12月31日(水)
朝早く起き、新幹線で京都へ向かう。東京より少し寒い。レンタカーで天龍寺へ行き、庭園を抜けて竹林を散策する。外国人の好む日本の風景である。途中、野宮神社に寄る。娘が修学旅行で気に入ったという竹籠弁当を、渡月橋脇の旅館で頂く。2年前の台風で桂川が氾濫し、この旅館もは水没したという。その日、僕は入試のためにひとり遅れてブータンへ旅立った。成田の飛行機の中で3時間待たされたことを思い出す。帰りがけに上賀茂神社に立ち寄る。1対の円錐形の砂壇はいつ見てもかっこいい。名前と歳を記入した紙の人形を祝詞とともに川に流す1年の厄払いの儀式に参加する。これを大祓式という。これを執り行うのは、この上賀茂神社、下鴨神社、八坂神社、今宮神社くらいだそうだ。厳かな儀式であった。ホテルでチェックインをすませ、老舗の蕎麦屋、河道屋へ行く。真丈、飛龍頭、蕎麦、うどんを煮込んだ芳香炉を皆で頂く。ゆく年来る年をテレビで見て、新年を迎える。

12月29日(月)
ザックジャパンの4年間のドキュメンタリー「通訳日記 ザックジャパンの4年間の記録」を見る。通訳であった矢野大輔氏は、15歳でイタリアへサッカー留学をし、トリノのユースに所属していたことを知る。その後に大黒のトリノ在籍時にザックのもとで通訳をしていたのが、ふたりの関係のはじまりである。ザックは、戦略を通じてエリートを引っ張る大企業の社長というより、人心把握力に優れた中小企業の社長のようで、矢野氏を懐に入れた。それは選手にたいしても同様で、矢野氏を通して、ザックと本田は戦術の疑問を投げかけては、それをゲームに反映させようとていた。10番は香川であったが、ゲーム司令塔は本田であり、その両輪でチームを熟成させていった。W杯の敗因として、強豪国にたいしても攻撃的にのぞんだことが上げられる。それによって守備が崩壊した。なぜ、あそこまで自分たちの連動サッカーにこだわったかである。その疑問が解ける。ザッケローニは、選手に足りないものが国際経験のなさからくる自信のなさにあるとし、いかなる状況においてもスタイルの一貫性を要求し、自信を付けさせようとしていた。選手たちはそれを最後まで実行に移した訳であるが、上手くいかなかったのは、最後まで自信が足りなかったか、自信があってもそれに伴う実力が足りなかったは、神のみぞ知ることである。ともかく3戦の負け方は自爆に近いものであった。しかしそれ程までに、ザックと選手たちは信頼しあっていた。内田と長谷部が空港までザックを見送りに行ったことがそのことをよくあらわしている。

12月28日(日)
173 12月26日 プレミア サウサンプトン×チェルシー
吉田が4バックの右で先発出場。ぶ厚い攻撃陣を擁するチェルシーに対し、時に6バックとなる苦しい展開。吉田と対峙するのは、10番のアザール。右のWBが最初にアタックし、吉田はその後から2重の守りで、アザールを徹底マークする。しかし前半終了間際に、速攻からアザールに左右に振られ、得点を許してしまった。吉田は、サイド深くえぐられるのを防ぐために中央に逃がしたのだが、吉田のさらに後ろのCBフォンテが対応しきれなかった。アザールが余裕をもてたのは、吉田のマークが甘かったためである。最初のアタックでアザールを押さえるべきだった。後半はチェルシーが猛攻を仕掛けるも、どちらもスコアならず1-1のドロー。吉田はイエローをもらい、62分に途中交代となる。

12月27日(土)
「こどもたちに語るポストモダン」リオタール著を読み終わる。カントの崇高論とヘーゲルの弁証法が度々言及される。モノが多様になればなるほど、その差異=価値を示すものが、実は貨幣という単一なものに収斂されてしまうという状況がポストモダンであるという。これが、レーガン・サッチャー政権下で主導的に行われてきた。この前提の中で重用されなければいけないのが、事件を起こす芸術家である。事件の想起、暗示によって、価値が一本化されるのを留める。このように考えると、対立していたハーヴェイとの違いが曖昧になる。
続けて「空間の詩学」ガストン・バシュラールを読む。科学が純粋に客観的でいられることはなく、意識と物質性を離して考えることは無意味なことを、バシュラールは主張した。空間も同様である。意識してはじめて見えるものなのである。

12月26日(金)
JIA新人賞の現場審査のために「風の音」芦澤竜一設計へ行く。エオリアンハープという楽器に魅せられ、それを建築にするという、近頃あまり見ることのないモノと格闘している建築である。残念ながら、琵琶湖からの風量が足りずに今日はその音を聞くことができなかった。が、内部に入ると湖をバックに、不思議な紡錘型の空間の迫力は感じられた。それが短手の断面形状に現れている。エオリアンハープは、ギリシアを起源にもつが、18〜19世紀にはじまったものという。バイオリンをはじめ楽器の発達と音楽の先鋭化に対するものであっただろう。この作品も現代のカウンターバランスとして存在する。隣に建つ芦澤さん設計のホテルに付随したチャペルは、最も資本主義的な消費を煽るビルディングタイプである。そうした商業施設の設計に対し自覚的に、消費されまいとする挑戦が、自然というテーマを異様なかたちで処理したエオリアンハープ建築となって現れている。そこを評価したいと思う。ただし、琵琶湖を含む自然はさらに雄大であった。少し離れた岸辺からは、かわいくみえてしまう。ホテル棟に見られたマテリアルへの執着によって、それも解決できるように思えるのだが、それは予算の制限がおおきかったことをお聞きした。夕方事務所に戻ってから卒業設計のエスキスをする。上手い下手に関係なく、モノと格闘し、何かを生み出そうとする意志をもつようにアドバイスする。

12月25日(木)
現代思想1月増刊号柄谷行人特集を読むユートピアと建築の意志を同意にあつかっていることを知る。意志とは、信頼すべき何かがあるということだ。それをユートピアという。僕も11月に磯崎展に行き、そうしたユートピアの必要性を感じ、それを日記に書いた。行き詰まりの限界を感じたのである。ところで「建築の意志」という言葉を知ったのは、おそらく90年代初めに難波さんのINAXレポート「モダニティの条件」というタイトルの寄稿からであったと思う。僕が担当していた「EXマシーン」の完成前の模型写真と共に、難波さんがこのアドバルーンをあげたことにたいし、感動した記憶がある。ポストモダニズムの絶頂期で、「大きな物語」を発言することがナンセンスであるとされていた時代の寄稿である。時代風潮と真反対な発言だった。今から思うと、そのとき難波さんは既にデヴィット・ハーヴェイを誰より早く読み吸収していたのだろうと思う。難波さんとの対談を切っ掛けに僕もこの本を最近再読した。ここに書かれていたことは、序論のラバンの「住むための都市」やシンディ・シャーマンの写真にあるような、矛盾に満ちた都市においてさえそこで生きる人々の「意志」への信頼である。しかし読後に、宙づり状態な気分であったのは、こうした意志の方向性を示されることのないやり場のなさに原因があった。柄谷氏はこうした意志をユートピア指向という上昇気流に乗せようとしている。それは、氏の最近の共和国思想を構成させるダイアグラムにもあることだ。流石である。僕はというと、スピノザを囓りはじめてから「建築の4層構造」に、そうした可能性を最近見ている。ユートピアは将来を垣間見ることができないと生まれない。消費されない無限性が将来を確約する。「4層構造」を俯瞰的といいたかったのは、そこにあった。この本で、そこの繋がりの確信を持ち始めることができた。

12月24日(水)
サルハウス設計の「群馬県農業技術センター」へ行く。山々に囲まれ、水平的な拡がりのある地域にある大屋根構造、その大屋根の下に分散された実験室・事務室というコンセプトが面白い。それを木造格子型の吊り屋根で可能にしている。説明を聞いている内に、ふと丹下さんの代々木体育館の吊り屋根を思い出す。川口衛先生に聞いたのだが、力学的な垂れ具合に丹下さんは満足がいかず、もっとカーブの効いたそそり建つような形状にあえてしたという。そのための構造的対処に莫大なエネルギーとひらめきを必要とした。それを川口先生は「合理性を越えたところに美がある」といっていた。このことを思い出した。思えば代々木は、2階の高さ位置にエントランスがあり、吊り屋根の下に滑り込むように人を導く。壁の存在を感じさせないつくりになっている。代々木を持ち出すのもおかしいと思いつつも、そうした空間性は、現代的ではないのだろうか?という疑問をもった。そこの当たりを話したかったが、僕の方が内容を上手く伝えることができずに、この疑問を払拭することができなかった。ぼくも経験したことであるが、大きな試みをすると、建築家は好き放題に言うものだ。紙面の印象とは異なり、実物はそれだけチャレンジングな問題作であることを確認できた。この作品について「よく出来ている」という評価見受けられるが、その評価は相応しくないと感じる。

12月23日(火)
「空間の生産」ルフェーヴルを再度拾い読みする。面白い発見があった。この本では、近代が空間を抽象化していく過程が述べられている。そうして抽象化され均質化された空間の広まりによって、ローカルな場所性が喪失した。しかし一方で、かつての相互依存関係や、おのれの既存アイデンティをより広い文脈の中で再考するようになっている。つまり、グローバリゼーションは諸個人の多様な自己内省力を誘発しているのである。それは、建築家においては、おのれの感覚を動員して差異の空間を創出する権利ともなっている。ルフェーヴルは、こうした個人の権利を、社会空間論の中に位置づけていた。このことを再発見した。現在、人々は抽象化された矛盾にみちた生活空間の中で生きているのである。そこから、難波さんと「建築の4層構造」との関係についてわかったことがある。ふたつは別物であることに気づく。「建築の4層構造」のもとで主体的な対場をとる限り、難波さんは俯瞰的立場に立つことはない。1人の声の大きな建築家としていられる訳である。

12月22日(月)
172 12月20日 セリエA ローマ×ミラン
前半開始直後の遠目からのシュート以外は、前半に本田は見せ場をつくることができなかったが、後半から前を向く。一端下がった本田がボールを受け、入れ替わりに上がるポーリーやモントリーオへの起点となる。あるいは、左サイドのボールを受けるために中央斜めにランするかたちができあがる。そのようなよい展開になりつつあるときに、ミランは退場者を出し、守備重視の体系1-4-4を強いられてしまう。本田の変わりにDFが投入される。本田にとっては、なんともアンラッキーであった。2位ローマに対し、アウエーでのスコアレスのドローとなる。

12月21日(日)
真鶴の「シュアハウス」原田真宏・麻魚設計へ行く。天気がよく、気持ちよく1時間半を過ごす。中央の生木の柱・梁がこの建築の核心である。これは、システムに決定打を与える自然な異物としてある。それを覆うように、LVLの架構やスチールサッシュ、仕上げとしての木、左官材が散りばめられる。それを自覚的に「おおらかな調和」といっているのがよい。ただし、写真を撮ろうとすると、撮影ポイントは1点であり、彼らの設計の強さを感じざるを得ない。そう簡単に大らかな調和はできないことを知る。
171 12月20日ブンデス ドルトムント×ブレーメン
香川後半出場も流れを変えることができずに、1-2で最下位のブレーメンに負ける。問題は3つである。先制点がとれない。プレッシングがかからない。2枚のDFラインの裏をとられることでの混乱。である。これらはチームが連動することによって成立するのであるが、狂った歯車を正しく修正して連動させることの難しさを感じる。

12月20日(土)
卒業設計の第2回中間発表。極めて大きな社会的問題に対し真正面から向き合う場合、そのアプローチは極めて個人的になりがちであるが、そうした案2点が苦戦している。生の建築家さえも、そうしたことをしていないので実例を見出すことができない。ましてや個人的な問題なのでアドバイスするのも難しい。かたちをつくることの大変さを知ってもらいたいと思う。彼らの将来に役立つはずだ。また逆に最終的なイメージがある程度できあがっていても、その細部まで詰め切れないで苦労し、足文状態の案が数点ある。自分の中で、案のジャンプを狙っているものの、それを起こすことがでいないという案である。その数点には、いくつか期待を込めてアドバイスを行う。

12月19日(金)
修士設計の中間発表。どの先生も、あらかじめ僕が抱いていたような感想を持つことに驚く。かたちをつくるには、それ相応の覚悟がいる。僕にいわせると、その自信のなさが、構造への傾倒、環境への傾倒、コミュニティ論というものにつながっていく。他者への依存と言うべきものであろうか。自ら退路を打ち切ったと思ってくれればと思う。また、将来への膨大な夢を描いている案がひとつある。それは、今の社会では実現不可能なことであるが、しなければならないことであるので、比較的イメージがし易い。そこから逆照射して現在を設計するようにアドバイスをする。これは修士・卒業設計では今までになかったパタンである。
NHKで、マーカス・デュ・ソートイ教授による「芸術と数学」をみる。コルビュジエ、クセナキスが登場し、ジャクソン・ポロックも登場する。凝視しても拡大しても、同じ絵柄が登場してくる彼の画法にフラクタル性をみていた。ボルヘスの「バベルの図書館」も取り上げられる。それを幾何でもって説明してくれた。それは、トーラス状のかたちになる。今度読んで見よう。数学にせよ、芸術にせよ、どちらも何かを発見したときの喜びは大きい。詰まるところは、ふたつとも大きな喜びを与えてくれるものなのである。最後にポアンカレの言葉を紹介して授業を終える。「創作的な行為では、意味のない組み合わせをつくってはいけない。何かをつくることは、何かを見極めて選ぶことだ。発明家の頭に意味のない選択が姿を現すことはない。」
170 12月16日 ブンデス ドルトムント×ヴォルスブルグ
ドルトムントの迷走は続く。攻撃のかたちもつくれない状況が続く。

12月18日(木)
モネの睡蓮を見る。北斎の富嶽36景を見て、モネはルーアン大聖堂の連作をはじめたという。睡蓮も連作である。岡崎乾二郎さんが、モネを「印象派といっても本当はモネしかいない」とまでいっていたことを思い出す。モネは、近代絵画の断絶をつくった。それまで近代絵画家は、いかに新しい絵画言語を創設するかを考えていたのだが、それはある種の規範を受け入れていたことも同時に意味する。コルビュジエがこれまでの美学を受け入れていたのでないか、というバンハムの批判と同じである。モネは「主体的判断を放棄して」「自分をまったくの感覚的装置に化す」という立場に徹底し、規範からの断絶をつくることに成功したという。そして、その後のセザンヌ、ピカソを導いた。これを岡崎は、本居宣長を引き合いに、モネには「漢意がない」という。徹底した形式化によって、これまでとの断絶を可能にし、「漢意」というものをあらためて発見した。「建築の4層構造」にも同様の可能性をかんじる。これまでの建築的習慣を徹底的になくすためのデバイスでないだろうか。スピノザが用いたユークリッド幾何学の徹底に近いものを感じる。
続けて、ベイトソンの娘メアリーとの間の「会話の輪郭」についても思い出した。「(会話も)終わらないうちには見えない。輪郭というのは、内側からは見えないものだ」という対話であったと記憶している。輪郭とは何か?、ベイトソン自身も明快な答えを出してはいない。神(上)から降ってくるものでもなく、あるいは話し手の内部にあるものでもなく、岡崎流にいうなら、会話によってあぶり出てくるものなのだろう。文化という歴史を背負いながら新しいものの創造を、会話(言葉)を通してつくることが可能である。建築において歴史を背負いながらも過去にとらわれないためには、「建築の4層構造」的な形式化が必要なのだろうと思う。

12月17日(水)
「ポストモダニティの条件」を読み終わる。最終的には、フォーディズム的モダニティとフレキシブルなモダニティは、資本に取り込まれるという点において連続しているという。つまり、モダニティとは、空間と時間をいかに配分するかをはじめて考えた世界で、その分配のしかたの違いでしかないという結論であった。それは、政治によって決定される。しかし、フレキシブルなモダニティにおいては、その政治性が意識されないことが多く、それに対する警告が付されている。現実はそのようにすすみ、少し宙づりにあったような結論であった。

12月16日(火)
「ポストモダニティの条件」の第4部に入る。断片化された世界、それをポストモダニティというなら、それをハーヴェイは歴史—地理的状況として語ろうとしている(21章)。それは兎にも角にも俯瞰することだと考える。ハーヴェイはこのことをメタ理論といい、それは俯瞰とは異なりボトムアップをイメージさせる。
168 12月14日 セリエA ミラン×ナポリ
ミランの攻撃がどちらかというと本田と反対の左サイドに集中する。得点はメネズの個人技からであり、本田が最近点に絡むことができない状況である。とはいえチームバランスをとり、ボールの供給源になっていることに変わりない。決め毎が多そうに見えるイタリアでのフィットを感じるのだが、チャンスが廻ってくることをのぞむばかりである。
169 12月14日 プレミア ユナイテッド×リヴァプール

12月15日(月)
難波和彦氏を千葉工大へ招いて、「建築の4層構造」というタイトルでのレクチャー。僕が進行を務める。レクチャーでは、「形の合成に関するノート」から、難波さんが4層構造という考えに至るまでの説明をした後、3.11以降の状況を4層構造に照らし合わせて説明をする。そして「箱の家」が、数と経験を重ね、どのように変化していったかを4層構造を通して明らかにしてくれた。時間にして1時間30分。充実したレクチャーであった。その後、僕と難波さんとの対談。ボトムアップ式デザインでなく、俯瞰的なデザインの必要性について、どう考えるかの意見ををもちかけた。俯瞰的というと、アレグサンダーも当時マスタープランを否定したように、どうも聞こえが悪く、戦後、毛嫌いされてきたたテーマである。しかし、3.11以降動かない、あるいは、得体の知らない官僚制度によって仕切られる現実を切り抜けるには、ボトムアップ式ではないように思えてならない。その辺りの意見をお聞きしたがった。が、難波さんは、絶対に自分が俯瞰的視点に立つことを拒否し、あくまでも声の大きな1人の底辺の存在であることにこだわっていた。僕としてはその考えでは、コミュニティ場を持ち出す学生、あるいは、かたちをいじくり回す建築家、のように「小さな物語」の戯言としてしか見られないので、もう少し現実社会と持続する手立て、それを俯瞰的視点と言いたいのだが、それについての話をしたかった。もう少し言うと、柄谷行人がいうように、蔓延する鬱憤は、その解決を求めて突如としてある方向に集結することがある。その鬱憤を間違った方向に導かないための「振り」と「篩い」が、4層構造のような思考方法にあると考えている。それを俯瞰的と言いたかったが、上手くいかずに悔しい思いをする。

12月14日(日)
167 12月13日 ブンデス ベルリン×ドルトムント
香川が2戦続けて出場せず。前戦はギュンドアンによって、チームに活性化がもたらされたが、今回はそうはいかずに、停滞した試合となった。前半途中に10番ムヒタリアンが怪我のために欠場し、後半から、ラモスを入れ2トップのかたちにするも戦況変わらず、香川はクロップの信用を失ったのだろうか、こうした状況でも最後に投入されたのはシャヒンであった。前戦で、うまくいったボールの取りどころが機能していなかった。ボールを持たされ感があり、前戦が最終ラインに吸収されてしまったことで、チャンスらしいチャンスもない。少しあきらめというかいやな雰囲気を感じる。ウインターブレイクまでの2戦の巻き返しという雰囲気ではない。

12月13日(土)
15章は、空間と時間の啓蒙の歴史について。ルネサンス時代のブルネルスキとアルベルティからその歴史の説明がはじめられる。彼らの編み出した遠近法は、自然の法則と調和しているという感覚、神によって幾何学的に秩序づけられた世界の中での人間の道徳的責任を強調する考えとして、当時の社会に受け入れられたという。今日ではあたりまえの個人主義はこうした神話や宗教からの離脱によってこの時期に可能になったのである。そして一端、個人主義的側面が認められるようになった空間は、その表象のために、その客観性を保証するために、地図というものを必要とし、その後は地図による啓蒙が続けられることとなる。近代ではこれが徹底され、ルフェーヴル「空間の生産」にいわせると、空間の細分化が行われ、自由に売買可能にまで空間は均質化されていった。16章では、それがエスカレートした状況を、時間・空間の圧縮と表現している。

12月12日(金)
13章「社会生活での個人的空間と時間」。社会論からの空間記述について。セルドー、バシュラール、ブルデュー、フーコーが挙げられる。セルドーは、支配的で抑圧的な秩序から創造される個人空間について。ブルデューは、時間的空間的構成が文化をつくるというもの、パシュラールは、空間の不連続性について、空間は客観的なものでなく私的で想像力の下のものであるというもの。それらをまとめてルフェーヴルについても言及される。空間を経験されるもの、知覚されるもの、想像されるものとして俯瞰し、モダニストからポストモダニズムへの思考形式の変化、空間的経験の変容を分析する。14章は、社会的権力の空間と時間の支配について。これもルフェーヴルの空間支配が下敷きとされる。

12月11日(木)
「ポストモダニティの条件」の第3部「空間と時間の経験」を読む。つまるところ、彼の主張は、時間と空間の表象方法によって、社会、経済を捉えようとするものである。それはこれまで、科学の分野でも、社会学の分野でも、美学分野でもなされてきたのであるが、それがオーバーラップすることはなかったという。社会学では、社会変動、近代化、技術的政治的変革という進歩=時間が主であり、空間を征服しようとしてきた。美学では逆に、空間化することで時間を超越しようとしてきたという。以下は、時間と空間の表象に従った社会についてが説明される。

12月10日(水)
166 12月 9日 CL ドルトムント×アンデレヒト
香川がトップ下に復帰し、ドルトムントはその下にシャヒンとギュンドアンを配置するという攻撃的なかたちでのぞむ。そのため香川は、これまでの出し手から受け手になり、最終ラインの裏への抜け出しを何度か試みる。しかし得点は、香川が少し下がったところへシャヒンが上がり、そこへ香川からの鋭い縦パスが供給されたところからはじまったものであった。クロップは、リーグ戦にむけて様々な試みができただろう。最後は、ジェワイコフスキーも復帰を果たす。ゲームは1-1のドローとなるも、グループステージ1位通過を決める。

12月 9日(火)
「ポストモダニティの条件」の第2部を読む。第2部は経済社会がテーマとなる。1973年までの安定した消費に支えられ、経済発展してきた時代をフォーディズムという。それに対し、その後の少なくなった利ざやを上手く均等させるように考えられたのがフレキシブルな蓄積方法にもとづく時代である。この時代は、労働を再分配し、フレキシブル化させ、様々な産業が生まれる一方、強力な政治体制も台頭する。フォーディズムからフレキシブルな蓄積への移動は、社会経済システムの変化と連動すると同時に、個人消費者の個人主義にも支えられているという視点が面白い。自由になったこともひとつの原因という訳だ。そして、個人主義、すなわち断片状態は、経済的、心理的に不安定な状態であるので、基本的な諸制度、家族、地域、国家の権威が最重視されることになったという。しかし、その移行は一方的なものではなく、バランスの上に変化するものだという。

12月 8日(月)
「ポストモダニティの条件」デヴィット・ハーヴェイ著を再読はじめる。序論において、ジョナサン・ラバンの「住むための都市」が紹介される。都市の危機がさけばれる一方で、そこに住む人間の力は決して衰えていないという例としてこの本が挙げられている。どうやら本書はモダン後の世界を失墜と見るのではなく、なおかつ新しい力が生まれる希望の時代としてみようとしているらしい。以下の章では、具体例を示しながら社会と時代の関係が示される。第一部では、建築や芸術を例に挙げ、モダニズムとポストモダニズムの連続性を主張し、先のリオタールがいう2つの時代の断絶を批判する。リオタールは、大きな物語が終わって、ポストモダンの時代は、ローカルに限定された正当性のみが生きる時代になるというが、それでは、他者との関係を不透明にし、最終的には他者を認めないことにつながってしまう。声の大きな権力が入り込む余地を与える危険性をはらむので、メタ理論の必要性を訴える。この本の出版は1990年。残念ながら現実はリオタールがいうように進んでしまった。

12月 7日(日)
165 12月 7日 セリエA ジェノア×ミラン
チャンスをつくれず本田は70分で交代される。試合も0-1でミラン落とす。本田にもイタリア発の厳しいコメントがネットに流れる。3トップの連携がみられなかった。その後、マインツの試合を見ると、最後に岡崎は決めている。チーム内の信頼の差を感じる。

12月 6日(土)
164 12月 5日 ブンデス ドルトムント×ホッヘンハイム
ドルトムントが久しぶりに緊張感のあるよい試合をする。相手に対してプレスが効き、終始ドルトムントペースとなる。香川に代わってトップ下に入ったギュンドアンとCBのフンメルス、この試合で復帰を果たしたふたりの功績が大きかった。ただし、シュートを相変わらず決められない。

12月 5日(金)
福島南会津に行き、NIKEプロジェクトの説明会とワークショップ。峠は雪が降り、氷点下であった。使い方についての疑問を投げかけられる。敷地が狭いことなので、何ともしようがなかったが、それを理解してもらい、再スタートとなる。
NHKで、マーカス・デュ・ソートイ教授によるオックスフォード大学の白熱教室をみる。知っている知識を紹介することよりも、自分の知らない領域についての共有をつくることの大切さを知る。彼の最大の探究テーマは、素数についてであり、素数を数式化するための試みがいくつか示される。はじめは、ユークリッドによる素数の無限性の証明。スピノザを通して、無限性の獲得方法について知っていたものである。もうひとつは、ガウス曲線の意味について。それは、素数階段を近似するところから生まれたものであるという。次回はシンメトリー。かたちと数学をつなぐ話である。

12月 3日(水)
「ポスト・モダンの条件」リオタール著を読む。モダンな歴史観そのものが実行性を失い、失墜した60年代後半から70年代以降の世界観をポスト・モダンという。これ以降、知は、資本を支える技術と効率に従った判断基準に陥ってしまったという小林康夫の訳書でもある。「パラロジー」がキーワードとなる。パラロジーとは、正当性がなくなった世界で、あらゆるシステムのルールを疑い、システム同士の統合をも拒否するような考えである。ただし、最終的に「創発」というものを狙っている。それはもちろんローカルなものである。ハーバマスとルーマンがしばしば登場する。ルーマンのオートポイエーシス、ハーバマスのコミュニケーション理論が下敷きになり、読み始めの予想に反して、将来への希望を与えてくれる書であった。

12月 2日(火)
テイヤール・ド・シャルダン「現象としての人間」を読む。磯崎氏によって、Dトンプソンの「生物のかたち」と同列にされていたので興味をもつ。1955年に書かれ、科学によってこの世界がどのようになるかを進化論のように著した書である。世界も宇宙も、前のものを基礎としながら、まったく新しい多くの性質を付け加えて、終局的な完成、オメガ点というものに行く過程が記される。その途中に人間がいて、それ故に、進化とは、物質的なものだけでなく精神的な性質も含んでいる。あとがきに、シャルダンを、「物質は退化、崩壊運動であり、創造的進化とは物質に対する生命の戦い」といったベルクソンより、「物質は生命をもつ可能性を有し、生命は精神をもつ可能性を有する」といったブロンデルの立場に近いとある。ブロンデルに興味を持つ。進化の精神性というと難しいが、人は、世界についての知識を変えることによって、自分が知っている世界を変えることができることをいっているのだと理解する。オメガという崇高な概念にここでも廻り合う。

12月 1日(月)
EDLゼミにて先週に引き続き、最近の展覧会のレポートを聞く。「国宝展」では、最近国宝指定がされた縄文土偶を知る。この展覧会のメインのひとつである。「菊竹請訓展」では、先日シンポジウムが行われた内容も紹介される。菊竹氏が神話化されていることが印象的であったようだ。「ティム・バートン展」では、そのキャラクターの同時代性が指摘される。僕としては、建築で言う機能性にあたるストーリー性とかたちにあたる映像との関係を考えてほしかった。彼の中に、ストーリー性を突破する勢いが映像に認められる。それは時代性でなく、彼のキャラクターの強さにあると思うのだが、それについては以前、建築文化に書いたことがあった。続いて、「ラインズ」の読書会を行う。
「想像の共同体」を読み終わる。最後にネーション化の副次的な方法として、人口調査、地図、博物館があげられる。これらは、ベンヤミンのいう複製技術時代の産物である。今まで曖昧だったものが、人口調査によって少数である事実が明らかにされると同時に相対化され、母体、すなわちネーションの一部である既成事実もつくられる。地図も同様である。博物館は、これまで顧りみられることがなかった事実が伝統として位置づけられ、民衆のアイデンティつくりに一役買うこととなる。複製技術時代につくられた形式によって、人ネーションとしての想像力が形成されていく、その過程が示される。

11月30日(日)
163 11月30日 ブンデス フランクフルト×ドルトムント
ドルトムントは、自陣に引きカウンターを狙うフランクフルトの術中にはまる。縦パスが入った瞬間の香川が狙われ、1発のロングパスによって2枚のCBの間を突破された。その後は、最終ラインを崩すことができず完封される。いよいよ先が見えなくなる。
163 11月30日 セリエA ミラン×サンプドリア
本田の進化をみる。自らが仕掛け、あるいはゴール前にポジショニングし、フィニッシャーとなるFWへの進化である。4度ほどシュートチャンスがあるも、ゴールをこじ開けるまで至らなかったのは、残念であった。左サイドでは、エルシャーラビーが、メネスが、本田と同等なプレーを見せている。

11月29日(土)
「想像の共同体」を読む。ネーション成立の条件が、「ネーションビルディング」政策、正真正銘の民衆的ナショナリズムの熱情、マス・メディア、教育制度、体系的でマキアヴェリ(現実)的な行政があげられる。7章は、「なぜ人々はこれらの発明品(想像の共同体=ネーション)のために死のうとまでするのか」 という説明がされる。その理由として、家族が伝統的に、利害を超越した無私の愛と連帯の領域と考えられてきたように、国民の意味は、それが利害をもたないところにあるとされる。国民とは、道義的崇高さを帯び、たやすく参加したり脱退できないものであり、言語の特殊な同時存在的な共同性によって繋がれている。国民は、言語によって開かれつつ閉ざされたものなのであることが記される。ここでも崇高がキーワードである。

11月28日(金)
ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」を読む。スコットランドの18世紀後半において、独立運動が起こらなかった理由についての記述がこの本の主旨をよくを示している。スコットランドはこの時期に優秀な人材を排出し、独立するもっともよい時期にあったという。スコットランド語は、英語と多種言語が混ざり合っった言語で、17世紀初頭には、宮廷や社会的エリートによってそれが話されていた。つまり、イギリス化の土壌ができていた。ナショナリズムの時代到来の以前に、ヨーロッパ的な特定俗語と結びついた国民主義運動の可能性を効果的に排除していたという。そのため、独立の必要性がなかった。独立心は自発的なものと言うより、他者の束縛からの逃避に要因があるというものである。6章では、帝国主義以前の「公的ナショナリズム」について言及される。公的ナショナリズムは、19世紀半ば頃からヨーロッパで発展し、第2次大戦ではその支配を免れた日本とタイによって模倣された。大戦後こうした拘束から逃れ、東アジアはネーション化に至る。

11月27日(木)
研究室のゼミで最近の展覧会のレポートを受ける。「ジオ・ポンティ展」のキーワードは、皮膚、表面。スイスの建築家ヘルツォーク、ズントー、ペーター・メルクリ、オルジャティには表面性に特徴がある。そこから、再びジオ・ポンティの多彩なマテリアルとの戯れが注目されているという。彼は、ジノリのアートディレクターからキャリアをはじめていたので、初期のインテリアが青であることの謎が解ける。総じてモダニズムは、建築の表面性に重きを置かなかった。それに対し彼は重い質感の素材に軽さと薄さを与えようとしていた。その試みが紹介される。菱田春草展」と「チューリッヒ美術展」のレポートは、作品を通じて、1900年前後の日本と西欧の場所・背景の違いが意識できた。展覧会の詳細は、10月終わりの日記に書いた。が、それとは別に美術といえどもテーマにおいて、闘う相手がいることをあらためて思う。それは日本画であれば、西欧化に対してであり、西欧では、一般大衆を代弁する自分に向けられていたのである。コルビュジエをはじめとするこの時期の建築家が評価されてよいと思うのは、こうした私的になりがちな作品テーマを、集合住宅や工業化を通してもう一度、社会化を目指したところにある。この時期の日本画にも、日本に珍しく、そうした視点をもっていた。その点からすると、スイスの現代建築家に、少し物足りなさを感じてしまう。

11月26日(水)
163 11月25日 CL アーセナル×ドルトムント
スピィーディな試合を期待したにも関わらず、退屈な試合であった。そうした観点からヨーロッパのスポーツ紙を探索してみたのだが、そうした論調はなかった。ぼくの期待しすぎであろうか?引いて6人で守るアーセナルに対して、策略の見えない90分であった。香川も然り。60分から投入されるも状況を変えるに至らなかった。

11月25日(火)
ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」を読む。柄谷行人を通じて理解していたアンダーソンと磯崎のそれがかなり異なっていることに気づき、読むことにする。ネーションのユートピア的な要素に価値を見出していたのが柄谷である。本書のはじめは、国民意識の起源について。国民という概念は、これまで支配的であった支配の公理がなくなったときに、はじめてイメージするものであるという。そのときに大きく貢献したのが、資本主義と印刷技術であった。4章からは、南北アメリカの独立を、その根拠によって説明する。

11月24日(月)
少し遠出をして円覚寺にいく。方丈の裏側が美しいことに気づく。石庭を囲むL字型の方丈は、1m近く地面から持ち上げられ、規則正しい建具のリズムが落ち着きを与えている。舎利殿の細かい垂木による中心性の高い天井を見たいと思うが実現していない。11月3日と正月のみに、それが公開される。
162 11月23日 セリエA ミラン×インテル
ダービーらしく、激しい試合となる。比較的下がり気味で守備をし、速攻をしかけるミランは、チームとしてのかたちができ、有利にゲームをすすめていた。そうした中、長友は相手との駆け引きの中でイニシアティブを握っていたと思う。堂々としていた。得点も長友のシュート性のセンタリングのこぼれ球によるものであった。後半途中から本田が出場。ドリブル突破から、中央に折り返してのシュートを見せる。このかたちの力強さと精度を高めていくという。1-1のドロー。

11月23日(日)
「1954-2014」を続む。日埜さんの日本の近代に対するコメントが面白い。バンハムを持ち出し、西欧モダニズムには、機能主義、ノイエザッハリカイトのように古典性から遠ざかる方向性と、ミース(コルビュジエも)のように潜在する古典性への指向のふたつがある。この両極端の間のテンションにおいて西欧の近代建築が成立したという。一方日本の場合というと、実利的なエンジニアリングの問題と、伝統的な美学との確立のあいだに建築の全ての問題があった。西欧の場合のように、土台としてのメタ建築観、すなわち大文字の建築が不在であった。工学が美学を抑圧する中で推移してしまったのである。それをカントの三批判に重ね合わせて説明していた。フレデリックジェイムソンのディズニー批判を知る。彼のディズニーの批判は、コモディティ、コマーシャリズム、コンシューマリズムの3C批判である。
7時から遠藤研究室のOB会。蔵前隅田川沿いのレストランへ行く。出席OBの全員と話ができ、皆元気で安心する。毎年何人かがアトリエ系事務所に行く。色々な面で壁に当たっているようであるが、実績を残し、研究室を引っ張ってもらいたい。

11月22日(土)
161 11月22日 ブンデス パーダーホルン×ドルトムント
香川先発も、活躍できずに、後半早々に交代。その後2 点のリードを守りきれずに今季からの昇格チームに引き分ける。ゲーム内容もさることながら、勝てない悪循環が続く。ハーフライン近くで相手を囲んで、そこから全員による速攻がドルトムントの良い時のかたちである。相手の研究もあって、そのかたちに持ち込めない。失点を恐れて、中盤の底が下がり過ぎているためと思うのだが。

11月21日(金)
磯崎新の「1954-2014」を続む。アルト・ファン・アイクについてよく理解できた。彼も集落調査を通じて、この集落が西欧近代の時間論、空間論では捉えられないものであることを発見し、「場所」と「機会」というアイデアに至ったという。ギーディオンの批判である。時間は流動的でアモルフであるのに、空間はフイックスされている。これをどうにか解決しようとした。近頃の「場」という考えもこれに属している。同時期の68年以降、磯崎も、「間」とか「アンビュキティ」というテーマを追いかける。これが手法論へと至ったのは、68 年以降の、主題のなくなった宙吊り状態、根拠不在性によっている。それが現在の学生の設計にまでも続いているというのは言い過ぎではないだろう。かつて日本浪漫派もこれを始め、その後ステレオタイプ化してしまったのである。

11月20日(木)
NHK特集で丹下健三をみる。広島平和記念館、香川県庁舎、代々木体育館、目白のカテドラルを追って紹介する。切り口は軸線。軸線の向こうに自然、未来、平和があり、それに連なるかたちで建物群がある丹下のデザインは、都市計画でなく、都市のデザインであるというもの。ここにデザインに形而上的思いが寄せられている。解説に藤森照信氏。彼の言葉が印象的である。「建築は富士山のようである。様々なアプローチの方法があり、様々に楽しめる。5合目までは。丹下だけが頂上まで上り詰めることができた」と。

11月19日(水)
青木茂氏、藤村龍至氏を千葉工大に招いてのレクチャー。藤村龍至さんは、手続きを徹底的にオープンにした設計方法を披露する。大学の授業で学生を使っているのが面白い。彼らのプリミティブなアイデアを、ユーザを巻き込みながらブラッシュアップさせていく。その過程で、建築界でしか通用しない特有な案が淘汰され、彼らのまた別の創造性が捻出される。同時に、それに参加するユーザ、役所のモチベーションまでもあげられていく。縮小時代のアーキテクト像の提案である。その活動は今や、東洋大のある鶴島市から、大宮、川越市まで波及している。聞いているうちに、スピノザ「エチカ」を思い出す。この本では、ユークリッド的な座標軸を使って、本質、情念といったものを演繹的に記述することで、それまで絶対視されていた超越的神を否定し、精神の永遠性を獲得することを試みる本であった。それと同様に藤村さんの方法も、これしかないというデザイン解答を追い求めるのではなく、ひたすら条件を整理しては解き、また新しい条件をつくることで、アイデアをバージョンアップしていく。その永遠性が、人を惹き付けていくことに感心する。ただし、ひとつ疑問も残った。それは、計画の段階であれば、頭の中のことなので永遠性が担保されるが、現実に建物をつくるとなると、モノはリミットあるものであるので、その情感が停止してしまうのではないかという疑問である。講義後、その疑問を投げかけると、建物を中心にしたコトが拡がるので、それによって担保可能であるという。そうすると、その手続きもまたオープン化されていくのだろうか? 続いて青木氏のレクチャー。これも永遠性というテーマであったと思う。氏の場合は、モノの永遠性についてであり、それをリファイニング建築といっている。家歴書をつくることからはじまり、確認申請を再提出することでリファイニングをはじめる。一般には新築の7割、大規模なもので、6割の金額で新築同様の機能をもたせることができるという。その実例をいくつも紹介してくれた。

11月18日(火)
160 11月17日 代表 日本×オーストラリア
前半途中にシステム変更をし、急にチームが活性化する。こういうゲームも久しぶりである。消えていた香川が流れを変えた。終了間際に、ケーヒルにヘディングを決められる。相変わらず、サイドからの放り込みに対する弱さを露呈する。フランスコンフェデ杯のメキシコに、ドイツW杯のオーストラリアに、今回ブラジルW杯のコートジボアールに、同様なシーンがあったことを鮮明に思い出す。

11月17日(月)
NHK特集で、建築100選をみる。99番目が代々木体育館。100番目が飛騨高山の住宅群である。寺院建築の王道に対して、日本の住宅の歴史も俯瞰する。待庵を、弥生から続く神殿・書院造と縄文から続く民家の結節点に位置づけているのが、特集の特徴を表しているようで面白い。この時期に、権力者に対する俗世間の(平民)建築が考えられるようになったのである。

11月15日(土)
磯崎新の「1954-2014」を読み続ける。「前衛的」という評価基準が68年に死んだように、「批評的」という評価基準が9.11(2001年)以降消えたと磯崎はいう。それを受けて、あえて3.11以降は、あえてもう一度ユートピアを語る必要性を感じる。全てが解体つくされ、言い尽くされた感を、読後感じたからである。夕方にEDHのOB会を開き、朝まで続く。

11月14日(金)
159 11月13日 代表 日本×ホンジュラス
海外組が安定したパフォーマンスを見せ、6-0の勝利。中盤の落ち着きを遠藤がもたらす。完璧に近い試合運びであった。長短のパスを織り交ぜることがよい方向にむかわせた。サイド奥の長いパスに、本田と酒井が応じる。それは本田がミランで要求されていることであり、相手が弱い分、成功することができた。これにより、中央での香川を中心としたワンタッチパスも有効に機能する。このかたちで、3点目と後半の2点をもぎとる。

11月13日(木)
磯崎新の「1954-2014」を読み続ける。ジェイコブスとアレグサンダーの批判として、彼らが身体性を介してデザインしていないとする記述に引きつけられる。フェノロサ、天心以降の日本浪漫派にたいして、近代をヨーロッパから受け取って、その眼を通じて日本を見ているので、彼らが実は近代主義にのっとているという主張に納得する。最も興味をもったのは、目的=テロスについてであった。70年代に入ると既に、「目標が消えた、そして目標を外した場合何ができる」かが問題にされていたという。モーターが回転する場合、自動車を動かすという目的があるのだが、その目的がなくてもモータ−は回転する。人間や都市でも、そういうものを作動させる要素がDNAに仕込まれている、こうした生成論が、この時考えられた。このときの契機となった本が、ダーシー・トンプソンの「生物のかたち」とテイヤール・ド・シャルダンの「現象としての人間」だそうだ。それは、本書でも度々登場するアレグサンダーの「パタン・ランゲージ」にあるユーザー参加にも通じる。「空間」の提案よりも「環境」の提案なのである。その後は人がうまくそれを使って自動生成する、こうしたことを考えていたらしい。これをぼくも、「串としての建築」として考えていた。ただしそのとき、歴史的位置づけができなかったことを反省する。そして、30年が経った。この解決されない問題を、新しい切り口で語る必要性を感じ、この観点から本書を読み続けることにした。

11月12日(水)
3年生の第3課題「図書館+α」の講評会。図書館に新しいプログラムを加えて、今までにない図書館を目指す課題である。ここ数年続けている。身の丈に合った要求を図書館に持ち込み、その衝突を過度に期待した案が多い。岡本太郎の対極主義を思い出させてくれるが、当然そこまでの迫力がなく、かたちにまでも落とし込めていない。その中で反対にかたちを提案することで、既存の図書館プログラムを緩く解体していく提案がいくつかあった。新しい傾向である。例えば、斜路のあるリニアな空間構成をした図書館では、本棚と均質に近接する閲覧空間ができていた。今までにない透明な図書館である。あるいは、各階が異なる平面形をした図書館では、1階にいくつものアプローチを設けることができ、様々な興味をもつ様々な人を吸い上げる図書館ができていた。この事件的な提案に、先生は等しく興味を持つ。プログラムを再編することで、コトを起こすのが文系出身のプロデューサーだとすると、彼らに真似できないモノの考え方があることが判る。

11月11日(火)
磯崎新の「1954-2014」を読みはじめる。とにかく学ぶべき知識が多い。ここから得られる歴史観から知らず知らずに影響されている。

11月10日(月)
158 11月9日 ブンデス ドルトムント×ボルシアMG
苦手なボルシアMGにドルトムントが何とか勝つ。しかしほとんどのセカンドボールをドルトムントは支配し、完全に封じ込めた試合で、完勝といってもよい。しかしそれを完勝といえないのは、チャンスを多くつくり出している状況をポジィテブに捉えずに、逆に試合を難しくしているとネガティブに捉えているからである。香川の置かれている状況も変わりつつある。チャンスメイキングをしている評価から、次第に結果を伴わないマイナス評価に変わりつつある。この試合に関しては、ほとんどゲームに参加できていなかった。香川より下にポジションをとっていたムヒタリアンがその代わりをなす。これが、クロップ指示のチーム作戦なのか、あるいは香川を事実上見限った選手間の判断であるかは、今後のゲームを見れば判る。最下位を脱し、インターナショナルマッチウィークに突入する。

11月 9日(日)
磯崎新展12×5=60へ行く。磯崎新の活動の広さを示す展覧会である。それを「建築外的思考」でまとめていた。建築外的たる所以は、趣味的であり、政治とは無縁であるところにおく。そのために中国の「文人」が引用され、これまた見識の広い話である。軽井沢の書斎「鳥小屋(トーリー・ハウス)」は極私的な小さな建築でありながら、それを壮大な歴史の中に位置づける。建築家磯崎の本領を再発見する。
157 11月8日 セリエA サンプドリア×ミラン
マークのキツい本田は前半のワンプレー以外に見せ場をつくれず、後半早々に交代。本田がボールをもつと3人に囲まれるシーンが目立っていた。バックとのつなぎの役目を上手く果たせなかった。次の壁が訪れる。

11月 8日(土)
多田邸に行く。前面道路と緑道の面する敷地である。奥様が気に入ってこの土地を探し当てたという。そうした条件に対し設計者の解答は、各階毎に方向を違えた開きをもつ縦方向に連続する提案であった。1階アプローチを緑道と反対の位置に置くことで、半地階の事務所は緑道と反対方向に開くことを可能にし、その上のリビングは大開口によって緑道に開いている。最上階の寝室は前面道路方向へ開く構成である。その展開効果を高めるため、階段を吹き抜け空間の中でなく壁沿に置き、せまい階段を上がる度に異なる開けた空間が体験できるようになっている。ともすると多層空間は単純な繰り返し空間になるところを、飽きさせない空間構成である。実に心地よい住宅であった。素材の色と照明の扱い、天井高の変化がその効果を高めている。開く方向を違えるために、各階に異なる位置に階段を置くことにスタディがさぞ繰り返されただろう。住み手の空間意識を高いレベルで反映した住宅である。住宅にはそうした心地よさに加えて、住みこなすことによってはじめて得られる快適性もあるのではないかと近頃考えている。克服することで得られる達成感のようなものである。それは、ぼくら建築家がデザインしているときに感じる快感でもある。生活に直結する住宅を、建築家があえて作品としてたらしめるのは、実はそこに鍵があるかもしれない。それは受け身の住み手にとって最大の快感である。

11月 7日(金)
「私のルイス・カーン」工藤国雄著を再読する。2年前、小布施のワークショップで工藤氏にお目にすることができた。80歳を越えていたと思う。北斎の肉筆画を絶賛していたのを思いだす。その後の学生の作品に対するクリティークで、特に芸大生に対してであったのだが、ひどく激怒していた。それは、提案がまちづくりの仕組みの提案に終始していて、ものつくりへの情熱が見えなかったからである。現実を無視したコンセプチュアルな提案であった。本書を再読して、工藤氏がなぜ激怒したかがよくわかる。全体像から順序立てて、時間にしたがって細部に至る設計をカーンはしなかった。良い悪いに時間は関係がない。プロセスを踏むという考えがなかったに等しい。いつもよりよいものを求めて、全体の組替え作業が続けられていたことが判る。コンセプチュアルであることよりもモノの迫力をカーンは追求していた。「ルーム」とはそういうものなのだろう。作品を言葉よりも身ぶりで表現していたという。見習うことは多い。

11月 6日(木)
午後から卒業論文と設計の中間発表。50近くの研究をクリティークする。具体性のある提案には多く意見を寄せることができるのだが、前提のみで終わっている研究へのコメントに困る。能力は、よいアイデアを見つけるのでなく、ひとつの考えをかたちあるものにまとめるところが試される。個人の能力はたかがしれているので、相手の意見や背景によってリライトできる能力の方が大切である。
クリティークしている内に最近の学生の建築離れについても気づく。3.11以降問題意識が大きくなったのに対し、それを解決する計画が依然として小さい。身の丈にあった提案であり、それは、大きな社会、経済のシステムに直ぐに飲み込まれてしまいそうである。案の定、教員の上から目線の真っ当な質問に対して答えることができないでいた。これでは挫折感と無力感だけが残ってしまう。いつの時代もおそらく、学生はそうして叩かれてきたのだと思うが、その中でも一筋の光明が見いだせれば、それがバネになって次に進む気になる。そうなるにはどうしたらよいかと考える。以前、光が見えていたはずの身の丈サイズの感性的な提案は、3.11以降の突きつけられた現実問題を処理できずに、吹っ飛ばされてしまったのである。

11月 5日(水)
157 11月4日 CL ドルトムント×ガラタサライ
ドルトムントは、CLにおいては安定した勝ち方をする。速攻で右のSBからの比較的長めのクロスボールにルイスが反応し先制。続けて香川のコーナーキックから2点目。香川が下がった後半には、今度は左からのクロスボールを後半から投入されたインモービルがダイレクトで決めた。先制、追加となれば、安定したパフォーマンスを見せる。ブンデスで上手く運ばないのは、こうしたサイドからの攻撃を活かすための、中央からの攻撃が機能していないことに気づく。昨年のレヴァンドフスキのキープ力が大きいことをあらためて知った。キープできることで、中央からのワンタッチのダイレクト攻撃が可能となる。

11月 4日(火)
北関東の紅葉は終わり、冬が間近まできていることを実感する。秋が短かったような気がする。
「自己組織化と進化の論理」がようやく読み終わる。最後は、テーマが広まると同時に薄まった感もある。
「力学・素材・構造デザイン」坪井・川口・佐々木等著を読む。 佐々木さんのこれまでの活動を歴史的に位置づけることできた。RCシェルは、20世紀半ばに圧巻したが、急速に衰退してしまった。それは、もっぱら幾何学的なために、当初の目新しさがなくなり、シェル下の複雑な機能にもかたちが対応できなかったからである。そうした今や古典的になってしまったシェルを、より自由で有機的な局面形状への翻訳が佐々木さんの目指したところである。それは、現代のコンピュータ・アルゴリズムの応用で可能になった。それを佐々木さんはFlux Structureと呼ぶ。川口先生のシェルに対する考えも興味深い。シェルをサスペンション構造との関係を論じることで再定義している。無応力でも形態を保つシェルは、力の再配分が有利に働き、リダンダンシーが高い。それが極めて現代的というのである。2人の巨匠の切り口は鋭い。

11月 3日(月)
ギャラ間の伊東豊雄展にいく。スタディとモックアップの大小入り混ぜた模型によって、台北オペラハウスを紹介する。2階に上がると、360°視界が開ける近未来めがねがあり、それに感動する。実世界のように見回す体験がそれで可能になる。新しいグリッドからくるイレギラーな空間のつながりに可能性を感じる。
157 11月2日 セリエA ミラン×パレルモ
ミランは引いて守る相手に前線が詰まり、それを崩す術がなく、0-2で破れる。本田は、そうした状況では不向きとみられ、途中交代される。それでもミランは硬直状況を打開できなかった。個人で打開しようと、メネスと後半出場のエルシャーラビンは、ボールを持ちすぎている。それが一層の膠着をもたらす。少しチームに疲れを感じ、躍動感が感じられない。

11月 2日(日)
新国立美術館へ「チューリッヒ美術館展」へ行く。印象派以降の近代絵画を一通り見る。モネの睡蓮や、ゴッホ、セザンヌのビィクトワール山、ムンクの前期、カンディンスキー、ミロ、キリコなど巨匠作品が一通り見られるのだが、連作の中でも最高傑作というものではなく、感動もいまいちであった。しかし時代によって、絵画のテーマが、対象物から画家の内面へ移っていくことがよくわかる。彫刻ではロダンとジャコメティふたつだけであったが、その違いは明らかである。
その足でミッドタウンサントリー美術館の「高野山の名宝」展に行く。空海の精神と壮大な歴史に育まれた日本文化を堪能できる。運慶の八大童子像と快慶の四天王像は決して大きくないが、迫力があり小さい分だけ精巧である。空海の文字も、整然とした漢字列でありながら、少し歪んでいるのがよい。五大力菩薩像(絵)の、みなぎる赤みを帯びた配色から、以前に空海展でみたマンダラ図を思い出す。本物はかなり大きかった。その縮小印刷版が国宝として展示されていた。モバイル型の携行仏像とともに、唐から持ち帰ったものである。それを源泉とする日本美術は、空海に限らず、その精巧さからくる迫力に魅力があると感じる。空海高野山の文化財は、他に類のないほど豊富である。来年は、高野山の開創1200年である。
156 11月2日 プレミア マンC×マンU
10人のユナイテッドが負ける。前半の内にスモーリングが退場。そのためかファン・ハールのこれと言った新しい意図は見えず。スパースターを集めただけでは、他の監督と変わりないのでないかという噂も目にするようになる。一流監督というのは、一流選手をコントロール下におけるといくことかと思う。2年前のように、ファンベルシーに輝きがないことが、ユナイテッド落日の原因である。

11月 1日(土)
江尻さんとNIKEプロジェクトの構造打ち合わせ。縦ログの使い方の方針が決まり、縦ログ構法にない屋根構造の方針も決まる。屋根は在来と変わらないのだから、思い切って骨組みのない構法、テントに決める。それはKAMAISHIの箱にも通じる。いくつかヒントをもらい、週明けの宿題とする。
155 11月1日 ブンデス バイエルン×ドルトムント
前半に先制するもドルトムントは後半逆転を許し、5連敗となる。クロップは前半を好評価し、後半を悔やむ。その前半、ドルトムントは0トップにし、オバメヤン、香川、ルイスの前線3人が激しいプレシャーをかけ続ける。そのため、バイエルンはビルトアップができずに、前線のレヴァンドフスキ、ロッペン、ゲッツェにボールが渡らなかった。途中からバイエルン・ベップはシャビアロンソを守備(香川)から自由にさせるために、前線からゲッツェを最後列まで下げる。シャビは攻撃から守備に移った瞬間、香川を捉えられずに、いくつかいいかたちを造られてしまっていたからである。そうした展開でドルトムントが先制する。香川からパスを受けた右のオバメヤンがドリブルであがり、センタリングをルイスが頭で決めた。後半になると、プレッシャーが緩くなり徐々にバイエルンペースになる。つまらないミスから、レヴァンドフスキとPKにより逆転される。その後は、前半のようなプレッシャーないままいいかたちがつくれずゲーム終了。ドルトムントにとってはいかんともしがたいゲーム展開であった。

10月31日(金)
難波さんの学会賞打ち上げの会で、佐々木さんと話す。佐々木さんは学生時代に、当時池辺研の瀬口先生、奥田先生とともに「形の合成に関するノート」の翻訳に取り組んでいたことを知る。付記Ⅱや第Ⅱ部は数学的記述が中心で、詳細が判りにくいのであるが、その箇所を佐々木さんが担当していたという。打ち上げ後に、事務所に戻り再読するものの、やはり理解は難しい。佐々木さんはこの時、数式が形になることへの興味から、この翻訳に参加したという。しかし佐々木さんに言わせるとこれはまだ単純なもので、現在の佐々木さんの最適化局面解析はその数千倍の変数をもっているという。20代に抱いた漠然とした将来のイメージが、解析技術の進歩により、現在その一部を実現できるように至ったそうだ。あくまでも振り返ると判ることでもあるが、持続することの素晴らしさを教えてもらった。とはいえ、佐々木さんが「ノート」に引っ掛かり、それが今の伊東さん妹島・西澤さんにつながっているとは驚きである。
ハロウィンで渋谷はごった返していたので、途中でバスを降りる。交差点を30分では通過不可能とみた。振り返りたくないが、若い人が集団化したエネルギーは異常である。こうしたエネルギーは持続させてなんぼになることを、子どもたちに話してしまった。

10月30日(木)
藤本壮介氏と荻原廣高氏を千葉工大へ招いてのレクチャー。荻原氏の行う環境シミュレーション技術に驚く。風の動きをシミュレーションできるアプリがあることを聞き、さっそくそれをダウンロードする。彼はそれを使ってワークショップを行っているという。先日の羽鳥さんの逃げ地図に近いものを感じる。どちらも新しいメディアを通してユーザとの距離をフラットにしている。紹介されたプロジェクトの中では、伊東さんの図書館が面白い。90m角の空間にさまざまな微気候の場をつくり、ユーザが気分に合わせて選択できる空間の提案である。その微気候は、明るく暖かい空間、明るく涼しい空間・・・というように、縦軸に温度、横軸に明るさをもつグリッドにマッピングされたものである。このような仕組みにより、画一的に管理された空調空間よりも省エネにつながるそうだ。藤本さんは、これまで経験したことのないサイズの空間化を目指している。微細な材料による蜘蛛巣のような構造体の中を歩き回らせることにチャレンジングしていることが判った。その試みに勇気をもらった気がする。
NHK特集で「横山大観」を偶然に見る。横山大観は、菱田春草、岡倉天心死後、戦争を経験し、1958年まで生きた、その終生のドキュメンタリーである。朦朧体を捨て、輪郭線と色を使うことで、彼らの死後、徐々に現在の地位を固めていった。その転換作品が、「流燈」(1909)と「しょうしょう八景」(1912)である。しょうしょう八景は画法というより構図の斬新さが夏目漱石に評価された。朦朧とは、当時の料金を誤魔化すタクシーを指す呼び名であったらしい。その後の23年の「生々流転」で、朦朧体を含めた集大成を完成させる。そこから政治的活動が増えていったため、大きな社会に取り込まれていった。その辺りは詳しく紹介されていない。

10月29日(水)
菱田春草展 国立近代美術館に行く。作風を一通り見る。日本画は線画が基本とされる。当時フェノロサは印象画とのこの違いに着目し、日本画の位置づけを行った。1900年前後に生まれた「朦朧体」はこれに反するかたちで生まれた。岡倉天心の空気、光線を描く方法はないかという発案によって生まれた画法である。もちろんこれは西欧画を意識する。ちなみに「朦朧体」とは嫌味な呼び方であり、「金銀体」ともいわれたという。この展覧会でも、科学的分析により金銀が抱負に使用されていることが報告されている。光の表現として、当初は白黒であった朦朧体も、色彩が施されるようになっていく。その変様も見ることができた。色彩も西欧の影響である。当時、こうした画法は日本で評価されず、今日の位置を占めるようになったのは、岡倉天心による彼らのアメリカでの活躍をもたなければならない。ところで浮世絵をはじめとして日本画は近代開国前から西欧で評価されていた。他の政治、文化領域では、これまでの歴史を捨て去り西欧化に邁進したのに対し、日本画のみがそれを保つことができていたのである。先のフェノロサの功績も大きいが、日本画は経済的にも十分に成立する輸出品でもあったのだ。しかし実は岡倉天心が芸大を追われたのは、他の分野と同様の日本画の西欧化に、反対したためとされる。あくまでも西欧の歴史の中に日本画を位置づけようとしたフェノロサに反発したかたちである。歴史は2重にひねくれている。岡倉天心を筆頭とする菱田春草、横山大観、下村観山の活動は、西欧の後塵から逃れるため、日本画を保持したままの西欧化の探究であった。その代表が朦朧体であり、茨城の五浦でそれが試みられていた。その試みは成功をおさめるが、その後日本の芸術が世界的に着目されることはなかった。いくらがんばっても、西欧の追従とでしか見られなかったからである。唯一の成功例がここにあった。

10月28日(火)
154 10月26日 プレミア チェルシー×マンU
「自己組織と進化の論理」は、9章「生物と人工物」から少し内容が変わる。進化と技術革新を重ね合わせる。これをカウフマンは、「カンブリア型の多様化のパターン」といっていた。根本的に新しいものが生まれると、それらはまったく異なる方向に、急速にしかも劇的に改善されていく。そしてそののち、あまり劇的でない改良が付け加わる、このことをいう。これを統計学的に説明する。

10月27日(月)
「装飾と犯罪」アドロフ・ロースの読書会。前期に行った「建築をめざして」の時代背景を学ぶために本書を選ぶ。今や、少なくとも建築の学生には、装飾することは罪である認識がある。構造や機能と合致した装飾のみが意味あるもように思われるようになった。しかしそれは正当か?という問いから議論を始める。ここでロースが言っているのは、装飾のもたらす効果についてである。ダイレクトに言えば、金になるか、人を豊にするか、という効果である。当時は、装飾は金にならなかった。その時間を新しい創作のために割くべきことを主張している。したがって職人保護を目指すドイツ工作連盟は否定されるべきものであった。100年経って時代は変わった。現代を代表する装飾はディズニーランドである。それは立派な経済循環にのり、ロースの時代になかった「消費」という生産活動をつくり出すものとなった。その意味では、もはや装飾は否定されるべきものではないのだ。むしろ、装飾を否定する建築家の方が経済活動に乗っていないともいえる。しかし相変わらずディズニーランドは新建築誌であつかわれない現実がある。これをどう捉えるかという議論になる。前期にヴェンチューリの「建築の多様性と対立性」も取り上げた。彼が注目したのは、アメリカで新しくおきた消費を創り出す建築とは何かという問題である。ダックはまさにそれを表現する装飾であった。ヴェンチューリはアイロニニックな建築を提案したのではなく、至極真っ当に、これまで提案されてきた装飾様式に相当する現代の様式を提案したのだ。あらためて本書を手にすることで得た感想である。ここで再び、工業化を進めていたイギリスについて知りたいと思う。本書でも度々言及されている。イギリスのこの時代の芸術運動、ウイリアムモリスについて読もうと考える。
153 10月26日 セリエA フィオレンティーナ×ミラン

10月26日(日)
JIA新人賞の2次審査。審査員は今村雅樹、山梨知彦とぼくである。冒頭に各自選考基準を話す。今村氏がJIA新人賞は作品でなく、人にあげる賞との説明をした後で、僕は新人賞であるので、チャレンジングな試みを評価したい旨を発言する。サルハウス、古森弘一さん、原田真宏・麻魚さん、水谷俊博さん、浅野言朗さん、永山祐子さん、玉置順さん、芦沢竜一さん、末光陽子さんの順に発表。紙を通した理解と異なり、生の説明を聞くことで発見することも多い。住宅が少なく、リノベ作品が多いことは時代を反映している。サルハウス、原田さん、永山さんの3人が順当に現地審査と確定する。これらは、よく練られていて完成度が高いことに3人の審査員の意見が一致する。しかしその分、建築家としてのデザイン意図を問うことになり、彼らにとってはキツい質問であったに違いない。サルハウスの「群馬農業技術センター」については、開かれた施設を成立させるための計画の工夫とそれを覆う木格子屋根との関係に質問が集中する。木造屋根はこの時代、誰もが認める正論であるので、その使い方には注意が必要である。その質問であったと思う。技術的には、この木格子はぼくの予想を遙かに超えてよくできていて、カテナリーを許容するためリジットなものではない。これは凄いことで感心する。原田さんの「シェアハウス」では、材料の使い方、これを「開かれた秩序」にしたがうと発言していたが、こうしたアプローチと今までの強烈なコンセプトのもとの作品との差異が問題になった。永山さんの「豊島横尾館」は、赤ガラスや映り込みガラスの効果多くがスライドを通して明らかになった。「3次元空間を2次元空間にする」という次元を減らして効果を上げるというコンセプトが面白い。これまで商業建築ファサードを多く行ってきたからこその収穫なのだろう。プレゼも凄くよかった。現地審査の残り1作品が多少もめる。ぼくは芦沢さんの「風の音」を推し、結局これに落ち着く。異様なかたちは、チャペルという商業施設をつくらなければならないことへの自己批評ともとれ、それとは別に内部では、「建築」を探究している。これに自覚的であることを評価した。その試みとは、琵琶湖の風景と琵琶湖の音までをも訪れる人へ内面化しようとする試みであり、そのダイナミックさを評価すべきと、考えた。末光さんの「二重屋根の家」は環境を真摯に取り組んだ作品だけあって解析データを抱負に抱え、評価されるべきものと思われたが、環境をかたちにするときの難しさをあらためて感じた。玉置順さんの「深川不動」もこれまでにない空間を提示していたのだが、宗教性に寄りかかっているとの批判を受けてしまった。最後に古森弘一さんから選考されなかった質問を受ける。「九州工業大学製図室」は、技術的によく練られた作品で、ぼくの考えに近い作品だ。それだけあって、反対に少しきつい返答をしてしまったことに後で後悔をする。この柱頭のデザインに建築家の意思があるのだが、それに対する説明が足りないことを指摘した。プレゼでは、日本の近代産業史において九州工大が果たしてきた役割が位置づけられていたので、そのスチール版を展開するプレゼが見られるかとおもったのだが、あくまでもモノとの関係に終始していたのに不満があったからだ。昔、ぼくもそうした指摘を受けたことを思いだす。

10月25日(土)
152 10月25日 ブンデス ドルトムント×ハノファー
香川は怪我もあって後半途中から出場。前半にルイス、オバメヤンが決めるところで決められず、いつものパタンでこの試合も落とす。いよいよドルトムントも赤信号が点滅し出した。途中出場の香川はゲームに入り込めず、中盤の底でのプレーが多く、ボールに絡むことが少なかった。得点は清武のフリーキックであった。うまくゴール左隅にあわす。2点目もボレーで決めるべきものであったのだが、それは外してしまう。その後は、ドルトムントのペースとなったが、ハノファーがしのぎきる。

10月24日(金)
難波氏の学会業績賞受賞パーティ。2時に界工作舎で荷物をピックアップし、4時から設営。佐藤先生から借りたスピーカシステムも問題なく機能することを確認し、6時半から佐々木さんの進行で会がはじまる。親友である佐々木さんの人柄で、ざわざわしていた会がしまる。はじめに山本理顕さんが話す。ここ1年の山本さんの執筆活動と絡めて難波さんの住宅を歴史的に位置づける。住宅とはプライバシィーを守るために考えられた近代システムであり、そのため住宅は本来小さく閉じている。それは国家が管理する都合のよいものでもある。その現実を指摘する。難波さんの一連の活動は、そうした住宅を開くという大きな矛盾を抱えたもので、建築家の役割とは実はそういうものであるべきであるという内容であった。次に石山修武さんが話す。同様に箱の家の社会的意義について説明する。現代のマスプロダクションに対抗できるのは、個人のアーティステックなアイデンティテーの強さか、難波さんの手作りでいながらの少量生産であるという。前者は古典的であり、難波さんは極めて現代的であると指摘である。社会に対抗できることが、社会的な活動なのである。最後は北山恒さん。難波さんのテーマの中心は時間であるという。それを若い頃からの経験を通して話してくれた。ポストモダンのテーマをサスティナブルとして現代まで引き延ばすことを評価した。いずれもが、社会的意義のある活動を業績賞として評価するのは相応しいというものであったと思う。

10月23日(木)
151 10月21日 CL ガラタサライ×ドルトムント
ドルトムントはCLでは調子よい。特にオバメヤンの走力が生きる。最初の2得点は、最終ライン裏を通すムヒタリアンの長いスルーパスから生まれる。香川の混戦の中の短パスとのバランスがよかった。ギンダー、フンメルス、香川と次々と負傷で途中交代する。経過が危ぶまれる。

10月22日(水)
150 10月21日 CL ローマ×バイエルン
ローマがバイエルンに徹底的につぶされる。W杯のブラジル、あるいは昨季のバルサ戦を見るようである。最終ラインが個人技のドリブルから、あるいはパスによって破られる。ローマ、あるいはブラジルのようなチームは、攻撃に優位性に保つことによりディフェンス補強をする。そうしたチームが崩れる典型であった。ローマにとっては、クリアボールをことごとく奪われ、2列目からの意外性のある突破に為す術を見つけることが出来なかった試合である。しかしゲーム当初はローマが優勢であった。その際のゲーム中断の度に、グアディオラは選手を呼びつけ、各選手に指示を与える。その後にバイエルンの猛攻である。グアディオラの戦術妙を知りたいと思う。

10月21日(火)
日建の羽鳥さんのレクチャーを聞く。主に神保町シアター、SONYビル、逃げ地図と最近作についてであった。いくつか発見があった。計画上では、劇場において階段を少なくするため地上階に劇場を設置すること、オフィスのコアレイアウトにも企業なりのこだわりがあること、最近のオフィスは非常時の備蓄が義務づけられそのための面積がかなり大きくなることなどである。技術的には、植物は37°以上で蒸散作用があること。東京23区で一斉に打ち水をすると2°近く気温が下がること、海風は谷間にそって流れること、陶器の冬期防止のためタイルの含水率が3%以下に設定されていること、である。日建も床下に空調を埋め込む床下の空調を行っていた。それは天井材の落下防止にも役立ち、備蓄倉庫にもなり得る。クライアントとのコミュニケーションについて、ぼくが港区で経験したことと同じ感想をもっているのが最も印象的であった。技術的に優れたクライアントに対しては、問題解決型のコミュニケーションを採ることが有効で、マイナスを解消していくことでしか事が進行しない。一方、市民との場合は、対等の立場でコミュニケーションをするために、新しいメディアを使ったデータ共有は有効で、合意形成をつくるのに役立つということである。問題解決型の場合、通常は面白くない結論に落ち着いてしまうものであるが、彼の場合、遙か遠くの達成目標がそうなることを未然に防いでいる。これは、陶器の潜熱利用に対する信望である。こうなるとぼくら建築家と立ち位置は同じであり、集団としてのデータやノウハウの蓄積がある企業に、ぼくら建築家はどう太刀打ちするかの術を考えざるを得ない。責任の所在が明らかでないところに、ぼくらよりチャレンジングでいられたりもする。

10月20日(月)
オペラシティギャラリーでザハ・ハディト展をみる。技術が成熟した現在だからこそのなせる業を作品にみる。最終会場では、新国立競技場案と現国立競技場との大きさの対比がプレゼされている。それによると競技場の大きさでなく、付帯施設の大きさが問題にしていることがわかる。疑問になったことは、屋根と観客席が同じ構造体になっていることであった。荷重条件があまりにも違うのだから、構造システムが異なってよい。これは近代的な考えであって、現代はそれにイメージの付加も欠かせない。この点にこのデザインの鍵がある。
「自己組織と進化の論理」を読む。

10月19日(日)
148 10月19日 セリエA ヴェローナ×ミラン
本田が2ゴールし、イタリアメディアも本田を賞賛する。いずれもカウンターからの攻撃で、フリーになって落ち着いて決めた。ミランは戦略が徹底している。攻撃が詰まったときは、CFWが開くかSBが上がるサイド攻撃、そうでなければ速攻である。本田はそのどちらにもマッチしている。それにしてもセリエAは緻密で徹底したチーム戦略を実行する。
149 10月19日 オランダ トウェンテ×アヤックス
宮市が先発、63分に退く。幾度かSBに対し、攻撃を仕掛けていた。DFをぶっちぎるところを早く見たい。試合は、連覇中のアヤックスに先制するも追いつかれドロー。後半は猛攻撃を受け、ホームトウェンテはよくもった。

10月18日(土)
147 10月18日 ブンデス ケルン×ドルトムント
ドルトムントは好機をつくり出すも先制点を奪えず、逆にイージーなミスから失点を繰り返す。おそらくフンメルスは、引いた相手との混沌とした状況を打開するために、あえて縦パスを多用していると思うのだが、ことごとくインターセプトにあい、逆にカウンターを食らう。そうしたフンメルスの低いパフォーマンスが痛い。一方あと少しのところでゴールを奪えない原因は連携にある。インモービルは、スペースを残し、そこへ自分が入り込むことを好むようで、香川がそのスペースを埋めてしまっている。香川は、狭い局面をワンツーで崩したいのだろう。そうしたバランスが上手くいっていない。

10月17日(金)
「自己組織と進化の論理」スチュアート・カウフマン著を読みはじめる。いつか読みたいと思っていたところ、GA JAPANで触れられていたので思い切って手にする。この手の自己組織化の本は多々書かれ、この本の特徴は何なのだろうという思いが、今まで本書を遠ざけていた。本書では、突然変異と自然淘汰による進化論を否定し、その前段階にある自己発生的な秩序がもたらす進化論を提唱している。したがってジャック・モノーの「進化とは、翼を得た偶然である」という主張も退ける。アンリ・ベルクソンの「生命衝動」も同様である。夜に、池上彰の優しい経済学を見る。為替取引でリスクを少なくするためのデリバディブ商品についての放送であった。デリバディブ商品とは、為替取引において大損を回避するため保証商品である。その保証商品にも、大損した場合に備えてさらに別の保証商品がかけられる。それが繰り返されると結果、為替がそう簡単には大きく動かないシステムに現在なっている。為替における自己発生的な秩序がここにもあることを知る。日本の木造建築で大きな庇は、木の曲げを利用して、バランス取りながら持ち送る。その構成の絵を思い出し、デリバディブ商品をイメージする。ただし経済においては、リーマンショックの場合のように、大企業の破綻が信用不安を生み、一気にシステムがマイナス方向に崩れ落ちるカタストロフィな状況が起きることもある。これが突然変異である。エボラ出血熱のウイルスの拡散も同様だろう。ただし本書では、こうした突然変異は簡単には起きないことを示そうとしている。当時流行ったバタフライ効果の否定である。バタフライ効果とは、ある場所での蝶の羽ばたきが遠く離れた場所での異常気象を起こすことをいう。

10月16日(木)
岡本太郎の特集を見る。彼は「芸術は爆発である」という言葉を有名にした。これは、パリ時代からの具体と抽象にはじまり、古代と近代、平和と戦争、男と女というように、絶えずふたつのものがぶつかり合ったところのものである。表現者として、そのぶつかりを意図的に起こし、新しい化学変化を期待した。作品からその迫力が伝わってくる。太陽の塔の地下には、過去の顔として、世界の様々な民族に伝わる神の面が展示されていた。その異様さにも驚く。2年足らずで日本の民俗学者が岡本太郎の呼びかけで世界に散り、収集した。それを知りさらに驚く。

10月15日(水)
NHKスペシャル「ホットスポット最後の楽園」を見る。福山雅治のナビゲーションにより、ホットスポットの紹介をする。ホットスポットとは、7割の原生が失われ危機に面している地域をいう。今回の取材はアフリカ東部の大地溝帯である。今まで知らなかった事実がいくつかあった。チンパンジーは肉食でもあること。他のサルを襲い、食べることもあり、非常に攻撃的である。同種(チンパンジー)を襲い殺傷する生き物はほぼ限られていて、人間とチンパンジーがその代表であるという。ハイギョという魚が現存すること。魚でありながら肺をもち、水が干上がっても数ヶ月土の中で生きられるという。反対に水中に留まっていることはできず、数時間に一度呼吸のために水面から口を出す。ボノボという2足歩行猿がいることが最も驚いた。10頭あまり群れ皆が子どもを背負い、手で薪を抱え、それを歩き運ぶ映像は衝撃的であった。ボノボはチンパンジーと異なり平和的であるという。ボノボは繁殖期でなくても交尾をする。チンパンジーが凶暴なのは、メスの短い繁殖期の奪い合いが原因だそうだ。ボノボはいつでも交尾が可能であるのでその必要がなく、メスとオスの力の差はない。しかしWEBでボノボも他種のサルを狩ることを知る。ボノボをグーランの本の中に探したが見つけられなかった。残念。

10月14日(火)
145 10月14日 代表親善 日本×ブラジル

先発6人を替えて、Jリーグ中心の先発メンバーに疑問を持つ。マークがゆるくスペースを与えてしまい、ネイマールに4発をあびる。ブラジルはお互いに調整し合い、スペースを空けておくようにゲーム運びをしていたようだ。そこへパスが入り、誰かが受けるかたちであった。1点目はその典型である。一瞬のかわしを阻止する強い1対1ができなかった。後半、本田が投入されるも流れを変えることはできず。後半早々の2点目が痛かった。それで張りつめていたものが折れる 。シンガポールまで出向き、王者を迎えてのなんともあっさりしたゲームであった。

10月13日(月)
145 10月11日 EU予選 ポーランド×ドイツ

ドイツが負ける波乱。ただし、ポーランド国内では、2軍相当のドイツに対して勝算ムードが高まっていた。怪我人が多く2軍にならざるを得なかったドイツはちぐはぐな攻撃に終始してしまい、無敗記録が止まる。

10月12日(日)
「ナジャ」 アンドレ・ブルトン著 を読む。小説というより自伝である。ナジャという女に翻弄される様を脈絡なく書き綴った。「ラインズ」の紹介から手にする。直線でないラインの顛末として「ナジャ」が挙げられ、これを肯定的に捉えている。この文体を納得するのはなかなか難しいことを知る。

10月11日(土)
NHK特集首都改造をみる。3人の戦後の首都改造の試みを紹介する。3人とは、石川栄輝、丹下健三、磯崎新である。石川は東京の川を埋め立て、堀の上に首都高をつくった張本人として知っていた。一方、西麻布商店街入り口の公園をつくり、不忍池を保存したのも石川である。歌舞伎町を繁華街としたのも彼だろう。丹下については、彼が固執した軸の意味を解説する。広島を引き合いに、今でも平和の象徴としてこの広場があるのはじつは、原爆ドームへの軸線が、大きな役割を果たしている。当時、軸線上の裏地に復興住宅計画があったのを、丹下は勇気をもって拒否したそうだ。目先の問題より、大きな視点の重要性を丹下は軸野デザインに重ねていた。東京計画にも、皇居から木更津への明確な軸があった。その実際の意味については広島ほど触れられていなかったのが残念。磯崎は、新都庁案に広大な広場をつくったことについてである。発展した東京のシンボルを誰もが超高層に求めていたのに対して、日本に根付いていない民主主義=広場を磯崎はコンセプトにした。猪子寿之のコメントが面白い。芸術家(建築家)は、かけ離れている理想と現実をどうかたちにするかを引き裂かれながらあれこれ考える。その試行錯誤の迫力が作品を通じて感動として伝わってくると。3人の試みは結局、現実や政治の前で、建築家の限界を示すものかもしれない。その中で、猪子のコメントで救われる。

10月10日(金)
144 10月10日 代表親善 日本×ジャマイカ

岡崎のコメントがWEB上で流れる。それによると、現在代表は戦略の模索中であるという。対戦相手によって戦術を変える。W杯では、哲学が通せなかった。現実的な戦いを見る必要を感じたという。哲学とはパスサッカーである。ゲームでは、それが出来ない時間帯が必ずある。この試合の前半がそうであった。相手のプレッシングがかなりキツかった。その場合、ロングパスによって、リスクを負わない戦略でいく。後半は相手が疲れてきたので、本来のパスサッカーでポゼッションを高める。そうした試合運びであった。次は一度も勝っていないブラジルである。強敵に対して、どういう戦いをするか楽しみである。コンフェデレーションカップでは、ガチに戦いを臨んで、完璧にかわされた。ドイツW杯でも同様であった。日本代表の進歩をみてみたい。

10月9日(木)
アギーレはメンバーを固定しない。近年日本代表選手個々のポテンシャルは高いものの、ブラジルW杯時には個々の選手のコンディションは褒めたものではなかった。それでもそうした選手を使わざるをえない状況がグループ敗退となった。思えば、ドイツW杯も同様であった。戦略を変えずに選手を更新し、システムの改良をめさすのがよい。負のスパイラルは、システムのさらなる下方硬直を招く。これはアイデアを廻る試みでも同じである。全てにおいて硬直はよくない。

10月8日(水)
「身ぶりと言葉」を読む。手を自由にし、集まって住むようになった人類が、知識を倍増倍増することに成功したのは、身ぶりや言葉という技術を通じてである。個体の自由が、集団の発展に寄与するのには、こうした身ぶりと言葉の相乗効果による訳だが、ここで主張しているのは、身ぶり(身体・技術)が先行し、それを追従するように言葉(知識・文化)が発展していくかたちである。今回、このことを理解できた。

10月7日(火)
「身ぶりと言葉」 アンドレ・ルロワ=グーラン著を改めて読む。「ラインズ」との関連を知りたく、再度手にする。

10月6日(月)
「ラインズ 線の文化史」、第6章を読む。最終章は残念ながら少し調子抜けだった。建築家が描く線を引き合いに本書が締めくくられる。前章において行われた技術の説明にあるように、リスクを回避するため、ラインの合理化が進められてきた。それによって、失われてきたものが多いという説明である。冒頭にダーシィー・トンプソン「生物のかたち」があげられる。それは、人間のつくるラインとの対比として、生き生きしたものの代表例である。それならば、リスク回避という上記の仮説は、なぜ人間以外の生物には適用されないのだろうか?という疑問が湧く。人間もおそらく、失った生のラインを回復すべく何かべつのものをつくり出していると思うのだが、それについての言及がなかった。とはいえ、大きな疑問を投げかけてくれた本であった。近頃読むスピノザの思想は、(ライン)幾何学的思考でありながら無限性の獲得を可能にしたものと理解している。そこに秘密があるのだろうか。
143 10月5日 プレミア チェルシー×アーセナル

香川の移籍により縁遠くなったプレミアを、ブンデスとの違いを考えながら、このゲームを見る。選手の動くスピードはドルトムントの方がありそうだが、キツいDFのマークを外すために、反対にプレミアはボールを動かす。フィールド全体を大きく使うロングパスはそれ故に有効である。そのため選手には蹴るボールスピードとトラップの正確さが要求される。0-2でチェルシーが勝つ。得点は、オスカルのドリブル仕掛けによるPKと、セスクからのDFの間へのロングパスをジエゴ・コスタが決めたもの。個人の差が得点に顕れた。プレミアの特有の得点シーンではなかったが、チェルシーの攻撃にプレミアの特徴をみることができる。

10月5日(日)
「ラインズ 線の文化史」、第4章、5章を読む。この章で生の定義を行う。生とは「いくつかの地点の内部に閉じ込められるものでなく、ラインに沿って展開されるもの」とある。生についてのイメージは、ギリシア・ローマ時代から、2つの解釈がある。小川や河川のように上から下への水のように動くものと、樹木が光に向かって下から上に伸びていく2つである。それに対して本書では、組紐のように、撚り合わされ重なり合うイメージを生にもっている。それをベルクソンは「創造的進化」の中で、「流れに放り込まれた小さな渦巻のようなもの」といっている。5章には、技術と芸術の二項対立が生まれた理由について記述される。職人が知的で想像力あふれる創造性豊かな芸術家と区別されるのは、18世紀のイングランドからであるという。それはレイモンド・ウィリアムスの説によっている。18世紀まで芸術と考えられていた着彩画、線描画、版画、彫刻から、版画家が王立美術院の入会を拒否されたことに端を発している。そこから、芸術と職人、芸術と技術という概念が浸透した。いつしか、創造的知性と想像力を用いるものと、型にはまった習慣的な身体技法を用いるもの、制作過程を体系的に追求する原理から、生産の機械設備に組み込まれた原理へと時代と共に断絶していった。本書の主眼は、それと同じ背景をもつ線画と記述についてである。そこにも断絶がある。かつての記述は、言葉の組み立てという抽象的なものではなかった。書のように文字の質や調子も大切にするものであったのだ。5章後半は、グーランの「身ぶりと言葉」を引き合いに、そうした近代がもたらした抽象化、機能化が、生を消し去る警告がしるされる。いつしかラインは、「長さをもつがまったく幅をもたないもの(抽象化、関係性のみを示したライン)になり、生命も運動も存在しなくなる」。線状化とは、じつはラインの誕生でなく死をしるしづけるものというショッキングなまとめである。
142 10月4日 セリエA ミラン×キエーボ

本田がフリーキックで2点目を決める。左サイドからのフリーキックに関わらず、ボールを抱えたまま、頑として譲り渡たさない本田の姿勢が印象的である。それを見事に決める。0-2でミランの勝利。このところのドロー続きから抜け出す。6試合で4点は立派であると同時に、本田の気持ちの強さを感じる。

10月4日(土)
ナチュラルスプリットllの撮影。内野正樹さん編集のムック本で、狭小地を工夫して建てられた住宅として扱われる。曇りに関わらず、スリットから差し込む光で、内部はほどよく明るく気持ちよかった。照明や家具、小物も徐々に増え、建物とマッチしている。気を遣って頂いているようだ。
141 10月4日 ブンデス ドルトムント×XハンブルガーSV

これといった攻めのかたちがつくれず、ドルトムントが完封負けを喫する。CL圧勝後の中2日ということで集中力と気力が感じられなかった。さすがに後半は、香川を中心に攻撃を組み立てし直すも、得点できなかった。バイエルンとの差が開く。

10月3日(金)
「ラインズ 線の文化史」を読む。第2章はまさしく、線を描くことの人類学的な事実が示される。第3章からは、そうした事実の裏にある意味について説く。ネットワーク図では、点と点のむすびを直線として扱う。が、現実に目を向けるとそれは直線でなく、網細工状であるという。網細工は、ルフェーブルの「空間の生産」から借用した語である。近代的思考では、たくさんの固定された地点でなされた観察を、つなぎ合わせて1枚の完全な絵にすることによって知が組み立てられる。それは測量方法と重なるというのが面白い。それを否定する。事実はもう少し複雑で、生きていて、直線は歪み、絡んでいるという。それを抽象化して、結節点を例えば大きな濃い丸点とするのは、誤りであるという。事実、ワビリ人はそのように描かない。ここで生態学が登場する。「生命の生態学は、交点と連結器ではなく、糸と奇跡の生態学でなければならない。」あるいは、生態学は「網細工に組み込まれた生物それぞれの生活の道に沿ったさまざまな関係を扱うもの」でなければならない。序章から察する内容と異なり、俄然面白くなってきた。

10月2日(木)
JIA新人賞の一次審査を行う。各々の意見がそれ程異なることなく、スムーズに9案が決まる。とはいえ、JIA新人賞は応募作品を通じて人を選ぶものなので、建築家のキャリアと今回の作品そのものの勢いについて議論になった。必ずしも、建築家力量と個々の作品の完成度は一致しないということだ。歳が若いほど作品評価の微分係数は大きくなるが、歳をとるほど、絶対値は高まるが微分係数は鈍る。そのなかでどこを評価するかが問題とされる。結局、微分係数の小さいものは選ばれなかったように思われる。
140 10月1日 CL アンデレヒト×ドルトムント

香川が躍動し、3ー0でアウェーのドルトムントが勝つ。開始早々のインモービルの得点が、チームに安定をもたらし、全てにおいて良い方向に向かわせる。その得点は、狭い中からの香川のループ状のスルーパスからはじまる。香川は前を向くと強い。その後もゴールこそならなかったが、中央の香川から左、右のワンタッチパスの繰り返しで完全に崩すかたちが幾つか生まれる。後半、アンデレヒトは3バックにし、中盤に人数をかけ、ドルトムントのDFラインからの縦パスを防ぐかたちをとってくると、香川の疲れもあったろう、ゲームから消える。しかし攻撃の違いをつくったのはやはり香川である。アンデレヒト中盤前まで下がりパスを受けることで、ゲームを構成する。これはユナイテッドで、ルーニーが許されていたプレーである。2 点目、3 点目は、そこから、DFライン裏への長いスルーパスによって結びついた。昨年のレバークーゼン戦を思い出させる香川の活躍であったが、これをリーグ戦で見たかったのは、皆同じ気持ちだろう。「今日は視界が開けていた。」という香川のコメントがネット上に流れる。

10月1日(水)
千葉工大にトーマス・ダニエル氏を招いてのレクチャー。マカオの都市変遷についてショッキングな事実を知る。最近まで、香港のいわゆる表にたいして、マカオは裏道を歩んできた。しかし現在は中国の発展と共に、カジノの売上はラスベガスの6倍だそうだ。今はカジノと言わずに、インテグレートリゾートという。そうしたマカオになったのは土地の埋め立てによる。当初マカオは河川による土砂堆積により港湾が浅く、大型船が停泊できなかった。これが、香港より遅れることとなる原因であった。しかし、一方で埋め立てには有効で、新しい土地をつくっては、金となるカジノを建設してきた。とくにここ20年の建設ラッシュは凄まじいもので、中国のマネーと共に現在にまで発展していている。同時に歴史的に、マカオ政府はお金になるあらゆることを行ってきた。それも現在の発展に一役をかっている。アヘン、売春、奴隷、ギャンブルと、資源もなく、何も生産しないマカオは、こうしたトレードで生き残ってきたのだ。最近香港の学生運動が盛んであるが、経済が潤っているため、マカオでは全く影響がないらしい。都市は一般に時間的な上書きレイヤーが施される。それに対してマカオは横に拡がるレイヤー都市である。

9月30日(火)
139 9月30日 CL マンC×ローマ

1-1のドロー。初戦をバイエルンに対して落としたマンCはホームで是が非でも勝ちたかったろう。いきなりPKで先制し、ボールポゼッションがあるものの、ローマの速攻に苦しめられた。ローマは、ドルトムント同様に、縦への攻撃が早く、この試合ではそれがカウンター攻撃となった。どちらにゲームが転んでもおかしくない展開であったが、マンCは攻めきれなかったという印象。

9月29日(月)
NHK特集法隆寺を見る。法隆寺の建て替えがあったかどうかにせまる特集。同時に、政争に巻き込まれながらも、聖徳太子の教えが認知されていく様を、国宝を通して紹介する。それによると一度は、一族の抹殺、火災消失にあいながら、直ぐに仏教を中心とした国つくりのために法隆寺は再建され、今日に至っている。使用されている檜の年輪測定法から、その再建を670年とする。元々の伽藍は現在の南にあったそうだ。消失時、金堂はすでに再建が進められていた。そこに釈迦三尊像を中心に、右に百済観音、左に玉虫の厨子があった。そのためこれらは消失から免れたという説明である。ともかくこうした37の国宝は圧巻である。それと平行して説明されていたのは、聖徳太子の教えである。実際に仏教が庶民に受け入れられるようになったのは鎌倉時代のことであるが、その源はすでに聖徳太子にあるというものであった。その間、仏教は公家や貴族のものであり、庶民は何にすがっていたかという疑問が湧く。戦後の民主主義の象徴として聖徳太子が扱われることも関係してくるのだろう。聖徳太子は、絶えず政争の具として扱われてきたこととになる。他に、東門の南面柱が節だらけなのは、元々の植生状態のまま建築材として利用したからであり、東院鐘楼が軽く見えるのは、平安時代の建て替えによるものであり、下部の木は江戸時代に施されたものであること知る。これらは、戦中に大規模修理を執り行った故西岡棟梁によって紹介されていた。

9月28日(日)
138 9月28日 セリエA チェゼーナ×ミラン

4-2-3-1の2列目右サイドで本田は先発。本田の定位置となった。しかし試合は1-1のドロー。昇格組に対しての2戦の勝ち点2は痛い。ミランの1点は、本田のCKから。DFサバタが退場し、本田がDFに変わって後半75分に下げられる。イタリアサッカーはつくづく組織立っていることを痛感する。その中で本田が中央に入ることが許されているのは嬉しい。前試合でトーレスの右への開きが、有効に働いていることを書いたが、この試合に限っては、トーレスがDFラインを押し込むシーンが目立つ。押し込んで生まれたスペースをメネズがドリブルで攻め上がっていた。メネズも左に開いていたときに、本田が中央に入る。そうしたシーンが多くなることを希望する。本田の評価は一定になりつつも、勝ち点は増えず。

9月27日(土)
137 9月27日 ブンデス シャルケ×ドルトムント

今年初めのルールダービーはホームのシャルケが2-1でドルトムントを下す。内田はフル出場。主に守備面で貢献。香川は後半57分から出場するも、ゴールを生み出せなかった。丸岡はベンチ。クロップは安全策をとり、単純な攻撃を目指した。香川というクリエイティブな選手を休ませ、ギンダー、ベンダーという守備的なダブルボランチでのぞむ。その代わり、フンメルスとスポティッチという攻撃型の従来のCBが復活する。しかし、CBからの縦のビルトアップが行えず、オバメヤンの速攻の他には、構成力を欠き得点の型がつくれなかった。後半、インモービルに変えて香川を投入。中盤が動き出す。78分の絶妙な浮き球パスで右のラモスに渡すも、トラップが大きくゴールならなかった。負けるときはミスがつきものである。ドルトムントは辛抱の時と感じる。

9月26日(金)
「ラインズ 線の文化史」ティム・インゴルド著を読みはじめる。序論は、ラインの制作歴史を人類学的に見ることの意味について。「長さがあるが幅はない点と点の連結としての直線という考え方は、今はさること2千年前、ユークリッド幾何学まで遡る。しかしそうした直線の考え方が、今日のように原因、結果、因果関係についての思考を支配するようになったのはルネサンス以降」とある。線のイメージを具体的にしにくいが、機能的なつながりをいっている。その引用の前に「現代社会において、直線性は、理性的思考や学術論的議論ばかりでなく、礼儀正しさや道徳的公正さといった価値を端的に示す」ともある。もう少し幅広く機能性を捉えている。その点でデザインと同義である。第1章は、「言語・音楽・表記法」。ルネサンス以前、書物は語るものであったという解釈に驚く。中世において書物とは聖書であり、聖書を語るのを聞き、それは耳と連携する行為であった。音楽も同様であった。中世音楽は歌であり、言葉の響きが重要であった。したがって、いわゆる楽譜というものが独立した地位を獲得するのは、歌と音が分離したルネサンス以降のことである。本書で言うところの、音のライン史とは、こうした歴史を言っている。

9月25日(木)
設計方法小委員会で、機械デザイン分野の近藤伸亮氏のレクチャーを聞く。全体を制御しない自立分散型のシステムを、「やわらかい」と呼んでいることに興味をもつ。目的論的な機械に対して、生物的ということだろう。機械分野では、昔からライフサイクルデザインという言葉を使っているらしい。これは製品販売後も、貴重な資源を回収し安くするために、どのようなデザインを当初からすべきかというものらしい。部品のモジュール化もそのひとつだそうだ。これは建築のモジュール化と異なっている。他に、最近ではロバストデザインが主流になっているらしいことを知る。パーフェクトでなく、頑強であることで、コンピュータウィルスの対抗処置分野として注目されつつあるという。また機械分野で最近は、ヒューマンインターンフェースからM to Mへ移動しているらしい。M to Mとは、マシーンtoマシーンである。自動車自動運転技術が代表例で、これは建築にはない例であることを知る。

9月24日(水)
136 9月24日 ブンデス ドルトムント×シユトゥットガルト

ドルトムントが、終盤にようやく2点をとり、ドローに持ち込む。シユトゥットガルトは、勝ち星のまだない下位に沈んでいるチームである。そうしたチームに対して、ホームで苦しい試合になってしまったのは、前試合と同様、攻撃で優位に立ちながらも、先制点がとれなかったことによる。昨年のバイエルンは、点が入らない状況でも失点を決してしなかった。この差が大きい。香川はというと、得点できなくともチャンスは何度かつくる。ひとつめは、DFラインを抜け出したところを、右DFピシチェクからのロングパスを胸で受けてのループボレーシュートであった。DFと息の合っているところを知る。ふたつ目は、香川の左から比較的長めのオバメヤンへのシュート調のパス。数センチ低ければ、オバメヤンの頭に合った。3つめは、シュメルツァーからのセンタリングを香川が頭で合わせたもの。DFラインに香川が一気に入ったところを受けたもので、コンビネーションはよかったのだが、これも精度に問題であった。このように後半は、ドルトムントらしい縦への突破が目立ち、香川もそれに絡む。DFに余裕を与えずに、一瞬の判断でパスやシュートに持ち込んでいく香川のプレーを見ると、だいぶチームにフィットし、2年前に戻りつつあることが判る。後は結果である。今週末のルールダービーに向けてか、後半からフンメルスも出場する。丸岡は出場しなかった。

9月23日(火)
135 9月23日 セリエA エンポリ×ミラン

トーレスの下に本田を右、メネズを左に置く新布陣で臨む。昇格チームにたいしての2-2のドローは痛いが、攻撃のよいかたちを多くつくり、何よりもトーレスがフィットしたことが喜ばしい。トーレスが右に流れることによって、中央に本田が入り、2点目はそうしたかたちから生まれた。正しくは、本田が中央に入り込むことで、トーレスがDFを引き連れて右に流れ、中央の空いたスペースをさらに本田が攻めたというもの。パスは右のアバーテからであった。今日はアバーテからの攻撃が目立った。これもトーレスが右に流れることで、本田、アバーテが無理して右奥まで入りことなく、攻撃が手詰まりになることが少なかったためである。今までの左からが多かったミラン攻撃の左右バランスがよくなった。1点目も、アバーテから配球されたボールを、トーレスがDF前に入って放ったヘディングシュート。プレミアに比べてイタリアの1対1の甘さを露呈する。ミランの守備陣はいまいち安定しないが、後半は、攻撃的なムンタリに変えて、バランスの取れるポーリーを入れて、ゲームは落ち着いた。

9月22日(月)
柳田国男論を読み終わる。柳田が調べ上げた領域が、言葉、文学、地名、神社、祭り等であることを知る。これらを民俗学としてまとめた。柄谷は、そうした柳田の活動を、主観的と客観的、個人的と共同的、近代的と半近代的というような対概念が成立しないところにある無縁なもの、動詞的といっている。あくまでも私的、つまり直感的でありながら、実証主義的にその直感を内省するものだという。理論化、体系化を行うことなしの記述主義といってもよい。そうした方法を動詞的という。近代的思考とはっきり区別させている。

9月21日(日)
134 9月20日 ブンデス ドルトムント×マインツ

ここ数試合の速い縦の突破が、この試合に限りドルトムントに見られなかった。クロップは、はじめの1点の大切さをよく語る。どんなかたちであれ、先制点によってゲームは好転していくことをいっている。この試合では、何度かゴール機会があったものの、ラモスが決められなかった。そのためマインツペースのこのような状況に陥った。香川も悪くなかったが、このパフォーマンスで、ファンを納得させることはできないだろう。センターバックのスポティッチと「フンメルスの欠場により、DFからのビルトアップができなかったことも大きかった。かわってマインツ岡崎は、ワンチャンスをものにした。岡崎の成長を感じる。マインツの開幕直後の大不振も勝利によって吹き飛んだ。

9月20日(土)
NHK 特集を通して、地震の原因を知る。東日本大震災とその後の余震は、大量な事例データを与えてくれた。それらを分析し、地震のメカニズムが徐々にではあるが判明してきたという特集。大地震は、プレート上の硬い地盤で起きるらしい。ユーラシアプレートに滑り込む太平洋プレートの滑り反動が地震を巻き起こすことは知られていたが、実際太平洋プレートは平らではなく、2〜3000 メートル級の山のような高低差がある。それが引っ掛かりとなりエネルギーが蓄えられ、その反動が地震になるという。柔らかい地盤では山は崩れ削られるのだが、固い地盤の突起は残る。現在、そうした山の位置の特定を急いでいるという。プレートが動くのは、地球中心部のマグマ活動によるもので、地球内部でもゆっくりとした対流によって動く。プレートが滑り込む角度が浅いと、ふたつのプレートが接する面積も広くなり、その分だけ摩擦によるエネルギーもたまる。チリで大きな地震が多発するのはそのためで、南海プレートも同様な構造をもっているという。南海大震災の警戒を呼びかける原因がそこにあることを知った。

9月18日(木)
132 9月16日 CL レアル・マドリード×バーゼル

レアルは徹底的に右サイドを突き、そこを起点に、選手個人のスピードの違いを見せつける。ロナウド、ベンゼマ、ベイルである。この差は埋まらないと思われるので、右サイドへの出し手、クロースとモドリッチ、ロドリゲスをいかに防ぐかが問題となる。後半途中から柿谷登場。レアルも疲れはじめ、スペースが多く残されはじめていたが、チャンスに結びつけることができなかった。
133 9月17日CL バイエルン×マンC 今季はじめてバイエルの試合を見る。昨季ほど攻撃の迫力が感じられない。ロッペン不在により、相手DFを混乱させるまでに至っていないためか、マンCに固められてしまっていた。ただ、マンCの速攻も許さないところに守備の安定性がある。比較的自由なポジションにいるラフィーニャがその安定性に貢献している。これから新メンバーで攻撃パタンを熟成させるのだろう。

9月17日(水)
131 9月16日 CL ドルトムント×アーセナル

クロップ曰く「永久に語り尽せる程よいゲーム」であった。開始10分のドルトムントのプレッシングが全てであった。アーセナルに完勝といってよい。ここ4年で3度、グループステージで対戦しているが、ドルトムントの成長を感じることができた。実力が伴い、落ち着いてゲーム運びができていた。CL決勝まですすめた経験が全てであろう。DFラインからのビルトアップがドルトムントの特徴である。そこから中盤を抜きにした縦へのパスが多い。そのパスを前線が中盤へ一端叩いて、中盤から、前線への裏へのパス+突破である。とにかく速い。対して、アーセナルはDFから横パスで繋ぐかたちであり、ドルトムントはそこを狙っていた。アーセナルが守備を固めてからは、サイドがDFを押し込みそこへのパスでDFを下げるかたちにする。サイドアタッカーがキープできるかどうかは重要でなく、その空いたスペースを中盤選手が突き、そこから再び縦への突破を試みるかたちである。香川や中盤はそこを起点にゴールをめざしていた。オバメヤンの速さ、インモービルの確実さは尋常でない。ムヒタリアンは表情こそ表さないが、ゲームを支配するオールランドプレイヤーである。グロスコロイツの進歩にも驚く。香川もうかうかしていられない。

9月16日(火)
130 9月13日 ブンデス ドルトムント×フライブルク

香川が先発し、0-2で勝つ。1点目は、香川が最終ライン前で反転して、DFの間を通すアウトサイドのスルーパスが起点となった。グロスクロイツが抜けだし、折り返しをFWラモスが決める。ラモスはコロンビア代表。日本戦でも決められた。2点目は、左にフリーでいるところを得点する。グロスコロイツの右からのセンタリングを、中央のイリッチがスルーし、香川がフリーで決める。落ち着いていた。どちらもドルトムントらしい速い攻めであった。後半香川の疲れが見え、交代される。香川がよい環境にいることを実感する。

9月15日(月)
129 9月14日 セリエA ミラン×パルマ

本田が先発し、アシストと逆転ゴールを決める。本田のプレー自体にキレがあるわけではないが、ゴールを奪える位置取りを許されているところに今後の将来性を感じる。得点は、CFWがニアサイドに走り込んで空いた中央を本田が入り、センタリングをゴールしたものであった。仲間との信頼が一番である。

9月14日(日)
AO入試。抽象化することの危険性を学んできた僕にとって、幼い作品を通して、反対の抽象化の大事さを知る。抽象化を行った瞬間に、わかった気になり、その真の意味を見失ってしまうことを、アレグサンダーの近代批判、その後のニューサイエンス的思考、柄谷行人から学んだ。したがって、できる限り抽象思考を避けてきたつもりである。それを自分の子どもにも伝えてきたし、学生には、できるだけ大きな模型をつくること、技術的問題を検討すること、を口うるさくいってきたのもその理由によっている。やってみなければ、問題の中心は見えてこないのだ。とはいえ、子どものときから知っている言葉を、一度検討し抽象化する手続きが不可欠なものであることを知った。世間というものを一端対象化しなければ、社会を獲得できないのである。それを知った。思い返せば、これは若者が成長するときに経験する。僕を含めておおむね若者は世間や分別を軽蔑してきた。世間や分別というものをあらためて対象化することなしに、である。社会や理性という概念に飛び移り、にわかに難解な言葉をしゃべりはじめる。やがて、世間のきびしさを知り分別を知るようになると、綺麗さっぱりそのことを忘れてしまう。これは転向という大げさな問題ではなく、決定的に「抽象」の過程というものが欠如している。抽象化を通してしか獲得できないものがあり、作品の評価の多くはそういうところにもある。

9月13日(土)
NHK特集で、昨夏の異常現象の原因を知る。インドシナ海域の水温上昇が、偏西風を北に押し上げ、その変化の大きさが、動的で進路が変化する偏西風の動きを固定化してしまった。そのため、絶えず日本は偏西風の下、すなわち暖気に覆われ続けたために、異常高温を招いたそうだ。すこし、後追い的説明で納得できないものの、偏西風が動的にコースを絶えず変化させながら、地球を回り続けていることを知ることができた。宇宙規模でいうと、風と雲は地球にへばりついて見えるのも驚きである。香川が、ドルトムントで得点する。監督の信頼がボールを呼び込んだといっても過言ではない。然るべきポジションに確率的にボールが転がってくる。これによって、高まりつつあるファンの期待に香川は答えられそうな気がする。

9月12日(金)
誰かがなりすまし、メールを大量に送っている理由から、メール送信機能をサーバーからストップされる。送信機能が働かないのはそのためであった。海外からの操作であることが予想される。サーバーからの指示にしたがって、これに対処することに追われる。時間をとられたが、改めてパソコンのアカウントシステムを知ることができた。

9月11日(木)
村野藤吾の宇部市市民会館を案内のもとみる。前面の列柱とシンメトリーが、戦前を思い起こさせる。どことなく、日本的でない。こうした体験をしたのははじめてであった。ホワイエの柱頭がフラットスラブを支えるかたちであるのは、どこから来ているのだろうか?その後、スターリングが実践したのは、60年代からである。袖舞台壁の紋様も見る。噂の戦前ドイツを思い出させるものである。宇部興産ビルの車寄せの迫力に脱帽。村野と菊竹には飽きさせない魅力がある。空間への思い入れがそうさせている。

9月10日(水)
萩市役所 萩市民会館 菊竹清訓設計 へ行く。市民会館の狂気に圧倒される。鉄骨トラスの大屋根の下に、小ホールと大ホールのコンクリートのボックスが戯れているように見えるほどである。遠くから白い巨大な屋根が浮いて見える。小ホールの天井はテントである。ホール施設に流動性が与えられていることは素晴らしい。こうした流動性について、菊竹はこの頃から行っていたことを知る。近くに山口美術館 丹下事務所 がある。美輪焼をみる。質素で力強い。山口芸術センター 磯崎新 で昼食をとる。図書館、美術館、ホールをリニアにつなげた大空間である。公共施設、ましてや機能性が大切とされるホール、美術館、図書館を、倉庫のような一室空間コンセプトで成立させていることに感心する。ただ、その連続が感じられないことを、残念に思う。建物を横断する空間が必要でないか?と考える。中庭が大きく、空間の連続性を阻害していた。中原中也記念館は、 スケールがおかしい。空間の大きさのメリハリがない。近くで外郎を買う。山口の名産である。芸術センターに戻り、中山邸に入る。いたく感動する。幾何学空間の強さだろう。室内からは見えないトップライトが効いている。ガラスブロックと透明ガラス、柱配置、樋等のシンメトリーに固執した白い空間である。モンローチェアにしばらく座っていたのだが、疲れなかった。床は薄い色のフローリングである。

9月9日(火)
午前便で山口宇部空港へ向かう。研究室の合宿である。はじめにレンタカーで、池原義郎設計の鹿戸市場へ行く。PCのディテールに、少し過剰さを感じるが、意気込みに感心する。建築にむかう姿勢をあらためて考える。屋上のグリーンが、海とコンクリートの防波堤と対照的で気持ちよかった。下関体育館 坪井善勝 は、 片側に観客席がある珍しい形式であった。そのため屋根は片勾配である。アーチ状の梁のスケールに圧倒される。建築家は入っていなかったのだろうか?周りにとりつくサブ空間のため、全体構成がみえにくくなっている。稼動率は、今でも100%だそうだ。市民に愛されている。続けて、このゼミ合宿の宿泊所である、秋吉台国際芸術村 磯崎新 へ行く。 施設管理者の案内でホールをみる。300人程度のヴィンヤード型劇場である。そのため、横長でホールに動きがある。建物中央には屋外の能舞台があり、それとも一体となる。フレキシブルなホールは磯崎の真骨頂である。夜から、隣のセミナー室を利用して、4年生の卒業研究の中間発表会。例年より進みが遅い。

9月8日(月)

9月7日(日)
「柳田国男論」柄谷行人著を読む。南方熊楠の天才性と比較し、柳田の鈍重性と綜合性を指摘する。熊楠の非日常、奇異なものに対して、柳田の場合、日常的生活の正当性を扱っているといってもよい。それを観念的でなく、科学でいう実験、「内省」により実践的であったことを強調し、評価している。明治期に導入された近代思想と土着思想を比較して、知識人に対して面白い記述がある。「いまだ抽象(内省)されたことのない生活的な思考と、それを抽象するかわりに別の概念にとび移った、つまり真の意味で抽象というものを知らない思考だけがある」というものである。抽象とは、定義することであり、定義すること明瞭化すること、その過程に思考がある。柳田はそれをひたすら行ったというものである。近頃読むスピノザの幾何学を思い出させてくれた。

9月6日(土)
熊楠コンペのプレゼンテーション。概ね指摘された事項は技術的問題であった。木造の妥当性について問われたこととなる。技術もひとつのデザインであることが理解できないらしい。熊楠コンペに関わる関係者としていかがなものかと思ったが、ぐっと押さえて質問を受ける。とはいえ、いいたいことはいえたので、晴れ晴れした気分で終えることができた。

9月5日(金)
アギーレの初戦を見落とす。後にダイジェストを見るが、基本的なミスからの失点であった。代表としていかがなものかと思う。

9月4日(木)
熊楠プレゼンテーションのテーマを、「縁」つくりと「柔軟性」に決定する。主観性をもって、動的にプロセスを捉えていく試みを提案することした。熊楠はそういうスタンスで研究を行ってきた。そのようにデザインも行いたいと思う。

9月3日(水)
「三つのエコロジー」に収録されている「エコゾフィーの展望」を読む。これは、92年の日本での講演記録である。エコゾフィーとは、エコロジーとフィロソフィーをかけ合わせたガタリの造語である。89年の大阪の講演を受け、さらに一歩踏み込んだ積極的(政治的)な講演であることがわかる。「潜在的なもののエコロジー的な力を発揮させることによって倫理的な自由の飛躍をめざし」、「逆に、政治的な実践を新たにつくりなおす」ことを要請している。そういえばこのころ、緑の党とかが出現していた。そしてこれを芸術家の姿とダブらしていた。「大切なのは、ある作品がひとつの突然変異的な言表行為の生産に実際に寄与しうるかどうかどうかなのです。芸術的活動の焦点は常に主観性の生みだす剰余価値であることに変わりありません。あるいは、別の言葉でいいかえるなら、平凡な環境世界のなかにおいての負のエントロピーを明るみに出すということです。というのも主観性の一貫性は、主観性が最小限の個人的もしくは集団的な再特異化という道を通してみずからを刷新することによってしか維持されない」とある。生物進化における突然変異を思い出させる内容である。そして現在は、「切断と縫合の技術に見合うだけの領域がわれわれのなかに存在している」という。「科学的な客観性の名のもとに主観性の体系的な拒否があいかわらず支配している」と前置きし、「既成の文脈から身を引き離した美的プロセスが、その美的プロセスそのものの自身のためと同時にあなた方(社会)自身のために、この両方の意味において機能し始める」という。この内容について、もうひとつ具体性がほしくなってきた。

9月2日(火)
大学院試験の面接。私が赴任した頃よりも学生の受け答えがしっかりしてきたことを感じる。ここ3年くらいの変化である。これからの設計授業の進め方についても合わせて考える。小さくまとまってしまうことへの危惧である。再び、学生に自由に発想させる指導もあるかとも思う。

9月1日(月)
「三つのエコロジー」に収録されている「ポストメディア社会に向けて」を読む。89年の大阪での講演会記録である。科学主義的なパラダイムを捨て、美的—倫理的なパラダイムへ向かうべきことを主張する。美的—倫理的なパラダイムでは人は、「積極的に自分の身を投じて危険をひきうけながら、みずからの幻想をもためらわずにてんびんにかけ、実在的な正当性を保ちながらも遊技的自由さをもったパラドクシカルな空気をつくりだそうと試みる」。これを主観性の個人化という、よくわからない言い方である。しかし次の引用で内容はあきらかになる。「自分自身に対して責任があるとみなされた人は、家族的習慣、地域のならわし、あるいは法律などによって支配された他者性との諸関係のなかでみずからの位置を決める」という。まさにデザインのことをいっている。続いて、主観性の集団化について言及する。「個人を越えて社会体にむかうと同時に、人になる以前の方向や、限定的な秩序立った論理よりもむしろ感情の論理に依存する言語以前的な強度の方向にもひろがっていく」とある。主観性が社会化するプロセスである。状況判断に絞った記述であるので、もう少し背景や方向性を知りたいと思う。

8月31日(日)
128 8月31日 セリエA ミラン×ラツィオ

本田が先制点をたたき出し、3-1でミランが勝つ。左のエルシャーラヴィの突破から、中央に走り込んだ本田が決めた速攻である。利き足でない右で決める。スタジアム入場の際には本田が、リヴァプールへ移籍したバロテッリにかわり最後尾となる。チームはサイドからの攻撃を徹底させ、本田もそれにフィットしていたが、ゲームにおいては本田中心のチームにはなっていない。ただし、右の本田も中央に入ることを許され、そこでボールを受け取ることも多くなっているので、これからだろう。先制点の後は、ふたつのゴールの起点となる。センターライン付近で本田が受け、右サイドの選手が上がったところの起点となる。ただし、本田に対するディフェンスがきつく、本田がボールをキープでない場面がたまに見受けられた。2点目の喜びは、監督を巻き込んでの全員のものである。本田も含めミランがいい方向に向かっていることを感じる。

8月30日(土)
スーパー台風についてのNHK特集を見る。900ミリヘクトパスカル以下の台風をスーパー台風という。近頃そのスーパー台風が増加傾向にある。温暖化のためである。その原因が、海水表面温度上昇によるものでなく、26°以下の海水層が海面深くまで追いやられていることが原因だそうだ。今までは上昇気流によってかき混ぜられていた海水が、26°以上の層が厚く、温度の低い海水となかなか混ざらないようだ。その分、上昇気流が衰えず、台風の中心部の気圧が下がり続け、勢いが増す。加えて驚いたことがひとつあった。地球規模で俯瞰すると、台風の高さは想像より低い位置にあり、すなわち海面すれすれを移動していることである。台風は思っているより大きいことがわかる。 ファン・ハールのマンUが勝てないでいる。今日もドローであった。選手の寄せ集めでは上手くいかないということか?ファーガソンの築きあげてきたものが一気に崩れ去るのを感じる。といっても、哲学があるようには見えないので、ファン・ハールは壊し屋のようにも見える。ヴェンゲルが何かを言いそうである

8月28日(木)
昨日放映されたNHK特集を考える。現代社会は、近代以前に比べて価値観が多様化ともいえるし、反対に、近代以前に比べて行き過ぎた合理性、抽象性を追求しすぎているともいえる。近代以前であったなら、自閉症の少年は、村外れにあったかもしれない。極端に縛られた価値観に合わないということで、である。あるいは、自然に囲まれせせこましくない社会では、そもそもそうした症状が発症しなかったかもしれない。世界や社会をいかように捉えるかによって、さまざまに解釈することができることに気づいた。つまりは、社会と自閉症との関係は一概には言えないのである。それに対する精神反応の不備を社会は自閉症と名付けただけなのかもしれないと思う。 午後、自分を取り巻く外界を再び考える。外界を、社会と自然という2つに分けてみたら、古の自然に開かれ閉ざされた社会から、自然に閉ざされ開かれた社会へ移行していることに気づいた。自閉症をはじめとする精神障害は、外界から閉ざされたときの一種のパニック状態をいうのではないかと思う。人は何らかの繋がりを欲していて、それが閉ざされたときが問題となる。自然と社会へともに開かれる方法は何かを考えはじめる。

8月27日(水)
自閉症についてのNHK特集を見る。「僕が跳びはねる理由」東田直樹著をめぐり、自閉症の子をもつ親にスポットを当てた番組である。自閉症の原因に、脳の欠陥が挙げられる。がその他に、親を含めて社会の要望に応えられないもどかしさを本人が、機能的欠陥と思い、無意識のうちにそれを隠蔽しようとする一種の自己防御本能にも原因があるようだ。だから、言葉に表すことができなくとも、実は本人の中では非常にさまざまなアイデアが渦巻いている。東田くんはしたがって、タイピングをまねた発言方法を使うことによって、実に深い表現を行うことができる。近代的な考え方では、情報の交通整理、あるいは情報をヒエラルキー化することが求められるが、それが不可能な場合の負のスパイラルの結果が自閉症という訳である。そのため、治癒するためには少年を自由にしておくのがよい。スピノザがいうように、他の能力を発揮することによって自己治癒可能なのである。自閉症の少年が跳びはねるのは、そういうことなのだ。自己表現は様々であり、跳ねることと言葉を発することは実はおなじ機能をはたしている面もあるので、それが通常の社会システムに合うか合わないかの違いでしかない。そう思えば、問題とならない。少し無責任な表現のようであるが、スピノザから学んだ無限獲得とはそういうものである。

8月26日(火)
「三つのエコロジー」フェリックス・ガタリ著を読みはじめる。3つとは、自然、社会、精神である。それに情報のエコロジーも随所に触れられている。冒頭にベイトソン「精神の生態学」からの引用がある。生態学的な問題を、外界と主体性との関係に昇華させることをテーマにしている。90年代の本であるが、この時期はモノと精神の区別が有効でないことが、あらゆる分野で叫ばれていた。エコロジーはその典型的問題であった訳だ。

8月25日(月)
126 8月24日 プレミア マンU×サンダーランド

香川不出場。香川の優先順番がかなり低いことを実感する。ファンベルシーの状態がよくないのはW杯の疲れから仕方がないことであるが、この試合にかんしてはルーニーがいまいちであった。その原因は、ファンベルシーが下がり、スペースが重なることも多かったが、一番は、マタや両サイドと全くといってよいほど連携がなかった。香川にはそれを修正する能力があると思うのだが、ファン・ハール二はそうした期待が香川にないようだ。ファン・ハールはW杯のロッペンのように個人での打開を選手に期待しているようである。思えばW杯のオランダは、結局のところファンベルシーの決定力と、ロッペンの突破という個人の力量に依存していた。ロッペンに相当するディマリアを、多額のお金を払ってでもユナイテッドが獲得するという噂が現実味を帯びてくる。ディマリアに局面打開を期待するために、である。そうして上手くチームが回り始めた上で、アクセントを与えるという意味でトップ下があり、そのマタの控えというのが香川の位置づけである。ルーニーをとの連携を高め、ルーニーを活かすためにも香川という選択が最優先となることをファン・ハールは考えないだろうか。昨日ドルトムント戦を見たが、パスの成功確率が少ないにもかかわらず、ワンタッチパスの連続で瞬時に展開を変える戦略が3トップの魅力であることをあらためて知った。ルーニー、香川にその可能性を探ってもらいたいと思う。

8月24日(日)
125 8月24日 ブンデス マインツ×バーターボルン

岡崎先発、先制弾、同点となるPK奮取と活躍するも、今季昇格のチームにやっとのことで引き分ける。昨季マインツを立て直したトゥヘル監督からヒュルマンド監督に変わりチームが安定していなく、岡崎をサポートしていた両FWの移籍も大きい。昨季はカメルーン代表モティングの左突破から前線の岡崎がシュートというパタンであった。ボールを岡崎まで持ち込むことができずにいる。心配である。

126 8月24日 プレミア マンU×サンダーランド

香川不出場。香川の優先順番がかなり低いことを実感する。ファンベルシーの状態がよくないのはW杯の疲れから仕方がないことであるが、この試合にかんしてはルーニーがいまいちであった。その原因は、ファンベルシーが下がり、スペースが重なることも多かったが、一番は、マタや両サイドと全くといってよいほど連携がなかった。香川にはそれを修正する能力があると思うのだが、ファン・ハール二はそうした期待が香川にないようだ。ファン・ハールはW杯のロッペンのように個人での打開を選手に期待しているようである。思えばW杯のオランダは、結局のところファンベルシーの決定力と、ロッペンの突破という個人の力量に依存していた。ロッペンに相当するディマリアを、多額のお金を払ってでもユナイテッドが獲得するという噂が現実味を帯びてくる。ディマリアに局面打開を期待するために、である。そうして上手くチームが回り始めた上で、アクセントを与えるという意味でトップ下があり、そのマタの控えというのが香川の位置づけである。ルーニーをとの連携を高め、ルーニーを活かすためにも香川という選択が最優先となることをファン・ハールは考えないだろうか。昨日ドルトムント戦を見たが、パスの成功確率が少ないにもかかわらず、ワンタッチパスの連続で瞬時に展開を変える戦略が3トップの魅力であることをあらためて知った。ルーニー、香川にその可能性を探ってもらいたいと思う。

8月23日(土)
123 8月23日 ブンデス ヘルタベルリン×アウグスブルク

吉田が所属するサウサンプトンの戦いを見るか迷うも、ヘルタの試合を見る。原口と細貝が先発。細貝の攻守にわたる頑張りが目立つ。一方、原口は左の2列目に位置し、まだ縦横無尽にドリブルで仕掛けをするに至っていない。試合は2-2のドロー。2点目は、後半早々の、深く左サイドをえぐった選手の折り返しを、原口が繋ぎ、FWがゴール決めたもの。唯一原口が光った場面であった。縦への早い突破を持ち味として、表現してほしい。

124 8月23日 ブンデス ドルトムント×レヴァークーゼン

初戦をドルトムントは落とす。開始9秒で、油断のため1発決められる。レヴァークーゼンは監督が替わり、攻めが速くなる。前半は何度かピンチを迎えていた。一方ドルトムントは右のオバメヤンを中心に攻めるが、フィニッシュまで至らず。後半からはセカンドボールを拾い続け、波状攻撃を仕掛けたのだが、レバンドスキーが抜けた穴は大きい。ベンチに丸岡が入っていた。18歳のセレッソからのレンタル中の選手である。プレシーズン戦の活躍がありチャンスをものにしている。
本田がプレシーズンカップでMVPをとる。ユベントスとの1戦目のゴールは、中央での得点であった。チーム内での本田の位置づけがわかる。中央に入ることが許されるほど、本田の存在が大きくなっているのだろう。ようやく本田もミランで、実力を示せるような気がする。

8月22日(金)
南方熊楠や南方マンダラを知るキーワードとして、「リーマン幾何学」や「バロック空間」があげられる。これらは近代思想に反するものとされる。リーマン幾何学とは、曲がった空間における幾何学であり、ユークリッド幾何学と対比する。バロックであるということは、中沢新一の「森のバロック」で語られている。バロック教会内部の光と比べて、以下のように記述されている。「外部の力を、「事」という小さな小窓をとおして、マンダラの内部に、導き入れる。そして、その力は、マンダラ内部で運動している「縁の論理」によって、屈折させられ、折り畳み込まれて、マンダラのさらい内部深くへと侵入をはたし、それを無限の複雑をもった生きた構造として、つくりあげていく。」

8月21日(木)
122 8月18日 スイス バーゼル×シオン

柿谷のスイスでのゲームを見る。バーゼルは3トップで今季のぞむようである。その右に柿谷が入る。スイスはディフェンスがガツガツくることもなく、バーゼルは攻撃的であるので、ゲームは面白い。そして柿谷の成功の確率も高いことを感じる。その証拠に既に1ゴールと1アシストを挙げている。なかなかのスーパーゴールであった。この日もほしいシュートがあった。

8月20日(水)
「スピノザとわたしたち」第4章「情動の社会学」を読む。個の欲望が「共」を生むプロセスが記述される。どうも予定調和的に思え、納得できない状況であるのだが、解説に熊楠とベイトソンが同時に取り上げられているので驚いた。「共」とエコロジーを比較するためにで、ある。訳者はベイトソンを引き合いに以下を述べているので、ここに記述する。「雑草から有害な思想に至るまで、なんらかのものものがなんらかのかたちでコミュニケーションをとろうとし、それがみずからの力能を拡大させるようなものであり、そしてそれが何らかの形で動的な均衡を見たとき、エコシステムはつねに成立している。かつてガタリはそれを精神、社会、環境と3つのエコロジーにまとめたことがあるが(「3つのエコロジー」ガタリ著)、その一つの様相としてこの「共」を位置づけることはおそらく可能だろう。」 エチカは、これを定義・定理にしたがい幾何学的手法で記述したものである。

8月19日(火)
建築雑誌8月号対談「国家と建築の間をめぐって」を読む。山本理顕の「思想」誌連載「個人と国家の間を設計せよ」をめぐる難波、西沢、山本の対談を読む。山本氏の主張は、かつての「世界」は生き生きと無限の可能性をもっていた。それは近代化によって管理されていき「社会」となっていく。そうした構造から脱却するために、モノをつくる建築家の気概を促すものであった。難波は、この見方こそあまりにも近代的で、図式的なものであるので、状況に応じたもう少し繊細な見方をする必要を提案している。例えば、経済や合理主義に囚われない、宗教や贈与などを基準とした新しいコミュニケーションの芽を今みることもできるという。身近なところでいえば、建築の学生達や建築家までもが、かけた努力に見合わない評価と賃金で、一生懸命モノつくりをすることが挙げられる。貨幣交換原則にのらない自己の幸福をえるためにぼくらはそうするのである。近代用語で言えば、これをアソシエーションという。局面々の機能的相互援助といってもよいだろう。但しこの時、各自が独立していて自由な立場にいることが前提とされる。かつての終身雇用のようなかたちの中では、全面服従が強いられ、そのアソシエーションから抜け出すことができないからだ。これと同時に、極めて幾何学的で近代的手法を用いて、無限性を獲得した最近読むスピノザを思い出す。スピノザは、管理された狭い範囲での自由でなく、真の意味での無限を獲得したとされる。それを可能にしているのは、「共通概念」というものである。必要に迫られて皆が「共」に想像できるひとつヒエラルキー上の絵の存在を、スピノザは幾何学的方法の中から見出していた。それがエチカのどこに由来するか詳細に表現できないのがもどかしいが、その可能性を、柄谷、ネグリ、ドゥルーズも指摘している。そうした立場に立ってみると、ぼくたちが現在がそうした変曲点にいることを山本は示し、難波はさらにそれを俯瞰的に見ているようにも思える。

8月18日(月)
「スピノザとわたしたち」 を続ける。人に限らず、事物が生来もっている自分を高めようとする衝動をコナトゥスという。ネグリは、スピノザの共通概念にこのコナトゥスを見出している。これが個人衝動を突き抜け、社会性、政治性に帯びる過程に可能性を見出している訳だ。しかしマンダラと少し離れていくテーマなので、身に入ってこない。 JIAマガジン8月号を読む。東大の小渕祐介氏の新しい建築教育のインタビューが掲載。2年間かけてひとつのプロジェクトを完成させるというもの。紙あるいは模型上のプロジェクトでないところがよい。建築は結局のところ、つくる自覚と覚悟にあると、このごろ思う。こうした1/1を完成させるプロジェクトは、自覚と覚悟を知り鍛えるよい機会である。後半には新国立競技場についての関連記事がある。ザハにはその覚悟があるかが重要なのだろう。槙氏はこのことをいっているように思えてならない。

8月17日(日) 121
8月17日 プレミア リヴァプール×サウサンプトン

吉田がフル出場。主力の大半がビッグクラブ引き抜かれ、チーム状態が危ぶまれる記事が毎日掲載されていたが、このゲームを見る限り、昨季のチームの良さを引き継いでいるように思えた。負けはしたが、吉田の最終ラインから丁寧にパスを繋ぎビルトアップするかたちは健在であった。1点目は吉田がFWマークするため、上がっていたところを、もうひとりのCBポンテと吉田の代わりに中央に戻った右サイドの間に、ロングボールを放りこまれたもの。このパタンをなんとかクリアできないものかと思う。2点目は、ゴール前で跳ね返したボールを、クリアできずに再び折り返され、マークを甘くした選手に決められた。吉田は、一発目をクリアするために前に出て、右サイドの選手のマークが甘かったものだ。後半はリヴァプールに攻撃のかたちもさしてつくらせず、まあまあの出だしだと思うが、こうした展開で勝ちきれるかどうかが実は大きい。

8月16日(土)
119 8月16日 プレミア マンU×スォンジー

プレミアが開幕する。同時にサッカーシーズンの到来である。W杯を忘れて次につなげよう。オープニングゲームがユナイテッド。プレシーズンマッチで、3-4-1-2布陣で好調であったユナイテッドに注目が集まる。しかし、攻撃の形をつくれずに、昨シーズンと同じ後半から4-4-2に戻す。故障者が多いこともあるが、ナニとフェライニを交代させて、香川を使わなかったのはどういうことだろうと思う。マタもよくなかった。要するに引いた格下相手にしっかり守られ、最終ラインをこじ開けられない。その対策が、ウイング(ナニ)によるドリブル突破であるのだが、これがチームのバランスを崩す結果となる。連動せず、前スペースが詰まるだけである。フェライニはロングボール対策として使われるが、結果として成功しなかった。おそらく香川のパスによる崩しとの天秤にかけての選択であったと思うが、上手くいかなかった。首脳陣はこれを反省して、香川に風が吹きはじめればよいと思う。香川にもっと前に出る勇気と迫力があればよい。

120 8月16日 プレミア アーセナル×クリスタルパレス

アーセナルにバルセロナからサンチェスが加わる。アーセナルに足りないものは、縦への突破である。守備が壊れるのを待っている様にしか見えず、迫力が感じられない。このゲームでも最後のところで横パスが多く、決定機がつくれないでいる。サンチェスに求められる役割はその辺りでアクセルを踏み込むことだろう。W杯でもそうであったが、パンツの裾をまくり上げ短パンにして、サイド奥深くから削り込むサンチェスが、フィットしてくるかに注目である。

8月15日(金)
「スピノザとわたしたち」 アントニオ・ネグリ著を読みはじめる。

8月14日(木)
「批評と臨床」ドゥルーズ著の短編「スピノザと3つのエチカ」を読む。この短編はこの本の最後に収録されている。書かれている内容は「スピノザ 実践の哲学」と変わりない。エチカの1部から2部、そして5部への変様についてであり、それらを3つのエチカといっている。そこには「共通概念」が鍵とされる。1部での明快な幾何学に基づいた説明から、アレグサンダーのいう「名付けえぬ質」のようなものへ言及が動いているように思えてならないが、果たしてそうだろうか?と疑問を持つ。内容を引き寄せることが難しい。

8月13日(水)
5章は、「知性改善論」から「エチカ」に至るスピノザの思想的発展についてが記述されている。そこには「共通概念」というものが鍵とされる。しかしここで再び著者が、価値観を含んだ「共通概念」というものを取りあげる根拠が理解できなかった。6章は、ぼくら建築家にとっては判りやすい。空間という抽象的なものを平・立・断を使って表すように、体や精神などを実体として、幾何学を使って捉える必要性を記述したものである。スピノザは、そうした体系を示すことに成功した。それは決して収束するものでない。逆に体系のもとでの実践は、無限に拡がっていく。先日記した訳者あとがきにあったように、これがスピノザの功績とされる。

8月12日(火)
「スピノザ 実践の哲学」の第3章、4章を読む。生の総体は偶然に支配され、それに人が善悪というモラルを付加する、2章で述べられていたこのことを、あらためて3章、4章が補完してくれた。4章は「エチカ」で扱われる概念の定義であったので、拾い読みに留める。訳者あとがきを記す。「大切なのは、単なる理論でも実践でもない。概念の発明と情動の開放とを結びつけること。生の総体を自由な出会いと相互誘発へと促してやまないスピノザの力強い風をドゥルーズが増幅してわたしたちに届けてくれた。」

8月11日(月)
「スピノザ 実践の哲学」 G.ドゥルーズ著を読みはじめる。西田幾多郎を通じて、この時期多くの人たちが仏教思想に注目していたことを知った。熊楠もそのひとりである。彼らがいかにそれを実践していたかに興味をもった。そして再びスピノザを模索していたところ、この本に出会う。「エチカ」とマンダラは近い関係にあることは先に触れた(7/17)。「エチカ」も近代に対する特殊な考え方である。第2章の「道徳(モラル)と生態の倫理(エチカ)のちがいについて」に、タイムリーな新しい発見が多かった。今まで理解していたスピノザ(あるいはマンダラ)の不十分さがそこに記されていた。無限の属性をもつひとつの実体、これを森羅万象なる自然または神というのだが、これを想起するだけでは十分でないことがそこに記されていた。「エチカ」においてスピノザは、それに加えて、次の3つを提示しているという。ひとつめは、身体をよく掴めていないように、意識も同様に掴めるものではないということ。ふたつ目は、病も含めてひとにとってよいわるいとは、体に合うまたは合わないかを意味し、良し悪しという道徳に左右されるものでないこと。そして3つめは、合うまたは合わないかは、活動能力が誘発されるか阻害されるかということであり、絶対量をいうものでなく微分的なものであること、そしてこのように「身体」と「精神」は不可分な関係にあること、である。このように「エチカ」はまさに生態学(エトロジー)的思考を備えたものであることが判った。その上で、スピノザはできる限り自由な状態に置くことをよしとし、その実践を考え抜いた。ほんの一端であるが、改めて知ることができたことである。これにしたがうと、西田幾多郎の哲学は、「身体」と「精神」を一体と考えなかった点において、西欧近代の追従といわざるを得ない。仏教思想を抽象的に、西欧言語で訳してしまったことになる。一方熊楠は、粘菌観察に固辞し、モノと観察を平行させていた。この違いに気づいた。あまりにも綺麗な割り切り方であるが、同じ仏教思想に立ちながら、この相違を僕なりに発見できたことが大きかった。それは、エリート武家が受けいれた禅思想と土き法竜からの空海密教思想の違いかもしれない。引き続き「スピノザ」を続ける。

8月10日(日)
熊楠も、西田幾多郎と同時期に生きた人物であることに気づく。そしてふたりとも、西欧の近代にたいする新しい日本を、仏教(的観点)から再発見しようとした点でも似通っている。どちらも関西人で、熊楠は書簡から京都の影響を受けていることが判る。実際にどのようにその思想を運用していったかに関心をもつ。影響力の大きさに違いがあるかとも思う。

8月9日(土)
NHK特集で西田幾多郎の戦前戦中の役割についての特集を見る。「日本人は何を考えていたか?」の特集のひとつである。「善の研究」は高校時代から読んでいた。多感な若い時代に、多様な価値観の中で何かにすがりたい気持ちから行き着いたと記憶している。読後、それは至極当然な疑問であることを知り、西田の描く「円相図」や「絶対矛盾的自己同一」という考えに励まされた記憶がある。それを当時は深く理解できなかったが、アレグサンダーやニューサイエンスに触れる度に鍵となって顕れてきた。しかし西田哲学の戦前の活動は柄谷行人の本をはじめとして、否定的なものとして知るようになった。ここ十数年のことである。彼らの掲げる共栄圏思想が日本(軍部)の帝国主義に取り込まれてしまい、その強化に利用されてしまったことを知った。今回のNHK特集はそこに光を当てている。西田を取り込んだのは、過激な陸軍でなく、比較的リベラルな海軍である。後で判ることであるが、歴史は巧妙であった。あれだけ政治にコミットすることに慎重であった西田でさえも「空」とか「矛盾的自己同一」を美学的、浪漫的に運用してしまった。既定路線であった日本の侵略政策を内的に自己救済するもの手助けしてしまったのである。「空」が、リーダー不在でもアジアにまとまりをもたらす天皇制を意味するようになってしまった。柄谷行人は、それに対抗する人物として坂口安吾をあげているが、いまいち理解できないのが正直なところである。その歴史を知った上で僕たちはどうすべきかは疑問のままである。

8月8日(金)
「浄のセクソロジー」を読み続ける。後半は人魚、半男女についての考察。屈折した性についての世界各国の様々な伝説が記述される。「浄愛と不浄愛、粘菌の生態、幻像、その他」で、明快に性と粘菌についての見方が示されていることを知る。粘菌も性も摩訶不思議なものであり、ふたつとも「人間の智識をもって絶対の真理を知らんなどは及びもつかぬ」ものなのである。

8月7日(木)
熊楠思想の全体像が見え、異なった見方を得るため、別の本を移る。「浄のセクソロジー」を読みはじめる。熊楠は性の領域においても多様な見方ををしていた。これは粘菌の多様性に通じるものであり、綺麗に2分できないものにたいする熊楠の興味である。前半では各国、各民族の血縁婚の事例紹介である。実体と制度との関係に興味があったようだ。中頃からは、同性愛についての逸話集。日本だけでなく世界からの収集である。「魔羅考」は長編である。竹本氏が円観上人が男根を魔羅と呼んだ起原について疑問を呈する論文である。熊楠は、鎌倉時代を遡り、「今昔物語」「古事談」などの文献調査から竹本説にたいし反論している。続き、女陰の話。地方独特の呼び名がどれも目との関係があることを示し、その起源にせまる。最後は再び魔羅の起源を神代にし、魔多羅神殿との関係に言及する。これらは全て文献調査によっている。

8月6日(水)
「動と不動のコスモロジー」南方熊楠著を読みはじめる。熊楠の履歴を追ういくつかの書簡がおさめられている。和歌山から世界を駆け巡った動の時代から、30歳前半帰国後の田辺に腰を据えた不動の時代を俯瞰することができる。多感な青年期の経験を経て熊楠独特のコスモロジーを形成していった。

8月5日(火)
箱根を深夜往復する。霧が立ち込め視界がゼロに近かった。久しぶりに運転に緊張をした。箱根新道より御殿場抜ける方が早いという話を聞いたが、全く正しくなかった。箱根新道の方が早く安全である。 「森の思想」第2部を読む。森の保存運動、神社合祀反対についての往復書簡である。要約すると保存すべき理由を以下に挙げている。1)神社合祀と敬神は別物である。2)民の和融を防ぐ。3)地方の衰退。4)国民の慰安を奪う。5)愛国心を損ずる。6)土地の治安と利益に大害。7)史跡と古伝の滅却。8)天然風景と天然記念物を亡滅。このことから熊楠が動植物の生態にたいする配慮もさることながら、空間・土地と人とのつながりにまで言及していることが判る。これを解題で中沢新一は、はじめてエコロジーを体系的に考えた人として位置づけている。それは、生態のエコロジー、社会のエコロジー、精神のエコロジーの3つである。

8月4日(月)
「森の思想」を続ける。粘菌を詳細に観察すると同時に、それを生活や文化に結びつけて話す展開が面白く心地よい。例えば、色彩が艶やかな粘菌フィサルム・ギロスムの記述後に、その記録を送付する人の話、それを切っ掛けに南米のマテ茶、彼の知っている南米別種の藜の実の話に至るような具合である。その書きぶりが見事だ。また、ハドリアヌスタケを男性器と比較し、写生と酒精(エチルアルコール)をかけたりなどがあり、文章においても天才かもしれない。もちろん、酒の発酵も菌によるものである。こうした話しぶりと同様に、粘菌も実に変化することが判る。これに驚いた。色が白から赤に一晩で変化するものもあれば、バクテリアを食らうために、人間には見えない程ゆっくりの速さで動くものもいる。あるいは、変形体から子実体という胞子形成の段階において、植物の芽が土から成長するように変態するものもあるのだ。「森の思想」後半の第2部は、森と政治の話である。

8月3日(日)
118 8月2日 プレシーズンマッチ マンU×レアル・マドリード

香川が後半15分からトップ下で登場。ファンハールユナイテッドは、戦略を昨季から大きく変える。サイドの選手のドリブル突破から、ダイレクトパスによる速攻への変化である。香川はこの戦略にマッチする。スムーズなボールタッチで前線のスペースへパスを連発する。やはり個人能力もチーム戦略あってのものである。香川と同時期にピッチに送り込まれたエルナンデスと好機をふたつつくり出した。そのひとつがゴールにつながる。ぺぺの裏をついたロングパスは評価できる。終了間際にも香川は自らよいかたちをつくり出す。自陣で奪ったボールを前線のスペースに蹴り出し、もう一度リターンパスをもらってフィニッシュまで持ち込むものであったが、最終パスが通らず。悔しがる様子がひしひしと伝わる。

8月2日(土)
「森の思想」南方熊楠著を読みはじめる。「粘菌の形態学」が面白い。熊楠は、粘菌を進化の途中、「唯今も変化進退して一日も止まざるもの」とみなし、粘菌の新種などを認めなかったそうだ。新種を認めることは、科学界の前提、動物や植物を明確な基準で分類する既存の認識論、に追従することに他ならないからである。

8月1日(金)
「南方マンダラ」南方熊楠著を読む。土き法竜僧侶とのロンドン時代からの書簡を集めた本である。熊楠がマンダラ思想に行き着くまでの過程を知ることができる。書簡は、仏教を広めるためにロンドン(1890年代)を訪れた土き法竜僧侶との出会い時からはじまる。この初期の書簡の中で熊楠は、心や物のみ単独の研究を批判している。これが当時の西欧科学が行っていたことであった。それに対し、「心」と「物」の混じあうところに生まれる「事」の探究の大切さが当時からの主張であった。既にマンダラの思想の一端を垣間みることができる。そして、帰国後の書簡でそれは、森羅万象の現象を「不思議」として捉えるマンダラ思想に至った。そこでは、科学もその一部として考え、「不思議」を「いくつかの「現像団」に分けて、それらの集合の間に順序構造をあたえ、それに言語表現をあたえた法則をつくる仕事と考えていた。つまり、宇宙は複雑強大な「諸不思議」の集合体というわけだ。その場合、人間の知性も重要である。知性は宇宙の実相を知れば知るほど、さらに深い不思議の前に連れ出されていく。南方のマンダラの構造とは、そうした人の驚きと喜びを含めた一切のものを含めたものだ。これが特徴である。つまり、因果が因果をよび、マンダラは力による因果によって絶え間なく変化する。それは人の心も同様である。これを「縁」といい、マンダラは「縁」でできているともいえる。これは1903年の書簡である。熊楠はここにたどり着くまでに10年を費やしたことになる。

7月31日(木)
「ユングと曼荼羅」中沢新一編を読む。曼荼羅の構造を明らかにするシンポジウムをまとめた本である。ユングの考える「無意識」と曼荼羅思想の共通点を追っている。ユングは「これが無意識」であると堂々と言っていたという。つまり、心にも完備な、ある種の一つの全体性をもった実体性があって、それを「無意識」として、その存在を認めていたのであった。これは、スピノザの「無限」あるいは「神」を定義したことと同じである。このためユングは、フロイト一派と対立していた。無意識を推論しながら組み立てていくフロイトの理論と反対だからである。曼荼羅の思想も同様であった。曼荼羅思想は、「一つの世界、全体性、有限性というような実体を与えて、それを探究する」ものであるため、仏教一般の「空」という精神と相容れなかった。そのため、仏教一般から拒否されていたのだという。次にその曼荼羅の実体が明らかにされる。その構造は3でなく4次元であることが特徴である。4次元目にあたるものは「空間に展開されて、具体的な表現方法、実体となった心の動き」にあたるものであり、ここでもユングとの共通点が示されている。ユングはこの4番目を「大地性」といったそうだが、これはなんだろうかという疑問が湧く。

7月30日(水)
「エチカ」を続ける。ものつくりの楽しさが、エチカでいうところの永遠性と同質であることに気づく。エチカのテーマは此処にある。極端なことを言えば、無限を獲得するには、無限なるもの例えば「神」や「精神」を定義し、それにしたがった実行をすることであり、(第一部定理18 神は、あらゆるものの内在的原因であって超越的な原因ではない)、そのかぎりにおいて、無限性が保証される。このことだと理解する。アレグサンダーのマスタープランを拒否する態度もこれに従っている。したがって無限思考であることに気づく。そういえば、この考えを実行に移した「オレゴン大学の実験」でも、6つの原理にもとづいている。ただしものつくり個々には、はじめに定義される対象が不在であり、「オレゴン」には、上手く言い表せないが、そうした何かがあることは確かである。コジェーブが批判した日本のスノビズムも、定義なしの無限性獲得である。そのことに気づいた。ここでひとまず「エチカ」を終えることにする。

7月29日(火)
小保方氏に関するNHK特集を見る。偽装かどうかは本人のモラルによるし、真実を知るよしもないが、後追い検証で論文の不明瞭さ不自然さを指摘することに違和感を感じる。発見もひとつのデザインである。ひとつの仮説をストーリー展開させ、皆を納得させられるかにかかっているものである。ということはある意味、形式の問題である。形式を後で批判することは、政治的判断に頼っているというしかない。後では何とでもいえるからだ。小保方氏(正確には論文の専門家がいたそうだ)の論文は、ストーリーつくりに当初上手くいっていたが、最後はそれに失敗しただけとかんがえたらよい。ただそれだけだ。審査員もそれを見抜けなかったのは、ある意味仕方ないことかもしれない。むしろ、ぼくらは、それだけ形式が大きいことを肝に銘じることにする。スピノザの「エチカ」は形式性が徹底されている。その活動故、スピノザは死後、大文字の哲学者になり得たともいえる。

7月28日(月)
「エチカ」を続ける。ユークリッド幾何学を用いて「神」や「精神」を記述することについて考える。一般には、記述あるいは定義はものの範囲を限定するものと考えられるので、「神」や「精神」といった抽象的なものを記述する方法として不適と思うからだ。しかし数学は「無限」を公理主義で説いている。スピノザは無限なる神をいかに記述するかを考えた。その共通な思考方法に鍵を感じる。内容については、柄谷行人の解説を追うにとどまってしまう。

7月27日(日)
箱根のポーラ美術館行き。床空調の吹き出しを確認。開催中であったのは、モディリアーニ展。同時代の美術館所蔵の作品と一緒に展示される。プロポーションについて、1900年前後にも皆がテーマにしていたことを知る。ただし、いかにそれを崩すかにあった。晩年とはいえ、モディリアーニは1920年の35歳でなくなるのだが、このときまでそれが大きなテーマであった。コルビュジエ1920年の「モデュロール」は反対にこの比例体系を再整理するものである。コルビュジエの立ち位置が整理できた。モネのルーアン大聖堂のひとつを初めて見る。遠景からはそれと確認できるが、近づくと点の集合でぼっーとし、何が描かれているか判らない程である。光自体を表現しようとしていたのがよくわかる。

7月26日(土)
「エチカ」スピノザ著を読みはじめる。本書が定義、公理、定理という明確な順に従って記述されているのが特徴である。これをユークリッド幾何学をモデルにした叙述という。それが徹底されている。第一部は「神」について。スピノザの神は、自由意志によって万物を創造する創造主ではないことがわかる。神はその力の必然性によって万物を創造し、神と世界は創造主と被創造主との関係ではなく、原因と結果の関係にあるということである。つまり神は世界の延長上、あるいは空間的なつながりの上にいることになる。このときまだ空間という概念がなかっただろうから、神の物質化をスピノザが扱おうとしていた。このことが判った。その理解のために、「想像知」「直感知」「精神」「神即自然」といった概念あるいは観念をユークリッド幾何学にしたがって記述しようとしている。

7月23日(水)
小泉雅生、安原幹、前田圭介、一色博貴氏を迎えての3 年生前期の設計授業講評会。前半課題美術館より後半課題の学校の方が概ねよい評判であった。これが昨年までと大きく異なっていた。学校の課題は、これといって大きな変換を起こすことができないので、作品自体はこれまでは地味になりがちであった。小泉さんによると、オープンスペースの使い方も絶対ではなくなり、学校計画の分野でもその使い方の是非において岐路に立っている状況という。つまり、プログラムの信用も揺らぎつつある。これに対し美術館課題は、条件が少なく自由に設計でき、文字通り大きな設計が可能である。学生が練る課題においても、そうした前提から逃れることができない。初めから美術館の方が作品として評価されるポテンシャルをもっている。ポテンシャルといったのは、最近の学会賞を見ても美術館はそれほど多くはなく、自由さをもてあます場合も多い、このことをいっている。そして今年はそれと同様な評価が下った。要するに、スケールからくる派手さに引っ張られてしまうところを、今年は、案の熟成させることによってそれを乗り越えた。それは、授業当初の倉斗先生の新しい学校建築のレクチャーが学生にリアリティを与えたことと、恵まれた敷地で育ち、それを丁寧に読み取った案が多かった結果と想像する(この後半課題は、自分の育った小学校を改築するものである) 。これでランドスケープはより大きな力をもたらすことを理解できたと思う。美術館もこうした捉え方をし直すともっと伸びると思うので、後期課題ではそれを学生に促そう。講評会後の懇談会では、公共性が話題になる。小泉さんは、公共建築の設計を通じて、大きな公共性を背負っているのだろう。僕はそうした大きな公共性はなくなるのではないかと思う。ある時、ある場所で必要とされる機能的な公共性、これをアソシエーションと呼んでよいと思うが、こうしたものが必要とされるのでないか? 港区の二つの仕事をそう考えることで、これまでの住宅設計の延長に位置付けてきた。ただし、小泉さんのように、俯瞰的意見を意識的に発言することを大いに歓迎する。僕はかたちについてそうした態度を取るつもりでいるのだが、予定調和的計画は問題を先延ばしにするだけで、そこから新しい世界は拓けてこない。調整は、後に誰かが行えば良いことで、進行中に当事者が行うと小さくまとまるのがせいぜいである。

7月22日(火)
「言葉と悲劇」柄谷行人著にある「スピノザの無限」を読む。「現代思想」誌のインタビューだけあって理解しやすい。概ね今までの理解が外れていないことを確認する。サイードの「オリエンタリズム」にある「全世界を異郷と思うものこそ、完璧なる人間である」が紹介される。これはスピノザ的な思考する場合の3段階目に位置するものであるという。1段目は「故郷を甘美に思う」に代表されるように、組織された有限な内部(コスモス)と組織されない無限定な外部(カオス)という二分割に基づいているものをいう。次は「あらゆる場所を故郷と感じられるもの」というもので、共同体を越えた普遍的な理性なり真理があるという他者や外部の存在を前提にそれを乗り越えようとする考えである。そして3段階目は「全世界を異郷と思うもの」である。これをスピノザの核心という。あらゆる共同体の自明性を認めず、二分割を無効にしてしまう無限性がここにあらわされている。怒りとか悲しみとかに囚われたときに、デカルトであればその情念を意志によって克服しようとした(2段階目)。それに対しスピノザは、そうした理性とか意志によって情念あるいは感情を克服することはできない、怒りや悲しみから自由になるわけではないと考え、無限という観念を提出する。柄谷は、このスピノザ的無限思考が正しいというわけでなく、そうしたふたつの世界の見方を提示した上で、ふたつの別世界を繋ぐ方法を考えようとした。そして「超越的統覚」という発想に至ったのである。繰り返しになるが、赤ちゃんは未熟で母親の話すルールを理解できなくとも(ふたつの世界の見方が交わらないほど別なものであっても)、赤ちゃんは会話を理解するようになる。現実的にそうした能力が人には備わっている。これを「超越的統覚」といい、それを社会という共同体にも拡大しようとしたのが「マンダラ」である。そうしたマンダラを理解する。

7月21日(月)
近代科学は、限界や目標を設定し、それにむけて過不足なく因果を組み立てていく学問として考えてよい。それに対し、その限界自体を拡げていく方法や態度を魅力的に思えることが多々ある。設計とはそういうものかと思う。そうした場合でも問題とされるのは、自己の内部にむかって拡げるのでなく、外に向かって限界を拡げることについてである。ここにも無限性の問題が潜んでいる。数寄屋化は前者のように考えられてはいるが、はたしてどうだろうかと考える。
日本代表の監督人事が毎日のようにウエッブ上を駆け巡る。よく見かけるのは、「総括なしに人事だけ先行させてよいのか」という、ある意味もっともな意見である。これも因果関係をピラミッド状にした近代的で静的考え方と思う。実行によって拡がる可能性にかけるという、ある意味ルーズなシステムつくりも重要であることを、ここ数日確かめているのだが、未だにこうした近代思想は支配的である。

7月20日(日)
「探究Ⅱ」柄谷行人著を、スピノザ中心に読む。内部と外部、真理と幻想、精神と身体といった二分法を否定するスピノザが記述されている。超越とは、境界を越えることである。その限りにおいて内部と外部は絶えず存在する。それに対しスピノザは、無限であることの記述を試みる。このことによって外部を消去し、二分法的思考を乗り越えようとしたらしい。唯物論者といわれる由縁である。このとき個人という主体は、普遍性に対する単独性=「この私」という解釈となる。一般性から特殊性を持ち出すこととは、少し異なる考え方である。これは、熊楠が粘菌を既知の分類上から捉えるのでなく、この粘菌自体の観察から何かを見ようとしていたことにつながる。というものの、無限という観念(概念でない)について、よく理解できない状況にある。

7月19日(土)
「集積と変化」2014SSSの審査建築学会にて。構造的なアイデアを、実物大スケールの模型で表現するワークショップに参加。その評価をする。最優秀賞は、「ゆらら」という首都大学の作品。球(ボール)と皿(ボール)のあわせて700グラムの荷重にも耐えられないほどの、半座屈した数十本の極細ピアノ線柱が動的にバランスすることによって自立する作品。それは背の高さ以上あり、そのプロポーションが抜群の不安定さを醸し出す。ボールがボール(皿)の中を回転し、荷重が回転移動することで、座屈した柱がゆらゆら揺れながら、一方が伸び一方が縮み、連続的にバランスする仕組みである。自転車のスポーク原理を立体的に立ち上げたような不思議な作品といえる。とわいえ、コマが回ること、風になびくひまわりの風景を想像すると納得でき、感心した。東京大学の「テトラフレーム」も面白い。極細の竹細工でできた立方体を積層し、6mを越える鯨のオブジェを自立させようとする作品。変形立方体格子は床面近くでは小さく密に、上部では大きく、そのかたちが鯨であり、荷重をバランス良く流し支えるものである。こうしたかたちと力の流れを可能にするのは、立方体8角のジョイントを工夫することで、立方体の大きさを自由に変えられるところにある。これがアイデアの2番目の中心であった。最後は3階天井から吊らざるを得なかったことが最優秀に至らなかった理由だろう。

7月18日(金)
マンダラにおける境目のない内外、または主体と他者の区別がない意識の自然状態というものが理解できなく、いくつか書物をあたる。柄谷行人のカント考「超越論的統覚」を思い出す。文化や言語が異なる場合のコミュニケーションにおいて、文法を学ぶ以前に、想起といったものでお互いを理解し合おうとする。感性や悟性を駆使し綜合的判断をする訳である。マンダラはこの統覚というものにあたることと理解する。これは、数学における非ユークリッド幾何学を理解する場合や、母親から規則を教えられずに、たんに話しかけるだけで赤ちゃんが言葉を学ぶ場合にも存在し、これを想像すると分かり易い。規則が与えられなくとも、現実に学ぶことができるのは、こうした統覚の存在によっており、マンダラも同様に位置づけされると理解した。そうすると統覚を覚醒するには、いわゆる他者が必要となり、これが「縁」というものだろう。「縁」があって「事」をなすということもあながち変なことではない。

7月17日(木)
「チベットのモーツァルト」中沢新一著を、マンダラの記述を中心に再読。唯物論者としてスピノザが登場し、マンダラとの比較を展開する。スピノザは 1)形式や幻影に縛られない無限な多様性を備え、2)一般的な善悪といったモラルに囚われず、3)超越的な価値=神を否定する者、と定義され、それを前提に実践的な哲学を行った人とされる。これに対しマンダラの定義は以下のようにである。すなわち1)物質と意識とを分ける観念が解体され、2)宇宙的な倫理をもち、3)意識の自然状態にある、ものである。面白いのは、都市の出現と同時にこうしたマンダラ思想が生まれたとされる指摘である。ふたつの思想が生まれた根拠に共通性を見出している。スピノザは資本主義に対して、マンダラは都市の出現に対してつくられたという。どちらも社会化に対抗して、大きな意味での自然性を取り戻そうとする試みとして考えられている。柄谷行人がフロイトを持ち出し、抑圧からの解放を通して社会現象を捉えようとしたアプローチと同じである。

7月16日(水)
「建築をめざして」 コルビュジエ著の読書会。 はじめに20世紀初めの建築の状況を話す。当時のそして西欧の、エンジニアの位置づけから、飛行機や自動車といったエンジニアリンの歴史について話す。ライト兄弟の初飛行が1904年、リンドバーグの大西洋横断が1927年。第1次大戦時は偵察機として飛行機が出始め、飛行船というものがまだ主流であったことを話す。そしてこの本の初版は1920年である。次に「住宅は住むための機械である」について議論。もちろんこれは、機械のようにインプットとアウトプットをクリアに考える重要さが建築に求められていることをいっている。飛行機にせよ自動車にせよ、これらはより速く、あるいはより遠くといった目的設定がはっきりしている。それに対し住宅は複雑であり、機械のようにはいかない。そのため現在のような状況に至っている。これは当時も明白のように思えるが、真のコルビュジエの狙いは何だったのだろうかという議論である。しかし本書で理解できたのは、コルビュジエは当時から、住宅生産におけるそうした問題設定を真剣に考えていたことである。彼は美を一般市民にまで広く普及させることを、建築における近代化と考えていたのだ。美しいとされる基準が黄金比であり、それをある限られた人のものから大衆に普及させるために標準化が必要と考えた。このふたつを何とか結びつけようとしていたことが読み取れる。本書で、何度も標準化が叫ばれている。後にそれは「モデュロール」となって、このふたつの問題を融合解決することに成功するのであるが、「モデュロール」が彼にとって、建築を自動車や飛行機に近づけるための第一歩であった。建築の社会性がこうした方法にもあることをあらためて知る。その芽が「建築をめざして」に読み取れた。それが発見できたことが収穫であった。建築の社会性がソフトなプログラム面に偏っている現代において、建築自体のハードな面にも可能性があることが示された。次回の読書会を「モデュロール」にするか迷う。

7月15日(火)
再び、「森のバロック」を読み、マンダラについて考える。因果論の不完全性が基本にある。それに代わるものを「縁」とする。マンダラは常に「途上」であり、重層構造をしている。「縁」があって「事」となるというと、できすぎとも思えるが、そういうことらしい。それは、熊楠が書いているようにぐにゃぐにゃの線で結ばれているようなものである。したがって因果論で理解できても、それはひとつの理論的なフィクションでしかない。そのことがわかる。縁をサスティナブルといってもよい。熊楠が合祀反対にこだわった理由も理解できた。神社は歴史的に土地に根差している。神社合祀はその土地を無視することである。柳田国男も遠野と遠野固有の伝承にこだわりを持っていたことを思い出す。その喪失を危惧して「遠野物語」を書いたことを理解する。土地へのこだわることが大切にされている。

7月14日(月)
「森のバロック」中沢新一著の再読。粘菌考が南方マンダラへ、さらに、カント「判断力批判」まで対応させていることに驚く。これについてはうすうす感じてはいた。マンダラはブータン調査、空海の世界観を通じて接していたものである。一方、崇高さや美しさへの根源をめぐり、ここ数年カントを遠巻きに回っていた。このふたつの関連を示してくれた。ただし中沢新一は、近頃読み始めている「サイバネックス」に代表される新科学領域との違いを、はっきりさせている。それは、近代科学が推し進めてきた観察者の外部視点からの考察の限界についてである。1900年前後にロンドンに滞在したアジア人熊楠は、西欧のその限界を悟ったという。つまり、世界の多くははっきりクリアでないのに、それを因果関係をもって説明することへの限界である。そうした態度は、粘菌のように植物とも動物ともとれる生物に対して接する態度に典型的にあらわれる。熊楠はその後10数年の粘菌考を通して、近代科学では割り切れないこうした動き、変化し、生成する存在社会のすがた、これを「事」という、をとらえる方法を考えた。熊楠はマンダラ思想にそうして行き着いたのである。「判断力批判」におけるカントは、抑圧矛盾からの解放されるための理性の助けによってその限界を乗り越えようとしていた。最近の柄谷行人が、カントを引き合いに持ちだすダイアグラムがある。これがマンダラのようなものであることも思い出す。

7月13日(日)
117 7月13日 W杯決勝戦 ドイツ×アルゼンチン

決勝戦らしく拮抗した試合であった。延長後半にシュールレの折り返しをゲッチェが胸トラップし、ボレーでゴール右隅に決める。結果論であるが、ドイツが優勝できたのは攻守のバランスに長けていたこと、レーヴ監督の長期視野のもと、ベテランと若手がバランスよく配置されてきたことがあげられる。たまたまであるが、バイエルンとの戦術も近く、多くはバイエルンの選手であることも大きかった。グアルディオラバイエルン監督のコメントも報告される。「勝利に値する」と。日本代表も確かに勝ちすすむ可能性があったが(事前のコスタリカ、フランス、ベルギーに勝利、あついはオランダとドロー)、それは事が上手く運んだ場合であって、様々なケースに対してその確率状況をキープするほどの準備と真の実力、伝統がなかったということである。

7月12日(土)
116 7月12日 W杯3位決定戦 ブラジル×オランダ

開始早々ロッペンに裏をとられ、PKを献上。ペナルティエリア外とも思えたが、これでゲームが決まる。シルバ1人では、ファンベルシーのポストプレーとロッペンの抜け出し両方はケアできない。そのくらいDFが崩されていた。2点目は、ダビドシルバのクリア位置の問題。こともあろう、ペナルティエリア中央にボールをクリアする。2列目から上がってきたオランダボランチには誰も付いておらず、ペナルティ内でシュートをフリーで打たれる。一人目のボランチ、グスタボが最終ラインに吸収されていたので、2人目ボランチパウリーニョのミスである。こうしたふたつのミスが重なった。この試合、ブラジルはチェルシーの3選手に攻撃を委ねる。オスカル、ラミレス、ジュリアンである。ジュリアン初先発も攻守ともにチェルシーのような輝きを見せることはなかった。そのため当初の左から、前半途中からの右からの攻めが単純すぎ、堅い中央を崩せなかった。センターFWの力量も多少ある。終了間際には再び左が崩され、0-3でブラジルが負ける。何ともいえない虚脱感がスタジアムを包む。それは日本の不甲斐なさとも多少関係し、日本にもそれが伝わってくる。勝者のロッペンのインタビューも然りであった。この試合の物足りなさと、決勝戦にもう少しのところでいけなかったことへの悔しさだろう。明日は決勝である。

7月11日(金)
NHK「宇宙白熱教室」を見る。ローレンス・クラウス教授の宇宙のかたちとその歴史についてのエネルギッシュなレクチャーに思わず引き付けられる。理由は新しいこれまでにない価値基準を示していたことによる。宇宙の95%は私たちが見ることができない物質「ダークマター」と「ダークエネルギー」で占められているという。私たちに説明がつく物質は5%でしかない。そして宇宙は平らであるという。これを、物理学の簡単なモデル化を通して説明する。それは分子構造や生命もこうしたものでつくられていると勝手に想像する。宇宙のかたちだけに通じる訳はないという思いからである。こうした見えないものを計る尺度を気づかせてくれた。それさえ手にすることができれば、世界観も変わることを確信する。早く手にしたいと切望する。その可能性を示してくれた番組であった。

7月10日(木)
115 7月9日 W杯4 オランダ×アルゼンチン

ここ数試合、アルゼンチンはこれまでのイメージと異なり堅いゲーム運びをする。5バックのオランダの戦略と相まって、それが一層強まったゲームとなる。PK戦の後、アルゼンチンが決勝進出を決める。
中高生プラザにおいて、建築空間の分化について考える。この建物は、中央コアとまわりの個室、これらの空間が分化していることがコンセプトである。この分化が建築的に有効かという問題である。建築には場が必要であること、現代では高度な性能が要求され、空間が特異になっていくことが、空間の分化へとつながる理由である。しかし、中心に広場と呼ばれる大きな空間でそれらをつなげている。最もそのコアも分化し、しっかりしたものでないことは言うまでもない。これらは「15の幾何学的性質」に従っている。パタンランゲージによく顕れるダイアグラムにその起原をもっている。

7月09日(水)
114 7月8日 W杯4 ブラジル×ドイツ

ブラジルが大敗をする。ブラジルの左マルセロから攻められたかたちである。ダビドルイスはあせり軽率に攻め挙がってしまった。チェルシーでモウリーニョがダビドルイスの能力を認めつつもCBに使わなかった理由が理解できる。彼はその信頼ないことから、PSGへ移籍する。PSGのチアゴシルバの欠場も大きかった。

7月08日(火)
「15の幾何学的性質」に絞っての「ネイチャー オブ オーダー」ついての読書会。15の性質もそれぞれが独立しているわけでなく、お互いリンクしていることを確認する。15の性質とは、以下である。1スケールの段階制 2力強いセンター 3境界 4交互反復 5「正」の空間 6良い形 7局所的に現れるシンメトリー 8深い相互結合と両義性 9対比 10段階的変容 11ラフ 12共鳴 13空 14簡潔さと静謐謐(せいひつ)さ 15不可分であること。「センター」とは、「それ」というように、指し示すことができれば、そこにあるという解釈が面白い。したがって、指し示し方(解釈)によって多様なセンターが存在する。「えんぴつ」ひとつ例にとっても「えんぴつ」「芯」「六角形」「緑」「炭素」あるいは「書く道具」「人をつつくもの」というように多様なセンターを設定できる。アレグサンダーがいうよいかたちとは、このセンターが有機的につながっているものである。あるいはひとつのストーリーとしてまとめあげられるもの、機能的説明が可能なものをいう。次にこれら性質を理解することが、通常の設計でも多いに役立つことを説明する。例えば、完璧なシンメトリーはよいかたちでなく、シンメトリーを崩す何かが必要とされる。その何かを指し示すことは、新しいセンターを生み、かたちは有機的に意味的(機能的)にも絡んでいくという訳だ。南方熊楠について勉強し直しをはじめる。

7月07日(月)
佐藤淳さんを千葉工大へ迎えての講演会。佐藤氏の最近の研究と設計の関係を聞く。ガラスとスチール小部材に絞っての講演であった。ガラスについては、細かく分割されるステンドグラスを壁柱として使用する可能性の研究である。ガラスは硬いので、圧縮材として使用するのがよいが、一方で座屈処理が問題になる。スチールの細い枠によって、それを処理し、そのためのジョイント部に、錫などの新しい材料を使用する、その研究である。そのための実験研究を綿密に行っているところに違いを感じた。ぼくらの場合は、その点をメーカー任せになることが多い。また、ガラス同士を溶着する場合の熱割れを防ぐための冷却期間「アーニング」について言及していた。スチールの小部材は、溶接歪みの問題と部材の固定度をいかに見積るかという研究である。「ナチュラルスラット」でも池田とこれをトライした。最終的に25ミリ角柱の住宅を完成させたが、佐藤さんのベネチアビエンナーレの場合、固程度を実験で確かめている。これもうらやましく思った。ぼくらは住宅ということもあって、余裕を見て設計を行ったことを思い出す。考え方は全く同じで、この辺のルーツはおそらく佐々木+妹島にあると推測する。以前難波さんと「コネクション」(鹿島出版会)を翻訳した。この本は新しい構造や作品を紹介するものであったが、これまでのそうした本と異なっているのは、エンジニアを媒介にして、技術の改良がなされ、様々なプロジェクトで成熟していく、その連関を示した本であったことだ。そこには、これまでの美学に左右されない新しい建築の世界観が示されていたと思う。これが新鮮であった。日本では2000年頃から、スチール小部材に格闘する若い建築家と構造家の連携が見られた。現在では、こうした活動を「数寄屋化」として、ぼくらより上の世代によって片付けられそうな勢いである。常々これに対する反論を、なんとかをしたいと考えている。佐藤さんのこうした実験と検証、あるいは他分野との連携、これを彼は「設計法」と呼んでいたが、こうしたことが重要な鍵になることを感じる。ともかく有意義なレクチャーであった。後の懇談会では、木村事務所が徹底的にエキスパンジョイントを嫌っていたことを聞く。何十年に一度の崩壊のために、(そこが崩壊することが判っているのなら)防水等建築的な無理な納まりをしてまで対応することは必要ないという木村の考えであったことを知る。

7月06日(日)

7月05日(土)
112 7月5日 W杯8 アルゼンチン×ベルギー

前半のラッキーともいえる1点をアルゼンチンが守り切る。こぼれ球を思い切り振り抜いたイグアインの初ゴールであった。その後、ディマリアが負傷交代後で、アルゼンチンの攻撃の突破口がなくなった。彼の偉大さを知る。一方アルゼンチンの守備は、組織的で堅固であった。ベルギーは自分たちの攻撃を全くさせてもらえなかった。それは後半のパワープレーにおいても同様であった。攻撃的なゲームを期待していたので、1-0は少し物足りない。

7月04日(金)
111 7月4日 W杯8 ドイツ×フランス

ドイツの中央からの攻撃、フランスの裏スペースへ抜ける縦の攻撃。どちらも見応えがあった。ドイツは前線3人が動き回り、交互にペナルティエリア外中央でボールを受けることができていた。そこからサイドに一端ボールを叩き、また中央でパスを受ける攻撃であった。ボランチの球出しが優秀なため、ディフェンスのマークを受けながらも、中央でボールが納まる。見事である。それでも得点はセットプレーからであった。フンメルスの、相手マークに体を預けながらのヘディングが決勝点になる。一方フランスは、ディフェンスライン裏をとるかたちに終