6 月 30日(月)
110 6月29日 W杯16 オランダ×メキシコ
後半30分の給水タイム後、1点を追うオランダがエース・ファンベルシーを下げ3トップに変更する。ファン・ファール監督は、ボール基点をロッペン1人に絞り、前線を流動的にすることに変更。ファンベルシーにこの日精彩がなかった理由もあるが、流動的になるためには前線の選手皆が遠慮しないことを第1に考えたためだろう。キャプテンでエースのファンベルシーを下げるのは強い決断があったに違いない。しかしこれが奏し、逆転に成功する。メキシコにディフェンスターゲットを絞らせないことに成功した。1点目は中央からのフリーのスナイデルのミドルであった。2点目のPKはメキシコにとって厳しい判定であったが、この時間、オランダの攻撃は波状的でメキシコはなすすべがない状態にあった。それをメキシコが堪えてもおかしくない試合であったが、監督の采配によって的確に動くことができたオランダが勝った訳である。その実力を評価しなければならい。

6 月 29日(日)
109 6月28日 W杯16 ブラジル×チリ
ブラジルがPKで勝利をおさめる。前半はブラジルペースも、徐々にチリが詰め寄るゲーム展開であった。ブラジル選手間のスペースにチリ選手が入り込み、大きな縦パスの繰り返しでゴール前まで詰め寄った。攻撃的であろうとするブラジルにとっても同様でスペースを見つけてはそこにパスを通そうとしていたので、お互い好都合なゲーム展開であったと思う。どちらがそのフォローに追われ、守備的になってしまうか、それで勝機を左右する戦いであった。結局は1-1。激しいPK戦の後、ブラジルがベスト8を勝ち取る。

6 月 25日(水)
108 6月25日 W杯 日本×コロンビア

6 月 23日(月)
107 6月23日 W杯 オランダ×チリ
どちらの国も勝つことで次戦ブラジルとの戦いを避けたいところであった。後半30分過ぎに点を取ったオランダが1位通過を決めた。次戦はメキシコとなる。南米諸国は、絶えずブラジルやアルゼンチンといった強豪国のスーパープレイヤーといつも対峙しているためか守備が堅く、そこからの速攻に優れている。チリも同様であった。ロッペン、スナイデルの攻撃をびくともしていなかった。しかし最後は身長差をカバー仕切れずヘディングで決められ、終了間際にも追加点を許してしまった。しかし、試合としては互角以上。だから調子が下降気味のスペインに勝ったのである。

6 月 22日(日)
106 6月22日 W杯 ベルギー×ロシア
アザールの個人技が光る。幾度か独特のドリブルでディフェンスラインを突破し、最後はルカク(エバートン)に代わって後半投入された19歳オリギが決める。初戦に続き接戦をものにし2連勝し、予選突破を決めた。ベルギーは攻守のバランスがよく、それが逆転に繋がっている。DFラインは、中央にコンパニ(マンC)、ベルメーレン(アーセナル)、アルデルワイレルト(アトレチコ)、サイドにファンブイデン(バイエルン)、ベルトンゲン(スパーズ)といった比較的ベテランを要し、ナポリのメルテンスも加わった。攻撃にはアザールをはじめ、ブライネ(チェルシー→ヴォルスブルク)、デンベレ、シャドリ(スパーズ)、ルカク(エバートン)がいる。怪我をしたがプレミアで大活躍したミララス(エバートン)もいた。フェライニ(エバートン→マンU)も定位置が危ういほどである。中盤はビチェル、ロンバーツ(ゼニト)、デフール(ポルト)。彼らは比較的同じクラブに属しているのも連携をよくしている。ベルギーは12年前の日韓大会以来の出場である。国を挙げての育成トレーニングを行い、ここまでのチームに急成長させた。消化試合とはいえ、11月には日本はよくアゥエーでこのチームに勝った。このダイナニズムが復活すればコロンビアも崩せると思うのだが、果たしてどうだろうか?

6 月 21日(土)
105 6月21日 W杯 アルゼンチン×イラン
イランが大健闘するものの、ロスタイムにメッシに決められる。イランは守りもさることながら、攻撃が早かった。自陣でカットすると、アルゼンチン中盤のプレッシングをかわし、FWがフィニッシュまで持ち込むことができる。堅守速攻とはこのことだろう。解説によると、FWデヤガはドイツU代表であり、U・W杯の優勝選手だそうだ。この年代はドイツが最も力を入れて育てた世代。現在はフルハムに所属し5点をあげている。イランはカルロスケイロを監督にむかえ、選手を帰化させるなどしてかなりの強化をしている。アジア予選では韓国に勝ちグループ1位追加でW杯を勝ち取っている。カルロスケイロは、ヴェンゲル後の名古屋、レアル、マンUコーチを経るなどして、ポルトガル監督を経験している。選手が縦縦の力強い攻撃をすることがうなずける。W杯を生き残るには、やはり堅守速攻か?とも思う。最終のナイジュリアでの突破を期待する。

6 月 20日(金)
103 6月19日 W杯 日本×ギリシア
10人のギリシアに対して得点を奪えず、0-0のドロー。いよいよ窮地に立たされたこととなる。前戦のコートジボアール戦と異なり、日本は前線からのプレッシングによりハードワークをした。ただ、フィニッシュの精度がなくゴールマウスを外し続ける。シュート1本への執念が感じられなかった。W杯では勝敗を決める1本のシュートがある。その意味で、ことごとく外す日本は緊迫感がないと思われても仕方ない。相手が10人になったことは日本にはマイナスであったという見方もある。ギリシアは守りに徹し、バイタルエリアを完全にふさいでしまった。大迫も調子がよかった。前半のバイタルエリアにスペースがある時に決めるべきであった。後半ディフェンスを固める大きなギリシアに対し、日本はサイド攻撃に固執した。疑問が残る。今回ばかりは中央からの崩しが有効でなかったか?中央からの唯一のよいかたちができたのは、香川からの裏へ抜き出た内田へのパスであった。これをダイレクトに折り返した大久保がシュートを放った場面である。中央には岡崎もいた。しかしもう1歩足りなかった。こうした場面での迫力差が今の日本が世界で勝てない現状だろうと思う。
104 6月19日 W杯 コロンビア×コートジボアール
2-1でコロンビアが勝つ。日本戦を残してコロンビアが決勝リーグ進出を決める。前線の動きが鋭い。ロドリゲス(モナコ)クゥアドラード(フィオレンティーナ)グディエレス(リバープレート)キンテーロ(ポルト)である。ダイレクトの長めのパスであっという間にゴール前まで運ぶ。堅守速攻がこの前線で成立している。コートジボアールは、ジェルビーニョ(ローマ)の柔軟なドリブルで1点を返す。堅守コロンビアに対してはパワープレーが通じなかった。日本との違いである。世界との差は明らかに大きいことを感じる。

6 月 19日(木)
「負ける建築」隈研吾著の読書会。前週読書会の「ラスベガス」では、機能主義批判がかたちの自律性へ繋がっていった歴史的事実を学んだ。それから40年後の書籍である。時代を経て、機能もかたちも歴史も、技術や環境まで全てが等価に尊重される時代になった。今はそれらをいかに扱うかサスティナブルな時代であることを認識し、「負ける」ということを考えた。その場合、建築家の主体性はどこにあるかについて話合った。本書においても、公が大切されている現代に私をどう表現するかが主テーマとなっている。本書後半はモダニズムの代表としてケインズ主義が度々とりあげられている。当時それを否定していたのが、先に読んだハイエクである。「キップアンドトレード」に見られるように、全体主義でなく、個人の裁量に委ねた半自由的でユートピア的な経済思想を彼はもっていた。これと創発あるいは偶然性の問題を結びつけ、現代の閉塞状況を突破するひとつの根拠としていたのが、ネットワークに注目をはじめていた新しい科学分野であった。この本ではハイエクに対する言説はないものの、硬直的な全体主義に対して、柔軟で動的であろうとする「負ける建築」が同様な語り口でここでは語られている。

6 月 18日(水)
102 6月17日 W杯  オーストラリア×オランダ
オーストラリアの果敢なプレッシングによりオランダを慌てさせる。しかし2-3でこのゲームを落とし、2敗目を喫する。ロッペンの1点目、ファンベルシーの2点目は、リーグ戦でもよく見られるフィニッシュパタンであった。ディフェンスのあたりが弱い分、綺麗なフィニッシュであった。実力が抜きんでていたという証である。オーストラリアの1点目ケーヒルのボレーもスーパーゴールであった。8年前の日本戦を思いださす。これでオーストラリアは勢いづく。中央からのブレシアーノのミドルがあったが、直後のファンベルシーの2点目が痛かった。ケーヒル、ブレシアーノと中田世代が現役である。しかし彼らは90分もたず、途中交代となる。3点目を喫する直前も大きなチャンスをつくる。これを決めきれなかったのが勝敗を左右した。速いセンタリングであったが、ノーマークのレッキーの体を投げ出したシュートであった。ここでも少しの差が実力伝統の差として現れるのを感じる。

6 月 17日( 火)
101 6月16日 W杯  ドイツ×ポルトガル
ドイツが4-0で圧勝する。前半早々にポルトガル・ぺぺがレッドカードを受ける。これで10人のポルトガルは完全に緊張の糸が切れてしまっていた。しかしゲーム開始時は、中盤の底のキャプテンラームが狙われ、ポルトガルペースであった。ところがゲッチェの突破で得たPKでドイツが先取した後、ドイツが完全にゲームをコントロールする。ゲーム展開の恐ろしさを感じたのだが、日本の場合と同様、見えない実力差あるいは伝統の差が明らかにあるのだろう。こうした大会ではこの点が露呈する。さらにポルトガルはコエントランの負傷退場が続く。攻撃に人数をかけられないため、前線のナニ、クリロナは孤立し、ゲームにならなかった。

6 月 16日(月)
100 6月14日 W杯  イングランド×イタリア
90分を通してイタリアのペースであった。ただし今までのイタリアのように守備的ではなく、ボールを支配しながらの90分であった。イタリアはユベントスの選手が中心、イングランドはセンターラインを綺麗にリヴァプール勢で固める布陣であった。イタリア1点目は、右サイドからの戻り気味の折り返しをMFのマルキージオ(ユベントス)がロングシュートを決めた。イングランドも直ぐに反撃する。イタリアのボールカットしてからのスルーパスをルーニーが絶妙のセンタリング。難しいボールであったが、難なくスターリッジが決めた。彼らのゲーム運びはW杯という特別な力みは感じられず、これまでのリーグ戦と変わらない質をもったものであった。後半に入りイタリア2点目はファーサイドのバロッテリのヘディング。その後はイタリアらしく守備を固めて締めくくった。D組もう一試合は、ウルグアイが負け、イングランドも決勝トーナメントへの望みを残している。
ハフポストという面白いサイトを見つける。データ解析により詳しいゲーム分析を行うサイトであるhttp://www.huffingtonpost.jp/2014/06/15/analysis-jp-civ_n_5496156.html 。それによると、コートジボアール戦では日本の左サイドの攻撃が全く機能せず、それに加えてその背後のスペースを使われたことが失点の原因であるという解析であった。面白いのは、コートジボアールが、日本の左サイド攻撃を促しておいて、左サイド奥にスペースが生まれることを仕込んでいたのでないかという仮説である。まんざらでもないので感心する。但し、香川、長友、本田3人の攻撃を完璧に防ぐ自信がなければできないことである。同様にコートジボアールがリードしてからは、横パスを用いず、キープ力の優れたドログバにボールを預けるという安全策をとっていたことも記されていた。コートジボアールの監督はサブリ・ラムシ。40歳前半のフランス人でザックのもとインテルでもボランチとしてプレーした経験をもつ。ただし現役時代それ程の大選手ではなく、指導者としてもこのコートジボアールがはじめてだそうだ。その彼がこれまで攻撃一辺倒のコートジボアールを解析のようにまとめ上げていたとしたら、偉大な指導者となる可能性を感じる。ドログバを途中出場させる策もうなずける。コートジボアールのコロンビア戦を別な意味からも注目したい。

6 月 15日(日)
99 6月14日 W杯 日本×コートジボアール
前半15分の本田のスーパーゴールも、後半立て続けに2点を失い1-2で初戦を落とす。試合後、選手は完全に気落ちし、残り2試合大丈夫か?と心配になる。ゲームを振り返ると、はじめの15分で得点を奪えたものの、暑さのためか、慎重にゲームにのぞんだためか、初戦の緊張のためか、ゲームの入り方はよくなかった。前線からのプレッシングが全くなかった。コートジボアールもサイドいっぱいに大きくボールを回し、プレッシングを避けていたこともあったろう。その結果、前線と2列目の間にスペースができ、そこを上手く使われていた。ただ前半、コートジボアールの中央からのみの攻めに救われた。長谷部と山口のボランチが引くことでかろうじてしのぐことができていた。試合後選手は、自分たちのフットボールができなかった現実を皆悔やんでいた。後半からは、ドログバが入り、戦術が変化する。中央突破からサイド攻撃への変更であった。一端中央に入ったボールをサイドへ散らしてきた。日本はこれに対して2つの過ちを犯し、これが失点に繋がる。ひとつめは、ボランチがボール保持する中央前目に引きつけられ、DFはドラグバに押し込まれ、その間にスペースをつくってしまったこと。もうひとつは、長友しかり香川しかり、前半同様中央によせられ、サイドをケアしていなかったことである。いずれの失点もノーマークでの右サイドバックオーリエ(トゥールーズ)からのアーリークロスであった。それを、森重の前に走り込むボリー(スゥオンジー)または ジェルビーニョ(ローマ)に決められた。1失点目はともかく、その後の修正はできなければならない。この4年間に欧州で学んできたことは何かを考えなければならない。攻撃に関しては、本田のパスミス、香川と岡崎の無策が大きかった。ともかくこの結果、日本は2勝しなければならない状況に追い込まれた。

6 月 14日(土)
097 6月13日 W杯 オランダ×スペイン
前半守備的にのぞんだオランダが最終的に5-1で圧勝。これまでオランダといえば攻撃一辺倒であったが、その主義を曲げてこの日は守備的に試合にのぞんでいた。PKで1点を失うも我慢の前半であった。前半終了間際のファンベルシーのダイビングヘッドでオランダペースになる。もうひとりこの日、ロッペンが切れていた。後半早々の2点目のドリブルシュートがそれを物語っている。その後スペインの守備が崩壊する。前掛かりのスペインに対し、ロッペン、ファンベルシーがそれぞれ加点する。GKカジーシャスのミスもあった。初戦のスペインはいつも調子がよくない。

098 6月14日 W杯 コロンビア×ギリシア
日本と同組のゲームが先駆けて行われる。コロンビアが3-0で完勝。堅守といわれるギリシアもリードをゆるした場合、コロンビアの試合巧者ぶりに振り回された。やはり先取点の意義は大きい。リードしたコロンビアは、守備的でありながら、タイミングを見計らい、前線3人の速攻で2点を追加した。ただし中盤の守備はどちらの国も緩く、日本の細かいパス回しが通用しそうな予感はする。ただし、18番のフェトファツィディスのドリブルは手強く要注意である。本日明けの日本戦を楽しみに思う。

6 月 13日(金)
096 6月13日 W杯開幕 ブラジル×クロアチア
今日からW杯がはじまる。初戦はブラジル×クロアチア。日本の西村が主審を務める。ブラジルは苦戦するも3-1で勝つ。ダビドルイス(チェルシー)とマルセロ(Rマドリード)のブラジル守備は固いといわれていたが、モドリッチ(Rマドリード)、オリッチ(ボルフスブルク)、ペリリッチ(ボルフスブルク)を中心としたクロアチアのサイド攻撃が光る。W杯先制ゴールはクロアチアの素早いセンタリングの処理を誤ったマルセロのオウンゴールであった。少し嫌な雰囲気の中、ネイマールが同点弾を決める。これが大きかった。これによってブラジルが落ち着く。後半、西村主審の2点目のPKがこの試合の鍵となる。クロアチア側からはフレジのシュミュレーションではないかという疑義である。流れはこの時点でクロアチアにとって苦しくなったのは事実であった。ブラジルは終了間際のクロアチアの猛攻を凌ぎ、速攻で3点目を決める。オスカル(チェルシー)がひとりで行ったものだ。国歌斉唱時のブラジル選手のこみ上げてくる涙に心を打たれる。

6 月 11日(水)
「ラスベガス」 R・ヴェンチューリ著の読書会。担当者は、中埜博さんのレクチャーを通して「建築家なしの建築」ルドルフスキー著を知り、同様の近代批判として、この本に廻り合ったという。内容を解説してもらった後、1970年代の時代状況を話し、建築における規範について討論をする。「ラスベガス」は、機能主義を徹底的に批判し、かたちの自律性を促したはじめの試みであった。40年経って時代は一巡し、かたちの自律性は十分に保証され、現在はむしろ規範が必要とされているようだ。それについてどのように考えるかの話合いをもった。もちろん答えはないのだけれども、反機能主義が即形態主義に結びつくことの短絡さを40年経った今は実感できる。ここにある「ストリップス」を、別な意味でぼくの作品名にしたことも思い出す。ひとつの帯に様々な条件を取り込み今までにない象徴性をつくり出そうとした。次に現在はどのようなデザインアプローチが有効となるかについての疑問があがった。その鍵が、広い意味でのサスティナブルということにあるのは言うまでもない。それは以前のゼミで「デザインスゴロク」を通して考えたものである。そこで次回の読書会を「負ける建築」隈研吾著に決定する。

6 月 10日(火)
放送大学の川原靖弘さんと SHPPのクライアント鈴木さん来所。大阪のITを使った再開発物件、グランフロント大阪のプロジェクトについて聞く。1日に250万人がそこを訪れ、その訪れた人の嗜好にあった情報を与えることで、これまでにないインタラクティブな街のあり方を模索したという。具体的には、これまでの履歴結果から、家族連れとか恋人同士であるかなどを判断して、個々に情報を提供するものである。そのためのITのインフラ整備を行ったそうだ。まちづくりにこうしたソーシャルネットワークが役立っているのである。ただしその情報を誰かが監督しているのでなく、オープンなシステムの上に成立している。それはアレグサンダーのパタンランゲージが、現在のIT分野のオープンシステムの礎となっているのと同じである。このことを尋ねると、アレクサンダーは知らないもののパタンランゲージ的ソフト開発方法を知っていた。都市がインタラクティブ(アレクサンダーのいうセミラチス)になるためには、昔は時間をかける必要であった(漸進的成長)。多くの情報をつみこんでは淘汰し、セミラチスな街にしていった。そのための時間が必要であった訳だ。しかし現在はITによって短時間に多量の情報をつぎ込むことができる。それはアジャイルという言葉で表現される。アジャイルよって、これまでとは異なるインタラクティブなまちつくりが可能になる。ただし自然淘汰に相当する意識的な取捨判断が必要とされる。まちつくりの新しい局面を実感することができた。

6 月 9日(月)
NHKの本田特集第2回目を見る。こうしたW杯関係の番組が多くなる。45分間本田がこれまで4年間を語る。本田特有の語り口調に少し辟易するところがあったものの、途中から引きつけられる。本田は高い目標掲げそれを実現に移すことで、自らがアスリートかつクリエイターであることを可能にしている。皆にも知られているものは、小学校の卒業文集にセリエAの10番になることを書きしるしたものだろう。それに加えて最も印象的なエピソードは、高校時代に練習生として名古屋グランパスに参加した出来事であった。練習生の彼がパスを出さないプロに激怒し、一触即発な状況になったという。しかもその相手がエースFWのウェズレイであった。ウェズレイは外国人最多得点記録をもつブラジル人である。それを当時の監督ネルシーニョが語っていた。今季のミランの試合における謎も解けた。セードルフ監督就任時、本田は右サイドから1歩も動かすことを許されていなかった。それに従う本田も不思議であったが、それにましてCL合間の2月後半のサンプドリア戦を境に、徐々に中央に切れ込む戦術が許されてきたことについての疑問である。特に本田のパフォーマンスがよくなってきているとは思えなかったからである。本田はイタリア語をマスターし、何度もセードルフと会談をもったという。中央でプレーしたいと。その本田の真摯な情熱にセードルフが折れたかたちがこうしたゲーム運びに繋がったのである。本日、セードルフの解任が発表される。セードルフはそうした本田に惚れていき、反対を押し切って故障明けの本田をローマ戦で先発起用するまで至った。このゲームはミランのEL行きを決める重要な試合であった。会長はそれに激怒したという。その失敗が今回の解任に結びついてしまったといっても過言ではない(ちなみに本田の出来がひどくこのゲームの日記を書く気になれなかった)。本田はW杯優勝を掲げている。それに感化される長友、香川、内田らの相乗効果に期待をしたいと思う。

6 月 8日(日)
NHK特集ザックジャパンの戦略を見る。ザックジャパンの4年間を振り返る。その特徴をFWとDFの距離20mに保つコンパクトな守備体系に置く。しかしそれは歴代の代表が行ってきたことでもある。むしろこの時期までこの方針を貫き通してきたことを特徴としていた。周知の通りこうした戦術では、DFの裏にスペースができるため、カウンター攻撃を受ける可能性が大きい。そのため岡田武史は直前に守備重視のDFラインを引いた戦略に変更し、トルシエもフラット3を4バックに変更した。世界と対峙していくうちに、前代表はおののいてしまった訳だ。現代表も変更にせまられる危機が訪れたという。コンフェデレーションカップの敗戦。続けてウルグアイ戦、東欧遠征で失点を重ねた時である。しかしザックと攻撃陣はそれでは進歩が望めないとして、守備的にのぞむことを拒んだという。その後のオランダ戦、ベルギー戦はその点で大きな賭であった。ザック解任間近というニュースが流れた程だ。オランダ戦では2点を早々に失ったものの、有効な攻撃によって世界と対等のゲームができた。少なくとも4年前のグループステージ第2戦、点を獲れる雰囲気すらつくれなかったオランダ戦からの進歩が見られた。その後のザックジャパンは守備の欠点を解決していない。ただし点も獲れている。このバランスがよい結果にむすびつくかどうかは神のみぞ知るということだ。ただし、イギリス紙が報道しているように、日本の試合を見る価値がありそうなことを世界が認めはじめている。

6 月 7日(土)
095 6月7日 W杯前試合 日本×ザンビア
0-2からひっくり返し4-3で勝つ。後半をライブで見ることができなかったが、後から試合結果を見てびっくりした。日本代表はしぶとく、後半からプレッシングは迫力がったようだ。前半はなぜかそれができなかったのは、アフリカ人の身体能力に対して様子を伺ってしまったからか?本田は、PKを含め得点できたことで、本調子に戻りつつある。これが大きい。大久保の決勝弾はトラップといい豪快なシュートといい文句が付けようがないものであった。森重のFWさながらのリターンパスも凄かった。ただしボランチ山口のアプローチの弱さが目立つ。彼にとってアフリカ人特有の身体能力の高さははじめてではないはずだ。それとも少し怖さを知り始めたのか?本番に期待する。後半の日本が強いのは、1)対戦相手の体力が極端に落ちるのに対して、持久力があること 2)諦めないこと 3)組織力 である。前半を凌ぐゲームプランが必要なところである。

6 月 5日(木)
NHK特集「俵屋宗達」を見る。この春に「風神雷神」の実物を見た。そのときの疑問を解決してくれる特集であった。ひとつめの疑問は、この絵の特徴のラフさについて。この技法を「たらしこみ」といい、濃淡の異なる墨をふくませてにじませる俵屋宗達のオリジナル技法だそうだ。宗達はこれに銀を含ませた銀泥を試みている。ふたつ目は構図。風神雷神の絵自体は中国にオリジナルがあり、宗達は「たらしこみ」と、現代で言うコラージュによってこの絵を完成させたらしい。宗達の「舞楽図」(醍醐寺所有)、本阿弥光悦との「三十六歌仙」、「槙檜図」(石川県立美術館)も紹介される。特に「槙檜図」の細かい正方形の金箔、野毛と呼ばれる毛状の金箔を貼る技術によって、その上の墨絵が引き立てられている。金箔はもはや背景ではなかった。書家光悦との関係も面白い。光悦はマルチ芸術家である。彼が宗達を京都町屋の絵師から芸術家にまで押し上げたという。その後、琳派という芸術集団へと成長させていったのである。

6 月 4日(水)
芳賀沼さんを迎えての大学院講義。復興の様々なかたちを紹介する。仮設住宅入居者目線と仮設住居拒否者からの目線、つまりは被災者の中に抱える矛盾、その中での高齢者目線と若者目線、あるいは被災者目線と建築家目線、同様にボランティア参加者目線と指導者的な上からの目線、これらは様々なところですれ違っている。つまりはこれらは交わることのない問題である。したがって、学生が自分の立場を明確にしてから参加する必要はなく、廻ってきた機会を利用すべきであるという話が中心であった。芳賀沼さんはこうした両極を往復している人なのだ。うらやましい。
094 6月3日 W杯前試合 日本×コスタリカ
前半は、多くのチャンスつくるも得点を奪えず。嫌な雰囲気の中、前半に左右を崩され1点を失う。右の内田も左の今野も置き去りにされてしまった。コートジボアールのジェルビーニョ、コロンビアのクアドゥラードに対して大丈夫かと思わせる内容である。この試合欠場した長友は、今季セリエAで彼らとマッチアップしている。前半苦労するもの、スタミナのある長友は後半有利でいた。勝機を後半にまで伸ばせることができればチャンスと思う。センターにもドログバ、あるいはロドリゲス(モナコ)がいる。彼らとの対戦の経験がないのであるが、それを若い山口とCB吉田、今野に期待しなければならない。その山口とのコンビは青山であった。長谷部、遠藤の体調がいまいちなのだろう。その青山は縦への効果的なパスを多くだす。合格点だろう。コスタリカは5 バック、そのため中盤のプレッシングが弱かった。とはいえ、青山からのこの縦へのパスが効果的に働き、そこから最終ラインを混乱させたのは評価できる。後半は相手の疲れもあり3 点を獲ることに成功する。本番では、相手の集中も続くだろうから今回のような展開を期待することはできない。少ないチャンスをものにする必要がある。本田が存在感を示せないのが少し気になる。サンシーロ入場の際に最後尾に固執していた強気の本田はどこにいったのだろうか。今週末のNHKの本田特集にそのなぞを説く何かがあったのかもしれないと思うと、見なかったことが惜しまれた。

6 月 3日(火)
磯崎新の建築談義 「ル・トロネ」 を再読する。 M・メルロ=ポンティの「眼の精神」が引用されている。メルロ=ポンティのセザンヌやクレーの批評を通して、建築においても同様にデカルト的空間あるいは近代科学的空間認識からの脱却を指摘している。ル・トロネの素形は、これまでの価値観を振り戻す建築であるという訳である。この本は1961年のものである。芸術の分野でもこうした傾向がこの時期にはっきりと現れていたことも知る。「眼の精神」を再び引用する。「空間はもはや屈折光学が語っているもの、つまり私の視覚の第三者的な証人ないし私の視覚を再構成しそれを俯瞰する幾何学者が見るであろうような「対象間の関係の束」ではない(ゲーテ的 遠藤註)。それは空間性の零点ないし零度としての「私」のところからはかれる空間である。私は空間をその外皮にそってではなく内側から活きるのであり、そこに包み込まれているのだ。要するに、世界は私のまわりにあるのであって、私の前にあるのではない。」ルネサンス以降の認識方法を離れ、身体的な感知で見ることをいっている。

6 月 2日(月)
サンシーロスタジアムの構造について多田先生に教わる。スタジアムは11本のコンクリート柱によって支えられているが、うち角の4本が屋根トラスを支えるものである。残りはスタンドを支える。コンクリート支柱は階段である。4角の外に飛び出している赤い大梁は鉄の塊で、バランスをとるための錘として機能しているそうである。その内側はトラス梁であり、上部に透明なプラスチック屋根をのせている。この透明屋根は芝の生育に十分でなかった。サンシーロのゲームはいつも泥だらけであったことを思いだす。芝の改良が施され青々とした芝の上でプレーができるようになったのはここ数年である。ザハの国立競技場のコンペ案は、スタンドも屋根も連続した構造によって支えられている。流体的形態でありながら重々しいデザインと思った理由がここにあった。大きなスタジアムデザインにおいてはボリュームを分節させることは大切である。ピアノのバリスタジアムはスタンドを輪切りに分割している。代々木体育館はもちろん一体的であるのだが、これが大きさの限界である。

6 月 1日(日)
倉庫のリノベーション建築を見て回る。多くが海沿いか川沿いにある。空間が大きく、無機質な建物デザインが様々なイベントを可能にするようだ。日の出駅のタブロイド。月島の旭倉庫。秋葉原の練成中学校体育館。隅田川蔵前のリバーを回る。いずれも東東京である。サブ文化の中心が東に移動するというより、街の機能が港・渋谷の一極集中から多焦点的に変化しているのを体験することができた。