランプが大統領選で勝利する。グローバル世界といわれているが、アメリカでさえそれに抗しきれず閉域社会に向かっている。同時に経済論理で進んだグローバル化が手に負えない程の強大となっている現実を知った。批判的地域主義をさらに批判する時代に突入した。

11月8日(火)
縦ログ研究会の会議に難波事務所に行く。来月行う実験内容の確認。来年から壁に代わり床についても試みる。それについて考えることになった。これまでの木造床パネルについて調べる必要がありあそうだ。会議の後、難波さんからの旅行の話を聞く。かなりハードな日程であったようだ。「メタル建築史」について少し話をする。事務所に戻り、翻訳に集中する。

11月7日(月)
2年生後期建築設計の第1課題の講評会。課題敷地は公園に面する。したがって、住宅内部の問題と合わせて外部に対しても意識しなければならない。出来事の連続によって公園との関係を提案する案とは別に、建築の建ち方、存在によってそれを示そうとしていた案が数点あった。これを評価する。どうしても内部を注視しがちとなるが、俯瞰的視点をもつことも同時に大切である。特にそれが建築家に要求される。どれだけ物語を大きくするかである。

11月6日(日)
125 EL サウサンプトン×インテル
吉田と長友がそろってふる出場。吉田はELとカップ戦が今季主戦場となるが、守備に安定感があった。加えて前線へのボールの供給はアグレッシブであった。長友は前半自重気味で守備を徹底する。反対サイドからのクロスの処理を誤りオウンゴールしてしまったが、こちらもしっかりとサイドを押さえていたと思う。失点してからは、果敢に前戦に上がるも効果的な攻撃とはならなかった。インテルは監督が解任され、元気がなくなっているのがよく判る。チームとしての一貫性が見えてこない。

11月5日(土)
NHKBSで「変身」を途中まで観る。ディテールがなく、スピード感がなく、まるでテレビドラマのようである。作品の出来以前に、映画製作者としての姿勢に疑問が残る。そして、名作として放映するのはなぜだろうかとも思う。
124 ブンデス ハンブルガーSV×ドルトムント
5-2でドルトの圧勝。3バックのハンブルガーは、そのシステムに慣れていないせいかイージーミスを繰り返す。それを見逃さずにゴールしたのは、前回メンバーから外されたエースオバメヤンであった。彼が4点を叩き出した。香川は今日もベンチ外。一説には怪我とも伝えられるが、怪我で欠場していた新人の中盤が戻ってきた。苦しい立場にいる。酒井高徳は、SBでなくボランチとしてフル出場。チームは低迷しているが、酒井はチームでキーパーソンの座を固めている。

11月4日(金)
「メタル建築史 もうひとつの近代建築史」SD選書 難波和彦著を一気に読み通す。読後のぼくなりの本書の概要は以下である。
本書は、メタル建築(主にスチール)を通して近代建築を俯瞰する。そこにはある図式があり、それによって21世紀のサステイナブル・デザインを射程に入れようとするものである。ある図式とは建築家と社会との関係をいう。建築家は近代以降に発生したといわれているが、建築家の主体性とは俗説とは異なり、以下のようなものである。それは、「建築家やデザイナーの内面から発したのではなく、19世紀末から20世紀初めにかけての資本主義の進展がもたらした技術の進展と社会的な変化に対する、建築家やデザイナーの感性的な適応によって、生み出されたもの」p186なのである。つまり、建築家は社会と相対的なものである。そしてこの図式を支えているものが、自立した層をもつ「建築の四層構造」にあるという訳だ。歴史とは事後的な説明である。それは、当の建my model in its original wooden crate築家の意志とは異なり、時にそれを超えたものにもなり得る。したがって、ひとりひとりは自由な歴史観というものをもってよい。これは、1970年代のポストモダニズムが歴史を相対化することから得られたものである。とりわけ難波にとっては1970年代に出版された「建築の世紀末」鈴木博之著から多大な影響を受けた。そこで本書は、自由であるが故に建築をつくる上での判断基準=美学というものを重視する。本書ではそれにたいする難波の強度が示されているといってもよい。これを一人称でなく、「4層構造」というモノを通して語る。建築家のもつべき歴史観とはこのことなのである。この強度は密度となって、ぼくたちを圧倒する。
以上の概要に加えて、ぼくが特に気になった以下の問題である。
それは、思想・美学の転換についてである。本書では、20世紀の初頭、1970年代のポストモダニズム、そして現在にそれがあったとされる。「4層構造」というものからみるとその時代は、4層構造の自立した各層の間での矛盾が最大限に膨張したときであるという。そして、自立システムがこの全体的システムにおける矛盾を解決するために、自己システム変換をする。本書には、もうひとつこうした大きな構図(>図式)がある。矛盾を解決するための自己変換システムの構図。明確ではないが、少なくともそうした構図を示唆しながら、本書は構成されている。
本書の結論のひとつは、疑問を呈しながら、第1層を通じて行われた第4層の「非物質化」にある。この構図に従えば、第4層内での変化に限らず、変化は他の層でも起こりうるのでないか。そのような視点をもつと、最近の建築・都市・社会の傾向は、必ずしも「非物質化」に向かっているとは限らないことも分かる。むしろグローバル化を前に、個人や直接的に属する社会のアイデンティティを重要視した閉域の方向にあるとも思える。本書では結論を引き延ばしている「グッゲンハイム美術館ビルバオ」などはこれによって説明できるのでないだろうか。第4層は今も当然変化し、むしろ近代初期とは全く反対の状況、強大で影響を与えるなものになっているとも考えられる。前世紀の資本主義台頭がもたらした科学技術主義による第1層の強大さによって、美学の第4層が「非物質化」という方向に変換したのだとしたら、今日はその反対のことが起きている。第4層が強大となり、それが引き起こす矛盾によって、将来的に第1層の変化もあり得るのでないだろうか。難波の示唆する構図というものがあるとしたら、第4層の「非物質化」を超えて、第1・2層の下部(社会)構造の変化が訪れても不思議ではない。
本書後半では、現代の第4層について言及されている。それは、ITや「建築=アーキテクチャー」によって、目に見えないシステムのデザインまでをも含む建築の状況で、モノと人との境界をなくしていく状況である。それを建築が内面化して自己変換するとき、建築のサステイナブルへの射程というものが見えてくる。それは、マルクス主義的な観点からの下部(社会)構造の変化がもたらした上部(思想・感性)構造の変化と逆の変化である。

11月3日(木)
休日にも関わらず今日は、卒業設計の中間発表。前提条件の整理のみでモノなっていないのがほとんどであった。そこでもう一度、資料を集めることを再指示。モノを通じて思考しなければならない。
123 CL セビージャ×クロアチアザクレブ

11月2日(水)
122 CL ドルトムント×スポルティング
ドルトムントはこの数試合にみられなかったパフォーマンスを示す。そこに香川はいない。怪我であった。トップ下のゲッツェの働きがよかった。ダイレクトパスでゴールに近づく。ただし、危うい速攻のかたちを相手に与える。とくにドルトの左が相変わらず狙われている。最終的には1-0での辛勝利となったが、上向きの兆しは見えた。

10月31日(月)
先週から続けて「現代思想1月号」を読む。「新しい都市のマテリアリズム」篠原雅武である。都市と言えば相変わらずのアレグサンダーの「都市はツリーではない」であるが、論考はそこから始まり、現代都市像を俯瞰する。現代の都市は閉域していて、「閉域内ではセミラティスだが、その外との関連が欠如し」「ツリーでもセミラティスでもない状態」にあるという。そしてそこからの脱却を端的に言い表しているのが、磯崎のハイパー都市であるという。ハイパー都市は、廃墟からはじまる。ハイパー都市は閉じていなく、カテゴライズされたものでもない。ここでもモートンが引き合いに出される。「明確な中心やエッジのない、広大で拡張していく相互連関性の網目」となるものがハイパー都市に該当する。具体的には、空き屋が注目される。空き屋こそがリアルな都市の欠片である。それを連関させていくイメージで現代の都市をつかむ。それは都市を閉域とせずに外からの視点を取り込む方法の一例である。思弁的実在論の特集に組み込まれる由縁である。

10月30日(日)
理科大の奥田研究室のOB会に参加する。代々木公園での開催であったので寒かった。先生もお元気そうであった。夜に錦織のスイスオープンの決勝戦を観る。相手はサーブの鋭い長身選手、チリッチである。チリッチは、そのサーブに加えラリーも好調であった。第1セットは錦織に自由を与えず、錦織はあっさりとこのセットを奪われる。第2セットは、互いにゲームをキープしていても、じわじわとチリッチが押されていくのがよくわかった。最終のチリッチのサーブゲームがキーであった。錦織が3つのセットポイントを握ったのだが、錦織自らのミスでチリッチにこのゲームをキープされてしまった。これが勝負を分ける。この後のタイブレークで錦織が負ける。テニスは気持ちに大きく影響されるということがよく判る。

10月29日(土)
120 ブンデス ドルトムント×シャルケ
久しぶりのルールダービーを見る。0-0のドロー。守りを固めるシャルケにたいしドルトは攻めきれなかった。香川は中盤の下がり目に位置し、中盤底から前線へのボール供給に終始する。しかしこれといった好機をつくり出せなかった。これまで怪我で欠場していた中盤選手が戻りつつある。シュールレ、ゲレイロが後半登場する。
121 プレミア トットナム×レスター
岡崎が2戦続けて先発。自力で昨年のポジションを勝ちとる。今年レスターは、アウエーで大敗している。それは、相手がビッグチームということもあるが、引いて守るだけではいつかは崩される。岡崎起用は、昨季のように前からのプレッシングが引いて守るより有効であることの自覚の表れである。

10月28日(金)
現代思想1月号のティモシー・モートンの論考を読む。「環境主義」である。当時見落としていた。ここでは現在の環境主義を、消費主義のひとつと見なす。あるいは、啓蒙の時代のロマン主義の最新版形態とする。環境主義とは、ガツガツエネルギーを使用しないことではあるが、それは一方で例えば原子力に頼るように、ユートピア的な欲望を生み出しながら、他の可能性だけでなく社会を行き詰まらせてもいる。資本主義の論理にとらわれていないといえるが同時に、挑戦する潜在能力を行使しているともいえる。つまり、環境主義も資本主義の「再帰的」ルーティーンに陥っているのである。同様に「自然」についての言及もあった。「自然」には「本質」(essence)と「実体」(substance)がある。「本質」は近代科学的思考で、決して埋まらない空白をもつ倫理的、科学的、論理的なものである。「実体」はその反動のノスタルジックなロマン主義を支えるものとする。これまで「自然」を、「一方はそれを無視することによって、他方は地球に関する単なる思想を持つことによって、見ない」でいたという。これがモートンの主張である。モートンを(新しい)唯物論者というのはここにある。「自然」(Nature)というとぼくにはアレグサンダーを思い出す。彼は、「The nature of order」で「life」=生命 と「幾何学」の分析を同時に詳細に扱っている。これが彼の生涯のテーマであった。このことの一致に驚く。

10月27日(木)
新建築の11月号住宅特集は「マテリアル」である。巻頭で能作文徳さんが「「もの」と人との連関を再縫合する建築へ」という論考を寄せている。そこではモダニズムとモダニティを区別し、モダニズムももちろん、人間中心主義的なモダニティ思考も否定している。そこにあげられているのは建築の環境問題である。現在の環境問題は惑星規模で考えられていない局部的な対処であるというものだ。その思想を裏付けているのは、「モノたちの宇宙」にも登場していたティモシー・モートンであった。彼女の主張する「ハイパーオブジェクト」とは、人間と非人間との間に境界線というものがない。人は差異ばかりに注目するが、その差異の源に共通なオブジェクトがあるという考えだ。むしろ多様な現実の中で、人間の限定された思考方法=人間中心主義を批判するものである。そして人間中心主義の外に出るため、あるいは多様性を保つための方法=思索や投機(speculative)を、モノを通して享受する。こうした主旨の「マテリアル」論考であった。この傾向は奇しくも、アラヴェラが企画したベネチアビエンナーレでも感じられた。そしてこのことをJIAmagazineに寄稿した。この展覧会で、ある者は、市場原理と同様な莫大な情報によって(メイヤスー)、またある者は形式を超える素材(OOO)によっていた。彼らのオブジェクトへ執着ははなはだしい。執着によって超えようとしている。「モノたちの宇宙」の読後で、ここでいうオブジェクトの意味が分かったような気がする。オブジェクトとは指標にあたるものである。指標によって、思考の外にある現象や対象も射程範囲内に入れようとしているのである。彼らは強力な指標の設定を行っている。この芽生えが、今回の能作さんの論考にも感じられる。能作さんはエコロジーを、人間中心主義を超えて大局的に見るために、既存建物との濃密な連関を通してそれを求めている。

10月26日(水)
119 セリエA ジェノア×ミラン
本田が先発する。中2日の連戦によるターンオーバーのためである。可もなく不可もないプレーであり、本田の存在を証明できなかった。むしろ後半にスソが登場しその存在感を印象づけた。本田を控えに追い込んだ選手である。そのため本田にたいするメディアの論調は厳しい。確かに失点に結びついた、オフサイドライン操作を本田が誤ったのは事実ではあるが。後半に退場者を出し10人のミランは0-3で負ける。前節強いユヴェントスに競り勝ち、上位に食い込んたミランがここに来て足踏みする。

10月25日(火)
「モノたちの宇宙」を読み終わる。考えることが多かった。スペキュラティブリアリズムの方法がいまいち掴めなかったが、ひとつのことがわかる。彼らのなかには座標のようなものがある。それを基準に世界を見ようとする。したがってはじめに具体的なモノありきの思弁する内向思考を否定する。逆の外向きの思考である。対象が明確でないからこそ座標というものに拘る。座標によって、思考の外にある現象や対象も射程範囲内に入れようとする。閉塞感がなく、基準として生起あるいは生命、美学をおくことも可能だ。2年前に集中して読んだスピノザのユークリッド幾何に似ていることにも気づいた。

10月24日(月)
「BATTLE」の翻訳を続ける中で、アレグサンダーの非相関主義な思想が読み取れる。それは、色についてである。アレグサンダーは、色がある働きをもっていることを主張し、それはユーザすら否定する強い主張であった。「教師の色に関する希望(華やかな色を否定し自然の色こそが日本的であるという主張)に私たちが抵抗したのは、感情に訴えるリアリティがモノ(objective)の本質に関係しているという私たちの考えによるものでしたP161」。アレグサンダーは明らかにspeculative realismでreality materialismである。アレグサンダーはこれを生産するためには近代生産方法とは反対のシステムAに拘る。システムA は、生命をいかにつくるかというシステムである。

10月23日(日)
テレビでロンシャン教会の屋根構造が紹介されていた。飛行機の翼構造を模した当初のプルーヴェ案とは異なりRCであった。しかし空洞であるのは踏襲され、祭壇上のヴォイドとつながっている。下の音と呼応する反響箱の役割をはたしていた。
117 プレミア レスター×クリスタルパレス
岡崎が先発復帰で活躍する。地元紙の批評にもあるが、岡崎の献身性が中盤と前線を繋ぎ、同時に前からのプレッシングを有効にする。このかたちが成功すると、速攻が決まり、セカンドボールが拾え、厚みのなる攻撃が可能になる。この流れで岡崎も得点する。WEBではこぼれ球を押し込むとあったので、泥臭い岡崎風のゴールかと考えていたが、強烈なペナルティーライン際からの見事なシュートであった。岡崎の嬉し様が画面に捉えられる。誰もが気持ちよく思うのだろう。最後は疲れたようであったが、フル出場をする。これも久しぶりである。それにしても、今季生での放送が少ないのは、放映権料の問題だろうか?放送されたのは翌日の午後である。
118 セリエA ミラン×ユヴェントス
ミラン本田は全くの戦力外である。一方、ミランは波に乗ってきた。この3季とは異なるところである。首位ユヴェントスを1-0で下す。リーグ戦での勝利は5年振りだそうだ。守りが落ち着いてきた。ニアンがよい。そこへ奇跡的なゴールが生まれた。

10月22日(土)
桂浜にある県立坂本龍馬記念館へ行く。一般的な展示内容にたいして建物が強すぎるように思えた。壮大な太平洋のランドスケープに見合う建築とは思うが、雨雲のため海との境界が曖昧で水平線が見えず残念であった。鉄骨の納まり詳細などに時代を感じる。この建築も、低地の平野の中のぽつんとある山上にある。このように高知の地形は面白い。建築はそこから海にキャンティレバーで突き出る構成である。駐車場は下の海岸線沿いであった。そこは龍馬の土産ショップが連なる観光センターである。日本人より圧倒的に中国観光客で占められていた。途中、豪華客船が停泊していたのを見かけた。そこからの観光客だろうかと思う。その後、高知県立美術館へ。高知出身の山本長水の作品である。写真家石元泰博の原画を見るためであるが、展示していたのはその一部で、現在はシカゴ時代のものが展示されていた。建築は重厚な家型で、張り巡らされた水盤の上にある。石の使い方といいこの建築も時代を感じる。見学している内に、エンベロープの処理が全く異なるも、長崎県美術館との共通点を感じる。後で調べると規模も同じであった。
116 ブンデス インゴルシュタット×ドルトムント
ドルトムントは、最下位相手にロスタイムに追いつく。3-3のドロー。前半の守備が悪すぎた。同じ位置からのフリーキックによってあっという間に2点を失う。今日はソクラテスが不在。左SBの今季初先発のパク・チュホが全くダメであった。シュメルツァーを怪我で失った後、左サイドの守備に大きな問題を残している。香川というと、可もなく不可もなく違いをつくり出せていなかった。とはいえ2点目は、香川が基点となったもの。これからというときに交替を命じられて不満そうであった。それにしてもトゥヘルは戦術に溺れていいる。調子が上向きであるのにフォーメーションを代え、今日は2トップで臨んだ。加えてデンベレに自由を与えていたので、前線のスペースがなくオバメヤンは苦労していた。後半から、2点差に追いつくため3バックにする。右にプルシッチを入れて、デンベレを左に固定し左右ウイングが上下の攻撃することに固めると、見違えるような攻撃に連携ができた。中盤の香川、カストロに代わったゲュツェがボールを動かすようになった。試合後半には、この3バックがあまりにも不安定であったので、香川を引っ込めて4バックにする。先日守備に不安があったパスラックを投入。幸いにパスラックが大活躍し精確なクロスを供給し、ドローに持ち込んだ。綱渡りの采配である。

10月21日(金)
牧野富太郎記念館へ行く。屋根がかけられた半外部空間は軒先が低く抑えられ、写真より実物はだいぶ小さく感じる。一方、展示館の突き当たりは迫力がある。ここは床が下がると同時に棟の頂点で天井が一番高いところであった。シーンが多様であるので、珍しく多くの写真を撮る。建築は、五台山の一番高いところにあるのに関わらず、幅をとる中庭型の建物とするのは不思議である。通常なら棒状に建物を並べるだろう。そのふたつは丸形と四角型である。どちらも球心性がある。球心性ある作品は、内藤さんの作品の中でもこれだけだろうか。球心性配置によってつくられる優雅な軒ラインの連続をぼくは好感持てた。外部との連続性を一層強めるものであったからだ。コンクリートの梁の上にのせる無骨な木造小屋組が内藤さんの構造定番であり、この作品も同様である。外形が四角であり、梁の高さが連続した円を描く幾何学をしている。この屋根のかたちを下部のプランにあわせるために、コンクリート梁が妙なHPになっているのに驚いた。こうした処理するためにも下部RC は有効である。木造のサッシュは無骨となるので、さらに無骨なRC梁はあっている。建物に入る位置は、どちらも中途半端な位置である。しかし動きがある。途中、地震を感じる。それは鳥取での大きな地震によるものであった。園内の温室等を見学して、堀部さん設計の竹林寺納骨堂へ行く。竹林寺は四国巡礼寺でもある。軸をもつ明快な建築である。納骨室まで入ることができず、この建築の良さが判らなかった。その後、山を登り土佐山へ。土佐派建築家設計のホテルへ行く。土佐漆喰、木材、土佐和紙を現代的に翻訳した作品である。ぼくが以前捨てた作法、それは線を少なくし、目地を通すことを徹底したものであるが、伝統的材料の使用により、この建築は心地よい空間に仕上がっている。エントランスロービーを開けた空間にし、大きくメインにするのは建築家一般の手法である。そのためアプローチから外観がしっかり見える。それにたいして玄関をぐっと押さえて、それまでのアプローチ空間を長くし、門からフロントまで線的にするのが商業建築の大道である。

10月20日(木)
「モノたちの宇宙」を読む中で、カントの崇高論の背景が判るようになった。「モノたちの宇宙」には、「あらゆる思考を超越する<即自>の現実=実在にいたろうと」する人としてメイヤスーが記述される。この本では、この実践まで至っていないが、崇高論も同様な壁を乗り超えようとしている。崇高なるものは、自己のコントロール下、すなわち主体の思考外のものである。この崇高について考えるとは、人間の思考の外部にある存在者たちの自律した現実=存在を認識することと同様である。崇高のメカニズムに、思考と存在の相関関係を超える方法が隠されている。

10月19日(水)
115 CL レスター×コペンハーゲン

10月18日(火)
114 CL スポルティング×ドルトムント
2-1でドルトムントが勝つ。負傷者のため香川が先発復帰。ゲッツェとオバメヤンと組む。ゲーム後の香川にたいする採点は厳しい。が、ぼくにはそう映らなかった。オバメヤンへの連携はよかった。オバメヤンがサイドに張り、空いた奥へ幾度とスルーパスを通していた。最初の得点はゲッツェからのものであるが、パタンは同じである。ただし、オバメヤンからの折り返しを幾度となくDFに阻まれていたことが惜しまれる。ビッグチャンスをつくり出す芽はできていた。オバメヤンも自らでつくるスペースに両サイドのプレヤーが入ってこないので昨年のように生き生きとしていたと思う。反対に速いプルシッチとベンデレの両サイドは窮屈で活躍できないでいた。この2パタンが時間に応じて絡むとよい。

10月17日(月)
「モノたちの宇宙」を続ける。コップの話をよくする。飲むために使うと、それはコップであり、花を挿すとそれは花瓶となる。この機能主義的な思考が相関主義である。人の思考によってモノは支配されている。しかし思考する以前にコップは存在している。コップと呼ばれるように、自らを確立する営みを通して価値づけをおこなっている。このように考えるのが思弁的実在論という。こうしてこの思想を納得した。石にも内的な質があり、石の視点から記述するにはどうしたらよいか。この本の後半は、存在論的テーゼから認識論的テーゼに移る。つまり、人の概念図式に差し戻すことなく、指し示し、語る術についてである。これはデザインにおいて前提条件を考えるようなもので、即自と対自を一致させるようなものである。

10月16日(日)
秋晴れであったので、帰り渋滞を考えてひたち海浜公園のコキアを見に行く。その帰りに、那珂湊港で遅い食事と鮮魚を購入。一般の人に開放されている賑やかな市場である。SANAA設計の日立駅はそこからかなり距離があることを知り断念して帰路につくも、予想に反して事故のため常磐道も渋滞。帰宅に時間がかかる。「モノたちの宇宙」第3章を読む。オブジェクト指向存在論のハーマンが言うことは単に「モノを明確に理論化することに反対してモノを実戦的にあつかうことではない」らしい。しかしその意味するところが理解できないのがもどかしい。別なところでは次のようにいっている。「主観は世界に属していない。なぜなら、主観は世界の限界なのだ」(ヴィトゲンシュタイン)という相関主義の見方と、主観は文字通り<何物でもない>という消去主義の見方の両方をしりぞけなければならない」。スピノザの機械論的唯物論にたいして生気論的唯物論というのもあることも知る。「あらゆるものは生気に満ち、いきいきとしていて、生の活力をそなえている」というものである。それはまさにアレグサンダーに通じるものである。

10月15日(土)
113 プレミア チェルシー×レスター
岡崎ベンチ外。前線にはマフレズとスリマリのアルジェリアコンビも起用していない。代わってムサが入る。チェルシーの安定した攻撃に網をかけることができずに、ズルズルと3失点をする。悲しいかな今季離れたカンテが相手の楔となっている。レスターの現実的な目標が勝ち点40とはいえ、ゲーム内容はいささか寂ししい。引いて守り、上手く速攻がはまればなおよし、という場当たり的な闘いである。これを現実的戦術というのだろうか?昨季のファイトをみてみたい。

10月14日(金)
112 ブンデス ドルトムント×ヘルタ
原口のヘルタでのゲームをはじめて観る。左サイドの上下の運動を繰り返し、DFからのがれるかたちでボールを保持する。したがって、プレッシャーが弱い下がり目で受けることが多く、前半はパッサーとして機能していた。これを前線で行うためには、中盤の選手がフリーとならなければならない。今日のようなドルト相手に守り中心の場合は少しキツい。そのなかで前半に関してはよくやっていた。フル出場である。それに対しドルトは展開できず、後半60分からデンベレとゲッツェに代えて香川を入れる。デンベレが動いて生まれたスペースを香川が使い、そこから逆サイドへ送る大きな展開がゲームを動かした。原口がまたしても香川のシュートをハンドしPKを与える。このPKを決めることがオバメヤンはできなかったが、流れから1-1のドローとする。ドルトはサイドの爆発力がなりを潜める段階に達した。香川に期待。

10月13日(木)
論理で倫理の括弧付けする経験に出会う。これはシステムBがAを受け入れることができない根本にある問題だ。一般には、論理は何にも関係せず自律していると思っていないだろうか?善悪に左右されず、ましてそこに美もなく、真実がそこにもあるという考えである。今ではわからないが中世の人はその区別が全くなく、例えば死というものを限りなく畏れた。神様に触れてしまった天罰というように。それから人は、場合に応じてあるときは論理的に、あるときは倫理的に、あるときは美的に分けて都合よく状況説明が出来る術を獲得していった。これを相関主義といってもよいが、人間中心主義観とともにポジティブに発展してきた。しかしときたま人や社会は窮地に立たされるとその判断バランスを失い、変なことをおこしてしまう。例えば虐殺などそれに当たる。今日はこれに似た経験をする。これまでの前提を否定する論理はなく、知った上で別の論理を暴走させる。共通認識の上で論理展開するという前提を無視した倫理の括弧付けが行われた。括弧付けを行ってもそれを外し、モノを真善美で見ないといけない。論理性に重きを置く人はこのことにきづいていない。このことにはたびたび出くわす。「モノたちの宇宙」の第2章「活火山」を読む。相関主義の限界を以下のように表現する。「カント以降の相関主義者たちは、われわれが語ることができるのは火山そのものの活動性についてではなく、火山に対する接近の問題だけであり、また火山をわれわれが了解し、同定することを通して、またそれによって火山が「構築」されるやり方でしかないと言いきる。」 それに応えているのがホワイトヘッドとオブジェクト指向存在論のハーマンであるという。ハーマンは次段階として考えられるモノ性について「潜在力に頼ることは、はぐらかし」といい、建築における広義の機能論を否定する。そこから崇高論を持ち出しているのに驚いた。「魅了」である。「魅了によって、決して到達できない領域に招かれる」という。ぼくにはカントの物自体へのアプローチと違っている点が見いだせないが、それを明白に否定している。「美が諸関係の世界に、崇高性を諸実体の世界にふさわしい」としているところにも興味深い。ここにもカントの物自体への接近と同様、対象の重要性にかかっていることが示されている。

10月12日(水)
北山恒氏を千葉工大に迎えてのレクチャー。現代のコモンズのありかたについて、人類学的な歴史を踏まえて紹介してくれた。3月に行われたY-GSA最終講義をもとにしたもので、かつ最後に新しいプロジェクトまで絡め、より判りやすくしてくれた。それは、エドワードホールがいう個人の身体把握能力からはじまり、次第に社会圏が大きくなるにつれて、人が必要とする機能とそれに見合う空間が用意されていく歴史である。それによると、生活集団を束ねるためのものがコモンズという考えであり、むしろそれは管理システムとしても機能する。したがって、コモンズは与えられものであってはならない、獲得するものだという。それは、フーコーのパノプティコンとアーレントの私的領域論を基本においたものである。北山さんに惹かれるところは、そうした考えが人間主義的なものに陥らないこと。それを実現するための戦略があることだ。(そこにジェイコブスとの違いを感じる。)普段から建築に関わる経済学者や教育者と接し、そのヒントを吸収している。このことに気づいた。ぼくらには、本から得る知識に加え、そうした情報を嗅ぎ回る必要がありそうだ。学生にはそのメッセージが強かったにちがいない。その後食事会にいく。そこでも意見が分かれたのは、北山さんは徹底的にオブジェクト指向(思考)を否定する、このことにあった。モノは最終結論的な静的なものではない。つくるプロセスの中に位置づけることで、北山さんの示す図式的構造、あるいはソフトのインフラとしての建築も活きるのでないかと思う。この説明を上手くイメージするために、帰宅して「モノたちの宇宙」を再読。

10月11日(火)
111 代表 オーストラリア×日本
1位のオーストラリアとのアウエー戦。怪我人が多く、本田の1トップに香川トップ下、両ウィングに好調原口とJで活躍の小林でのぞむ。ボランチは長谷部と守備重視の山口で対応。SBには槙野。守備力が買われた。開始5分で日本の縦への展開が決まる。原口が相手ボールをカットして、本田が起点となり、原口が再びぶっちきった。本田のキープ力を狙った戦略が早々に活きた。しかし2点目が決まらない。後半からオーストラリアは中盤を省略しサイドからロングボールを放り込む。セカンドボールも拾われ、日本がいつも失点するパタンである。PKを与えたが、その後は苦しい時間が続くも乗り切ったことは大きかった。時折見せるカウンターも武器になっていた。1-1のドロー。1位にたいしアウエーでの勝ち点1はよしとしなければならない。2位のサウジがUAEに勝ち、グループ首位にたつ。次戦はそのサウジアラビアをホームに迎える。

10月10日(月)
大学行き。今日は通常の授業である。その後で、我孫子野外展に出展する作品の試作品を研究室でみる。実物大の一部であるが、大きいことはよい。入ると不思議な感じがする。構造上の気になることを多田先生に相談。いくつか貴重なアドバイスを頂く。その後アイデアについて話合う。閉じた空間に誘導する入り口のデザインについてである。閉じて安定した構造が破れるときにいかなる方法でのぞむかが建築家の仕事である。構造家との思考の違いもここに生まれる。肯定的でなく批評的な思考である。ひとつ面白いアイデアがあったので、これを膨らませることに期待する。

10月9日(日)
「モノたちの宇宙」を読む。スペキュラティヴレアリズムを、ホワイトヘッドの「過程と実在」において発見された視点から紐解く。それは、「全てが知られるものをぼくらが知るさいのやり方に従事させている」ことへの疑問からのものである。実在論を犠牲にして認識論を特別あつかいしてきたデカルト以来の歴史にメスをいれようとしている。度々「生起」という言葉が使われる。存在を、「単純な自己同一的な諸実体というよりも活動的で分節化された諸過程 様々な経験、もしくは感覚の諸契機」とし、存在を構造的な静的なものでなく、生成に従属させている。したがって存在は普遍的でなく、多様な「生起」の集合連続とする。この考えは、モダニストが行ってきた形式化や純化という試みと明らかに反する。「BATTLE」におけるキーワードは「life」である。これと「生起」は妙にシンクロする。アレグサンダーは生起することに執着している。そのために、プロセスとモノの構造に執着する。

10月8日(土)
「BATTLE」の翻訳を続ける中で、アレグサンダーの考えとスペキュラティヴ・デザインとの共通点に気づく。「BATTLE」にあるシステムBとは近代合理主義に基づく世界である。スペキュラティヴ・デザインにとってもそれはサイエンスフィクションの世界と定義される。どちらもそれをリアルとしていない。その上で、どちらも具体的なモノに執着する。システムBからそれを理解することは難しい。モノは論理的プロセスを経た結果、はじめて評価可能となるものと考えられているので、その前提をなくした是非はありえないのである。つまりシステムBではモノと思考が密接に関係し、行ったり来たりの関係にある。ふたつはその逆の面をもっている。方向性がはじめにある。これは思いつきなどでなく人間性を超えた何か信念に似たものである。そこからモノにすることは個人に委ねられドライでもある。中学で算数から数学になり、Xを使用することを学んだ。そして機械的な式への移行で、頭が混乱することなくクリアになったことに驚いた。数式によって、そこから国語的な思考が排除された。意味合い(implicatins)を考える必要がなくなった。タイヤのパンク修理のため走り回る。結局ディーラーに1本のみを注文することに落ち着く。特殊なタイヤであるのと、傷口が大きかったため、予想以上に手間がかかった。

10月7日(金)
NHKBSで「ディパーテッド」マーティン・スコセッシ監督 ディカプリオとマット・デイモン、ジャック・ニコルソン主演を観る。アイルランド系マフィアと警察の抗争におけるふたりの潜入スパイを描いた映画である。追い込められた潜入スパイというダブルバインド設定によって、精神的不安定さをつくり出し、観ているものを引きこむ。さらにその上に暗躍するのがジャック・ニコルソンで、彼の不気味な演技で、ミステリアスな背景をつくりだしていた。ただし最後までストーリーが捻れすぎ、その割には尻切れ感が否めない。多くの疑問を残すのはよいが、それを考えさせる手掛かりが少なすぎた。香港映画「インファナル・アフェア」のリメイクであるが、ジャック・ニコルソンを持ってしても、中国暗躍の世界には迫れなかったような気もする。途中でヒッチコック映画との違いを感じた。ヒッチコックはもう少し、ぼくら観客を冷静な位置に置く。最近の映画は映像技術を駆使して密度あるものとし、スピード感に長けてはいるが、効果が逆に薄れることもある。このことに気づく。

10月6日(木)
111 代表 日本×イラク
ロスタイムの山口蛍のボレーでなんとか勝ち星を取る。しかしこれはたまたまなものであって、ゲーム内容はこれまで以上にいまいちであった。ホリルボシッチ監督はよくデュエルという言葉をよく口にする。1対1における強さのことである。イラクは予想以上にフィジカルが強く、彼らを突破できなかった。本田やSBなどはガチに勝負にいって負けていたのでないかと思う。このトライを将来への伸びしろのため前向きに評価するか、選手間の距離を縮め人数をかけチームとして連動させる以前の方法に戻すべきか、このどちらがよいかは意見が分かれるところだろう。予選突破が難しい苦境にいる現状においてである。本田に至っては、次戦(オーストラリア戦)こそ、このタフさが必要であるといっている。しかし少なくともゲーム方針に関するこの混乱がゲームを難しくしていることに間違いない。左の原口も確かによいが、デュエルにおいて相手DFをブチ切れる程でもないと、やはり連動がほしい。ハリルボシッチはこの調整を早急にすべきである。

10月4日(火)
コンペのプレゼンテーション。江尻事務所の江尻憲泰氏、知久設備の川村政治氏に同席して頂く。30分以上の質疑応答では、ぼくらのコンセプトの信用性と設備の考え方にたいするものであった。外壁のコンセプトについてはある程度予想していたので応えることができたが、不信はなかなかぬぐえず、絶えずその質問となる。空調は完全空調でなく、目的と使用に応じて個別に対応することが省エネにつながる。このことを説明。エントランスホール部分はオープンな空間が要求されていた。それにしたがった空調についても、敢えてムラのある空調をこれからどう行うかに興味がある。このことをもっとデータで証明すべきであった。

10月3日(月)
難波さんの日記を読む。「建築の4層構造」は、相関主義的な建築観の中にモノ性を取り込むものであることが書かれている。池辺さんから学んだもの、それはモノが先行し人間の感興を喚起するというスタンスであるが、それが基本にあるものの、それに疑問を感じ、社会=人間の要求に建築が応える一般的なスタンスを加味した。これが上述の「4層構造」であるという。ぼくがスペキュラティヴ・デザインに魅了されるのは、むしろ前者にあるのであるが、このことは実は難波さんから学んだ。反対のことをいっているようであるが、これらは、時代をどう捉え自分の立ち位置をどこに置くかがが大きく関係してくる。まさに相関的な関係である。最近スペキュラティヴ・デザインが持ち上げられはじめているのは、明らかにこの相関主義が社会に浸透し、モノの力が弱くなっている証だろう。建築で言う唯物論(マテリアリズム)が出るのはこのためである。柄谷は、相関主義をもう少し違った解釈をしている。それは、「真・善・美」の括弧付けを一端行い、それから括弧を外すことをいっている。括弧付けがはじめにある。このことは、スペキュラティヴ・デザインのいうafirmative(肯定的)に対しcritical(批評的)であり、processに対しauthorshipなことである。つまりスペキュラティヴ・デザインは全体を俯瞰せずに一瞬の切断面を連続させるようなものである。ぼくはむしろこうした立場からスペキュラティヴ・デザインに興味をもった。これを俯瞰的に見る方法=相関的な見方はあるのだろうかというのが次の興味である。「モノたちの宇宙 思弁的実在論とは何か」スティーヴン・シャヴィロ著を読むことにする。昨年千葉工大に難波さんをお呼びした。そのとき、「4層構造」を俯瞰的である、と発言したことに難波さんは否定的であった。「俯瞰的」ではく「相関的」という言葉が適していたのだ。

10月1日(日)
高尾山口駅の隈さんの建築を見る。他の駅舎と異なり建築になっている。洋・和小屋組でないフラットな大きな木架構と木を多用した壁に覆われ、改札に引き込まれるような空間構成である。他のインフラもコンパクトに整えられ綺麗である。高尾山がミシェランの3星を得ている理由も判る。川越しに山を背にした夕方の風景は、ブータンの村を思い出させてくれた。調査に行っていた時期がこの頃であるのだが、低いところに稲が実り、石組みの上に堂々とした住居がある。土地の起伏に従い不揃いである。

9月30日(土)
110 ブンデス レヴァークーゼン×ドルトムント
ミッドウィークのレアル戦と全く異なり、緊張感がない試合であった。ドルトムントは0-2で負ける。十八番の両イングが疲れ、機能しなかった。ここ数試合攻撃陣が上手く機能し、縦への早い展開ができていたのは、香川に代わった中盤が機能していたわけでなく、両ウィングの調子の良さが主原因であったのだ。彼らが相手フォーメーションを崩し、空いたスペースを他の選手が自由に使っていた。そのときに香川はたまたま代表戦帰りの怪我のため欠場していた、と考えたい。その香川が3人目の交替で後半ピッチに入る。数回に渡り、上手い展開の基点となるも、バラバラな中盤を組み立て直すまでには至らなかった。もしこれができていたら、ぼくの仮説も証明できただろう。来週から代表戦ウィークに入る。その後のドルトの変わり様を期待する。

9月29日(金)
「スペキュラティヴ・デザイン」を読み終える。一般にペキュラティヴ(思索)は虚構であり、虚構が悪いものと考えられている。それは、商業主義が批判される原因でもある。この本はこれにたいする批評であり、リアルを重視することへの批評でもある。リアルとはこれまでの世界観のものでしかない。そこで取り上げられるデザインは小道具である。小道具を通じて人は虚構を想像できる。パトリシア・ピッチニーニやチャールズ・エイブリーの作品がそれに当たる。これらには、現実と非現実を上手く差し渡すことに美をもとめている。スペキュラティヴの意味と同様に後半は、作品の紹介が中心で、結論がない。投げ出されたかのように本が終わる。少し物足りなさがあることはぬぐえない。これらの作品をもっと調べる必要がありそうだ。

9月28日(木)
「スペキュラティヴ・デザイン」を読む。読むにつれてスペキュラティヴ・デザインの刺激性に吸い込まれる。スペキュラティヴ・デザインは何かに、4章で廻り合う。ペキュラティヴ・デザインとは、「有益なフィクションを描き、討論を円滑にする。(中略)新しい技術的発展を日々の物質文化のなかに位置づけような架空の製品やサービスを生み出し。応用(application)でなく、意味合い(implication)をデザインする」ことなのである。22のこれまでのデザインとの異なる点が示される。その中で面白いのは、以下であった。afirmative(肯定的)に対しcritical(批評的)、ploblem solvingに対しproblem finding、provides answereに対しasks questions, design as solutionに対しdesign as medium(手段)、fictinal functionに対しfunctinal fiction(機能する虚構)、人間にあわせて世界を変える に対し 世界にあわせて人間を変える、science ficionに対しsocial fiction, futureに対しparallel worlds, innovationに対しprovocation(刺激的)、user-frindlinessに対しethics(倫理的), processに対しauthorship(発案者)。
109 CL レスター×ポルト

9月27日(水)
108 CL ドルトムント×レアル・マドリード
久しぶりの緊張感のある好ゲームであった。しかしそこに香川はいない。ベンチ外である。ドルトムントは速い両ウィングで臨みレアルに果敢に攻めた。しかしレアルも1対1で勝り、縦突破させずに中央に追いやる展開であった。そうした中ドルトがボールロストから一瞬で失点する。これを、流石レアルは底力あるとみるか、この数度のカウンターしかなかったとみるかは別れるところである。これは結果からの逆推論でしかない。どうやら試合後のインタビューからジダンは後者をとっていたようだ。ドルトもGKのミスから前半のうちに同点とする。香川の位置に入ったカストロはよかった。レアルのマークを上手く外しフリーになっては、ボールを前線に供給していた。その動きが速かった。香川にはない動きである。しかしレアルも直ぐにそれに対処できるようになるのも流石である。そのため試合は膠着してしまった。後半から、トゥヘルは速い選手を立て続けに替え、違ったバリエーションで挑んだ。若く勢いのあるモルとプリシッチを使った。一度は逆転されるも、ゲッツェに代わったシュールレで最後は追いつく。ゲッツェを最も早く下げたところを見ると、香川は、ゲッツェのポジションを狙わないといけない。前半ゲレイロは消えていたと思うのだが、カストロとゲレイロの信頼はかなり厚く、この2人は最後までピッチにいた。シュールレは怪我から復帰して直ぐに選ばれたのだから、それは香川と対象的である。

9月26日(火)
「人間の条件」ハンナアレント再読。「20世紀の思想から考える、これからの都市・建築」を読むうちに気になった。不確定な公的領域を獲得する手段が記されている。人は公的領域に参加することで人となる。そうでなければ現実には平等ではないのだ。しかしその機会は、革命や戦争によって失われた。ユダヤ人アレントは国を追われて放浪したのである。その危機を現代に見立てることもできないこともない。アレグサンダーも同様なことを記しているが、アレクサンダーは空間獲得に限定していて、性善説にたっている。アレントはその点でラディカルである。しかしどちらも信念がある。「20世紀の思想から考える、これからの都市・建築」が示唆しているのはまさにこのことである。危機から公的領域を獲得することの必要性である。それをアンソニー・ダンのような表現方法で行うことはないだろうか?

9月25日(月)
ゼミにて、アンソニー・ダンの講義録「Not Now, Not Here」を紹介。その後話し合う内に、ここに挙げられていたカテゴリー分類方法を使って、デザイナーの立場を分類できた。縦軸を上に開放系(外延系)—下に閉鎖系(内延系)とし、横軸を右に客体—左に主体とする。これまでの建築は、左下付近の閉鎖・主体系に多く存在する。時代を経るにつれて、それは右上がりになる傾向になる。より開放的にである。しかし主体の存在価値もまたなくなっていく。そこでぼくらが追究すべき方向は、開放的でかつ主体性あるものでないか、という話に落ち着く。アンソニー・ダンのデザインの方向性もこのようなものと捉えたらどうだろう。Y-GSA編の「20世紀の思想から考える、これからの都市・建築」を読む。ルフェーヴル、コーリンロウ、フランプトン、ロッシ、アレグサンダー、コールハースの思想を題材に都市を語る。問題は、歴史を遡って、そこから未来が想像できるかどうかである。ぼくはこれらの著作を通じて、資本主義の力強さを歴史として知った。これまで商品とならなかったもの、例えば経験というもの。それを切り離し、純粋なモノ=空間にした。その途端に消費にむすびつける資本主義のすごさである。ロウは、これを建築思想として根付かせた人であり、ルフェーヴルはこの危機を思想的に唱えた。フランプトンを、グローバリズム乗り越えようとして、逆に飲み込まれ、さらにそれを大きくしてしまった。それはロッシも同様である。無効さを証明したようなものだ。しかしこうしたことを当時は誰も気づいていなかった。それは、コールハースが、都市を生態系のようなものとして、現在教えてくれたのである。これはアレクサンダーにおいても、近代資本主義批判としてこれを行っている。この本に挙げられている思想家・建築家から想像できた組み立てである。このストーリーが意味する未来への示唆とは何だろうと考える。

9月24日(日)
コンペの敷地で、長い時間を過ごす。特段発見はできなかったが、小さな学校が近くにたくさんある。敷地前道路を境として、街区の大きさも道路幅も南と北で違っていた。とはいえ、どちらも以前は町工場でなかったいかと思う。その面影が多く見られた。休むところがなく、外部から人が訪れることが多くないことも判る。この地域は車移動でも起伏を感じることができた。

9月23日(土)
縦ログ構法研究会のため銀座へ。UDSがリノベーションした物件である。今回の実験に関する予備実験の詳細な報告を聞き、本実験の方向性を決める。本年度はこれをまとめる。次のステップとしては床についてである。ぼくはというと、第三者的な立場になってしまっているので、床に関しては積極的に参加してみようと思う。いくつかの案を思いつく。
107 プレミア マンU×レスター
岡崎は不出場。ミッドウィークのカップ戦では、先発し2ゴールしたと聞いている。完全に2番手になってしまった。その岡崎の代わりにバーディーと組むのはスリマニである。しかし前半に4失点し、後半から、昨年の功労者であるバーディーとマフレズを交替し、守備的とする。これまでと戦術も変えた。しかし最後まで主導権を握れなかった。ユナイテッドエースのイブラモビッチが下がると、SBもつられて上がり、空いたスペースを他の前線選手に使われるか、再度イブラモビッチの縦の動きに置き去りにされていた。それはモウリーニョらしくないアバウトな戦術でもある。もっと硬い堅守からの戦術であったと思う。それでもチャンスらしいチャンスがレスターにはなかった。試合はこうした展開のまま1-4でレスターが大敗する。

9月22日(金)
106 ブンデス ドルトムント×フライブルク
好調ドルトムントは今日も3-1で勝つ。しかし香川は完全に戦力外である。今のところスピードある選手で上手くゲームが動き、香川の出番は必要なしということである。次回はCLで、ホームにレアルを迎える。トゥヘルは、10代のスピードある選手でどの程度レアルに通じるかを試したいにちがいない。それはぼくも同感である。

9月22日(木)
雨であったが多磨霊園に墓参りに行く。「スペキュラティヴ・デザイン」アンソニー・ダン+フィオナ・レイビー著を読みはじめる。先日のYouTubuから知った。序文で、Speculativeの多義性が紹介される。思索的と訳すのが通常であるが、哲学的には思弁的、経済的には投機的となる。しかし内延的なものでなく、外延的な使われ方を誘発するのにぴったりの言葉である、との紹介である。

9月21日(水)
仙田満氏を千葉工大へ招いてのレクチャー。テーマは、「ドクターアーキテクトをめざせ」。氏のプロフェッサーアーキテクトとしてのキャリアが紹介される。氏は多くの作品を手がけ、その全てに回遊性という共通テーマがある。回遊性とは、いろいろな場を繋ぐ串のようなものであり、それを遊環といっていた。その中に、身体的快感を知る、めまい空間というものがあるのが面白い。この快感とは、滑り台におけるスピード感、シーソーにおける浮遊感といったものである。これはカイヨワ「遊びと人間」のイリンクスを参考にしたものである。このことからもわかるように仙田氏の作品は、こども施設からは想像もつかない、ある過激さがある。この疑問を講演後の食事会で尋ねた。明確な応えを聞き出せなかったが、子どもの頃の防空後の原体験と若き頃の菊竹請訓の影響があるようであった。ぼくにはこの過激さが建築としての作品性を支え、遊環に代表される機能性が社会に受け入れられていると思った。このふたつの面を上手く使いわけることができるのが仙田氏の最大の強みである。
105 ブンデス ヴォルフスブルグ×ドルトムント
DFラインが高い位置をキープするチームにドルトは強い。今日も5得点をたたき出す。内3点がDFライン裏への素早い抜け出しによる得点である。前線選手の身体能力が優れ、スピードがあることはもちろん、2列目も同様の選手が多く、完全に相手DFが混乱する。それに乗じた攻撃である。残念ながらこうした攻撃に香川がいない。それにしてもドルトは陣形を多く変える。選手が交替するときは必ずである。コミュニケーションの取り方も大変だろう。

9月20日(火)
アンソニー・ダンの講義録「Not Now, Not Here」をYouTubeで観る。2014年の12月に京都工業繊維大で行われたものである。それは、未来を示唆するデザインについてであった。膨大な世界観を記述するのではなく、記述可能であるのはその一部であると割り切り、それを通して全体を想像力によって創発していく。デザインはそのようなデバイスとして働いている。そうした講演であった。2つの軸を持ち出し、思想をカテゴリー化していることが面白い。その軸とは、自由(上)と自己責任(下)の縦軸と自由市場(右)と統制経済(左)の横軸である。それを技術で置き換えて、縦軸はデジタルとアナログとなる。右上がデジタリアン。左下がバイオリベリラル。左上がコミューンニュークリアリスト原子力集団主義者、右下がアナキーのアナクロエヴォリューショニスト時代遅れの改革論者であった。ダンのデザインは、こうした分析をもとにする。その反応を世界に委ねるためにである。提案は将来に向かっての切っ掛けでしかないのだが、かたちがある。このことがこれまでの方法と異なっている。ぼくたちが遺跡をみてその時代を想像する。そのような眼で未来を捉えるものである。

9月19日(月)
学生に強調したことは、作品の美しさよりも作品を通じて自分の考えをしっかりと伝えることであった。これは作品の出来映えが十分な上での話であった。しかし現実は、後者の論理性に重きが置かれると、前者が見落とされる傾向にある。こうした経験をした。あくまでも作品が重要である。これは時代に逆行することだろうか。ぼくはそう思わない。先人教師の経験と知識は膨大である。論理性に重きが置かれた場合、そこで太刀打ちできずに序列化される。このことに学生は気づくべきだ。むしろそれを逆手にとり、学生が勝てる範疇で勝負しなければならない。それは発想のユニークさとそれに賭けるエネルギーにおいてである。学生を伸ばす指導も自ずと決まる。前者を強調すぎることはないと思う。本来はこの二項対立的構図ではないのだが、現実の対処療法としてあり得るのでないか?翻訳中の「バトル」も、AシステムとBシステムの対立構造を中心に論理展開がされる。奇しくもそれと同じ思考になった。これは建築の世界だけの話ではない。社会でも同様で、エントロピー増大の傾向に働くことと似ている。

9月18日(日)
AO入試のため大学行き。2時間の課題の後に採点をする。今年は校舎建て替えのため、図書館内で実施。皆真剣であったが、採点は心を鬼にして行う。昨年も同様なことを書いたが、抽象化という作業が意外に浸透していないことを知る。経験の場から空間というものが生まれたのは18世紀。具象画から抽象画が生まれたのは20世紀である。このとき今まで明らかにされていなかったつくり手の思考に光があてられた。それが抽象化を通して実行された。現在翻訳をすすめているアレグサンダーの著書で、彼はこの抽象化を徹底的に否定する。同様な活動にジェイコブスなどがある。これらは、抽象化によって個々のキャラクターである個性、場所性が切り捨てられることを危惧したものである。しかし未だに世間が要求しているのは、予想以上にこの抽象化を通したものである。場所性が問題にされつつも、この試験でも抽象化が求められる。ようするに抽象化以外の表現方法が見つけられていないのである。

9月17日(土)
104 ブンデス ドルトムント×ダルムシュタット
今日もドルトムントが0-6で圧勝する。水曜日のCLの勢いをそのまま持ち込んだ若手で臨んだ試合であった。1トップに疲れの見えるオバメヤンに代わりラモス。右にパスラック、左にデンベレのFW。中央左はこれまた好調のゲレイロ、右にカストロ、底にヴァイグルであった。ラモスとカストロ以外は皆10代である。サイドからの攻撃が徹底される。それを一度反対サイドに振ってから中央に折り返すパタンである。このかたちが早々に決まる。はじめにゴールしたのは、カストロであった。その後完全にゲームを支配する。ボール支配率は70%を遙かに超えていたのでないか?勝敗が決定した後半早々に香川が登場する。交代選手も含めてほとんど全選手が得点したので、香川の存在は薄い。ドルトムントは、10日で4試合という強行日程を、ターンオーバーを使い乗り切ろうとしている。

9月16日(金)
「さらば愛しき女よ」ディック・リチャーズ監督、ロバート・ミッチャム主演を観る。ロバート・ミッチャムは「夜の狩人」でも印象的なハードボイルドな役柄の私立探偵である。1975年当時はもちろんCGなどなく、スピード感に欠けるも、ストーリー展開で押し切る。ヒッチコックとは異なる現代的画像テクニックが出現するまで、もう数年待たなければならない。途中に若き日のシルベスター・スターローンが出演していたことに気づく。翌年には「ロッキー」が大ヒットしスターダムにのし上がるのだが、微妙な演技で、存在感も実際の格好も小さくも見えないこともない。ポテンシャルとは関係なく、人は置かれる環境で活かされることを実感。出演当時、「ロッキー」の撮影、もしくはプロデュース活動、脚本などはしていたはずである。
103 CL レジア・ワルシャワ×ドルトムント
6-0の大勝。相手のプレッシングが弱く、自由にスペースを使うことができた。香川は怪我温存のため不出場。トゥヘルは、昨季前半のフォーメーションに戻す。但し、ロイスに代わり速いデンベレ、ムヒタリアンに代わりプリシッチ、ギュンドゥアンに代わりゲッツェ、香川に代わりゲレイロであった。後半からゲッツェに代わったカストロもよかった。アンカーのヴァイグルからビルトアップがスムーズに機能し、攻撃が行き詰まることが全くなかったといってよい。しばらくこのフォーメーションで過密日程の中を行きそうだ。

9月15日(木)
夕方から大学にて国際ワークショップの最終講評会。総じて皆が、昨日投げかけた問題に応え、内容が充実していた。3日でまとめとものとしてはよい出来であった。昨日程のカルチャーショックは、今日の講評会ではなかった。事務所に戻りコンペのチェック。
102 CL クラブ・プルージュ×レスター
レスターは初戦の相手に恵まれた。出足は不安であったのだが、セットプレーから早々に得点すると落ち着いたゲーム運びをする。3-0の完勝であった。とくに後半は前戦からのプレッシャーも上手くはまり、得意の速攻も多く見られる。懸念されていたバーディーとマフレズも輝いていた。さて岡崎はというと、遠征帯同もベンチ外。岡崎に代わっての先発は、スリマニであった。彼は移籍期限ぎりぎりにレスター最高額で入団した。長身で身体能力とスピードがありそうである。岡崎とは異なるスマートなポストプレーをしていた。それが相手のDFのリズムを崩し、後半のよい展開をつくっていた。ヘディングを利用したバーディーとの縦の速い連携である。これは岡崎にはない。後半にウジョアと交替。もうひとりの新加入ムサはバーディーと交替。この4人で2つのポジションを争うことになる。

9月14日(水)
マカオ大学とのワークショップの中間講評に出席。マカオ大のトマス・ダニエル教授は、オーストラリア出身と聞く。学生に対する態度が厳格である。その姿勢は設計計画にもあてはまり、徹底的に機能性を重視する。ユニークな屋根を提案する案にたいし、その機能的根拠を求める。いかにでも説明は可能ではあるが、学生にとって語学が障壁となる。ただし、マカオの学生はそのように考えていないらしい。素直に既成の機能的な考え方を受け入れる。国によって異なる教育環境を痛感する。日本の建築が自由である根拠を垣間見ることができた。夜に江戸時代の地図にかんする歴史番組を見る。江戸の地図は、江戸大火の1650年頃に発し、そのときはじめて正確な測量が行われた。それを参考に様々な地図が民間でもつくられていく。ぼくらのよく目にする大名屋敷が書かれた部分地図は、江戸後期のもので、四谷番長の複雑な街をわかりやすく示すために考えられたものだそうだ。これが爆発的に売れ、各地の詳細な住居案内地図がいくつもできた。江戸の人口は100万人になり、その半分が侍。さらにその半分もの人が実は参勤交代の単身赴任者であった。彼らは江戸について何も知らず、かつ時間を持て余していたので、地図が必要とされたのである。

9月13日(火)
101 CL パリサンジェルマン×アーセナル

9月12日(月)
マカオ大学との国際ワークショップが千葉工大で始まる。今村さんと田島さんのショートレクチャー。東京と隅田川それぞれの歴史的変遷についてである。田島さんから荒川の興味深い歴史を教わる。氾濫、堤防、スーパー堤防へと変遷してきた。スーパー堤防は巨大なため再開発を必要とするが一方で、河側にテラスをつくり親水性を確保できるというのが予想外であった。しかしこの工事は当然ながらあまり進んでいない。川の水位5m想定で構想されているそうだ。
100 ブンデス RBライプツィヒ×ドルトムント
RBライプツィヒは、オーストリアの飲料メーカーレッドブルのチームである。当時5部チームを7年足らずで1部に昇格させた。レッドブルは他にザルツブルク、ニューヨークにもチームをもつ。F1チームはさらに有名だろう。ただしドイツでは一企業がチームを名のることはできないので、頭にRBが付いている。ちなみにJFAもこのドイツの制度を参考にしている。旧東ドイツのチームは久しぶりだそうだ。ライプツィヒといえば、音楽の街。バッハ、メンデルスゾーン、シューマンもここで活躍したと記憶する。チェコドレスデンに近い。驚いたことに終了間際の得点でドルトムントを1-0で破る。香川は怪我のため欠場。ドルトムントはボール保持率で圧倒するも攻めきれない90分間であった。全体が前掛かりのときはよい形ができるのだが、問題は引かれたときである。前線が停滞気味で、そこに供給されるボールのほとんどをキープできずにカットされていた。フンメルスが時たま繰り出す縦へのパス等が効果的にリズムをつくっていたのだが。ドルトムントは反対に、89分に鮮やかな速攻を決められ負ける。RBライプツィヒは強かったとはいえ、この敗戦は痛い。

9月11日(日)
099 セリエA  ミラン×ウディネーゼ
0-1でミラン連敗。昨季の悪いときを思い出す。ゴール前で為す術がない。本田からポジション争いに勝った新加入スソの個人技はひかるも、フィニッシュまで至らない。1トップのバッカにはパスが供給されずに機能していなかった。本田は80分頃から今季初出場。スソが中央に寄り、本田が右サイドになる。本田は幾度かチャンスをつくるもこれも昨季と同様で、ミランの苦悩は続く。要するにチームとしての連携がなく、個人技量頼みで、その限界は明らかである。本田をディぜール車と評する記事に出くわす。速くなく時間がかかり派手ではないが、確実にあるレベルのタスクをこなすというものであった。それにたいするスーパーカーになりえるのは、今はニアンである。彼と本田が組むことは得策と思う。一時在籍していたトーレスと組んだとき、あるいはニアンが調子よかった昨季後半、本田は活躍していた。

9月10日(土)
098 プレミア レスター×リヴァプール
代表戦の長い移動後すぐに各国リーグ戦が始まる。アジアと南米の選手にはこの日程はきつい。そうした中、岡崎は堂々と先発出場する。はじめから前半限りということであったろう、果敢に動き回る。ロングシュート、ゴール前でのヘディング、DFへのプレッシングなど、とくに前半終了間際のペナルティーエリア内のプレッシングにより、得点に結びつく。しかし結果は、1-5の大敗。バーディーとマフレズが昨季ほど元気ないこともあるが、守備陣の中盤でのチェックが甘かった。パッサーをフリーにして、簡単にそこからDF裏へ幾度となくパスが送られていた。したがって失点は全くあっけないものであった。2-CBにスピードがないのは以前から明らかで、それをカバーする中盤底、つまりカンテがいない損失は大きい。その前線における役割は岡崎にある。岡崎を外せない理由がここにある。岡崎のいない後半は、バラバラであった。

9月9日(金)
コンペについて知久設備と打ち合わせ。方針を決定。コンセプトに個々の案が収斂していくことを実感。夜は、スタッフ検討の見積下地について話合う。その後ぼくも詳しく精査する。「公共性」齋藤純著について考えをまとめる。後半は、公共性の再定義であった。公共性は与えられるものでなく、勝ち取るものであることが基本とされる。つまり、公共性は複雑な位相にあり、共約不可能(クーン)なものなのである。そのために「倫理」、「存在の技法」が必要とされる。このことを建築に置き換えてみると、箱物の建築が否定されるのは、建築が倫理の構築のすり替わりとして政治的に利用されてきたからであり、建築の政治性を一度括弧付けすることがこれからの建築の役割であることを発見する。

9月8日(木)
午前中は天気よく、イサムノグチのモエレ沼公園へ行く。昨日の安藤さんほどの恵まれた敷地ではない。無理もないゴミの埋め立て地に建つ公園である。10年ほど前、家族で訪れたことを懐かしく思い返す。加えて、当時の英語の先生Johnが息子の名前をイサムにしたことも思い出した。彼もイサムノグチの生き方に感動し名付けた。その後彼は登山家として家族でフランスへ渡った。今回の訪問で多くの時間をピラミッドの中で過ごす。前回は改修中であったと記憶する。ガラスのピラミッド内は、外観とうって変わり複雑である。彫刻的なランドスケープと少し異なる。ピラミッド1階にあるふたつの彫刻の存在感に圧倒される。手の形跡が感じられるからである。その後ひとりで敷地を歩き回る。微妙な土地の起伏を感じる。巨大な四面体や彫刻的なトイレを実感。展覧会では経験していたが、敷地に置かれた生の遊具にも触れた。もう少し滞在したかったが諦め戻る。学生は既に戻っていたので、このランドスケープは響いていなかったようだ。その後、レーモンドのミハエル教会へ行く。木造骨太のシザーズトラスの教会である。1階が壁を斜めに振ったレンガ造である。光を入れるために振っている。が、それ程劇的でない。梁は15センチほどのフラットなコンクリートスラブであり、ナチュラルスラットとNIKEプロジェクトと考え方が同じであった。狙いが同じだと解決もそうかわるものでないことが判る。同様にこの教会でも梁と木造梁の間の処理を苦労していた。これも納得。そこから光を採り入れると暗い屋根に凹凸が生まれる。先のプロジェクトではこれに成功したと思う。続けて安藤忠雄新作の北菓楼札幌本店へ行く。近代建築である図書館のリノベーション。頭大仏と異なり繊細で大らかな建築である。同様にリノベーションしたベネチアのドガーナは天井の骨組みにまでその精神が行き渡っていたのにたいし、この新しいクロースヴォールトは綺麗であるが存在感が薄い。これは保存壁を引き立たせるためだろうか?今回のゼミ旅行は安藤さんをたっぷり観て回ることとなった。帰りの機内で「公共性」を読み終わる。

9月7日(水)
朝5時に起き、水の教会に到着。ところが、台風の影響のため見学が不可能であるという。学生が事前に聞いていたことと、管理するホテル側の説明が若干食い違う。とはいえ、わざわざここまで来たことをぼくが長々と交渉し、やっと見学にこじつけることができた。どうやら教会前の池に土砂が入り込み、完全でない状況を見学してほしくないようである。それならば、写真をとらないことを約束した。その後係の人に案内してもらい、教会に行く。そのアプローチはこれでもかと言うほど折り返しが多く、階段も多い。安藤さんらしくなく、歩行直線距離が短すぎるのではないかと思った。しかし開口いっぱい池に面し、その奥の間林と一体になる本体の内部空間は劇的である。教会のプロポーションは予想に反し横に長いことにはじめて気づく。間口幅は10.8mだろうか?高さは約4.5mである。開口いっぱいのスチールサッシが片引きに一気に動いたことにもびっくりした。朝の静かな雰囲気もまた神聖さをつくり出している。実際に見ることができてよかった。その後2時間かけて、安藤さんの新作、真駒内滝野霊園頭大仏に行く。付近は高い樹のない丘陵地で墓地が続く。天空を360°見渡すことができる。車で、大仏の頭が飛び出たラベンダーの丘を大きく回遊するように近づく。途中にストーンヘンジやモヤイ像のレプリカがあるのも愛嬌だろう。軸線が明快な建築だが、外からその強烈性は判らない。しかし内部体験はコンクリートだけの原始的なものに支配される。シェル構造のため、梁がないのも特徴である。この効果は大きい。安藤さんはその上の屋根もなくしていた。13.5mの大仏の頭が空に飛び出している。これによって、建築の構築性が消えていた。その強さがぼくにもほしいと思った。NIKEプロジェクトではそこまでなかなか至らなかった。岡本太郎が太陽の塔でお祭り広場の屋根を突き抜けていたことを思い出す。その後、石山公園へ行く。車で30分ほどである。採石場跡地の公園である。大仏やモヤイ像、頭大仏のアプローチもこの石でできている。伊豆石に似て、柔らかく緑色した石である。次に、古市先生の六花亭本店へ行く。レストラン併設の店舗で、建築家の思いが込められた建築である。古市先生らしい。回転式ルーバーで囲まれ、それを閉じることで店舗がコンサートホールに転用する。密度ある建築である。夕方から院生による研究中間発表。今年の院生の研究は、歴史的位置づけができている。このことに感心する。名著といわれるmのをまず読み、そこから参考本を芋づる式に当たり、それを整理していた。ぼくにとっても、新しい解釈を気づかせてくれた点もあった。今後、具体的な敷地でかたちにすることに期待しよう。

9月6日(火)
午後、北海道入り。飛行機の中で「公共性」齋藤純著を読む。ずいぶん前に読みはじめていたのだが、教科書のように思えたため、なかなか進めることができないでいた。前半は、公共の理念をアーレント、ハーバナス、カントを引き合いに定義する。やはり現代の問題とリンクすることができない。1時間半の飛行の後、車を借りて占冠村の民宿へ。道東道は1車線でほぼ直線。山々をトンネルで貫く。1時間あまりで、学生より早く到着。明朝トマムの水の教会を訪れるためである。夕食後、4年生の研究の中間発表。総じて状況分析のみで計画の具体性がみられない。計画を自ら決定してから、それを成立させるため条件探しをすることも必要だ。設計とはこの繰り返しである。下から積み上げることによってかたちだできることは、後で振り返って見たときの都合のよい説明であって、現実はもっと複雑怪奇である。決定と仮説の繰り返しがもっと必要だ。

9月5日(月)
夜、江尻さんと構造の打ち合わせ。基本的な方針を決定する。それに従いこの3日間でプランの再整理することにする。

9月4日(日)
クライアントを訪れ、見積もりに従って実行する工事内容について話合う。描いていた夢が縮小せざるを得なくなるので、ぼくにとってもつらい仕事である。その後、クライアントのお宅を訪ねる途中にあるお宅を訪問。父の友人の家でないかと、いつも気になっていた。何十年も前の記憶なので不確かであったのだが、確証はあった。思い切ってドアフォンを鳴らす。記憶が正しかった。快く迎えてくれ、20分ばかりお話しをする。お元気な様子で、父の近況も報告。高校時代好きなことばかりやっているぼくを父に代わりしかってくれた人である。

9月3日(土)
NHK BSで「ペントハウス」ブレット・ラトナー監督を観る。ベン・スティラー主演。エディ・マフィー製作、主演であるのだが、彼らしさが潜んでいて、少し残念であった。金曜の夜に観るのはシリアスで重いものに限る。昨日提出された見積の検討を加え、概要をクライアントに報告。明日、正式に詳細を報告することにする。コンペ案の構造を再検討。空間構成をより明確にする。その後、空間構成と外装のアイデアの矛盾を検討。それらは別々に思いついたものであった。ただし案が収束しない方向に今回は心がける。案の定、空間構成のルールが弱まる。思いとどまり、いったん模型で検討することにする。

9月2日(金)
大学院の入試面接のため大学行き。その後、研究室の学生に北海道の台風被害について調べることを指示。来週の北海道研修が可能かどうかを確かめるためである。宿泊所と訪問先に連絡させる。どうやら可能なようである。訪問先のトマムは大丈夫であるが、その先の清水町と北の南富良野は大被害をうけている。GAJAPAN 142で、今回のベネチアビエンナーレについて否定的な見解が記されている。ぼくもJIA MAGAZINEでレポートをしたので、この座談会を注意深く読んだ。その見解の大筋は、展示内容が社会問題の現状報告であり、打開策が見出せないものであるということであったと思う。日本館に限らず、画一的な傾向の提示は、来館者のお腹をいっぱいにするだけだという。ぼくもそれに同感する。しかし、それを前向きに評価したい。それは、世界共通の画一的傾向を示すことなど未だかつてなかったのではないか?と考えたことからはじまる。それは、建築ものつくりが袋小路にはまっているといわれて久しいが、本当に追い込まれた証だろう。だからこそ、そこからの脱却を考えた思索をいくつも垣間見ることができた。それは、まだかたちになっていないが、投企的で唯物論的な試みであった。それを魅力的に感じた。莫大な情報量に基づいた新しい語彙と論理、形式を超えるものとしての素材、そして思想である。全ては現市場経済主義に対するノーであり、投機的ではあるが、多くの建築家が模索している。このことを前向きに評価したいとぼくは思った。

9月1日(木)
097 代表W杯2次 日本×UAE
本田の先制点でゲームを支配するはずが、1-2で初戦を落とす。初戦を落とし、W杯を決めた国はこれまでないそうだ。それだけ重要なゲームであり、それを感じる選手の動きも硬かった。それ以上にFWとDF共にフィジカル状態が悪かった。週末の試合を終えて12時間のフライト、しかも連携確認ができない状況ではしかたがないのかもしれない。オリンピック選手が直前にリオ入りして試合に臨むのはその点で信じられないことである。しかし序盤の日本に関しては十分機能していた。だいぶUAEを研究していたのだろう。反対サイドへのクロスを中心に、相手DFラインを揺さぶる。清武フリーキックからの本田のヘディングシュートもそれであった。他にも、本田と香川がスルーしながら中央突破を試みるなど悪くなかった。失点は、どちらも大島と長谷部の中盤底での単純なミスがはじまりのものであった。それをDFが遅れて対応しファウルを犯し、与えたフリーキックが得点となったものだった。審判の判定はどれもおかしいが、どちらもフィジカルの差が招いたものである。リードされてからは、サイドから放り込むかたちとパスで崩す2つの方法で果敢に攻めた。センタリングに正確性がないのと、そもそもターゲットらしき者がいない。ハーフナーのようなキャラクターの異なる選考が必要だ。中央からの攻めでは本田が奮闘するが、反対に攻撃を停滞させていた。ミランが悪い時を見ているようだ。香川が輝かずに、最終ラインに吸収されてしまっている。香川はひとりでは生きないことをここでも露呈する。日本がアジア相手に負けるときの典型で、全てが上手くいかなかったゲームであった。

8月31日(水)
8月後半はひたすら翻訳に時間を費やし、漸く1章を終える。アレグサンダーの思想を再確認することも多い。彼はモノと感情を分離することを徹底的に否定する。それは文章表現も同様である。例えば、以下のような表現である。There is no reason why highly modern, ultra -modern production systems, should not be capable of supporting and providing this intricate kind of adaptation in plans, in structures, in window positions, in doors, in interlacing, mutually co-adapted building volumes, heights, access ways, and gardens. 近代を「適合の提供」を与えないことによって批判し、適合という意味を、窓の位置、アクセス路にまで見出している。つまり、抽象的な表現を、かみ砕いて具体的に言い続ける。これは、抽象的な表現を用いた瞬間に、その内容が判ってしまったかのように錯覚させてしまうことを恐れたものである。その後の重要な思考をストップさせるものと考えている。柄谷のいう括弧付けである。具体的に追究することこそ、遙かに深い思考であることをいっている。近代とは抽象化を推進する運動といってもよいと思うのだが、それの否定がこうした表現方法にも表れている。それは具体的なかたちへの信頼でもある。彼のいうかたちは、文章表現以上に具体性(経験)を含む何かなのだ。最近流行の「場」とは似ているようで遠い。「場」は何もないプレーンなものでなく、具体的なかたちあるもので満ちている。そこで人は強制されないで、自発的に自分の経験と繋げることができるのだ。抽象とは俯瞰的な批評思考で、制作というポジティブな行為からは否定されるべきものなのだ。「Baattle」はこのような文書で構成されている。会話のようで訳しにくいが、上から訳すことに心がける。

8月30日(火)
ミケランジェロ展の図録を見る。1452年から1568年に至る彫刻から壁画、そして建築へと進んでいったミケランジェロの生涯を追うことができる。ぼくらが当然のように考えているのは、構造に従う建築美である。しかしこの歴史は深くないことを実感する。ミケランジェロは、彫刻が建物に付随するように、建築ファサードを考えていた。ラウレンツィアーナ図書館の階段も、アーティキュレーションしていなく一体である。ひとつの塊から削り出したかのようだ。これと現代建築との境はどこにあるかが気になった。ブルネルスキとミケランジェロが生きた時代はちょうど重ならない。パラディオはミケランジェロと同時代であるが直ぐ後である。ウィーンで見たゼンパーのファサードが完成するのは1800年後半、ワーグナーの郵便貯金は1900年になってからである。

8月29日(月)
096 プレミア レスター×スウォンジー
前節でのぼくの危惧に反して、3節にして漸く昨季のレスターに戻る。ヴァーディと岡崎+ウジョアの2トップに、速いマフレズとクロスのオルブライトン。新加入ムサは2列目となり、途中出場。ムサの速さより岡崎のアグレッシブさを優先したかたちである。カンテの穴も新加入アマーティが十分にその役割をこなしている。最後はドタバタとしたが、前半から要所で点を重ね2-1で勝利。岡崎も2度決定的な仕事をする。昨季と違い、安定感を感じる。

8月28日(日)
「ラストサムライ」エドワード・ズウィック監督を観る。トムクルーズ、渡辺謙、真田広幸が出演している。近代化により武士道精神が失われていく明治日本を描いた映画である。僕たちは矛盾に満ちた政治に左右される世界に不自由に生きているので、純粋理論で成立する武士道に憬れる。とはいえ、絶望的な状態にはなくこの現世界に甘んじてもいるので、武士道世界への転覆も同時に望まない。こうした心情がこのストーリーを支持している。最後の戦のシーンで、近代政府軍人皆は渡辺謙ふんする勝元の武士道に感服し敬意のためひざまつく。勝元の割腹自決にたいしてである。これは、自らの内にあった武士道美学に気づくと同時に、その価値が再生することに蓋をする行為である。そうして自分を納得させて再び近代化に加担できるようになる。ある美学を知ることが同時に、その美学を括弧入れする。このことを実感する。反芻すると、こうしたことが身近に多くある。その美学に気づかなければ括弧に入れたままであるが、気づきながら括弧入れしないこともまた難しい。
095 セリエA ナポリ×ミラン
0-2からミランは2-2にするも2-4で負ける。最後は、クツカとニアンが退場しドタバタであった。攻撃のテンポは昨年より早くボールが動く。問題は守備であろう。フォーメーションが崩され、立て直すことができなくならないようにマークをタイトにする必要がある。あるいはボランチをもうひとり増やし、バックアップを用意する必要がある。

8月27日(土)
有岡さんが来所。大学のイヤーブックの打ち合わせ。予算執行による発行時期の問題、来年度は予算の確保見込みが不確定なことをお話しし、概略方針を検討する。それを次回の意匠会議に挙げることとする。午後、汐留のミケランジェロ展へ行く。
094 ブンデス ドルトムント×マインツ
ブンデスが開幕する。香川は先発フル出場。武藤は途中出場であったが、ロスタイムに得点をする。ドルトムントはこの2週間、あまり修正されていなく、サイドのデンベレとシュールレのドリブル突破頼みであった。デンベレは速いが、パスの正確さが低く、単発な攻撃で終わる。中央では香川を基点に攻撃を組み立てようとし、縦パスを幾度も試みるも、上手くいかない。救いはフンメルスの後釜DFバルトラが香川の動きを意識していることだ。

8月26日(金)
深夜BSで「アウトブレイク」(爆発的な感染)ウォルフガング・ペーターゼン監督を観る。新種のウィルスがアメリカを襲うパニック映画。軍医であり感染症専門家に扮するダスティンホフマンが、軍部(上層部)とも戦いこの危機からアメリカを救う。このウィルスは軍部がベトナム戦争時代既にベトナムで発見していたもので、細菌兵器として偶然に開発していた。その事実隠蔽のため軍部はひとつの街全部を壊滅させることも辞さない。それとの戦いである。ウィルスをアメリカに持ち込んだことになる野生のサル、これを宿主というが、血清というものは宿主から製造できることを知る。ヘリコプターのアクション、あるいはダスティンホフマンの別れた妻との絆といったっものが盛り込まれ、人間の正義感がこの映画のテーマとなる。しかし反対にアウトブレイクの不気味さがいまいち弱まる。それはキャストにも現れ、アクションシーンにダスティンホフマンは似つかわしくない。

8月24日(水)
093 セリエA ミラン×トリノ
セリエAが開幕する。ミランはモンテッラ監督となった以外、中国企業に売却されるも、登録選手に関して今のところ大きな変化がない。4-3-3で、本田のところにスソが新しく入った。左前にはニアンが先発復帰する。奇しくも相手は前監督のミハイロビッチ。ニアンの事故による欠場から昨季ミランは調子を落とし、ミハイロビッチを更迭まで追い込んだ。そのニアンが自由に動き回り、サイドに開くと中央のスペースを2列目の選手が自由に使う。こうして昨季のように得点を重ねることができた。バッカの3点である。しかし後半から、ニアンの疲れに合わせて、ゲーム展開が鈍くなった。新加入のスソは本田と全く変わりない。本田はニアンと絡むことで、このポジションを有効に使っていた。それをスソもできていた。一度失ったポジションを本田はどうやってとりもどすのだろうか?昨季までのライバルはそれができていなかった。

8月23日(火)
村野藤吾設計の八ヶ岳美術館(原町民族博物館)へ行く。PC半球が連なるこの建築にいつか訪れたいと考えていた。意外と新しく1980年の竣工である。彫刻展示がメインなため、朝倉氏のアドバイスにより、線による建築でなく、面の建築にしたという説明であった。というより、当時の時代精神かとも思う。1991年竣工の大分竹田の奥の朝倉文夫記念館は、清家清設計でシステマチックな線の建築である。球形は、彫刻配置に合わせたものだ。天井下の布によって、柔らかな人工光をつくっている。森に囲まれているにもかかわらず、面建築のため閉じているのが気になる。内装の(古い)時代性を一層感じてしまった。あまり運営にお金をかけていないことも、そう感じさせる。外部の彫刻も自然植物で覆い隠されていた。奥の企画展示において、アーティスト高橋綾を知る。子どものため遊びデザイン展が行われていた。展示台に微振動を与え、(これまた)半球の磁石を備えたパーツが不思議な動きをする。それはあたかも意志がある動きに見えないこともない。他に、柱を立体的に切り抜き、それが回転すると、一瞬、その切り抜きが文字として浮かび上がる展示など、ソフトな機械仕掛けのものが多い。キネティック・トイというそうである。子ども、手にできる参加、機械仕掛け、を使ったアトラクティブなデザインであった。

8月22日(月)
島崎藤村記念館(馬籠)に行く。1947年の谷口吉郎設計であるが、おそらく門と右側の回廊のみであろう。しかし本陣跡を残し庭園にしたという決定的な仕事をする。尾根下のコンクリートの展示室は誰の設計だろうか? 展示のビデオを見て、偶然にも今日が藤村の命日であったことを知る。馬籠は藤村の生まれ故郷である。馬籠宿本陣の四男として生まれた。しかし幼少期に東京に出る。「夜明け前」の主人公となる父が狂人扱いを受けていたからである。当時はどういう手段で上京したか興味をもつ。調べると1911年には中央本線、1887年に東海道本線が全線開通していた。日本の主要鉄道は明治中頃から後期で完成したことになる。藤村は1872年生まれであったので、日本が変わってく時代と重なって生きた。前出の父は平田篤胤のもとの国学者であった。父はまさに「夜明け前」を生きたのであった。記念館にある藤村の蔵書に、平田篤胤、本居宣長の全書があったことに納得する。その一方藤村は当時の裕福層で流行したキリスト教に興味を持った。当時、小説家には職がなかったこともあり、日本各地の高校等で英語や作文等の教鞭をとった。知っただけでも、東京、仙台、小諸を経てフランスへ移動。第1次大戦で帰国、東京へと戻っていた。それと共に名声はあがっていった。「夜明け前」は晩年の戦前の作品である。国学者である父の、開国とともに彼の理想とかけ離れていく現実(国、家族)を受け入れることができない悲惨な分裂を描いたものと記憶する。数々の映画化、舞台化がされてきた。ただ悲惨な戦争があったという歴史を知っているぼくには支配者でなく敗北者から見た権力志向のように見え、今日言われるPCの一端を思わせなくもなかった。美的に処理されているとでもいうべきか。それでこの作品を受け入れることが難しかった。今度再び読んでみよう。

8月21日(日)
10年ふりくらい妻籠宿、馬籠宿へ行く。その時より観光客は少ない印象をもつ。馬籠に関しては、2度の大火のためほとんどの建物が戦後の建て替えということが判る。昭和20年時の写真をみると、バラックのような木造が並び、宿場街とはいえない状況であった。重要伝統的建造物群保存地区に指定されていない理由である。しかし街並みが尾根つたいにあるのが面白い。現在の車等の住民のための生活動線は尾根からの崖下の道路であり、そのため、旧道が残った。その狭さがよい。ただし、昭和20年の写真をみると、斜路でなく階段で、石畳は階段のところのみであった。それに比べて妻籠宿は道幅広く、本陣、脇本陣ともに大きく、当時から大きな宿場町であったことが推測できる。現在では資料館も用意されている。中山道は基本的に南北に走るため、建物は西向きと東向きになる。この時期西棟は日が差し込み暑い。脇本陣が特別公開のため見学する。南に高窓があり、囲炉裏から登る煙が陽光に反射して美しい。妻籠宿も崖下に現在の県道が走る。昼に寝覚の床の越前屋で蕎麦。日本で2番目に古い食堂(蕎屋)という。1624年創業である。島崎藤村、十返舎一九にも登場する。木曾街道膝栗毛も書いていたことを知る。

8月20日(土)
093 プレミア レスター×アーセナル
この第2戦から岡崎が先発復帰。移籍したカンテ以外、昨年のメンバーとなる。したがって、昨年同様の試合展開となる。前線からの厳しいプレッシング、中盤でボールの奪取という前半。岡崎がかわる70分過ぎからは、相手猛攻にDFが耐え、奪ったボールを空いたスペースへ展開し、ヴァーディとマフレスによる速攻。こうしたパタンである。この間奇跡的にヴァーディがゴールを決めていたことだけが、異なっていた。0-0のドロー。しばらくこうした展開のゲームが続きそうだ。これが好転するか悪い方向に行くかは、数試合の内に奇跡的なゴールが生まれるかどうかに掛かっていて、今季の行方がこれによって決まるのでないかと思う。

8月19日(金)
ヴェネチアのレポートを書き上げ、JIA編集の今村さんに送付する。ふたつのテーマについて書いた。ここ数年で世界が同じテーマを掲げていること。それはグローバル経済がもたらした社会への弊害である。もうひとつは、それに対して建築家が、実務的即物的方法からの脱却を思想という方法で乗り越えようとしている点である。speculative design という言葉をここ何年かで、よく耳にするようになった。

8月18日(木)
大学にてカリキュラム会議。科学的論理と推論で進めるためには、主体性を抜きにしてはありえないと思うのだが、そのことを理解するのは実は難しい。というのは一般には主体性にたいし無自覚であり、論理もひとつの仮説の上のデザインであることに意識的でないのだ。カントをだすまでもなく、人は真×善×美で判断する。裸婦画を見て興奮しないのは、一度善を括弧入れするからであって、善の括弧つけのままで、それを路上で実践すれば犯罪となる。「スパイダーマン」という映画を楽しめるのは、映画館内で真を括弧つけできるからであり、それを外さないでビルから飛び降りたら死ぬ。「火垂るの墓」を楽しむことができないのは、当時者意識によって真を括弧入れできないからである。科学も同様だ。研究途中に善や美を括弧に入れることがあっても、いつかそれを外さないといけない。主体性とは、そうした括弧つけを自由にできることであり、不必要な邪悪なことではなく必須のものである。むしろ主体に無自覚な場合、PC(ポリティカル・コレクトネス)を持ち出すことが多い。真と美を気ままに括弧つけできるから、あるいは善の括弧つけを知らないからである。よい教育を受けた知識層に多いと聞くがそのことに納得する。批判でなくポジティブなものを創ろうとする場合、真であれ、善であれ、美であれ、それ単独で突破できるほど現実は単純でない。設計とはこれを直視することである。

8月17日(水)
子どもと話をしている内に、人は環境に支配されていることに改めて気づく。ジャンプを期待して普通であることと、普通でよしとして留まることに違いがある。程よい環境にいるとその違いは判らないままである。人は生活する環境に支配されるので、より未来を与える環境に身を置く必要がある。

8月16日(火)
ナチュラルスティックll の審査で中目黒へ行く。建築家の川辺直哉氏と構造家の柴田和敬氏に評価をして頂く。川辺さんが興味深い批評をしてくれた。それは、この建築の強度についてである。氏によると、この建築は構造構成が特徴的で、それに強度があるように想像していたが、実際に体験するとそれ程ではなく、生活と馴染んでいる、というものであった。身体に馴染むスケールの小部材による構造がそうした効果をもたらしているのだろう。それに加えて次のような説明も思いついた。開口の位置や大きさ、空間のくびれなどは、構造を操作する上で(偶然に)つくりだされたものであり、そこに直接の建築家の主体を見出すことができない。とはいえ、この開口は効いており、かつこの建築は強い意志があることは明らかである。そうしたアンビバレントさが呼ぶ批評ではないかと考えた。身体的な気持ちよさが、強いモノの存在から遠いところにあるという訳である。おそらく同様な主旨で、この建築の設計の出発点についても質問される。出発点は敷地やクライアントからはじめるべきであるという前提に川辺さんも少し疑問をもっているからだろう。もちろんそうした前提も大切にしているが、それははっきりしない対自的な条件であるので、ぼくの主体(即自)をとりあえず明らかにして、全てとはいえない前提条件を広く拾うことに挑むことからはじめる、という説明をした。小部材で環境に適応する、というぼくが当時考えていたことから出発することである。途中で池辺陽氏のデザインスゴロクを思い出す。多くの建築家がいう出発点とは、デザインスゴロクのAppearance、Function, Material, Enviromentであり、これを盲目的に見ているだけで、実はもっと別の項目、WorkやDistribution,Traditinal, Purpose, Cost などがある。とはいえ、その必要性を皆理解している。実際に見る、実行することが難しいのだ。見るためには、ある強いフレームを自分の中に備える必要がある。そういうものの設定が主体(即自)であるべきだという旨の話をした。世界は科学も含めて必然などない(らしい)。その中で自分なりのストーリーで、あたかも必然性を帯びるように組み立てなければ存在価値が見いだせない。そのストーリー立てによって幸せをもたらすことがデザインにあるとこの頃思う。デザインスゴロクの中央のSが浮かび上がるようにするには、回りを埋める作業が必要となる。

8月15日(月)
092 プレミア アーセナル×リヴァプール
第1節からの好カードを、4-3でリヴァプールがものにする。失点も得点もクロップ時代のドルトの試合を観ているかのようだ。最初の失点は中盤でボールをカットされ速攻を受けたもので、それ以外の前半の時間帯は両者慎重なゲーム運びをしたため退屈であった。ところが後半の2得目と3点目は、プレッシングからサイドを崩し、空いた中央スペースに2列目あるいは3列目の選手がボールを受けて決めた。前線選手が斜めに走り込む形でボールを受けていた。それはリスクを負って攻撃することであり、相手にスペースを与えてしまうため失点となる。これもドルトと同じであった。昨年のファンハールのマンUやモウリーニョは決してこうしたゲーム運びをしない。そこでの連動はセオリーを積み重ねるものであり、クロップの連動は、皆が闘争心を高め、共闘することを意味する。

8月14日(日)
ルノアール展を観に新国立美術館へ行く。オルセーとオランジュリー美術館所蔵のルノアール生涯に渡る約90作品を観ることができる。展覧会テーマはふたつあるように思えた。ひとつは初期の印象派を牽引したルノアール。第2回印象派展(1874)の「陽光のなかの裸婦」と第3回(1876)の「ムーラン・ド・ギャレットの舞踏会」がその代表作である。はっきりとした輪郭がなく、全体に亘る点色が背景と対象を一体にして、伸びやかな透明感のある作品である。これは「スナップショット的」と評された。ふたつ目は、大戦後のスタイルを捨て、「秩序への回帰」を一時であるが先導した晩年のルノアールである。遺作となった「浴女たち」に代表される一連の裸婦画である。ピカソやマティスも同傾向の作品のこの時描いている。この時期裸婦画を描くこと自体異例であった。画商の影響もあるだろうが、大戦後の荒廃と近親者の死や人生の終盤への思いといった画家個人のネガティブな感情が反対に働いたのだろう。透明感でなく官能的な美の追究である。そうするため彼らが行ったのは古典の参照であり、新しい構成を捨て、筆と色使いの技法に終始した。展示では示されていなかったが、彼らの裸婦は、アングルの「トルコ風呂」(1863)や「オダリスク」18614)、あるいはテイツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」(1538)との連続が明らかである。それらは日常的でないポーズで背景も東方趣味であったりする。この後、ピカソは「ゲルニカ」に至る。

8月13日(土)
レジス邸に行き、工務店と打ち合わせ。午後戻る。レスターを観た後、リオの100mとテニスを観る。錦織はマリーに勝てない。ファーストサーブが入らず、セカンドサーブを狙い撃ちされていた。時折よいショットを放つも、強者から流れを引き戻すことはできなかった。今日は為す術がなくあっけなく終わってしまった。
091 プレミア ハル×レスター
プレミアオープニングゲームでレスターが1-2で負ける。前年のチャンピオンが初戦を落とすのは初めてであるという。今季加入のムサが入り、岡崎は先発を外れる。出場は65分過ぎからであった。岡崎のプレッシングが効き、流れを変えることに成功はしたが得点は奪えず。岡崎も2発のシュートを放ったがその後、FWウジョアも投入されスペースがなくなる。2年ぶりに1部復帰を果たしたチームにドタバタするとはレスターの先行きは暗い。相手の速攻を封じ、安定をもたらしたカンテの存在が大きかった。

8月12日(金)
「テクトニック・カルチャー」再読しているなかで、ゼンパーの弟子カール・ハゼナウアーのウィーン美術学校の後任がワグナーであることを知る。ゼンパー「建築芸術の四要素」(1851)による皮膜理論が、美術史美術館(1891)を経て郵便貯金局(1906)に至り、近代建築として完成した。石による装飾から花崗岩と大理石の薄板アルミリリベット固定へと行き着いたのだ。ゼンパーが美術史美術館のファサードをデザインし、カール・ハゼナウアーが内部設計をゼンパーから引き継いだ。ゼンパーは革命に参加したが失敗し一度ウィーンを追われた。美術史美術館は再び帰国してからの最晩年の作であった。そのため内部をカール・ハゼナウアーに引き継がせる必要があったそうだ。ゼンパーのブルク劇場(1888)、ウィーンではないがバイロイト祝祭劇場(1876)は、もちろん1848年の革命後、1860年以降の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が城壁を壊した後のものである。城壁は中世自治都市の象徴である。その崩壊は政治的には中世が終わったということ、加えて街中心部に人が自由に出入りできるようになったことを意味する。美術館は一般に、皇室の収集品を市民に見せるために計画されたものであると考えると、市民のための建築がこのとき出現したことになる。今日プロセニアム劇場の原型とされる上述のものもこのとき生まれた。この理由も知りたいと思った。アクアマリンふくしまの館長によると、水族館の第1号がナポリでできたのも1874年のこの時である。パクストンのクリスタルパレスはその前の1851年である。音楽ホールの原型とされるムジークフェラインも1870年完成である。この時期、市民革命と国家や地域の統制が交互に起こる。そうした背景のもとに数々のビルディングタイプの原型がつくられていった。結構(テクトニック)という言葉もこの少し前に生まれている。

8月11日(木)
サイ・トゥオンブリーの写真を観るため佐倉の川村記念美術館へ行く。その写真は、対象がクローズアップされ、光に満ち、輪郭がはっきりしていない。対象が何であるか分からないものすらある。サイ・トゥオンブリーのドローイングを「盲目性」という。今日観た写真と同様にテーマと対象が何かが分からない。目の支配から逃れ、手のおもむくままに描いた。コンセプトを捨て、手と鉛筆と紙の接触の一期一会を究極する試みである。それとの共通を感じることができた。解説から、ポラロイド写真を特殊な複写機で色等を調整する方法をとっていたことを知る。これは、ドローイングにおける手という身体性が印刷機という機械に置き換わったものであるが、どちらも制作プロセスに全てを賭けたものである。それと今回やっと、ナウム・ガボの彫刻を観ることができた。アクリルを使用した線材彫刻である。思ったよりガイドとなるフレームの存在が気になる。線材の幾何学に比べて幾何学の恣意性が目立った。夕方、民宿から電話が入る。どうやら予約日を間違えたらしい。お盆のこの時期に チェックインしないので連絡が入った。

8月10日(水)
レム・コールハースを出すまでもなく、建築全般はいつのまにか空調設備ありきの組み立てになった。しかしこのことに意識的であるものは少ない。「建築」の評価軸のひとつに批評性がある。建築家が外とつながった「建築」を目指すのはこれによる。空調ありきの前提を外したところでの構築性が評価される。先日見学した水族館はその典型である。ガラス張りのホールが水槽本体を覆っていた。住宅も然りである。逆にいうとこのパラダイムを外すことができないビルディングタイプ、すなわちオフィスやショッピングモールは「建築」となりにくい。ただしその前提が意識的にならざるを得ないビッグネスなものは除かれる。日本では建築学は工学に属する。そのため美学と工学の一体度が高く、工学の存在を括弧つけする評価が外国に比べて大きいのでないか?かつてガラス張りの建築が多い理由でもある。
090 プレシーズンマッチ ドルトムント×ビルバオ
ビルバオの前戦からのプレッシャーにビルトアップが全くできずに為す術なく負ける。今日は、香川とゲッツエ、シュ-ルレ、右にプルシッチ、そして1ボランチにヴァイグルが先発で並ぶ。ギュンドアンがいなかった昨季前半、香川は下がり気味にこのフォーメーションでの役割を果たしていたと思うのだが、今日はさっぱりであった。トゥヘルも新戦力模索のためとはいえ策におぼれているのでないか?ある程度昨季のメンバー中心にゲームプランを固めてから動かす必要がある。

8月9日(火)
夕方建築学会の設計方法論小委員会に参加。Society5.0が話題になる。ドイツが推奨するIndustry4.0へ対抗し、インターネット、AI人工知能、ロボット技術を高度にくみあわせた日本が目指す社会、経済変革のことをいう。社会競争に遅れをとることが国益にとって致命傷になるため、新しい価値創出の先導が目的である。モノからコトへ、あるいはスマート社会といった人間性を前面に押し出したキャッチフレーズがそこにある。しかしそのために皆が競争をしなければならない構造は今までと変わらない。むしろそれを早めるようなものである。これを前向きにいうとTransformative reserchというそうだ。潜在的科学技術の戦略的方策というものだ。会議で山口純さんが、フレームワークから逃れるデザイン思考について話をする。ハーバート・サイモンからD・Hショーン、H・リッテルにつながる技術的問題解決方法の歴史的展開を示し、問題解決から対話、探究といったデザインの流れを示してくれた。最後の探究に当たるのがパースのアブダクションであるという。ぼくなりにこれを大きく捉えると、即自と対自の問題になるかと思う。そにふたつを結ぶ線のどこに焦点をあてるかが時代と共に変化してきた。最近知った相関主義を超えようとするSpeculative RealismやObject Oriiented Ontology などは、即自側に拘ろうとしている。勉強になったこともあった。デザイン分野でこうした考えをはじめて用いたのは、「意味論的転回」を著したクリッペンドルフであるという。クリッペンドルフはデザイナー側からデザインすることの意味を問いた人だ。社会学者ではブラーノ・ラトゥールのアクター・ネットワーク理論がこれにあたる。社会と自然という二元論を否定した人である。これらの整理ができた。反対の対自側に立つことを建築分野ではじめて行ったのが、都市計画家のパトリック・ゲデスであることも知る。ゲデスも19世紀の終わりに保存問題からはじめた都市計画家であり、時代背景が妙に現在と重なり合う。

8月8日(月)
089 オリンピック 日本×コロンビア
0-2から日本が追いつく。今季からアーセナルへ行く浅野の力強いスピードによって、コロンビアを慌てさせた。中味が濃く見応えがある試合であった。しかしDF陣の経験のなさが今日も露呈する。この問題は体格面から来るものであるが、海外へ進出しそうした連中との日常的な戦いに馴れるしか解決がないように思える。海外で活躍しているDFのセンターラインは吉田と川島しかいない。

8月7日(日)
オリンピックが本格的に始まる。盛り上がりに欠けていたように思えたが、柔道、水泳と日本得意の種目が続き、ぼくも観るようになる。12時間の時差で、夜と朝に競技が行われるのもよい。開幕セレモニーを全部観たわけではないが、映像をフル活用した立体的的なものであった。天井に拘っていた新国立競技場問題を思い出す。テーマのひとつが多様性である。ブラジルは移民で支えられている。その中に日本人も位置づけられ、原爆投下同時刻に合わせたというパフォーマンスに感動する。アマゾン川流域の乱開発も最大問題である。選手が種を植え50年後100年後の生態系復活を目指すパフォーマンスが、選手入場時からの次なるテーマであった。

8月6日(土)
NHKスペシャル「決断なき原爆投下 米大統領71年目の真実」を観る。新しく発見された資料をもとに、原爆投下に関してトルーマン大統領の文民統制が効いていなかったという内容であった。終戦間際に前大統領突然死のため大統領を引き継いだ副大統領トルーマンは一貫して原爆投下に弱腰であり、軍部が投下を押し切り実行したというものであった。トルーマンの「戦争を早期解決し、これ以上犠牲者を増やさない」という原爆投下の説明は当初の原稿になく、トルーマンが現場で追加したものであるそうだ。大統領は、文民統制が効かなかった事実によって、戦争の大義と正義までも失うことを最も恐れた。広島と長崎での原爆威力の事実を隠し、その1週間後に終戦させた。これによって勝てば官軍で、世論支持を取り付けることができた。大統領の責任のなさ、軍部の強行を責めることもできるが、腑に落ちないものが残る。
088 プレシーズンマッチ ドルトムント×サンダーランド
ドルトムントがオーストリアでモイーズを迎え撃つ。香川は先発出場。前半は全く輝かない。香川はやはり活かされて活躍する選手であることを痛切に感じる。トップ下香川の左はカストロ、右に新しく加入したデンベレ。中盤底にシャヒンと新加入のローデ。右のデンベレは突破力があるが今のところコンビネーションを目指さない。その右のみの攻撃で香川をはじめ前戦はなりを潜め、DFライン外で回すのみであった。後半から、右のデンベレが下がり、オバメヤンが入ると左で連携が始まる。ただし得点まで行かなかった。69分に総交替。新加入のゲッツェ、シュールレ、モルとヴァイグルなどが入る。ボールがゲッツェに集まり、縦の力強い突破が続く。ゲッツェとシュールレは公私ともに親しいと聞く。香川より上に10番ゲッツェがトゥヘルに写ったに違いない。

8月5日(金)
昼に大手の設計事務所に勤務している大学時代の先輩と食事。近況を話合う。大手志向の学生が増え、設計については大手事務所は狭き門である。その中を潜り抜けてくるのは、プレゼ能力の高い女性が多いという。その反面、図面能力に不安を持っているようだ。それは、プロジェクト獲得のための時間を多く割くからで、設計の時間が限られてしまっている。とくにプレゼ能力のある若い社員は尚更であるという。大手にはアトリエ出身の人も多い。それはアトリエで設計教育を十分に受けているからだという。そういうコースも示唆してくれた。思えば遠藤事務所を出て、大手事務所に再就職するスタッフもいる。始めは契約社員であるが、その能力が買われ直ぐに正社員になる聞く。
087 インターナショナルチェレンジカップ ミラン×チェルシー
本田先発の予想があったが、後半65分から出場となる。全くゲームに参加出来ず。ミラン自体も昨年と全く変わっていなかった。どうなるのだろう?夜に中国投資家にいよいよ売却が決まったニュースが流れる。

8月4日(木)
難波さんの日記からメイヤスー、そして実在論、唯物論が気になる。これらどれも、如何にして相関の外へ出られるかを問題にしている。ぼくらは、カントの相関主義のおかげで、自由に思索し、自由に世界の出来事を関係づけることが可能になった。数々生まれてくる哲学をはじめ、最近のポリティカルコレクトネスなどその最たるものだろう。建築で言えば機能主義も古典的なものとしてそのひとつにあげあられる。日本では3.11以降さかんに、周囲の状況や文脈と応答を重要視するコンテクスチュアリズムが議論されてきた。しかし、一方で発展途上国に資金が流れ込み、砂漠や農地開発するときにコンテクストを読み込むことは、単なる屁理屈でしかないように思える。こうした閉塞状況を乗り越えるための論理模索が背景にあるとぼくなりに理解した。シジェクが言っていたのは、世界に法則や必然などなく、すべてが偶然の出来事の連続なのだから、イデオロギーをつくるしかない、ということであった。ただしそこには自然法則の存在の否定をも含む崇高さが要求されている。調べると、メイヤスー、ハーマン、グラント、フラシエらはこの延長にいることは確からしい。この思想を建築では、東海岸の雑誌「Log」誌で扱っている。それはハーマンのオブジェクト指向存在論をもとにした過剰な建築である。イデオロギーの勝利を逆に利用したかたち優先の建築だ。一方でメイヤスーは、言語でなく、数学のみで形式化しようとしている。ここで言語は人間的であるという意味で否定されている。数学は、法則によるものでなく、ひとつの記述方式と考えられている。それは近頃のビッグデータの問題に関係しているとも言える。膨大な量という情報によって世界を別の視点から捉えようとしていることに近い。ここでポスト相関主義を廻って、形式(プロトコル)の徹底と推論(スペキュラテイブ)の徹底、このふたつの分岐点を目の当たりにする。難波さんは前者の選択である。

8月3日(水)
今村先生、片山先生と、五浦の岡倉天心邸と六角堂へ行く。岡倉天心が芸大を去り、横山大観、下村観山、菱田春草らと日本美術院を立ち上げた場所である。ここで朦朧体の作品化に打ち込んだ。入江となる岩場の上の環境であり、修行するには最適であったことが想像される。山水画に通じる風景である。しかしそこには建物があるだけで、天心にまつわる資料がないのが残念であった。途中、名和さんの住宅に出会う。天心同様少しユニークである。美術館やレストランと勘違いされるためだろうか?玄関先に、設計者とデータ、住宅であるため訪問拒否を印字したプレートがある。茨城県立天心記念五浦美術館は六角堂のさらに奥にある。といってもここも天心らの作品は少ない。内藤廣さんのプレキャストの小屋組が連なる美術館である。担当は田井幹生さんと聞く。プレキャストの大構造は、内藤さんらしく力強い。それと庇構造にももうひとつ小さなスケールでプレキャストを使っている。これも内藤さんらしい。ポストテンションの構成が分かりにくく、構造で苦労したのではないか?と想像する。はり間方向と妻方向両方にポストテンションを用いたチャレンジングに好感持つも、構造もさることながら構成的にも無理を感じたからだ。キンベルも桁行方向のみで、構成は明快だ。天井の流れから、空間はトラスの先の妻面が抜けて外部に続くべきであり、桁方向の開口はぐっと押さえるべきであると思う。配置の根拠を知りたいと思った。事務所に戻り、プレキャストの配筋資料を探すも見つからず。それについて確認ができなかった。

8月2日(火)
教員旅行で小名浜のアクアマリンふくしまへ行く。この建築を今年から赴任をした若山先生が日本設計時代に担当した。若山先生は入社時のコンペから、3.11以降の再オープンまで、この建築の設備設計に関わってきたという。そのレクチャーが行われた。3.11で海面から3mのレベルにある1階の設備は津波によってすべてが失われた。そのため肺呼吸可能な古代魚やは虫類をのぞいた全魚が失われてしまったという。それは悲しむことであるが、構造上の問題がなかったとはいえ、福島原発から20〜30キロ地点にあり、当時仮設住宅すらおぼつかなかった3か月後に仮オープンにたどりついた、その早さに驚く。これについて質問をすると、館長である安倍氏のリーダーシップをあげてくれた。氏が3か月という目標を掲げ、それを皆が実行した。要するに社会状況など関係なく、実行力なのだ。その後、皆で館内を観て回る。この水族館は水槽をはじめ、あらゆる生態系をガラスで包んだ温室であることが分かる。アクリルで囲まれた水槽がメインであるが、時折、ガラスに囲われた日常自然空間に出くわす。これがコンセプトであった。そこにはドットポイントによるガラス支持が多く使われている。ぼくらは「コネクション」(鹿島出版会)の翻訳を通して、西欧で一般化されていったその技術経緯を学んでいたのだが、日本では2000年当時その技術は出始めであったと記憶する。それに比べてガラス皮膜の内側のコンクリート駆体部分が従来の柱梁構造で刺激的でない。これは残念であった。その後の懇談会で安倍館長と話す機会を得た。淺石さんの「温室」というコンセプトにはじめにこころ打たれたという。館長は、子どもたちの教育のために、生態系つくりを目指していた。そのひとつに水族館がある。境界の曖昧なガラス建築はそのコンセプトにベストな解答であったのだ。それを証明するように、現在水族館は、縄文の森や人工渚などに覆われている。温室はそれに加えて、藻などにより清掃が欠かせなくなる欠点もあるが、自然光による展示の素晴らしさをもたらす。その効果を狙った点もあったようだ。コンペ前の淺石さんの多摩動物園の昆虫館を観て触発されたらしい。安倍館長は、その前に葛西の水族館に在籍していた。ここでもコンペ時から10年間たずさわってきたという。その葛西は従来の水族館であるという。公園との連続性がないからである。その構成は設備のメンテナンスにも問題を残した。更新が難しいらしい。したがって今後別の用途変換が都のほうでも考えているという。この水族館には、アトラクション、ショーというものがないのも面白い。もはやエンターテイメントは飽和状態にあり、一昔前の小さな水槽での学術的な展示に今後水族館がむかうことを安倍氏は教示してくれた。その代わり、金魚や盆栽と言ったいわゆる人工自然も展示されているのもこの館の特徴的である。これはひとつのアイロニーだろうと思う。運営者側から意見はいつも刺激的である。

7月31日(日)
錦織がワウリンカを破ったというニュースを見る。決勝は月曜の朝方になるだろうから、観ることができない。屋根を空けて高速道路運転中、トンネルを抜けた瞬間にゲリラ豪雨に出会う。前も見えないほど雨が入り込み、危険な状態となる。都知事選で小池百合子が圧勝。世論調査通りとはいえ、ぼくには意外であった。

7月30日(土)
布の構成について考える。これはアレグサンダーが絨毯の研究をしていたことと重なる。アレグサンダーは縦横糸を組み合わせることによって美しい絨毯ができることを、生産の方法から焦点をあてた。このことを思い出したからである。布も糸から作られる。糸を縦横に組み合わせて織る。そのために布のことを織物ともいう。この工程が面白いのは、工程から完成が全く想像できない点にある。この作業をするための機械を機(はた)といい、これを使って布を作るのを機織りという。布は平らで長方形である。そのままでは使用目的は制限される。たとえば衣服にするにはそのまま巻き付けても良いが、切り離してつなぎ合わせて、立体にする。糸を使って布同士をつなぎ合わせ、縫う(裁縫)という作業が必要となる。これでひとつの製品となる。糸をよることからはじまり次第に立体化されモノになっていく様がわかる。建築との共通点を見出す。

7月29日(金)
午後から、来年度に向けてのカリキュラム会議。意匠系教員は緩い提案をし、それは他分野の教員のアイデアを期待したものであるのだが、反対にその曖昧さを指摘される。会議に向かう決定的な差を感じた。夜に「家族ゲーム」森田義光監督をBSで観る。高校時代に池袋の文芸座で観たことを思い出す。衝撃的であったので、台詞の多くを覚えている。もちろんその後も幾度か観ているのであるが。当時はシュールな台詞やカット回しに何かを期待し、映画の意味するところが判らなかった。だからぼくも主人公の長男のような高校生活を送ってしまった。俗に言う社会の波に飲み込まれてしまったことになる。というより当時者はその世界を俯瞰することができないのだ。この映画で展開するシュールな世界は、その構図を判りにくくしていると同時に批判的に表現したものである。

7月28日(木)
明日の大学院授業の整理。デザインスゴロクの中央が「大文字の建築」に該当するのではないか?ということを話すことにする。その上で、建築をつくる主体性の問題について投げかけてみよう。池辺陽氏と篠原一男氏とのアートとデザイン論争を思い出し、難波さんの池辺論を再読する。一見すると池辺氏の技術論と篠原氏の芸術論は主体をめぐり対立しているかのように見えるが、主体性の良し悪しについては、時代の影響を大きく受ける。したがってその議論に意味がないことを難波は指摘している。池辺氏は高度経済成長期における建築家の姿勢を、篠原氏は資本主義に取り込まれる建築家の進む方法として、それぞれの論を展開している。逆に言うと両者とも主体性があり、それを主体側からみた発言か、社会から見た発言かの違いである。このように時代≒「大文字の建築」の存在は大きく、かつそれらは定義することできないが、デザインスゴロクの周囲を埋めることによってできる中央の欠落から全体像が浮かび上がる。これが「大文字」なのだろうと近頃考えている。

7月27日(水)
3年生建築設計1の講評会に、K&Hの堀場弘氏、森美術館の前田尚武氏、今年のJIA新人賞受賞の河内一泰氏を迎える。今年からイヤーブックをつくることになったので、エディターの有岡三恵さんにも参加してもらった。前田さんからは運営側からの面白い指摘を頂いた。近代建築は壁と床であるのはいうまでもないが、現代美術にとって大事なのは天井であるという。映像アートに代表されるように、それは室全体での表現となる。あるいは多様な作品にたいして照明を適切に当てる必要もある。これらは皆天井に関わる問題である。最近のアート界の傾向として、レファレンスアートというものが増え始めているという指摘も面白い。アーティストが社会にたいする指摘を実行することは難しいが、その調査自体を社会に投げかけることを意図したアートであるという。そうした傾向の作品が今回の講評会でも2つあった。そうした作品は、現実的な問題についてを指摘されるところを、その一歩手前のリファレンスという批判的姿勢で臨むのもひとつの方法でないか?と思った。小学校の課題から、倉斗先生も加わる。通常のI型配置校舎に対し、囲い込み型配置による外周開放の可能性を示してくれた。通常の学校機能と解放型教室との間に道を通せば、昼夜反転する使い方が可能となる。この指摘が面白かった。学校敷地も夜に活用が可能になるからだ。その後4点のCリーグ出展作品も決定する。河内さんのかたちに意味を持たせようとする姿勢に好感をもつ。そうした姿勢をどの段階で身に付けたかについて興味をもった。彼も難波事務所出身である。事務所では絶えず形式化することが要求され、形式化後にその経緯を改めて考えさせられることが多かった。そういう人は少ないと思ったからである。彼は大学時代に、他の芸術分野の作家の作品に向かう態度からそれを学んだという。建築とは異なり与条件が少ない他分野芸術では、モノに対する責任が建築より求められるという。講評会中に前田さんにレクチャーをお願いしたところ快諾頂いたので、来年から1コマの講義を入れることにする。

7月25日(月)
2年生の講評会の後、先生達と懇談会。来年度から新しい科目となる。懇談会では指導方針について話題に上がる。新しい試みも卒業設計の講評会等で試みることとする。ビデオを使った今日の講評会もよかった。会場は新しくできた銀座の東急プラザ。天井高があり空間に余裕がある。斜線をクリアするためにできた3層分もあろう外壁がセットバックした6階の空間はカフェテリアで贅沢な使い方であった。全体を黒調で統一しているのが現代風なのだろう。屋上も2層分はあろうグリーンウォールに囲まれていて、開口から銀座を一望できる。

7月24日(日)
東京都美術館のポンピドゥーセンター展へ行く。20世紀初めから77年のポンピドゥー開館までのフランスアートの紹介である。各年1作品を、作家の言葉と共に紹介する。マティス、ピカソ、デュシャン、ブラック等を観る。特にデュシャンの「自転車の車輪」はこの中でも異色である。「芸術家は1人で創造するわけではない。鑑賞者は作品における深い本質を解読し、解釈することで芸術作品と接触する。それにより創造の過程に鑑賞者自身が関わるのである。」1913年の作品である。この作品で近代構成絵画が完成した。1922年のコルビュジエに続き、23年にはフレシネが挙げられていたのに驚く。オルリー飛行船格納庫のエンジニアである。コルビビジュエも「建築をめざして」で、ノートルダム寺院と比較したもので、薄肉コンクリート折版による放物線ヴォールトである。フレシネの「引き受けた仕事に対して勇気、誠実さ、愛情、尊敬をもつことができるのは、エンジニアにとって、知性よりも価値ある素質である。知性は秩序に基づき道徳的判断を行う道具に過ぎないからだ」言葉に心打たれる。技術より道徳が重んじられている。芸術の国フランスの懐の深いところである。ぼくのエリップスが特にフランスで評価されるのも同様だろう。技術のあるところ道徳があり、それが美的でなければならない。45年は何もないのは無言の批判である。戦後は、アヴェドン、マルケル、ジル・キャロンらの写真がアートに加わる。最近は9つめのアートとしてマンガがそれに加わった。会場構成は田根剛氏。作品とポートレートの組み合わせは秀逸であるが、少しそれが大きいため会場が窮屈に思えた。このことを少し残念に思う。

7月23日(土)
最新号の「カサベラ」が届く。はじめにヴェネチアのミゼリコルディア大信徒会のリノベーションが紹介されている。16世紀サンソヴィーノの作品で、ヴェネチアで最も美しい建築であったという。カナルグランデの向こう側にはいけなかったことを少し悔やむ。ミラノトリエンアーレのレポートを読み、ヴェネチアのレポートを書き始める。国際的な建築展覧会の位置づけが変わってきている予感がする。その典型例がここ2回のヴェネチアでないだろうか?これまで世界を全体的に網羅するテーマなどなかった。グローバルな世界となり、そのため同じ問題に世界中が直面している。このことを考えつく。

7月22日(金)
午前中、年金事務所へ行く。未だに年金システムがよく判らないので、いわれるままの申請となる。午後、事務所と大学の雑用。コンペの整理もする。

7月21日(木)
「空間の現象学」を再読。場所の建築的方向性がこの当時には明らかにされていない。場所を、経済優先の(ユニバーサルな、あるいは商業主義的)空間と異なり直接経験に根差した生きられた世界のものとし、地域や景観、環境との関わりの現象学として示す。主体性の位置づけを建築家から大衆に移し、モノでなく経験に移すことが試みられている。方向性が明らかでないというのは、そのときの専門家たる建築家の存在価値が薄れ、建築家はかたちの操作に特化した芸術家になるしかないのだろうか?という疑問である。柄谷はこれにたいする建築家の前向きな姿勢として空間の美術館化をあげる。美術館の収集品はコンテクストや歴史と切り離される没場所性を前提に、歴史的証拠として存在する。そこを人は訪れて感動するが、それは一種の郷愁みたいなもので、生きられた世界のものではない。

7月20日(水)
ゼミにてこれまでの成果をまとめた4年生の研究発表。ひとりが「空間の現象学」エドワード・レルフ著を挙げる。今では身体的な延長として場所を定義することが普通になった。この本はそうした考えが一般的になる前の、歴史的社会的位置づけからそのことを定義しようとしていたものである。当時のレルフのように俯瞰的視点を学生が試みていることに好感をもつ。次にこうした場所がいくつも存在する集合の方法へ拡げることをアドバイスする。

7月19日(火)
柄谷行人「歴史と反復」に含まれている「仏教と近代日本」を再読。鎌倉仏教から西田幾多郎「近代の超克」まで至る日本のロマン主義といわれる人の態度についての記述である。杉田さんとの話がここまで柄谷とシンクロしているのが不思議である。正統な西欧近代主義にたいする(日本人として)態度の模索がそうさせているのだろうか。鎌倉仏教の画期性は仏教の「日本化」にあった。今日のように仏教が世俗的なものとして考えられるようになったのは江戸時代以降で、それ以前の仏教思想はラディカルなものであった。それは、一向宗に信長が手を焼いていたこと、堺(浄土真宗)や法華宗の京都が自治都市であったことからもわかる。つまり仏教にも超越思想があり、時の権力者と対立するものであった。したがって鎌倉仏教が今日のかたちをとるのは、実は徳川政策と関わっていて、対自的なものであった。浄土真宗・浄土宗は習俗・制度のみ開放され「超越の禁止」道具として無力化されたので、民衆に根付くことができたのである。それはコジェーヴが「スノビズム」と呼んだものでもある。それに対し思想的で超越性として残ったのが禅であった。禅は武士階級に残った。西田哲学「近代の超克」はこの禅が基本である。しかも西欧近代思想に位置づけられるのは、核心思想のであった無あるいは空が美学(ロマン主義)的な想像物という点でカントの物自体に近いからである。モノの見方が対象にあるのではなく主体にあることをどちらも基本としている。簡単にはいえないが、日本伝統と西欧近代との融合をこの点において試みられた。「近代の超克」がロマン主義といわれる由縁である。しかし皮肉にも戦争を肯定する政治道具として取り込まれる。それは近代の超克思想が、現実の政治の力を括弧付したままで、それを外していなかったからである。逆に取り込まれてしまうほど現実は強いのである。ロマン主義の限界を目の当たりにする。

7月18日(月)
ゼミで「S,M,L,XL+」の読書会を行う。「スマートな景観」に気になる記述があった。「デジタル化によってどれだけ多種多様な体験が、個人の領域から責任が問われない領域へ、さらには違法の領域へと移し替えられているかについては、まだほとんど話されていない。」 スマートはこれまでの「抽象化」と異なり、スマートであることがポリティカルコレクトネスであるので強制力をもち、人の体験までも削ぎ落とすことを強要する。東京に関する記述も多い。「二つの新しい東京」では荒木経惟の写す東京を、「ピクセル東京」では、東京の狭小地ブームをポジティブに記述する。最後は「ジャンクスペース」。資本主義、消費社会に取り込まれた結果としての現代社会を象徴するものだ。かつては米文化として味噌汁や麹をつかった料理が、今はグローバルなポテトチップに換わってしまう。こうした「ジャンクフード」に値するジャンクミュージック、ジャンクアイドル、ジャンクスポーツなど定義できるかを話題にする。とはいえコールハースは、伝統的料理に戻ることなくビッグネスというものに挑戦をする。これを偏執狂的批判的構築といってよいのでないか。

7月17日(日)
オープンキャンパスのため大学に行き、AO入試説明会を開く。予想以上の参加者に驚く。というのも6月の説明会の参加者が減少傾向にあったからだ。昼を挟んで2回の会をこなし事務所に戻る。今週の大学院講義の準備。住宅建設状況にたいするデータが古いのでいつか更新しないといけない。今度まとめよう。東京の土地利用もニューヨークの場合と同様、経済とそれを誘導する政治に左右されるのだが、一端それが走り始めると予想外の展開をする。これを錯乱とコールハースはいっている。ぼくの経験したのは狭小地ブームであった。日本の住宅史を追いながら、可能な限りデータでその状況を示そうとした。建築家の手がける住宅は一住宅メーカの手がける戸数と同じくらいであり、十分な購買支持層を掴んでいる。これは「ブルータス」誌が掴んでいる読者層の割合と同じで、波及効果が十分に期待できるものだ。このことをブルータス編集部から学んだ。

7月16日(土)
建築会館にて、齋藤公男先生が主催するサマーセミナーの審査に参加する。多くの構造家や建築家が参加している。このセミナーは一種の構造ワークショップである。こういうワークショップでは弱い素材を弱い形式で使うことが多いが、その臨界点をプレゼできるとよい。頑丈な場合は実験性が足りないと見なされ、壊れてしまうと何をしているか目的が不明のままである。きちんと丁寧につくることが無視されがちであるが、実はそこに評価対象が置かれたりする。

7月15日(金)
「ニューヨーク1997」ジョンカーペンター監督を観る。81年の作品である。16年先を設定したSF作品であるが、今からは20年前となる。何とも奇妙に思えた。ニューヨーク全島が刑務所となり、そこに大統領機が墜落、大統領を救出する映画である。見かけ上現実は荒廃の道をたどっていなく、テクノロジーも適正に進化している。そうした背景の違和感を抜きにしても、個々のシーンの密度とスピード感は現実に遠く及ばないので、今観ると少し退屈でもある。

7月14日(木)
杉田さんとの間で話題にあがったロマン主義について、古典主義からの過渡期に位置づけられるものとして柄谷行人のカント論を思い出す。カントは、対象を真・善・美のそれぞれの領域で語ることを示し、その後のロマン主義者が自由に3つを横断することの前提をつくった。柄谷はいう。「ロマン主義者が過去の工芸品を賛美するのは、それが機械的複製品によって滅ぼされたからである」。つまり芸術は対象に存在するのでなく、それを芸術と見なすかどうかの主体に関わっている。そのとき主体は、あえて対象に属する真と善を「無関心」にする。このことで美的にみることを成立させているのである。これを括弧つけといい、カントがこの過渡期に発明したものであった。ロマン主義者はこの括弧をはずすことを忘れているというのが、柄谷の考えである。建築を新しいコンテクストから説明することとは、現代において善にあたる機能的思考が停止状態にいることの表れでもある。しかしこの括弧が開かれた瞬間に機能的思考として新しく吸収され強化される。違和感がそこにあった。

7月13日(水)
授業でエスキースをしている中で新しい空間形式を発見し、そのアイデアを膨らますことができた。ダイアグラム的であるのだが、説明的でない構成となる。スラブを短冊状に配置するというアイデアは、これまで考えていたのだが、それとは異なり、3層分でこれを解くと面白いことに気づいた。今後試してみよう。今年のレクチャーシリーズ第2回目で、佐々木睦朗氏を迎える。レクチャーでは、氏のこれまでの仕事を歴史的に位置づけてくれた。柱梁構造とシェル構造ふたつの系列をあげ、伊東さんのせんだいと西澤さんの豊島美術館をその延長に位置づけるものであった。そのふたつが重なる仕事はまだないという。思えば、佐々木さんの仕事は鉄とコンクリートによる構成である。決して新しいものに手を出していない。豊島ではそれを自由曲面で行うことに成功している。自由曲面という規則がないことを大文字の建築に位置づけることに成功したのでないか。それは、数学であり、解析という現代技術の使用であり、「リダンタンシ-」という切り口によってである。本当の意味で妹島さん西澤さんとの共同作品であると思った。フリックス・キャンデラに会ったことが佐々木さんのそれからの方向性を大きく変えた事がよく判った。キャンデラとキャンデラが尊敬するガウディはこれまで近代建築の亜流であったのだと思うのだが、彼らの仕事を近代建築の言葉で佐々木さんは翻訳することの可能性に気づいた。それは、近代合理主義の対極にある直感や実験、これにもとづいて経験的に行われてきたことを、再び近代の言葉で押し戻すことであり、現代の解析技術を使用した数学や微細さから見えてくる自然の摂理を用いて表現することでないか?と思った。

7月12日(火)
GA編集部の杉田義一さん来所。古典主義や新古典主義、あるいは教条主義にたいするロマン主義の再評価について話が盛り上がる。古典回帰より、はるかにロマン主義の方が構築的であるというものだ。古典回帰はすでに先人が行っていて、飽和状態の堂々めぐりとなってしまう。海外の名作を見るのはその典型例である。インターネットを駆使すれば、名作のバックグランドなど、はるかに豊かなストーリーを得ることも可能である。例として、ロンシャン教会やユニテの成立条件から、日本における浄土宗勃興などを挙げてくれた。デジタルな現代だからこそ大いなるロマンを構築することができる、その可能性についてである。それはビッグデータテールのことであることに気づく。ビッグデータが凄いのは、これまで見捨てられてきたものまでもキャッチするところにある。時に本質がそこにあることもある。これはリアリズム的な見方である。近代文学を、対象の側に焦点をあてればリアリズム的となり、主体の側に焦点をあてればロマン主義的となる、といった柄谷行人をそこで思い出した。柄谷行人はそこから、主体性の(コンテンツよりも)立ち位置が重要であることをいっていたように思える。杉田さんの考えにたいし少し疑問をもったのは、これらの例が事後的な機能的説明と考えられなくもない点にあった。構築方法がパースペクティブ=機能的=進化論的に感じられた。世界は混沌とした散逸的な関係でひしめき合っている。ジジェクのパララックス・ヴューとは決して交わらないこのことをいう。偶然と思われることすら事後的な説明により納得させられた結果なのである。ロマン主義の構築性について、その点から考えて見よう。

7月11日(月)
NIKEプロジェクトに関連し、林業、あるいは木材産業について整理する。林業にたいする国からのテコ入れは相当前から行われている。それは木材が日本にとって有効な資産であるにもかかわらず置き去りにされてきたからで、その見直しによる。実は輸入材に価格的に立ち向かえる可能性があり、なによりもこのまま放置すれば森が死んでしまうからである。森が死ぬと土砂崩れなどの自然災害を引き起こし、CO2削減にもマイナスである。すべてにおいて資産を減らすことになってしまう。そのため住宅あるいは公共建築への木材使用が奨励されてきた。難波さんや芳賀沼さんらは東日本大震災後に仮設住宅にこの木造をログ材として取り込んできた。スチール仮設住宅より断熱性に優れ、地場産業復興とつながるからである。そしてログ材が解体できることを念頭に、将来的には入居者の故郷への本設にまで展開させようとしている。縦ログ構法の開発は、こうしたサスティナブルな視点にたって行われてきた。ぼくらがそれをコンペで試み続けるのも、そうした視点に加えて木造を廻るこうした社会環境が整いつつあることと、日本の木にたいする関わりが歴史的に完成していて様々なポテンシャルを有しているからである。今回のNIKEプロジェトも同様で、プロジェクト全体の推進力になることを目的としている。その前に行ったアグリケアプロジェクトは、2500平米を超える医療施設であり、縦ログ構法の使用方法を廻って施工との問題調整を行った。それはログ施工に長けている芳賀沼製作のノウハウをフルに活用し、アイデアとしての構法を社会現実化することに重点が置かれた。最近注目の木構法にCLT構法がある。これまでの木造強度を超えた新しい建物を建設可能にするものとして考えられている。そのため製品の合理化が進み、構造材と2次部材とに別れ、他の建築部位や工程との棲み分けが進みそうである。CLTに足りない耐火や断熱性能を安価に加えるのは、それに適した製品が既にある。それはかつてのALCが構造性能から外壁性能に特化されていき、大きな建設産業の中に組み込まれていったことを思い出させる。製品として成立する一方で、素材のもつ大きな可能性が失われてしまう危惧がそこに感じられる。ひとつの社会ピースとしても収斂されてしまうのである。産業や社会にいずれ収斂されるにしても、社会にとっては他への拡がりが残された方がよい。建築家の役割がそこにあると思うのだ。NIKEプロジェクトでは、縦ログの表現方法や敷地とクライアントの要求条件を整理していく過程で、梁をなくした建築とは?という問題に偶然に廻り合った。梁でなく樽における箍のようなものに梁がなった。曲げのない軸力のみの建築となった。ぼくにとってはこれにより何かに収斂される恐怖から解放された気がした。これまでの完成された仕口やジョイントに従うことなく、新しく力学的にあったジョイントを考えられるようになった。それ程大きな力をジョイント通じて流さないでよいからである。それが、パネリードやフォームコネクター、シェアキーの使い方に現れている。これまでの木造常識にたいする考えも捨てることができた。木造にもかかわらずS造のようなジョイント金物にする必要もなくなった。流通材としてのツーバイ材を4枚重ねるだけのリングのようなものも可能になった。それを可能にしているのは日本の木造を成立させてきた産業・技術が成熟しているからである。ぼくらの要求する製品が既に異なった使い方で存在している。幅広のツーバイ材があるなどもその典型だろう。それは強大である。怖くもあった。強大で飲み込まれるほどのポテンシャルを逆に利用できる可能性がある。その下で、技術の拡張を行いたいと考えたのがこのプロジェクトであった。建築家がユートピアを掲げ、リーダーとして牽引する時代が終わったといわれて久しい。一個人の思い描く世界観と現実の世界観が一致することなどない。つまるところ社会を批判的にみるということであるが、それに加えて真面目につくりあげることが可能でそれが必要なのだと思う。

7月10日(日)
上野の森美術館のブータン展へ行く。1階はブータンの生活を紹介し、2階は主に仏教遺産を展示する。千葉工大で製作した大きな住居模型があればと思う。生活といっても、衣と装飾であり、食と住がないのは手落ちだろう。紹介される家族もブータンでかなりの上流の人であるのは仕方ないが、教育をはじめ、もっと日常に肉薄してもよいと思った。大きな仏壇、身近な仏教までであった。素晴らしい寺院の紹介もなかった。

7月09日(土)
昨日からギャラリ間でスミルハン・ラディック展がはじまった。彼の作品集「BESTIARY(寓話集)」を読む。タイトルに惹かれた。アレゴリーとの違いに関心をもった。ベスティアリーとは動物寓意譚と訳され、中世西欧で行われた動物を模して行ったキリスト教示をいうらしい。アレゴリーより宗教性が強く物語性が弱い。例えば象の上に竜が乗り、竜の尾が象の足を縛るような絵が代表的なベスティアリーである。竜は天使を騙る悪魔であり、象は天国に導く伝道師であり、竜の悪魔性を示しているそうだ。ぼくらのよく知るイソップ寓話より絵そのものに重点が置かれている。同様な狙いがスミルハン・ラディックにある。チリも大地震に襲われた。作品集の一発目「NAVE」は、地震後の残骸を興行場にしたものだ。中心にある黄色いテントは決してシンボル的でない。日本のシンボルは富士山と言えるが、富士山は日本の内容を語ることはない。黄色いテントがシンボルでないと思えるのは、この意味と意味されるものが逆転しても何となく意味が通じるところにある。決して説明的理論的なものでない。工学部で行う結構、あるいはモノでなく日常性に重点を置くポイエティーク、これらと完全に異なるスタンスに属する建築であることを感じる。

7月08日(金)
086 EURO 2016 フランス×ドイツ
開始直後を除いて、ドイツがほとんどの時間のゲームを支配する。しかし結果は0-2でドイツが負ける。ノイア-も前半終了間際のPKによる失点が大きかったといっていた。とはいえ、フランスクリーズマンとパイエの2列目の動きが大きい。彼らはジルーがつくったスペースに斜めから切り込んでくる。そこにうまくボールも供給されるのだ。その動きにたいしてドイツDFセンターバックは安定していなかった。フンメルス欠場、ボアティング負傷退場であった。とはいえ、そうしたシーンは数少なかった。開始直後のフランスのプレッシングはアグレッシブであった。ぼくからいわせるとドイツ、あるいはバイエルンに勝つためにはこれしかないと思う戦術である。しかし最終的にはフランスは耐え抜き、数少ない速攻とセットプレーで勝った。勝敗の行方は戦術では計り得ない。

7月07日(木)
81年のSD誌特集アンドレアパラディオを再読。サン ジョルジオ マッジョーレ教会の平面を読む。左右シンメトリーであることはもちろんであるが、放射状に膨れたようなプランである。続けていくつかの論文を読むが、今日的意味を見出すのは難しい。
085 EURO 2016 ポルトガル×ウェールズ
クリスティーナロナウドが活躍し、ポルトガルが決勝進出。どちらの国も完全にDFを崩すまで至らずも、遠目からのシュートで現況を打開する。ベイル然りCR然り、それだけ強いシュートが打てるということである。本田と長友がチャレンジしていることでもある。

7月06日(水)
ゼミにて「S,M,L,XL+」の読書会。コールハースは、時代を俯瞰し、抗力しがたい建築の変わり様をつぶやくように語る。時代潮流はぼくらが無抵抗にならざるを得ないほど大きいからである。今日取り上げた「ジェネリック・シティ」や「ビッグネス」とは、全てを飲み込むブラックホールのようなものだ。これまでの建築家には「物化」という役割が重要視されてきた。それは時代を切り取り、整理仕切り直すポジティブな役割である。こういうと聞こえがよいが、近代化推進運動を留めるともいえる。むしろこれをネガティブにみる。つまりは、儲けようとする欲望を止めないでくれという主張ある。これまでの建築論は全て建築家側からの視点であった。建築の行為は正であり社会は悪というものである。したがって社会をコントロールするという主張である。しかし現実にはそうしたコントロールは不可能であった。ならば建築家側から現実社会をポジティブに表現するにはどうしたらよいか?本書の面白さと新鮮さはここにある。このことを投げかけた。

7月05日(火)
明日の大学院授業の整理。おこがましいが「大文字の建築」の起源から話をすることにする。そのために「アダムの家」を再読。18世紀中頃から建築をいかに捉えてきたかが記述されている。ルネサンス、そしてこの啓蒙時代と、建築を含め世界観が大きく変わった。この時期から様々な切り口として「大文字の建築」が語られるようになったのだが、身近なかたちについては具体性がない。そこで「線と面」「純粋幾何学」を持ち出し、のそ歴史的変遷から今日的なリアリティを問うことにする。

7月04日(月)
4時間遅れて帰国。とはいってもヨーロッパ時間の朝である。長い帰路であった。新建築7月号に「アグリケア」が掲載祭されている。芳賀沼さんと難波さんとのこれまで行ってきた縦ログ開発の一貫として発表する。この建築ではユニットのモデュール管理を徹底させ、建設へのスムーズな適用を考えた。縦ログを、構造・断熱・仕上材を兼ねた木打ち放し仕上げ構法として、一般化させるところまで開発が進んでいたのだが、許可を時間まで下ろすことができなかったために、そこまで実現できなかった。したがって雑誌発表では、一連の開発プロジェクトとして発表をした。雑用をすませ疲れて寝る。

7月03日(日)
朝食をすませ、水上タクシーでベネチア空港行き。続けてウィーンへ。トランジットに8時間待たされる。ヨーロッパ帰りがスムーズにいったためしがない。クリスト・イーストウッド監督主演作品の「許されざる者」を観る。町に規律をもたらし、行きすぎた正義感をもつ保安官ジーンハックマンにクリスト・イーストウッドが立ち向かう。ただし彼は過去に女子を殺すほど非情で有名な賞金稼ぎで、今はそうした人生を後悔していた。善と悪が微妙な関係にある。演技もジーンハックマンふんする保安官は圧巻であるのにたいし、イーストウッドにはキレがない。それがラストシーンで一気に逆転するのが、この映画の妙である。それはイーストウッドが単身で敵地に乗り込み鮮やかな撃ち合いでジーンハックマンを含む保安官5人を殺す。道徳はない。自分の信ずる道を進む開拓精神というべき美学がそこに示されている。続けて、ジョニー・デップとアンジョリーナ・ジョリー共演の「ツーリスト」を観る。ベネチアが舞台である。ほとんどのシーンをサンマルコ広場とその前のグランドカナルで展開され、室内セットで多様性をつくり出している。そのため正確さとダイナミックさに欠ける。

7月02日(土)
今日は、パラディオを中心に観ることにする。昨日同様グーグルマップを駆使してサン ジョルジオ マッジョーレ教会へ行く。大理石の白さが際立ち、幾何学が栄える。しかし幾何学を持ってしてもゴチックに比べると重い。フィレンツェ初期ルネサンスのブルネルスキも幾何学を駆使した。彼の場合、それが内部にも徹底されているため軽さを体験できる。それとも幾何学の使い方だろうか?と思う。EVを使って塔に登る。そこからべネチアの街を一望する。外に出てファサードをもう一度観る。4本柱が印象的である。外壁と柱が離れてないことが、この当時の新しさであったのかと思う。よい意味で薄っぺらい感じである。続いてレデントーレ教会へ。サン ジョルジオ マッジョーレ教会に比べてひとまわり小さい。もう一度、海を横切り、安藤忠雄のプンタ デラ ドガーナへ。途中にグッゲンハイムがある。内壁レンガと小屋の木造は既存のものと思われるが、完璧に現代的に焼き直していて美しい。レンガとモルタルは面がそろい、小屋組も既存の古木であるが完璧にと水平垂直である。こうした完璧な仕上がりの大きな空間に現代アートはあっている。ヴィラ フォスカリは残念ながら観ることができなかった。午後に、サンマルコ寺院へ。ロマネスク・ビザンチンの傑作といわれるほどに迫力ある。天井のモザイク画も美しい。ドゥカーレ宮殿を観てから、サンソヴィーノーによる図書館。この建物完成で現在のサンマルコ広場が完成したという。1500年代のことである。サンマルコ広場にあるスカルパのオリベッティショールームの見学。スカルパのディテールに対する拘りがよく判る。ベネチアには様々な時代の建築が存在するがディテール装飾の細かさが今日の建築の評価とつながっている。パラディオの作品もその連続と考えると、理解出来た。
084 EURO 2016 イタリア×ドイツ
想像していたほど、イタリアがクレージーになっているわけではなかった。終始ドイツのペース。イタリアを取り囲みじわじわとしめあげるような攻撃をする。後半ついにドイツが綺麗な崩しで先制する。イタリアは守りから攻撃へと転換する。ボアティングのハンドによるPKで追いつく。この試合も延長PK戦となる。7人目でドイツの勝利。PK戦ではドイツは強い。

7月01日(金)
朝早く起き、カステッロ公園へ行く。ベネチアビエンナーレの各国展示がある。正面アプローチ中央に日本館がある。テーマはen縁。1階は実際に腰かけることのできる縁台が用意される。外は晴天で、30度近くあるだろうか。ピロティ下は風が通り抜け涼しく多くのひとがくつろぐ。2階は70年代生まれ中心の建築家の模型を中心とした展示である。特別賞を得たためか日本館は賑わっている。そもそも館の2階へのアプローチも自然を取り込んで回り込むようなかたちをしていて日本的である。そうした空間は今回のテーマとあっている。このテーマ縁とは、「つながり」「関係」をいい、ひとつの時代が終わった後の次のキーワードとして捉えられている。時間軸を入れるとサスティナブルになる。意識的にモノに限定したようだ。家具や人が入った大きな模型により、来館者を見る限り3・11以降日本で起きている変化を他国の人に伝えることに成功している。金獅賞はスペイン館であったようだ。Unfinishedがメインテーマ。既存建物の調査段階から進行形でプロジェクトが写真で示される。その写真は大きさが統一され、スチールとウッドのフレームワークによって展示されている。もしかしたら動くのかもしれない。その後一通りの各国館を見た後、小まめに水上バスを上手く利用してアルセナーレ会場へ。これを可能にするのはグーグルアースの賜である。複雑な水上バスルートと出発時刻まで示される。アルセナーレ会場は建築家中心の展示である。今回のテーマは、チリ出身のアレハンドロ・アラヴェナによるREPORTING FROM THE FRONT。貧困格差をなくすること、そのために創造力を統合することをいっている。それをexpansion and synthesisと表現する。各国の立場の異なる建築家の参加によってそれを促してほしいと願いが込められている。メインエントランスは、そのアラヴェナの展示である。無数の亜鉛メッキ薄板加工品が均等に天井から背の高さ近くまで吊られ、周囲をPBの小片をレンガ摘みで囲む。安価な材料による新しい素材感のある空間表現である。身体に訴える空間を、今回の展示室にあわせてアートとして仕上げた。アラヴェナは被災地の活動もしている。半分つくり半分現地の人に投げるというシステムでそれを行った聞く。それとの違和感を感じた。建築家の役割が空間をつくることにあるように思えたからだ。小さな巨匠の小さな作品に見えないだろうか。そうした中で、現地の伝統的素材を使い新しい空間表現を試みるワンシュー、ソラーニ・ベニテス、ETHらの実験作品もいくつかあった。中程にある安藤忠雄のプンタ デラ ドガーナの木の模型は、相当の周囲を作り込んだも迫力あるもので、他の建築家とは趣を異にした実直な展示である。明日実物を見学に行くことに決める。午後、Palazzo Morra Cannaregioへ行く。こうした展覧会もビエンナーレのひとつで、ベネチア数箇所行われている。階段を上がって1階メインフロアーの一角にぼくのエリップスのアクリル模型が展示されている。 搬送の関係で小さいものとなったが、それなりの評価をしてくれたようだ。会場でキューレタと日本建築の状況についての立ち話をする。この会場のテーマとしてあたえられたのは「TIME SPACE EXISTEBCE」であった。それについて東京の実情を本で記述したのだが、その本も既にフューチャーされていた。成熟した日本では一般の人も自分を表現することが身近になっている。ぼくの展示した建築が可能となるのはその典型例である。Palazzo Morraの近くに、カ・ドーロとカ・ペーザロがある。水上バスからそのファサードを見る。ベネチアンゴシックとベネチアンバロックの建物でディテールが特に優雅である。残念ながらリアルト橋は修復中であった。長い午後が終わる。ホテルに戻り夜は時間をかけて夕食。グランドカナルに大型客船が通過しても、水面が床のレベルに等しい。波が立たないのは不思議である。途中から、ポルトガル対ウェールズ戦を観る。テレビの画像が未だにアナログで、いかに4Kが必要とされていないかを実感する。この試合もPK戦となる。

6月30日(木)
午前中、美術史美術館へ行く。1時間でめぼしい絵画を駆け足で観る。クリムト、アルチンボルト、ラファエロ、ベラスケス、ブリューゲル、フェルメール、デューラー等。フェルメールは「絵画芸術」であった。午後、ヴァーグナーのアム・シュタインホーフ教会まで足を伸ばす。ユーゲントシュティールの精華と言われる作品である。そこまで行くのにウィーン旧城壁の外は集合住宅が続き、やがて戸建てになる。集合住宅は4層の低層で外部空間もよく計画されていた。集合住宅の多くは陸屋根であるが、開口をもつ屋根が外周に廻っているのもある。シュタインホーフ教会は小高い丘の上にある。青空に白と金が生える。よくメンテされているのだろう。写真で観る状態と全く変わらない。どことなくずんぐりむっくりしたボリュームある建築である。その下にゆったりした配置計画のヴァーグナー精神病院が拡がる。そのまま空港入り。夕方ベネチアに到着。プロペラ機であった。水上タクシーを使って、直接ホテルへ。チェックインした後、サンマルコ広場をひとまわりする。

6月29日(水)
朝早くシュテファン教会へ行く。ウィーンのメイン教会である。入ると手前右の小さな側廊部分でミサを行っていた。離れた前方でパイプオルガンが響く。そしてぼくら観光客が身廊部分にいる。大きな空間で様々な活動が同時に起きていることを経験する。その後ヴァーグナーの郵便貯金局へ行く。曲線のガラス屋根とアルミの表現が今でも未来的である。外壁の石留めをはじめジョイントがあからさまに表現されているのは時代を感じさせる。が、分節が建築のメインタームに変わっていく瞬間を見たような気がする。オペラ座の回りには今日のキップを一生懸命売る協会員がいる。後で知ったが、この地道な活動によって、ひとつの施設で年間500近くのコンサートが可能になり、音楽の街ウィーンを支えている。セセッションを観た後、カフェミュージアムで休憩。その後再びヴァーグナーのカールスプラッツ駅、続いてカールス教会へ行く。光の劇的な写真がとれてびっくりする。天井画が修復中であったのだが、そのため設置されたEVで天井まで近づくことができた。ドーム上から教会を見下ろす経験をする。午後ヴィーナー・ムジークフェライン1870年竣工へ。シューボックス原型を経験する。800人収容は思ったより大きい。音が響き渡る。音がよいことももちろんであるが、この型に合わせて楽器編成が行われるようになったと聞く。このことがさらにこのホールの評価をあげている。夕方、ロースハースから王宮等へ寄ってから、KNIZE,アメリカンバーといったロース建築を立て続けに経験。素材の表現である。機能性が出現した瞬間を経験したような気がする。当時は衝撃的であっただろう。今でも存在感がある。

6月28日(火)
午後便で成田を発つ。機内で「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」を観る。ウィーンが紹介されている。背景となる人物描写が意外と細かいことを発見する。通りすがりの人や道路を横切る人が、会話と何かしらの関係がある。派手なシーンはない分、そのディテールの効果は大きい。加えて、どのシーンにも必ず舞台設定がなされている。観光名所をクローズアップした撮影などなかった。寅さんが語るのは日本語のみである。しかし異国でもその言葉は理解されるのである。ホテルの予約内容が異なるので、30分以上交渉してホテルを変更。深夜になってチックイン。

6月27日(月)
「月刊ハウジング」次号でぼくの作品が紹介されるのだけれども、URLとか電話番号とかは紹介されないのだそうだ。ここ数年で編集方針が変わってしまったことを知る。建築家と編集の立場が逆転したことになる。雑誌は、建築家の情報をもとにビジネスを成立させている。建築家は宣伝をしてもらうことをその代価として考えている。ボランティアで情報提供をしているわけでない。そこに違和感を感じた。写真家の坂口裕康氏の言動を思い出した。海外雑誌は無償の写真提供を求めることが多かった。坂口さんは決してそれを認めなかった。写真家は真剣に写真をとり、その代価で生活している。ビジネスとはそういうものだろう。だから、どうしても掲載したい海外雑誌に対してはぼくが版権料を払った。ぼくが撮った写真、あるいは版権なしの写真を使うという手もあるが、よりよくフューチャーしてもらうためには坂口さんの写真が必要なのだ。それだけ坂口さんの写真の価値を見出していたからである。そうして建築を見る目も豊かになった。
083 EURO 2016 フランス×アイルランド
フランスは試合開始早々PKを与え、動揺する。ホームサポーターの雰囲気もそうさせたのかもしれない。選手が熱くファウルが多くなり、次戦欠場となる選手が2人にもなってしまった。まるで終了間際のドタバタ感が前半からゲームを支配していた。後半、選手交代でその流れを変えた。カンテを替え、クリーズマンをFWにあげる。そのクリーズマンがゴールを決めると面白いように一方的な展開となった。フランスは落ち居着いた状態でゲームをコントロールできるようになったのだ。これで、8強進出が決まる。
084 EURO 2016 ドイツ×スロバキア
ドイツが先制点をあげると、完全にゲームを支配する。最終ラインもハーフラインを超え、サイドバックは絶えず相手陣地深く位置取る。バイエルンのようだ。相手11人を囲むようにして、セカンドボールもほとんど支配する。時としてフンメルスとボアティングも攻撃の起点となる。先制点は、そうした定型の中でのこぼれ球をボアティングがロングシュートで決めた。繰り返しになるがバイエルンである。今日は皮肉にもリーグ戦のようにトップにゲッツェもいなかった。ミューラーが特に目立たないくらいが異なるところであった。

6月26日(日)
昨夜の「美の巨人」は、フィレンツェを中心にルネサンス絵画を俯瞰するものであった。線を使って神話を優雅に描くボッティチェッリは、メディチ家から愛好されるも、その後サヴォナローラというドミニコ修道士のもとで神秘主義に走り画家人生は短かったという。それに対し理論家のダヴィンチは、ボッティチェッリとは異なり各国を渡り歩く不遇の人生であったが、多くの名作をその後も残した。ふたりともリッピの下で絵を学んだ。線のボッティチェッリにたいし面のダヴィンチといわれている。その後ダヴィンチも幾度かフィレンツェに戻りラファエロやミケランジェロとの交流があった。特にラファエロはダヴィンチの影響を強く受け、モナリザを模写したという。当時3人は聖母像をそろって描いた。ぼかしのダヴィンチ、構図が安定し表情豊かなラファエロ、肉感的で色鮮やかなミケランジェロである。彼らの天井画は、実は吊り天井であったことことを知る。ならば横向きに描くことも可能だろう。
082 EURO 2016 クロアチア×ポルトガル
延長戦の後、ポルトガルがクリアチアを破る。クリロナは1発しかシュートを打てなかったが、それが決勝アシストとなった。ポルトガルはクリアチアのモドリッチを徹底マーク。そのため点の取り合いではなくなる。しかし後半からモドリッチが自由に動けるようになりと、クロアチアがゴールまで迫る。ポルトガルの得点はそうした中に生まれた。ペリシッチのヘディングがポストに嫌われた直後、速攻にクロアチアはやられた。ロナウドから中央へ、中央からロナウドへと思いきや左のナニへ。ナニは意外にもDF裏へグランダーのパスをした。ロナウドのシュートははじかれるも、後方からの選手が押し込んだ。試合後クロアチア選手が涙ぐむ。力尽きた感じであった。ペリシッチの頑張りにも脱帽。彼はドルトムントを出て、ドイツを渡り合って、インテルで活路を掴んでこの大会に臨んでいる。しかし刈り込みがクロアチア国旗であるのはいただけない。

6月25日(土)
午後、父兄面談のため大学行き。子どもとのコミュニケーション不足を心配している。問題の根本がそこにあると皆自覚的である。そのことに驚く。社会の縮図をこうした面から捉えるようになったのはいつごろからだろうか?このことについて知りたいと思った。息子がラインの誤った使い方をしたらしい。担任の先生から電話が入る。その行動もさることながら、よくありがちな、集団の勢いで判断基準を失った。そのことを注意する。何が正しいかを絶えず判断できる自意識をもってほしいと願う。判断は誤ることがある。それで失敗したら仕方がない。ただし周囲に飲み込まれて判断しないことは最も罪深い。こうした(個人の)美学によって、社会道徳をコントロールし、踏みとどまることを美学として柄谷行人から学んだ。彼が夏目漱石らを評価し、はちゃめちゃであったが岡倉天心に一定の評価を与えているのはこの点においてであった。社会が流れる方向は善でも真によるものでもなく、広い意味で政治的なものである。これに抵抗できるのは個人に根差す美学である。
081 EURO 2016 ポーランド×北アイルランド
延長PKの末、ポーランドが勝つ。しかし後半、延長とアイルランドのペースであった。ポーランドは慌てることなく速攻を狙っていたのだが、そのチャンスも少なかった。レバンドスキーが完全に封じ込められたかたちであった。今日から決勝トーナメントが始まる。

6月23日(木)
080 EURO 2016 イタリア×アイルランド
イタリアはメンバーを大きく変える。1位通過が決まっているからであり、決勝トーナメントでの相手がスペインに決まったからである。そのためか攻撃への流れがスムーズでなかった。今季よく見たミランと被って見えた。連動が続かない。たいしアイルランドはインテンシティむき出しである。サイドから縦への果敢なドリブルそしてセンタリングである。調べるとイングランドのビッグ6以外のチームに属する選手である。古き良きイングランドスタイルである。香川もこのシステムに馴染めなかった。

6月22日(水)
大学院授業で田村恵子氏のレクチャー。氏は金箱構造設計事務所の20年以上籍を置いている。多田先生の後輩でもある。坂本先生、仙田さん、安藤さんとの作品を紹介してくれる。それらは、3000平米前後の地方公共建築である。このあたりが建築家の出番となるところらしい。地方であり、かつ地元ゼネコンが請け負うことになるので、簡単なディテールを心がけるそうだ。構造家は自らの知識に基づき、ぼくらの知らない建築への適用能力をもっている。それを引き出し、キレのあるものにするかが建築家の手腕にかかっている。構造家は逆にそれを望んでいる。
079 EURO 2016 スペイン×クロアチア
スペインが1-2で負けて、グループ2位となる。EUROで負けたのは15試合ぶりだそうだ。開始早々鮮やかな速攻で得点をするも、安心し緊張が緩んだためか、ディフェンスがまごつく危うい場面が何度も見られた。攻撃もセカンドボールを拾えていなかった。クロアチアは前戦から果敢にプレッシングを行い、最終ラインもFWを逃すこともなく、中盤が最終ラインに吸収されることがなかったためだ。スペインは、これまでの予選2試合と全く異なり、別のチームであった。それでも引き分けでよしと思っていた終了間際、DFが速攻へのケアを怠り鮮やかな速攻で逆転される。その前のPK失敗と合わせて悔やまれる点であったろう。大国でもこうしたミスをする。というよりインテンシティの違いである。予選最終節において、大国が勝ち点を多く落としているのはそのためである。そのため決勝リーグでは、右のトーナメント山に強豪がひしめき合う結果となった。

6月22日(水)
大学院授業で田村恵子氏のレクチャー。氏は金箱構造設計事務所の20年以上籍を置いている。多田先生の後輩でもある。坂本先生、仙田さん、安藤さんとの作品を紹介してくれる。それらは、3000平米前後の地方公共建築である。このあたりが建築家の出番となるところらしい。地方であり、かつ地元ゼネコンが請け負うことになるので、簡単なディテールを心がけるそうだ。構造家は自らの知識に基づき、ぼくらの知らない適用能力をもっている。それを引き出し、キレのあるものにするかが建築家の手腕にかかっている。構造家は逆にそれを望んでいる。
079 EURO 2016 スペイン×クロアチア
スペインが1-2で負けて、グループ2位となる。EUROで負けたのは15試合ぶりだそうだ。開始早々鮮やかな速攻で得点をするも、安心し緊張が緩んだためか、ディフェンスがまごつく場面が何度も見られた。攻撃もセカンドボールを拾えていなかった。クロアチアは前戦から果敢にプレッシングを行い、最終ラインもFWを逃すこともなく、中盤が最終ラインに吸収されることがなかった。そのためセカンドボールをしっかりとキープできていた。これまでの予選2試合と全く異なり、別のチームであった。それでもスペインにとって引き分けが精々と思っていた終了間際、鮮やかな速攻で逆転される。その前のPK失敗、終了間際の時間帯でのDFの速攻へのケアの怠り、この2点が悔やまれるだろう。大国でもこうしたミスをする。というよりインテンシティの違いである。予選最終節において、大国が勝ち点を多く落としているのはそのためである。そのため決勝リーグでは、右のトーナメント山に強豪がひしめき合う結果となった。

6月21日(火)
078 EURO 2016 フランス×スイス
0-0で引き分け。フランスは引き分けでも首位通過。スイスはドローでもトーナメントし進出であったので、深追いをしない戦いであった。しかし単発でも、ボールを奪い合うせめぎ合いには迫力がある。スイスチームのユニフォームが何人も破れた。フランスはパイェが凄い。彼を後半投入するとゲーム展開ががらっと変わった。彼はウエストハムに所属する。フランスは皆、イギリスなどの他国のチームに籍を置く。ボグマ然り、DFとCFはアーセナルである。そのためか、開催国であるが、フランスは国としての特色が薄い。イングランド、スペイン、イタリア、ドイツとは異なる。

6月20日(月)
ゼミにて、「20世紀の現代建築を検証する○と×」磯崎新+鈴木博之著の読書会。モダニズムを理解する上でキーとなる幾何学と抽象化というイデオロギーが話題になる。磯崎が言うように「近代建築でさえ、その形式性においては古典主義と共有するものを下敷きにしていた」のである。だからアスプルンドはバリバリのモダニズムではないが、作品を抽象化することによって地域、ランドスケープとの同化を試みることができたという。つまりモダニズム、地域主義、古典主義等が互いに反発し合う運動ではなかった。それらは大きな流れの枝分かれでしかなかったのだ。とすると、以下にある磯崎のモダニズム論にいきつく。「モダニズムというのは、一つの形式の運動過程です。その自立性を信じていることがモダニズムの正統派なんだと思うんですよ。」「インター・ディシプリナリーというか多領域言語がもう一遍自立的展開を活性化するすることがあり得るかどうかという展開になる。これはモダニズムの補強作用なんです。ですから、あらゆる地域主義とか歴史主義とかは全部補強なんですよ」。これは、ラカンージジェクのモダニズム解釈と一致する。このことに驚く。コールハースが「錯乱のニューヨーク」で記述していたことも同様であった。モダニズムあるいは資本主義は修正を重ね、あらゆるイデオロギーを回収してしまうというものである。もしそうであるなら、とてつもない閉塞感を感じる。そうした中でのぼくたちの行うべきことは何か、ジジェクも磯崎も同様の結論に達している。建築を欲望の対象とせよ、である。他に、都市についての記述も面白い。建築はひとつの主体がつくり出し得るけれども、都市では不可能ということであった。

6月19日(日)
「20世紀の現代建築を検証する○と×」磯崎新+鈴木博之著を、明日のゼミに臨むため再読する。いくつか新しい発見があった。産業革命が始まって社会が平等になって均質空間が生まれたという近代建築解釈、すなわち階級制を壊したということにたいして、新たに芸術家中心の空間を、劇場やホール中心につくっていったということ。それにゼンパーとヴァーグナー-が関わっていた。ラウムプランは、空間構成の問題だけではなく、ハコの中にどういう都市のリアルな生活を入れるかを組み立てたということ。「インターナショナルスタイル」展においてのひとつの中心テーマは「ボリューム」で、それは当時のアヴァンギャルドがもっていた構成を否定する意味があったこと。当時構成(コンポジション)は芸術で、構築(コンストラクション)は芸術でないと考えられていたので、「ボリューム」によって、イデオロギーのある「構成」を否定したというのである。それにたいしイデオロギーをもっていた連中が「構成」を「構築」という新しい言葉に変換し再出発をした。2重にひねくれていたのである(2章)。5章では、モダニズムの大事な2点を挙げている。ノイエザッハリッヒカイトにあるような振興エリート(前衛)の方法表現を許すベースと、一挙に拡大して伝わっていく社会的ベース、このふたつを建築が得たということであった。前半にロース、後半にイームズがいる。
077 EURO 2016 スペイン×トルコ
スペインは相手DFラインを押し込むことで、セカンドボールも支配していることに気づく。相手2列目までをペナルティー内に押し込んでいる。ゴールが生まれずとも、それによってゲームを完全に支配する。この試合では右のFWノリート(セルタ)が冴えていた。今日のトルコはラインをあげても、ノリートに裏を取られていた。得点はそこから生まれる。ノリートもバルサカンテラ出身。攻撃に一手間が多い。一旦再度深く押し込んでから、ボールを一度下げてダイレクトで中央にあげる。あるいはサイドに振っておいて再度反対サイドに戻し、ダイレクトに中央へ、というようなパタンである。皆が連動をしている。3-0のスペイン完勝であった。

6月18日(土)
午後、新建築の内藤さんと打ち合わせ。つくばのアグリケアを通じて行ってきた、芳賀沼さんとのCM方式について解説。このプロジェクトではログ材の使用方法やディテール、施工方法、それを可能にするための平面計画などはCM前提で行ってきた。このことについて話をする。ログ材に長けている芳賀沼さんがいたからこそ可能になったプロジェクトであった。話し合いの中でこのことまでも掲載することに至った。編集者のここまで引き出してくれた粘り強さに感謝。時間がないが、急いでまとめることとする。その後で界工作舎で、縦ログ構法についての今後の打ち合わせ。メインは壁材の今後の展望についてであったが、その話し合いの後にスラブ材への適用を提案する。詳細は詰めていなかったが、今まで暖めていた梁接合についてのアイデアである。これについては時間と予算が、今年度の実験としては足りないかもしれない。
「ホラクラシー」を読み終える。後半は、ホラクラシーのススメと心構えについてであった。各章始めのリード文が素晴らしい。記録にとどめるためメモとしてあげる。「自分でやってみるまで気づかないことだが、すべてのものは曖昧であり、明瞭にする余地がある。」バートランド・ラッセル「論理的原子論の哲学」。「社会の経済で肝心要の問題は「いつ何時どこで起こるともしれない諸々の条件の変化に、たちどころに適応していくことだ」と言えるなら、当然、最終的な決定は、そういう諸条件を熟知し、関わりのある変化を直ちに見極め、適応するために即座に投入できる資源は何かをズバリ知る人に任せるべきであろう」ハイエク「社会における知識の利用」。「口説き落とされたらそれでもうお終い。喜びは事の最中にあるものだから」シェイクスピア。「現象学的な複雑系において、未来に影響する要因があまりに多いと、科学的手法はほとんど役に立たない。転記について考えてみればわかる。たかだか2,3日先の天気さえ正確に予測することは不可能なのだ」アインシュタイン「アインシュタインとその思想」。「私は自分が言葉で表現できない世界に足を踏み入れることはできない」ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」。
夜BSで「ハード・デイズ・ナイト」を観る。ぼくらの世代も遅れてビートルズに熱狂した。中高校時代に皆が熱く語る中ぼくが入り込めなかったのは、彼らの音楽に震撼しつつも、社会に真っ正面から向かわずにおちゃらけている彼らの態度が、井の中の蛙的に見えたからである。規律を重んじる体育会精神から馴染めなかった。映画を観ていてこれをあらためて再確認するも、あのとき以上に彼らの音楽に圧倒される。素直に美について感じられるようになったためだろう。

6月17日(金)
ホラクラシーの大前提には、不協和を感知し、変革の余地を見通す能力を人が有しているという信条がある。ホラクラシーにはガバナンスプロセスがあり、そうした曖昧な判断も書面化されたガバナンスによって管理される。理論上の不確かなことを予想するでなく、生じたひずみを書面に沿って正すだけである。人ではなく役割プロセスの管理である。実行はというと、それはオペレーションプロセスに委ねられる。ただし大きな目標をもたない。これをこの本ではプロジェクトという。プロジェクト完遂を目指さずに、目の前のアクションの解決である。その連続が大切とされる。アクションがオペレーションプロセスで処理される。ひずみの感知によってアクションは生まれる。つまりひずみの感知と処理にオペレーションプロセスは終始する。したがって、いくつものオペレーションプロセスが同時に存在する。そのプロセスの整合性は問わない。そういう場合は、新しいひずみを処理する新しいオペレーションプロセスをつくる。ガバナンスプロセスは、オペレーションプロセスの整合性を問うだけのためのものである。本書では、こうしたプロセスを経ることを進化という。
076 EURO 2016 イングランド×ウェールズ
前半は、ベイルの長い縦の突破、後半はイングランドの猛攻。イングランドは後半に中休みをしてしまったが、後半から途中出場のスターリッジのアディショナルタイムでのエリア内でのワンツードリブルで逆転する。1点目も後半から途中出場のバーディであった。ホイゾン監督の采配が的中したことになる。イングランドはルーニーが攻守の中心である。中盤底から左右へと展開させるのだが、前戦の速い選手が、引いて守るウェールズをなかなか崩せずにいた。ウェールズはあと一歩で決勝トーナメント進出を阻まれる。サポーターの熱い応援が印象的である。ギグスなどスター選手が過去にもいたのだが今回はベイル、ラムジーを擁し何十年ぶりにの大きな大会出場だそうだ。

6月16日(木)
アマゾンで「ホラクラシー」を検索。ホラクラシーの提唱者であるブラインアン・ロバートソンの著書「ホラクラシー」を読みはじめる。著者はソフトウェアー会社をこの方法で起業し、現在は経営コンサルタント。この本では、イノベーションなアイデアをつくるための組織デザインが示されている。実用書である。特徴的なのは、アイデアの内容が吟味されることなく、ひたすら組織論とその実践が書かれていることだ。このホラクラシーの構造が、ガバナンスを扱うものとオペレーションするものにはっきりと2分されていることが面白い。オペレーション(実践)グルーブはたくさんあり基本的に他のグループを干渉しない。自己完結を目指す。それが行きつまったのときに、その問題のための新しいオペレーションをつくるだけである。それと全体との整合を判断するのがガバナンスグループだ。守るのはこうしたプロセスである。そうすることで後は自分のことは自分でする、すなわちヒエラルキーのないプロセスとなる。このプロセスを崩すものは徹底的に排除される。この点においてのみヒエラルキーがある。淘汰でなく、自己治癒のシステムがここに示されている。アレグサンダーに近い。

6月15日(水)
075 EURO 2016 ドイツ×ウクライナ
ドイツは初戦において冒険をしない。落ち着いた戦い方をする。バイエルン選手中心の手堅い攻めに終始し、守備が負担となるような深追いを中盤以下しなかった。その結果2-0で勝つのは王者たる由縁である。とはいえそれ程守備が安定していた訳でなく、ボアティングとノイアーの個人技術に助けられていた。それ故に、こうした戦い方をしたのかもしれない。今回の大会では4チーム中3位まで決勝トーナメントに残る可能性があるわけだから、この予選は負けなければよい。その分激しさが足りないともいえる。

6月14日(火)
中埜さんと電話で翻訳状況の確認。「バトル」C・アレグサンダー著の翻訳は進行中である。アレグサンダーのいうセンタリングはホラクラシー的なかたちを呼ぶという。holonホロン:全体でも部分でもある全体子 + cracy:〜の支配、統治という語源から理解できるように、ホラクラシーとは力によって支配される全体とも部分ともとれる組織体制をいう。Bureaucrasyという官僚統治と反対のことを表す。このホラクラシーは、個人の自由を制限することなしの組織形成を表現したもので、ソフトウエア-の用語としては既に定着している。しかしそうしたかたちを未だ提出されてはいない。近頃気になる建築集合論に近づいてくる。ここでも最後にかたちにすることが建築に委ねられているが、その先は見えていない。ところでホラクラシーという概念では、状況に応じて部分と全体が動いている。アレグサンダーのパタンランゲージでも、こうした部分と全体の関係がダイアグラムとして見られてはいたがそれは静的であった。ホラクシーはそこに動きを与えるものである。それはセンタリング論においても然りである。こうしたダイナミック性を取り組む新しいパラダイム獲得の片鱗が「バトル」にある。システムAとBの対立をどう変換するかである。次へのステップの示唆を感じる。翻訳への新たなモチベーションを見つけた気がする。

6月13日(月)
074 EURO 2016 スペイン×チェコ
昨日のイングランドと異なり、スペインはペナルティー内でのこれでもかというショートパス。それに対してラインをあげて抵抗を試みるチェコであった。そのライン裏を狙ってスペインは、サイドの選手に加えて、中央の選手もサイド奥へ流れ、2列目が中央に入る繰り返しである。終了間際に漸く得点できたのは、イエネスタが中央から離れ気味にドリブルでエリア内に入り込みふらりとしたパスを、反対サイドのピケがヘディングできめたものであった。チェコの粘りにも脱帽する。チェコもその後のアディショナルなるタイムに決定的なチャンスをつくる。好ゲームであった。今日の最大の謎は、なぜこうもスペインがセカンドボールを拾えているかということ。チェコがクリアしても必ずスペインの手にボールが渡っていた。おそらく、攻撃時にもリスクを考慮した約束事があるのだろう。これはバイエルンに少し見られる動きであっただろうが、リーガでは普通なのだろうか?清武がリーガ入りの情報が入る。解説をしていたエイバル所属の乾も守備が求められる戦術について度々言及していた。どうやらスペインリーガは他と異なるようだ。乾のコメントはエイバルという下位チームによるものだとも考えられるが、清武のセビージャは上位チームに属する。来季が楽しみである。

6月12日(日)
オープンキャンパスのため1日中大学。お昼を挟んで2回のAO説明会を行う。昨年に比べて、高校生の数が少し少なくなっているのが気にかかる。
073 EURO 2016 イングランド×ロシア
終始イングランドがゲームを支配するも、アディショナルタイムにロシアに追いつかれる。前戦と両サイドに速い選手を置き、粗削りではあるが迫力ある攻撃をイングランドは行う。つくづく日本人にはマネできないパフォーマンスであることを思う。これはプレミアリーグの特色でもあり、香川がユナイテッドで活躍ができなかった訳である。ショートパスでの打開など彼らの頭には毛頭ない。この大会を通じて各国のプレースタイルを知ろう。

6月10日(金)
072 EU選手権 フランス×ルーマニア
開催国フランスが2-1で勝つ。ルーマニアは比較的自国リーグ出身のプレヤーで馴染みがない。たいしてフランスは、有力クラブ選手に加えて今年台頭してきた若手が目立つ。カンテ(レスター)、コマン(バイエルン)、マーシャル(ユナイテッド)達である。若手といってもシーズンの中心選手であるので、ベテランに加えてFWもDFもシーズン同様の活躍をして、難なく勝つことができた。ジールのペナルティエリア内での強さからと、それにDFが引きつけられ空いた遠目からのパイェのシュートであった。

6月9日(木)
前期後半の大学院授業について整理する。これまで近代技術論中心に行ってきたが、昨年から前半を多田先生がうけもつことになった。その後を受けることになるので、近代建築家の技術と機能にたいする態度を示しながら、脈略と続く美学的規制の存在について話すことにする。ぼくがこれまで懐疑的に遠回しに見ていた点についてである。時代によってそれは幾何学や建築起源論として現れる。それらは決して偶発されたものでなく、核心に美学的規制があり、その抵抗として勃発するものである。と、考える根拠について話すことにする。それを身近な問題に引き寄せるために、現代の日本の狭小地住宅やOMAのNYを始めとする都市分析も触れようと思う。最近の集合論も然りである。最後にこれを意識的であるための建築家の態度をまとめよう。最近の磯崎さんの新国立競技場代案などよいかもしれない。加えてアレグサンダー、池辺さんから追求することになった建築的なシステム思考も紹介しよう。

6月8日(水)
スタッフから現場の報告を受ける。室内は線織面効果により囲われ感がある。力が軸力方向に均等に流れているためだろうか?縦ログ材の上部には主に引張材として働くリングがある。樽における箍に当たるものである。梁らしい成というものがなく、ツーバイ材を重ねることで成立させている。それが円形に閉じていることも、囲われ感をつくる原因のようだ。その上に個々で構造的に完結する弦張梁が並ぶ。これも汎用材のツーバイ材を使用した。木造は通常柱梁構造として透明な空間をつくり屋根が空間に質や方向性を与える。このプロジェクトではログ材の垂直材がこの役割を担っている。屋根葺材をよりチープにすることに再度決定する。

6月7日(火)
つくばのアグリケア施設を新建築内藤さんに案内する。医療施設の特集で扱われることを聞く。その中で木造というのは特殊だろうと推測。こうした状況で、クライアントである伊藤先生の当初の木造の診療施設を建てたいというコンセプトが説得力を持つ。彼は現代医療の問題点を近代鉄筋コンクリート施設のもつ問題とをパラレルに考えていた。木造という建築に新しい可能性を込めて見出していたのである。縦ログ構法は、それを受けてこのプロジェクトで用いられた。機能的な点でこれまでの木造で可能でなかった空間確保に役立てた。僕たちがこれまでの貯めてきた成果を再整理したものといってよいだろう。このことを重点的に、説明する。

6月6日(月)
ゼミの後、院生から「場」の語源について質問される。場=経験としての空間についての定義についてである。「空間の詩学」バシュラール著、「空間の経験」イーフートゥアン著、「場所の現象学」エドワードレルフ著、「日常生活的実践のポイエティーク」セルトー著、「生きられた家」多木浩二著を挙げる。どちらかというとぼくは近代以降の技術を追いかけるので、それの反対に属するテーマである、とはいえ、アレグサンダーに最も接近している分野でもあり、多くの建築家が追求しているテーマでもある。事務所に戻り、これらの本をチェック。いくつか本棚に見当たらないが、再度読み込みをトライしてみよう。

6月5日(日)
雑誌掲載予定の遠藤研の活動について整理する。池辺さんのデザインスゴロクに従った活動を研究室で行ってきたので、それと絡めたいと考えた。書いているうちにデザインスゴロク中央にあるSスタンダードの意味を理解する。標準化され、あるいは社会に既に受け入れられているモノ、これを利用することで、多種の設計条件に接することができる。このことに気づく。スタンダードとは寸法や性能だけに関する問題ではなく、例えば、先端分野で利用されているデザインツールも含まれる。そうしたものは、それが必要とされるに至った社会条件が整理された結果としてのものなのである。こう考えると、デザインスゴロクにおけるSは、ラカンのいう現実界に近いもの見えてきた。Sがsocietyに見えてくる。

6月3日(金)
夜、大学時代の友人と久しぶりに会う。海外赴任から戻ってきた。NHK BS で「ボーダー」を観る。ロバート・デ・ニーロとアルパチーノ共演のサスペンス映画。ストーリーが様々に錯綜するので、解釈に余韻を残すことを可能にしても、2人の演技に、狂気さと、真に迫るものが足りなく、少し退屈であった。2人は70歳だそうだ。無理もない。監督の手腕にかかっていた。

6月2日(木)
在来材4〜5本を束ねてユニット化する縦ログ構法と、在来工法あるいはツーバイ材構法との違いを考える。木の構造材の存在を残せること、とくに重量感として残せること、断熱や防水の問題を解決できれば、面として成立しているので内外仕上材を新に付加する必要がないこと、したがって構成を明確にできること、間伐木材の消費に役立つこと、日本伝統的素材であり技術や道具が完成させているので加工を容易にし、それをドライジョイントにすることで、次段階での再利用の余地が容易であること、構造的に弱い材料であり、かつ規格品による構成となるので、ユーザーが要求する空間に対して自由度が低いことに対し、面材である縦ログは少し有利であること。規格品と自由度という点で考え直すことを思いつく。

6月1日(水)
「真実」の章を読むも、これといって新しい発見はなかったので、続けて「オーダー」の章を読む。今日のゼミ、菊竹清訓「代謝建築論」の読書会においても「秩序」が討論された。この本にも見える秩序、見えない秩序という章立てがあった。エイドリアン・フォーティーは冒頭で、秩序の定義として、コルビュジエ「プレシジョン」をあげる。「建築を創造するとは秩序を与えることである。何に秩序を与えるのか?機能と物体である。」しかしこうして確立された秩序も、フーコーと(ここでも)アンリ・ルフェーヴルによって再定義される。それは1960年後半のことで、それは菊竹の「代謝建築論」と重なる。この本でルフェーヴルが再三言及していることを要約するとそれは、近代以前は曖昧であった様々なもの、世界、これを経験世界といってもよいが、これを秩序、あるいは空間というような言葉で純化、抽象化、還元することへの懐疑である。それによって、経験世界の本質が隠蔽され忘れさられてしまう、そのことへの警鐘であった。言語化される以前の背景前提の問題意識を絶えず喚起する必要性についてであった。夜、「カルフォルニア・ダウン」ドゥエイン・ジョンソン主演を観る。地震・津波が劇場的で現実の脅威とは遙かに違った質のものである。これにより、テーマとなる家族愛も陳腐に見えてしまった。

5月31日(火)
「言葉と建築」エイドリアン・フォーティー著の「空間Space」再読。アンリ・ルフェーヴルの「空間の生産」に、空間の定義を全面的に委ねていることが判る。それは、建築家が空間をつくるという感覚への批判である。建築家が自分自身の目的を設定して自分自身の原理を生産するという自己決定の実践として建築を捉えること、この傾向に対する批判である。建築家のそうした実践によって、人間的な場が抽象化され、近代資本主義社会の権力に支配されてしまったという。これは、昨日記した「真実」の章で書かれていたポストモダニズム行動を、否定的に捉えるものである。彼らが嘘言を使用してまでも打破してきたものは、実は資本主義が破壊しようとしてきたものであり、今日の無味乾燥な社会の拡大に手助けしてしまったというわけだ。失ったのは、絶対的な空間・力の場、ディオニュソス的空間であったことになる。「真実」にたいする見方が全く反対に振れた。「真実」の章を読み直す。

5月30日(月)
「言葉と建築」エイドリアン・フォーティー著の「真実Truth」再読。「真実」は、モダニズム特有の概念であった訳ではなく、18世紀後半あるいは19世紀の創造物であったという。ポストモダニズムが攻撃したのは、そうした歴史に対してであった。例えばヴェンチュリーの「建築の多様性と対立性」の中で「私の好む要素とは(中略)一貫性のある明瞭なものよりも、むしろ矛盾に満ちた曖昧なものなのである」に代表されるように、彼はモダニズムの単一性をバロックの両義性との比較で際立たせた。また、ジェンクスの「神話としての歴史」における真実に対する主張は、「モダニズム建築の歴史は解釈の複雑性に開かれており、すべての解釈は同様に神話的で、それゆえに真実を欠いていた」というものであった。究極はチュミである。「合理性と真実を捨て去り、感覚的な快楽と理性とを架橋する、官能的で、快楽的な「経験される空間」の受け入れること」こそが「真実」を建築に組み入れる方法として挙げていた。ラ・ヴィレット公園におけるネットワークは、閉じられることのない寓意であり、真実など存在しなく、様々な嘘言をつかせる強さこそが真実であるとさえいっている。つまり「真実」は、こうした経緯をたどり現在では建築を語る上で封印されたままなのである。

5月29日(日)
福島から帰り、もう一度NIKE縦ログプロジェクトについて考える。縦ログ構法による空間は、これまでの在来柱梁方式と異なり、面で囲まれそのユニット化が可能である。一般に木が好まれるのは、その暖かみにあり素材そのものの特性によることを考えると、面で囲まれるときの木特性を木塊として追求したのがこのプロジェクトであった。そのため縦ログ材で内外仕上げをフィニッシュすることにこだわり、かつユニットによる構法を徹底させることがこのプロジェクトの目的であった。建築家は意識的であるが、一般には構法と仕上げ、それがもたらす特性が別のものとして考えられている。とはいえ防水性、断熱性確保するためには、建築家もその思想を犠牲にせざるを得ない。在来木造がなかなか建築として扱われない理由がそこにある。そのせめぎ合いを、構法と空間性の一致という立場からデザインする。このことは、近代建築のテーマと重なり少し古典的かという疑問も湧く。

5月28日(土)
NIKEプロジェクトの建て方がほぼ終わる。それを確かめるために福島へ行く。当初敷地は川沿いの体育館横の駐車場の中にあった。駐車場台数を確保するため、駐車場端の緩やかにカーブした今は使われなくなった花壇の上が敷地となった。その花壇横には取り壊すことができない排水溝があり、かたちは基礎部をその排水溝に平行に上部はカーブした境界に合わせた。空間体積を最大限確保したことによる。その後、駐車場の使い勝手が見直され、隣の野球場横に敷地は移ったが、形状はそれが踏襲されている。その囲いは、難波さんと進めていたマッシブホルツの縦ログ材である。縦ログの自由度を示すことがこのプロジェクトの第一の目的であったためである。屋根の形状は、そうした縦ログ材を引き立たせるために、物質感のないテント材も考えられたのだが、最終的に予算から木造となった。縦ログ材は流通木材(線材)の集合である。したがって屋根にも強度はないが流通材として普及している安価なツーバイ材をいかに集合デザインするかが考えられた。実はこのデザインに相当苦労したので、今回の現場で主にその確認をしたかったのだ。木造は(鉄骨造のように)力任せなコントロールができない。ジョイントにアイデアが必要とされ、流通製品のフォームコネクターやパネリード、今回開発したシェアリングの使用によってこれに対応したのである。実際にはジョイントは目立たず部材の構成のみがよく判るものであった。ジョイントを消したこともあるが、登り梁と桁梁からの光で、屋根が軽く浮いて見え、縦ログのマッシブさが予想以上に感じられた。このことが確認でき一安心する。次に棟付近の光具合を確かめ、屋根葺き材を決定し現場を離れる。

5月27日(金)
コンペの提出を無事終え、読書と夜は錦織の全仏オープンを観る。2セットを簡単に取るも、3,4セットを失い、最終セットまでもつれ込み16強入りを果たす。テニスはつくづくメンタルが左右するスポーツだと思うと同時に、ランキングの上下は、ここというときのゲームを勝ちきれるかどうかの違いであることを痛切する。最終セットにおいて錦織は、徐々に挽回仕直した雰囲気に乗じつけ込み、第4ゲームで相手のミスから一気にブレークを果たした。そして、そのまま押し切った。夜は、オバマ大統領の広島演説をYou Tubeで観る。どことなく、アレグサンダーの語りに似ているのは、些細な例を引き合いに人類愛に結びつけることと、語りが言い切り方であることによる。判りやすくダイレクトである。

5月26日(木)
授業内容を検討していく中で、建築のアート性について気になる。「戦後モダニズム建築の極北 池辺陽試論」難波和彦著「アートとデザイン」を再読。この章では池辺陽と篠原一男と相違から建築のアート性と社会性を定義しようとしている。「内面的な根拠は、建築家にとって自立のための必要条件であっても十分条件ではない。建築家の思想は客観化され他者に伝達されなければ、社会的に認知されない。これに対し、建築の芸術化とは、客観化という手続きを飛び越えて、一挙に建築を社会化しようとする試みである。篠原(一男)が主張したように、それがそれまでの社会的・技術的なアプローチに対する批評であるかぎり有効であった。要するに「芸術としての住宅」は、マイノリティであること自体に社会的意義があったのである」。もっともなことであり耳が痛いが、現代はこの関係も逆転している。というより建築家の立ち位置は、もっと動的である必要があるのだろう。それはこの章の結論でもある。「与えられた設計条件から空間的な秩序をみちびき出す建築家の発想が一種のアートだとすれば、その空間的秩序にふさわしい構造的システムを案出するエンジニアの発想も、同様にアートである。あるいは、案出された構造システムにリアリティを与えるため、数学的な解析技術を駆使するエンジニアの仕事が工学的な作業であるとすれば、要求されたプログラムを論理的に分析し、空間的な秩序に結びつける建築家の仕事も同様に工学的な作業である。そのような意味において、現代の建築家は、建築をつくり出す巨大なネットワーク内のひとつの結節点であり、アーティストであると同時にデザイナーであり、エンジニアであることが要求されている。」 しかし、この字面を追えば、誰もが建築家であるともいえる。まずは、自立のための必要条件を満たす必要があり、学生にはそれを要求したいと思う。

5月25日(水)
Arupの与那嶺仁志氏を招いての大学院授業。彼が携わったのは、保坂さんのほうとう不動、伊東さんの岐阜メディアコスモス、ザハの新国立競技場である。この話を主に聞く。1万人以上いるArup内のコミュニケーション方法について興味が湧く。オーヴ・アラップ氏の意志が貫徹されていることと、多くの最新技術情報を組織内で共有できている方法、そのことに興味をもった。設立当時からの6原則に絶えず戻ることが要求され、社内デザインレビューが何度も行われるらしい。そこで叩かれ淘汰されArup風のものにできあがっていくのだそうだ。昨日に続きC・ロウ再読。「透明性 transparency 虚と実」の読後の印象は昔と変わらなかった。ただし、キュービズム絵画の記述の詳細を改めて掴むことができた。セザンヌの「聖ヴィクトール山」がはじめに挙げられ、「対象物の分解と再構成ということを別にすると、特に奥行きの縮小と、グリッドの強調」が特徴とされる。この本では奥行きの圧縮が透明性の主テーマと考えている。ピカソの「クラリネット奏者」とブラックの「ポルトガル人」の比較も、奥行という観点から虚の透明性をブラックにみていた。同時代のドローネーの「重ね窓」とグリスの「静物」では、ガラスとビンという透明な素材を題材にしながらも、グリスの機械美学的表現と平面構成に実の透明性以上のものを見出している。1930年前後のモホリ・ナギの「ラ・サラス」とレジェの「三つの顔」はよりリアルな構成をもつ絵画である。コルビュジエのシュタイン邸に見られる透明性がここから発見されていったようだ。ピカソの「アルルの女」はその究極である。多義的解釈の限りない可能性がそこに見出されている。建築に応用すると、それはバウハウスとコルビュジェの決定的違いとなる。バウハウスのデッサウの写真の角度だけが動きを表現しているとまで言及しているのには驚いた。建築写真の正面性に対する信仰はここから来ていることを感じる。現代のアングル設定はむしろそれを逆手に取ったものである。

5月24日(火)
「理想的ヴィラの数学」C・ロウの再読。数学、あるいは幾何学の自然に拠る(透明)美について再確認したいと思い再読する。時間が経つと読後印象も変わるものであった。もちろんC・ロウは、幾何学に拠る透明美に触れながらも、コルビュジエの饒舌さこそを語っている。このことに気づく。コルが数学や幾何学もひとつの慣習として扱っていることを、括弧つけとまでいっていた。こうした幾何学とか、ロココ的快適さとか、機械の精巧さとか、自然淘汰のプロセスとかを、様々な文脈においてオリジナルの意味をとどめていコルビュジエは扱っている。したがって建築を体験する人は混乱と空白感を一端は感じるものの、「問題と認識と同時に解答も与えられていることを知り、理にかなった秩序の存在を直感的に理解して十分に納得する」。これは、カントやバーグの快適性の定義と重なる。そしてこのためにコルビュジエが用いるプランは、閉じない散逸的なものである。それは、パラディオの中心性の高いプランと根本を異にする。この視点に立った4層構造論を思いつく。つまり、微細なところまでの意識化する4層構造が、散逸に向かうか、あるいは中心性をもつかという岐路についての問題である。空間が透明な場となるための岐路についてである。

5月23日(月)
午前中に行った建築計画2とゼミの内容がシンクロする。現代に翻訳した場合の「虚の透明性」についてである。多木浩二の「生きられた家」を出すまでもなく、現代建築は徐々に身体化されていった。象徴的な近代建築に対して、経験的日常的な場の提案である。身体化とは、建築と人との境界をなくすことであること考えれば、建築があらゆる局面でストレスなく緩やかに利用する人と密接な関係をもつことによって、境界が意識されなくなる。このことこそ、透明なのでないだろうか。それは使う側でなくつくり手の立場からの身体的透明論である。フラーのいう「エフェメラリゼーション」に近い。それには、問題が十分に広く微細なところまで意識化されることが前提となる。難波さんの体系的4層構造、あるいはサスティナブル論からこのことを学んだ。身体的というよりニューロン的ということだろうと思う。

5月22日(日)
香川のドイツ杯決勝ダイジェストをYouTubeで観る。延長後半からの出場であった。香川の調子が落ち気味であったことと、トゥヘルの守備的な戦術によるものだ。今季第1戦に行った前戦からのアロンソとボアティングへの常時プレッシングを香川が続けることを無理とトゥヘルは判断し、ボールのおさまりどころとなる後方を固める守備的にした(第2戦はボアティングが欠場)。ドルトムントは引いた後方からの速攻がいくつかできていたが、オバメヤンが決め切れていなかった。PKの末、優勝を逃す。バイエルンの選手は、代表戦で死闘の後の数々のPK戦をくぐり抜けてきたことを思い出す。その差が出た。

5月21日(土)
071 EL ミラン×ユヴェントス
ミランの中盤ががんばる。早いプレッシングから、セカンドボールを支配した。ミランは久しぶりのファイトを見せる。しかし、前線がフィニッシュまではいかず、延長後半終了間際に得点を許し0-1で負ける。本田は先発フル出場するも、決定機はつくれず。前週ローマ戦の失態を覆すことができなかった。これで来季のヨーロッパでの戦いはなくなった。1年間、本田を追いかけてきた。監督が変わるも自らの力でチーム内でのこのポジションを手にした。その精神力と実力に脱帽する。しかし10番にまで至っていない。周囲からの10番の期待に来季どう応えるかが本田の次の課題だろう。

5月20日(金)
BSで「The Next Three Days」を観る。ラッセル・クロウ主演の無実の妻を牢獄から救うというラブアクションムービー。彼は芯から妻を信じ愛していた。そうした妻を救う後半のアクションより、その過程にまで至るラッセル・クロウ変貌の演技が凄い。それは、彼自らが大学で講義をする「ドン・キホーテ」に自分がなるべきことを自覚、取り憑かれていく過程である。世界が合理性に支配されているのなら、なぜ人生は合理的にできていないのかという自問から発して、自らが想い描く世界が全てと認め、人生を自らの手で選択すべきという考えに至る過程である。そこに心動かされる。

5月18日(水)
ゼミにて、今年の大学院2年生の修士研究の方針を聞く。現代性に着目する場合、それは社会に脈絡と受け継がれてきた前提、これを見えざる大文字の他者といってもよいが、これに対するのものであることを指摘する。例えば公共性は主体性偏重の反対側にあるものであり、アノニマス性は強烈な美学に抗するものとしてある。こんなことに気づいたのも最近のことである。相対的、あるいは歴史的な視点によって見えてくるものである。そのひとつにパララックス・ヴューもある。彼らの挙げたテーマに「時間」にかんするものも多かったが、時間こそどれだけ俯瞰的な立場でいられるかが重要となるのだろう。とはいえ新しい修士研究の方向性が遅ればせながらぼくにも見えてきた。

5月16日(月)
070 プレミア チェルシー×レスター
セスクを中心に左サイドから展開するチェルシーに一度は崩されるも、レスターはその後耐え凌ぐ。そして少ないチャンスをものにする。今日はドリンクウォーターの強烈なミドルで追いつく。しぶとい。今季はこういう展開が多かった。

5月15日(日)
夕方、難波事務所へ行く。縦ログ構法の今年の目標について話合う。縦ログに関しては段階的に実験を行っている。そしてそれをフィードバックできる状況にある。設計時につきももの不確定要件に惑わされることもない。着実に進むことを経験している。それは、作品という一品つくりの過程と異なり、標準化を考えることである。このことに気づいた。池辺さんのデザインスゴロクの中央にスタンダードがある意味を実感する。このチャンスを積極的に活用しよう。
069 ブンデス ドルトムント×ケルン
録画で観る。ドルトムントプレヤーに喪失感が漂う。最後にケルンに決められ最終戦を引き分ける。香川もこの2試合精彩を欠く。引いてくる相手に対して上手く連携できず、ドルトの悪いパターンとなり、来週のカップ戦が心配である。

5月14日(土)
068 セリエA ミラン×ローマ
ローマは0トップではあるが、前線からのゲーゲンプレッシングとダイレクトパスで攻撃するのは、ドルトムントに似ている。そうしたローマにミランは為す術がない。昔の王者の風格すらなく、抜本的な改革が必要だろう。本田は今日もトップ下で先発、後半途中からボナベントゥーラが怪我から復帰果たすと、4-4-2の右になる。トップ下のときに4度シュートを放つ。1回目は狙いを定めて右端を狙ったのをGKに阻まれ、2回目は思いきっり振り切ったが、枠を大きく外した。トップ下の決定的な仕事ができなかったことが10番としては不適であるが、それを本田に期待するのもかわいそうだ。7番当たりで入団していれば、最適でなっかたろうか。しかし4-4-2からミランは安定する。3点を奪われ試合の結果がみえ、ローマのテンションが下がったこともあるが、ミランはよいかたちをやっとつくれた。本田もその中で、2度ほしいシュートを放つ。これでリーグ戦が終わる。7位で終了したミランは、是が非でもカップ戦決勝をユーベからもぎ取り、来季のEL入りを目指さなければならない。

5月13日(金)
福祉施設アグリケアの現地審査を受けるためつくば行き。久しぶりに建物に入る。外構も落ち着いてきた。室内は明るく清潔感が漂う。どこからも中庭が見えるのは、成功だったのでないか?その後審査員中村勉氏に概要を紹介し、建物を案内する。性能を数値化として示すことを求められた。加えて、細かな配慮設計を指摘される。それは、4人部屋を個室のように金をかけないで感じさせるような配慮である。そのためのいくつかのノウハウを教えてくれた。中村さんは、芳賀沼さんのログ材の使い方をずっと追いかけてくれている。ありがたいことだ。したがって、これからのマッシブホルツ木材の方向性についても話をする。木造は扱いが難しいので、ディテールを凝るほどそれがコストに跳ね返る。とくに材の伸縮による隙間の処理をどうするかにそれが表れる。それを通して、そのバランスを聞きたかったようだ。その議論となった。1時間ばかり案内をして、つくばを発つ。

5月11日(水)
大学院授業で、シビルエンジニアのネイ・パートナーズのネイ氏と日本代表渡邊竜一氏を迎えてのレクチャー。渡邊さんからは日本での活動を聞く。札幌の路面電車駅や熊本のフェリーターミナルのプロムナード、長崎出島のアプローチブリッジなどが紹介される。鉄板を使い表現が軽く、造船の溶接技術を最大限利用している。とがったデザインは役所との衝突が多く、人間関係を構築することにデザイン以上のエネルギーを割いていた。この構築にも興味があるようだ。ネイ氏のブリッジはアール、S字のものが多い。これも軽く現代的である。その複雑な構造原理を優しく解説してくれた。橋の下空間に注目しているのも面白い。そこにプラザ的な交流を期待しているのが建築的だ。彼らは美しい構造物をデザインする。それを成立させるために、あるいはそうしたデザインだけでは満足していないためか(そこに彼らの特徴がある)、人と場所の共有を同時にデザインしている。最近日本で見られる共有の場ありきからはじまるデザインと反対である、このことに同感できた。ベネチアに模型を再送する。

5月9日(月)
多田研究室と合同ゼミ、パスタブリッジを終える。今年のレギュレーションは、1mスパンに対して自重/耐荷重を競う